絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●アルザス・ロレーヌの夏の花

2005年02月28日 | フランスのこと
写真は、フランス、アルザス・ロレーヌ地方にある、W家の門に絡みつくスイカズラ。なんど、この花の下をくぐったかしら・・・・。立派なスイカズラの木。夏になると、たっぷりと花をつける。

アルザス・ロレーヌ地方は、短い夏だけ、すてきにきれい。なんといっても、花の量。ストラスブール、メッス、ナンシー、コルマール、白ワイン街道の小さな村々、ミュールーズ、どこの町も、街頭は、色とりどりの花で飾られている。まるで御伽噺の世界のよう。

長い冬の後、パステルカラーに染められた町々、そして、なによりもなだらかな丘の続く田舎の風景、濃い緑に染まったヴォージュ山脈。森は、深くて、そして、とても豊か。きのこや野生の鹿をとることができる秋まで、この地方の夏は、きれいな花々で囲まれて、まるで夢の世界のよう。

W家の庭も、花で一杯になる。夏に、この家の門をくぐるのが好きだった。花が、咲き乱れている、小さな前庭。ヨーロッパの町の家は、裏庭が巨大なのに、前の庭は道路から、5メートルもなかったりすることが多い。正面からでは、家の敷地の大きさは、分からない。


日本の実家でも、母が丹精込めて、スイカズラを育て始めたけれど、こんなに大きくない。以前は、こんな種類の、これ見よがしの花は、好きじゃなかった。南国のどぎつい色の花も、好きだったことはなかったのに、最近、どんな花を見ても、いとおしさを感じてしまう。

一生懸命に、命を振り絞って咲いているから?過ぎ去った、華やかな(私自身が派手だったわけじゃありません)20代を懐かしむから?年を取っていく両親を想うから?

「祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ

花ノ色、盛者必衰ノ理ヲ顕ス。驕レル人モ不久。春ノ夜ノ夢尚

長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ。偏ヘニ風ノ前ノ塵ト不留。(・・・・)(平家物語)」


花を見ていると、こころが和む。花と人生を重ねた唄も多い。きっと、多くの人が、同じように感じているのだろうな。

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ(・・・)
(「花」、沖縄の喜納昌吉氏の、作詞・作曲)

  
植物は、自分の命を燃やして、一生懸命に花をつける。色とりどりに着飾って、蜂を呼び、風にゆれ、子孫を残すために、命を絞って花を咲かせている。だからこそ、美しさを感じるのかもしれない。



日本の我が家も、W家も、庭に、花があふれている。いつか、そんな風に花を育てられる人になれるかしら。

電話があるたびに、かえって来いといわれるけれど、あの夏の花を思えば、懐かしくなってしまうアルザス・ロレーヌ地方。(冬は寒い(「シベリアの始まり」と呼ばれていたりする地方だもの)から、すこし辛いけれど、冬はそれで、別の楽しみがあったりする。)



今日は、疲れている。週末から、調子が悪く、今朝は病院に行ってきた。もうすこし、ゆっくりしてもいいと思うのに、油断すると、体のどこかが、ざわざわする感じ。こりゃ、ちょっとヤバイかも?







●ルクセンブルグのぶどう畑と、多言語教育

2005年02月27日 | ヨーロッパのこと
新しいプログを作りたかったのは、下の画像を載せたかったかもしれません。わたしの中で、いろんな風景と、その風景をとりまく思い出がしまいこまれているのだけれども、それを、ちゃんと言葉で、書いてみたかった、そんな思いも、強くあったのかもしれません。

去年の夏、ルクセンブルグのブドウ畑を車で走ったときの、画像です。

その日、ルクセンブルグで、ゆっくりモーゼル川沿いの道を、車を走らせながら遡り、蝶博物館を訪ねるつもりでいました。でも、実際は、朝、モーゼル川を船で観光した後、あまりの暑さに、博物館見学を切り上げて、早々に、帰ったのでした。この日の、ゆったりした一泊旅行は、「ちょっとしたサプライズ・プレゼント」だったので、とても嬉しくて、それでこの画像に思い入れがあるのかもしれません。

