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浦潮記 其の七 当たり前のお買い物

2005-07-23 01:54:50 | アジア編
■社会主義システムが崩壊して本当に良かったね。と思えるのが日常的な買い物をする時です。今回申し込んだツアー会社が用意してくれたのはホテル・ウラジオストクの四階の部屋でした。ソ連時代と同じように各階ごとのエレベーター・ホールにでんと机が置かれて、出かける時は鍵を預け、戻ったら鍵を受け取るシステムになっています。ソ連が崩壊した後で、かつての国営インツーリスト・ホテルも、それ以外の国際観光客用のホテルも、階ごとに経営権が売買されたとの話も有りますが、宿泊客の目から見ればソ連時代と同じシステムのようにしか見えません。最も大きく変ったのが、ホテルの近辺を歩き回って数日間の滞在用に、行きつけの便利な商店を確保できる事でした。

■ブレジネフ時代にソ連を飛び回った経験の中で、イルクーツクのインツーリスト・ホテルを出て町を歩き回った時の事です。目に付く外貨専用店のベリョースカ(白樺の意味)には、お土産から欧州ビールまでなんでも揃っているのは分かっているので、ぶらぶらしながら、一般の国民が利用するスーパー・マーケットに入ったのでした。米国には負けますが、当時の日本では余り見かけない広大な売り場面積に、空っぽの棚と硝子ケースが廃墟のように並んでいて、それでも青色の制服を着た女性達が意味も無く立っている店内に入ってしまった時の衝撃は今も消えません。店員さんの視線を浴びてしまってから黙って出て行くのも面白くないので、店内を一周して見たのですが、本当に何も無い陳列棚は無気味で、目にした商品は冷凍された魚の干物が数尾に大きなサラミ・ソーセージが三、四本だけでした。一人の客も無く、商品も無いスーパーマーケットのケースに販売員がぽつぽつと立っている。ジャーナリストになる素質の無い自分は、とてもカメラをバッグから取り出せませんでした。

■今回の滞在では、ホテルを出て坂道を5分も下ると、小さいながらも何でも買えるスーパーマーケットが見つかりました。そこで、噂に聞いていた大きなペットボトル入りのビールを探すと、三種類の銘柄が並び、缶ビールとなれば数え切れないほどの種類が専用ケースの中に並んでいます。ソ連時代は完全には終わっていないので、ほとんどの商品は硝子ケースの中に厳重に置かれていて、それ以外の品物は、販売員が背にする陳列棚に並んでいますから、あれこれと勝手に手に取って品定めなど出来ません。指差しながら欲しい品物を取り出して貰い、買うかどうかを決めるわけですが、ソ連時代ならば、「どうせ買わないだろうけど、盗まれるかも知れない」という目付きで見られたものですが、今回は違いました。客が買うことを前提にして店員が応対しています!仕切り越しに品物を指定するのはちょっと面倒なのですが、手に取ってラベルの表示を確認する事は出来ませんから、店員のオバチャンの断定的な解説を信じるしかないのですが、以前とは違って「買う前提」なので、少しぶっきらぼうでも親切に商品解説をしてくれます。

■たった三種類の大きなペット・ボトル入りのビールを長めながらもたもたと思案していると、「強いビール?それとも弱い奴?」と聞いてくれたので、即座に「強い奴」と応答すると、ぱっと冷蔵ケースのドアを開けて、どんと仕切りになっている背の高い硝子ケースの上に一本出してくれます。このオバチャンは飲み物コーナーの担当なので、チーズやサラミは別の人に頼まねばなりません。さっさとその場を離れようとしていると、「袋は要るの?有料だけど…」と言うのです。ロシアにも環境保護の意識が出ているのに大感動!用意していなかったので有料の大きなレジ袋にビールを入れてもらって、その場で会計です。この合理的な支払い方法に、声を出してしまいそうでした。ソ連時代は、「買わない前提」の応対をされ、やっと購入を決めると、品物は仕切りケースの陰に隠されて、日めくりカレンダーのような薄っぺらな紙に請求金額を書き込んで、乱暴に千切って投げて寄越すのを受け取って、随分離れた支払い窓口まで歩いて行って支払いをしました。その時も、最小限のつり銭で済むように紙幣を出さないとツッカエされて怒鳴られたものです。支払い済みのゴム印を押して貰ってから、無愛想に指差す方向に歩いて行くと、暇そうに新聞を読んでいる人が居て、「支払い済みスタンプ」の確認スタンプを貰って、とぼとぼと最初の場所に戻るってやっと一つの品物の買い物が終わったのでした。

