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潮来(いたこ)の伊太郎とは何者か? その壱

2005-04-05 16:09:15 | 日本編
■1980年代の終わり頃、鹿島神宮と香取神宮を参拝に行った事がある。本当の目的は、大原幽学という人の事跡を調べる事だった。この興味深い人物に関しては別の項で書こうと思う。後輩の車に乗せてもらって水郷地帯の風景を楽しんだが、潮来の町で一泊する事になり、宿を探して走り回って言う車中で、

「潮来の人は、皆『潮来の伊太郎』を全部歌えるのだろうか?」

と私が口にした疑問に、後輩は爆笑で答えたのであった。自分ながら馬鹿馬鹿しいことを言ったものだと長い間思っていたのだが、この小さな思い出をこの半年間、何度も思い出させるニュースが飛び交った。勿論、そのニュースの主は、一度見たら忘れない風貌の海老沢勝二という人物である。この潮来出身の名士が、公式に発表している「座右の銘」が、忘己利他(もうこりた)だと知って、笑った人は覆いのではなかろうか?これは「もう懲りた」の当て字としか思えない!しかし、御本人はぜんぜん懲りていないのは、何故だろう?若い頃の彼の後ろ盾は橋本登美三郎で、海老沢さんの父上が地元の後援会幹部だったという深い縁が有った。

■この二人の履歴を調べて見ると、絶妙のタイミングで『潮来の伊太郎』が現れては消え、再び現れる現象が気になり出した。以下は橋本登美三郎さんの履歴である。


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下記文中のオレンジ色海老沢勝二さんの履歴で、朱色芸能界の動きです。

橋本登美三郎(はしもと とみさぶろう 
1901年(明治34年)3月5日、茨城県行方郡「潮来」町の回送問屋の家に生まれる。旧制佐原中学から、「早稲田大学」政経学部に入学。在学中は雄弁会に所属し、闘将と称された。
1927年(昭和2年)大学卒業後、朝日新聞社に入社。満州に特派員として派遣されたのを皮切りに中国で活躍する。南京に日本軍が入場した際、記者15人ほどを引き連れて、一番乗りしたことで有名である(南京事件については、疑問視している証言をしている)。外信部長、東亜部長を歴任し、


1934年(昭和9年) 茨城県「潮来」町生まれ
1945年(昭和20年)退社。
1942年(昭和21年)衆議院議員総選挙に出馬し落選。地元「潮来」町の町長に選ばれる。
1943年(昭和22年)総選挙に再度出馬し落選。
1949年(昭和24年)に茨城1区(当時)から総選挙に立候補し最高点で当選する。当選後、主に「郵政」関係、特に「電気通信」関係の族議員となる。

1957年(昭和32年)「早稲田」大学第一政治経済学部政治学科卒業。「NHK」に記者として入局
1960年(昭和35年)第一次池田勇人内閣の建設大臣兼首都圏整備委員会委員長として初入閣。佐藤栄作の側近として、田中角栄、保利茂、愛知揆一、松野頼三とともに佐藤派五奉行の一翼を占める。

4月に発売された花村菊江『潮来花嫁さん』が話題となり紅白初出場。翌年『木曽の花嫁さん』を発表して紅白連続出場。
8月に発売された『潮来の伊太郎』大ヒット!橋幸男は紅白初出場し、連続出場を続ける。
1961年(昭和36年)大映で歌謡映画『潮来笠』を封切り。
1964年(昭和39年)佐藤内閣が発足し、内閣官房長官、建設大臣、運輸大臣、自民党総務会長を歴任する。佐藤退陣を受けての角福戦争では田中陣営の大幹部として、総裁選挙で田中角栄を擁立する。田中内閣成立をうけて、自民党幹事長に就任。政権の大番頭として田中を支える。二階堂進と交代する。
1973年(昭和48年)徳間書店から笹沢佐保が『大利根の闇に消えた』という「潮来の伊太郎」を主人公にした渡世人物を出版。