ぶどう畑は、とても広くて、どこもかしこもぶどうの木の列が、きれいに並べられていました。このあたりは、白ワインの産地。ここからドイツに向かって、モーゼル川を登っていくと、美しいワイン街道があります。このモーゼル川をさかのぼるドライブ、何度かしましたが、いつ行っても、清潔で、きちんとした、安心できる美しさがあります。これが、ドイツ的な美なのかもしれません。

このあたりの風景が、わたしは大好きです。

南フランスの野性味を帯びた、赤ワインの畑と違い、洗練された貴婦人のような美しさがあります。色合いの淡い、汚れの一つもない清潔な風景。(わたしにとって、西南仏は、「好き」を超えている地域だけれども)



(画像のサイズを変えているうちに、なぜかちょっとポケちゃった・・・。面倒だから、このまま!)

思えば、大学生のとき、初めて旅行したヨーロッパも、モーゼル川を起点としたのでした。初めてのヨーロッパの旅、おろおろドキドキ、心細さの連続でした。

フランクフルト空港から、初めて乗ったドイツの電車、マインツに下りながら、見下ろしたモーゼル川の美しさ。そのとき、「ヨーロッパは、なんて美しいのだろう」、一人で車窓から緑の木々が流れるのを見ながら、思ったのでした。今でも、その景色が目にはっきりと浮かびます。その頃は、異国的なものに、あこがれていた時期だったのでしょうね。

その後、いつか、自分が、こんなに長居をすることになるとは、まったく思いもしなかったけれど・・・、そのときに、縁を作ってしまったのかな???


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ルクセンブルグには、すんだことがないのに、何度も何度も、行きました。

この国には、フランスのメッスから北部の町に住む、たくさんのフランス人が、毎朝、電車で、通勤してきます。

ルクセンブルグは、物価が高い(サラリーが高い)ので、こちらの国で働き、住居は、比較的安いフランスに構える、そんな人が、毎朝、7時前後の電車にゆられて出勤するのです。

電車の中の、出勤風景のフランス人、寝ている人は、ほとんどいません。一人で通勤の人は、英語か、フランス語の本を読んでいますが、多くの人は、同僚と連れ立っています。出勤=電車の中は、朝から、男女の、小鳥のさえずりのような、ざわめきで一杯です。さすが、自分の意見は、言わないと気がすまない、フランス人・・・。(本を読みながら、耳に入ってくる会話は、男性も、女性も、お話は、たいてい、職場の誰かの噂話、バカンスの過ごし方、休暇のすごし方・・・。)


ルクセンブルクは、小国だからゆえに、いろんな知恵を持った国です。だからこそ、この国を訪れるのが、好き。

まず驚くのは、多言語教育が徹底していること。ポリグロット(多言語を話す人たち)が、とても多いのです。44万人の国民の大半が、2、3カ国語を話します。

ルクセンブルグの言葉は、ルクセンブルグ語があるのですが、小学生から、フランス語、ドイツ語教育が、徹底していて、ある特定の科目は、外国語で教えるのです。英語は、中学生からならうのですが、フランス語、ドイツ語が使える人たちに、英語など、楽に習得できないわけがありません。

しかも、この国には、大学がありません。だから、大学教育を受けるためには、たいてい、お隣の国、フランス、ドイツに「留学」、することになるのです。

さらに、移民の多いこの国、両親、片親が、南欧、旧ユーゴ出身者が、実に多く、家庭では、また別の言語を話す場合も多いのです。ルク語、仏語、独語、英語+もう一言語、は大学を卒業する頃には、自由に操られる人たちの多さ、まさに、生まれながらのポリグロットたち。




・・・・・・・・・・・・・・・・・

わたしは、冬のルクセンブルグの町が大好きです。

寒い、すこし小雪がちらつく中、広場の屋台で、Wurstbrot(ソーセージサンドウィッチ、丸いパンの半分を切り、中に20センチはありそうな、あつあつのソーセージをはさむ)を買って、赤いソーセージに、黄色のマスタードをたっぷり塗ってもらい、歩きながら食べる、そのおいしさ!(わたしは、ひそかに、ルクセンブルクのソーセージの方が、ドイツのそれより、おいしいと思っているのです、もちろん、大変な種類のソーセージを、すべて試したわけじゃ、ありません!)





