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浦潮記 其の壱 坂の町にて

2005-07-18 14:34:45 | アジア編
■良港と言われる場所はどこも坂道だらけです。海岸まで山が迫って、そのまま深い入り江に落ち込んで行く地形ですから、田畑には適さない急峻な場所です。人々の暮らしは農業や工業から離れてもっぱら商業と漁業に特化して、文物の往来と交流が盛んでどこもエキゾチックな風情が漂います。更に、多島海を抱え込んでいるような複雑な地形の港は、日本の長崎などが有名なように、何処も有数の観光地となっています。しかし、戦争の時代には、こうした美しい港は最高の軍事拠点となってしまうのが世の常で、イスタンブールのように国運を賭けて奪い合うような場所にもなります。こういう場所は、港の歴史がそのまま世界の歴史の重要な一部分を形成しているので、何の予備知識も持たずに訪ねるには不向きな観光地です。

■ウラジヴォストークという物騒な名前を持つ軍港が、商売と観光の町に変ったのはロシアの歴史的変化の象徴的な事件です。世界最大にして最強の要塞都市としてロシアが国力を集中して完成した傑作ですから、19・20世紀の記念碑としての価値が高く、軍事や歴史に興味の有る人ならば、急な坂を上って丘の上に立つだけでも感無量です。旅限無の旅は、いつも通常のコースを外れて妙な場所に入り込んでしまうものなので、今回の浦潮探訪も例外ではなく、ケーブル・カーで上る展望台を目指すのも、止せば良いのに逆の斜面から上ってやろうと歩き出したのでした。

■市内で購入した地図はもっぱら自動車向きに書かれているので、歩く者にとってはひどく不正確な物でした。それに気が付いた時には、舗装道路も消えて足元は石ころだらけの土の道をふうふう言いながらよじ登っていたのでした。途中で地元の人に道を尋ねたのですが、最初は、「多分、この道を行けば良いと思うよ」と指差してくれたのですが、だんだん進んで行くと驚いたような対応になりました。「本当に行くのかい?」という反応でしたが、既に町並みは遥かに下の方でしたから、今更引き返すのも癪(しゃく)なので、建物もまばらになり、怪しげな若者が中古車を隠れるようにして修理しているような小屋がぽつりぽつりと建っているだけの風景になり、山頂には巨大なアンテナが林立する通信所が有りました。そこから港の全景が見渡せまして、誠に絶景でした。前日までは深い霧に隠れていた港が、青空の下に光っておりました。

■以前ならば、こんな場所に突っ立て居れば、すぐに緑色がかったカーキ色の軍服を着た逞しい人が近付いてきて、有無を言わせず逮捕拘束されるに違いなかったのに、こうして港を見下ろす山頂に立っている自分が歴史の節目を越えた時代に居ることを実感したものです。浦潮という港町は半島の突端に造られているのですが、その入り江を抱え込むようにルスキー島という細長い島が守っています。この海上の城壁のような島のくびれた部分を切り開いて運河を通す大工事を20世紀初頭に完成しています。そして、港が有る半島の遥か北には、半島の付け根を半円を描くように設計された難攻不落の地下要塞防衛ラインが背後を守っているのです。日露戦争の激戦地だった旅順港と同じ戦略思想で設計されていたのですが、その規模の大きさは旅順など単なる玩具にしか見えないような物です。

■仮にこの難攻不落の軍港を攻略しようとすれば、沿海州の切り立ったどこかの海岸に取り付いて大軍を上陸させて、虎を退治しながら密林を南下して世界有数の地下要塞を破って、半島を貫く山脈を踏破して港を見下ろす山上に布陣しなければならないでしょう。そんな事が出来る国はどこにも有りませんから、確かにここはロシアの生命線の突端です。そんな山坂を歩かなくても、空爆を敢行すれば良いと思えば、無数の高射砲が半島中に配置されていて、港の周辺はハリネズミそのものの武装をしていたようで、かつての栄光を伝える要塞博物館を見て回ると、ぞっとします。港の南に横たわるルスキー島は、どうやら島全体をそっくり地下要塞化しているらしく、ソ連時代は地元の人々も立ち入り禁止だったそうです。博物館の展示でその一部分を知る事ができますが、軍艦から取り外した三連装の主砲を地下要塞の上に据え付けている写真を見ると、「こりゃダメだ」と脱力感に襲われます。

■浦潮と同じように山を背負っていた旅順港の地下要塞でさえ、1万人以上の犠牲を払ってその一角を崩したのですから、この浦潮を攻めるのは不可能だったでしょうなあ。通常兵器による攻撃には万全の備えが出来ていても、原爆の大量生産が始まった冷戦時代には、大陸間弾道弾に狙われる危険が増したわけで、丹精込めて完成した要塞都市も数発の核兵器で焼かれてしまえばお手上げだ、と考えるのは日本人ぐらいなものなのか、ソ連は本気で原爆戦争を想定して、半島を東西に貫く地下トンネルを密かに完成させて、地表が焼き尽くされても戦い続けられる工夫をしていたのでした!この地下深くに建設されたトンネルは地元の人々もソ連崩壊までは誰も知らなかったと言うのですから、本当にやるつもりだったのでしょう。ソ連が崩壊して冷戦も原爆戦争も絵空事になって経済が大混乱に陥った時に、何処からともなく膨大な鉄材や機械類がスクラップ市場に出て来まして、その出所が不要になった原爆戦争用の地下要塞トンネルだった事から、そんな物が作られていたのか!と地元の人々は初めて知ったそうです。

■ソ連軍の一番弟子は朝鮮民主主義人民共和国であることを忘れては行けません。優秀な学生や軍人をソ連に大量に留学させた北朝鮮は、半島の北半分を地下要塞化して何かに備えているのです。ソ連は崩壊したけれど、自分は絶対に崩壊などしないぞ!と頑張っている北朝鮮の性根を知るにも、ウラジオストクは絶好の教材を与えてくれます。何時の日か、北朝鮮の「坂の多い港町」を訪れて、山の上から港を暢気に見下ろせる時代がやって来るのかなあ?というややこしい感慨にふけったのが自分でも可笑しかったのでした。
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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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TBありがとうございました (neto)
2005-07-22 22:36:04
私もいつか浦潮に行ってみたいものです
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