紅白歌合戦で『潮来笠』が復活!
1975年(昭和50年)週間漫画に『潮来の伊太郎』連載(原作は笹沢佐保で、絵はかわぐちかいじ!)
1976年(昭和51年)8月21日、ロッキード事件丸紅ルートで、運輸大臣在任中に500万円を受け取ったとされ、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕される。判決を受けて控訴。
1982年(昭和57年) 「政治」部長
1988年(昭和63年) 報道局長
1989年(平成元年)1月19日死去。88歳。
1989年(平成元年) 理事 1991年(平成3年) NHKエンタープライズ社長 。島会長による「左遷」。
1993年(平成5年) NHKに復帰し専務理事
1994年(平成6年) 副会長
1997年(平成9年) 会長
1999年(平成11年)ABU(アジア太平洋放送連合)会長に就任
ABU=(アジア・太平洋の50の国・地域100の放送機関で構成)

2002年(平成14年)ハイビジョンの普及など、世界の放送界の発展に貢献したとして、「国際エミー賞」の経営者賞を受賞

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■橋幸男という歌手は、1943年(昭和18年)5月3日生まれの東京出身者だから、「潮来」とは無関係である。高校卒業前に歌手デヴューして、最初の『潮来笠』が大ヒットする。それ以降、紅白歌合戦に連続出演を続ける。吉永小百合さんと歌った『いつでも夢を』と中村錦之助のTVドラマ主題歌『子連れ狼』ぐらいしか印象的な大ヒットが無いのに、毎年紅白歌合戦に出演。同時にデヴューして、畏れ多くも「御三家」などと言っていた他の二人は紅白には出なくなっているのに、橋幸男さんは別格の扱いだったようだ。

「潮来」の伊太郎 ちょっと見なれば
薄情そうな 渡り鳥
それでいいのさ あの移り気な
風が吹くまま 西東
なのにヨー なぜに眼に浮く 「潮来」笠

田笠の紅緒が ちらつくようじゃ
振り分け荷物 重かろに
わけはきくなと 笑ってみせる
粋な単衣の 腕まくり
なのにヨー 後髪引く 「潮来」笠

旅空夜空で いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは「関宿」 大「利根川」へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下 「潮来」笠


「潮来」が連呼されて、無名だった地名が織り込まれているこの歌を作ったのは、数え切れないほどの歌謡曲を生み出した二人の男だった。作詞が佐伯孝夫、作曲が吉田正の黄金コンビである。このヒット・メーカー・コンビは、他にも沢山の曲を橋幸男さんに提供したが、大ヒットにはならなかった。この曲に関係した有名な作詞家と作曲家の履歴にも興味深い点が見つかった。以下、「その弐」へ

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6 コメント

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面白い! (しじゅうから)
2005-04-06 23:39:02
 深くて、重くて、面白いブログですね!

 ゆっくり読ませていただきます!

 今後ともどうかよろしくお願いします!

 とり急ぎご挨拶を・・・・・。



 潮来の至ろう?伊太郎、歌えますよ!京都生まれですが・・・・、あの年代です。 
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いっらしゃいませ (旅限無)
2005-04-07 07:28:52
そうですね。少し古いネタですが、一つの時代の終わりを感じさせるNHK騒動なので、ちょっと引っ掛かっていた事を調べているうちにNHKの体質を知ったような次第です。
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Unknown (ts)
2005-04-23 09:36:41
TBありがとうございます。こちらからもTBさせていただきます。これからもよろしくお願いします。
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tsさんへ (旅限無)
2005-05-01 20:39:30
返事が遅れてしまって失礼しました。いらっしゃいませ。こちらこそ、どうぞ宜しくお願いいたします。気の利いた記事がなかなかまとまらずに中途半端な在庫ばかりが増えている状態なので、一気に完成品が続々とアップされる時期が間も無くやって来ると思います。
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Unknown (名前)
2016-05-11 12:25:58
>印象的な大ヒットが無い

自分が知らないんだからヒット曲なんか無いんだろうと言う考え方w
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詳しい! (nakayan)
2019-06-28 15:15:24
事前連絡なしで勝手にリンクさせてもらいました。宜しくお願い致します。
http://blog.livedoor.jp/nakatoyo_dot_com/archives/18470373.html
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