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このプログでの、まだ新しいテーマ、自分のtemperamentが、決まらなくて、ちょっと、悩んでしまう。気楽になんでも書いて、いいのだろうけれど、そのヘンが、性格なのかな・・・?

お昼ごはんは、フレッシュなパルミストのサラダと、インドカレー。

片づけが終わった後、お抹茶をたてたくなった。茶筅もあるけど、ガーン、お抹茶がない・・・。







●どうして、新しいプログ?

2005年02月25日 | 思ったこと
このHPでは、わたしの住んでいる島の紹介はありません。日々、思っていることを、書いていこうと思います。

わたしのすんでいる島のHPでは、この島の美しさや、生活の様子、そして、周囲の島々を紹介するつもりで始めたけれど、書いていくうちに、どうしても、ほかのことを書きたくなってしまいます。ふと思ったこと、感じたこと、いろんなこと。

でも、そんなことは、あの島の紹介するHPでは書きたくないのです。こちらは、自分の、島とは関係のない、ふと思いついたことを書きたいだけ。

あの島の名前を、いろんなサーチエンジンで検索すると、あまり知られていない島だからがゆえに、すぐ、わたしのHPが、上に紹介されてしまう。

それは、うれしいことでもあるけれど、すこし重荷でもある。

あの島を離れても、わたしの胸に浮かぶことは、空の星のようにあるのです。あの島は、わたしの世界の、ほんの一部分でしかないのです。

誰でもそうだけれど、いろんな姿を持つわたしがいます。どれも本当のわたし。わたしが変わるのでなく、わたしを見つめる角度によって、光によって、いろんな光が出てくる。


だから、この日記。どんな形になるか分からないけれど、ただ、思いつくままに。最初は、いつも見切り発進、どんな形になるか、わからないのは、わたしのやり方。でも、心浮かぶことを、書きたいって、そんな気持ちだけがある。

HPではなく、自分に手書きの日記に書いてもいいのに、どうしてHPを作るの? わからないけれど、とにかく、書きたい。そんな思いだけがある。たぶん、こうして公の場で自分をこころを表現しないと、自分のこころの許容量を遥かに超えた思いで、パンクしそうになっているのを、最近、感じているのです。(そして、日常では、一切使えない、母国語日本語で、自分を表現したい、そんな気持ちもあるのかも・・・)



<写真> 誰もいない草原。わたしのなかにも、誰も入ってこれない世界が広がっている。

やっぱり、画像は大事。わたしにとっては、日記は絵日記の方がずっとよい。イメージがあるって、とても大切。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、本日、やっとEたち3人のお客さんも、かえってくれました。10日間、なんだかとても、長いように感じました。価値観の違いで、なんだか彼女達の行動には、ビックリすることもあったけれど、それでも、お出かけしたり、楽しいこともたくさんありました。

価値観の全く違う人と、10日でも暮らしていると、「それは、違うんじゃない?」っていいたくなるときが、どうしてもでてきます。でも、そうじゃなく、ただ、それをこころをかき乱されないで、日が昇るのと同じような、一つの現象として、静かなこころで見るというのは、難しい。今回、そんなことの練習になりました。


気分を変えて、たまっていた用事をしたかったのだけれど、朝から、ものすごい腹痛。薬を飲んで、腹痛は止まったけれど、体がとてもだるい。

自分では気づかずに、ストレスをためていたのではないか。だから、今日は、ゆっくりすることにします。たぶん、今夜くらいから、動けるのじゃないかな? (こんな気持ちで、あたらしいHPを作成。書くのは、全く苦じゃないから)

島のHPの更新もなし。ゆったりしたい。




  (mimi_ylangy = nana_ylangylang、紛らわしくてごめんなさい。mimiも nanaも、わたしのニックネームです。HP作成の便宜上、この名で登録をしました。mimiでも、nanaでも、どっちでもいいのです。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

PS.何度、手直ししても、上に上がっていかない。アクセスしてくださった方も、名前が見えない。なんだか、気楽なプログになりそう。


こうして書いていると、気持ちも整理され、また、書きたい気持ちになったり、HP更新のヒントが出てきたり、いろんな良い面もある。