■ですから、目の前の商品をその場で決めて、支払いも受け取りもその場なのですから、声を上げたいほど感動したわけです。それから滞在中の四日間、毎日夕方には店に通ったので、三日目には、説明が面倒臭いからとカウンターの中に招き入れられて、自由にショッピングが楽しめるという恩恵にも与りましたなあ。それには前置きが有りまして、二日目の買い物で、缶ビールのデザインだけで三種類を指差して選んだのですが、その内の一本が「ノン・アルコール」のビール風味飲料だったのです。何故か前日の事をよくよく覚えていたオバチャンは、大袈裟に三本をケースから取り出してから、芝居がかった仕草でノン・アルコールの缶を持ち上げて、「これはノン・アルコールなのよ。ノン・アルコール。本当にこれが欲しいの?」と一人でハシャイでいます。前日に「強いビール」と言ったのをちゃんと覚えていたのですなあ。一緒に笑いながら、別のデザインの缶と交換したのは言うまでも有りませんが、客とのコミュニケーションが街中の商店で普通の行なわれている!これは感動でした。

■今でもチャイナの地方に行くと、少なくとも支払い所との往復をしないと買い物が出来ない百貨店が沢山残っていますから、ソ連が崩壊して本当に良かったね、と買い物に行くたびに心の中でお祝いを申し上げていた次第です。かつて、ソ連のすばらしさやレッド・チャイナのすばらしさを、さんざん書き散らした新聞記者や学者さん達は、一般の人々の列に混ざって不便で不合理な買い物などした事がなかったのでしょうなあ。国賓待遇だけでなく、様々な高額の手当てを貰っていれば、ベリョースカという天国みたいな外貨ショップで存分に買い物が出来ますからなあ。私も、正体不明のアルコールに恐れをなして、何度か町や国営ホテルのベリョースカで、オランダ製のハイネケンを買った事が有りました。しかし、現実の日常世活を知りたかったので、ぶらぶらしている町中に行列を見つけると参加してみたり、屋台を見つけると直ぐに覗いてみたものです。そんな不便な栄光の社会主義時代でも、中央アジアに行った時には、バザールの伝統を残した市場が有って、大きなパンやらオジサンが自慢するレーズンや白チーズを買い歩いたものです。

■その後、チャイナには「万元戸」が出現したとか、自由な販売が許される市場が出来たとか、馬鹿みたいに当たり前の事を大ニュースのように日本の新聞は報道していましたなあ。社会科の教科書にも掲載されて、高校受験必須の暗記事項にもなりました。誠に恐るべきはマスコミと教育ですぞ!昔を知っている人には懐かしいシステムや品物がまだまだ沢山残っていたウラジオストクでした。知り合ったロシア人達がチャイナの人々を見る目や、語り口から察するに、自分達は大真面目に社会主義革命の成就のために多大の犠牲を払う勉強をしたけれど、チャイナは今も昔も、一度も真面目に社会主義を実践しようとなどしなかったではないか!と言うメッセージが聴こえて来ました。社会主義が実現するはずの究極の平等が、常に餓死の恐怖に晒されているような場所で実現したと「宣伝」されると、永久に平等の貧困が約束されてしまいますなあ。

■近代国家の快適な都市生活の中で、ふとアンニュイな気分になって昔のソ連やレッド・チャイナに行って白昼夢を楽しんだ人達が犯した罪は、随分と贅沢で無責任で悪質だったと思います。ガイドやら通訳やらの名目で、ぴたりと張り付いて離れない監視員が通訳して情報を提供してくれるのは、革命や戦闘とまったく同じものですから、そんなネタを日本語に訳して得々とヨタ話を書き散らしていた時代が確かに日本に有りましたし、それを教材にしたり、進学試験に出題していたのですから、学校教育の権威が失墜するのも当然でしょうなあ。まだ「特色ある社会主義」の看板を上げているチャイナでは無理ですが、昭和40年代頃の日本で使われていた社会科の教科書のロシア語版を作ってロシアで売り出せば、彼らは世界一の皮肉を効かせたジョークの天才ですから、大いに笑える日本製のジョーク集として沢山売れるのではないでしょうか?

■ロシア旅行をする時には、是非とも普通の商店に入って、「普通の買い物」の快適さと楽しさを存分に味わって頂きたいと思うのです。その時に注意しなければならないのは、決して日本と比べては行けないという事です。是非ともチャイナの田舎町とか、キューバの商店などと比べて下さい。幸運に恵まれた人は、朝鮮民主主義人民共和国の外人専用ではない現地の店での体験と比べて下さい。今のロシアは、とても買い物がし易い国になったという御話でした。

この続きは其の八で

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