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「源氏物語」は伝え方が10割

「理系学生が読む古典和歌」
詳細はアマゾンの方をご参照下さい。

(注227792):「菅原道真」関連年表2

2021-01-23 15:25:04 |  <他紙排斥><陰謀><暗殺>


(注227792):「菅原道真」関連年表2


****** 菅原道真<天神様>「落雷」「おどろ」***************
18歳(862年) 文章生
32歳(876年) 文章博士と式部少輔兼任
41歳(885年) 讃岐守、遥任でなく現地に赴任。
44歳(888年) 阿衡(あこう)の紛議で藤原基経に進言。
47歳(891年) 親政に積極的な宇多天皇から蔵人の頭(帝の側近中の側近)に抜擢される。
49歳(893年) 参議(正四位)
50歳(894年) 道真の進言により遣唐使停止される。(14年後に唐滅亡)
51歳(895年) 中納言。ライバルの時平に追いつく。
53歳(897年) 宇多天皇、醍醐天皇に譲位。
55歳(899年) 道真右大臣、時平左大臣になる。
57歳(901年) 太宰権帥に左遷。
59歳(903年) 大宰府で客死
  (906年) 時平派の中納言定国、40歳で没。
  (907年) 日本が三百年に渡って目標としてきた<律令国家>「唐」滅亡。

  (908年) 道真の左遷を聞いて駆けつけた宇多法皇を内裏に入れなかった藤原菅根が「落雷」で死亡。

  (909年) 藤原時平没。
  (911年) 大安寺焼失。
時平の子は次男顕忠(あきただ)を覗いてみな夭折。
  (913年) 大納言源光、狩猟で泥中に沈み死亡。死体は見つかっていない。
  (923年) 醍醐天皇の最愛の息子、保明皇太子が21歳で没。道真の怨霊によるとの風説流れる。
  (925年) 保明親王の息子、次の皇太子慶頼王までも、わずか5歳で死亡。

  (930年) 清涼殿に「落雷」。藤原清貫(きよつら)、平希世(まれよ)、美努忠包(みぬのただかね)、紀蔭連(きのかげつれ)らが死ぬ。

藤原時平一族は徹底して祟られるなか、宇多天皇と関係がよく、大宰府の道真にもしばしば便りを出していた忠平のみ祟りを免れる。
忠平の正室(正妻)源順子は、宇多天皇の皇女とされているが、宇多天皇の異母妹で道真と血縁関係があるという説がある。

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「おどろく(驚く)」<気がつく><目が覚める><驚く><ハッとする>
「おどろおどろし」<激しい><はなはだしい><恐ろしい>
の語源は、<激しい雷の音>だそうです。(荻野文子「マドンナ古文単語230 パワーアップ版」)


「おどろ」<雷の音の擬音語><ゴロゴロ>

「かみなり(雷)」は「かみなり(神鳴り)」とも書きました。
雷鳴は<神の怒りの声>と考えられていました。
和歌の直後の「上より落つる」という夕霧のセリフは意味深です。


(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと

2021-01-23 14:42:50 |  <他紙排斥><陰謀><暗殺>

 


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(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと‐6.txt


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要旨:

夕霧から落葉宮への恋歌を、
亡夫柏木の不義が暗示されているという観点から解釈した。

また、「おどろ」<雷鳴の擬音語>というコトバから連想される、<道真公の天罰>を背景とした解釈も、合わせて試みた。


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目次:


(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと


メモ:
語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。

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(夕霧33).いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の夢さめてとか言ひしひとこと

(夕霧)「上より落つる」


直前の地の文:
「夜明け方近く、かたみにうち出でたまふことなくて、背き背きに嘆き明かして、、、」

夕霧と北の方(雲井の雁)は、同じ床に入ったまま何も言わず、互いに背を向け合ったまま、ため息をつきつきして夜を明かしました。
この歌はそんな雲井の雁の脇の枕元で詠んだものです。


「おどろかす(驚かす)」<愕かせる><眼を覚まさせる><夢からさます><気を引く><注意を促す><(思いがけないところに)訪問する、便りする>
「おどろく(驚く)」<眼を覚ます><愕く>

(夕霧33)A.
明けない夜の夢が覚めた時に、とかおっしゃっていた一言を、いつのことと思ってあなたに声をかけ起こしたらよいのでしょう。

 

 


今は、かくあさましき夢の世を、すこしも思ひさますをりあらばなん、、、

柏木を亡くしたばかりの未亡人落葉宮は、昨晩そう言って夕霧を追い返しました。

「あさまし」<意外だ><驚きあきれる><お話にならない><考えが足りない><あさはかだ><情けない><興ざめだ><みすぼらしい><さもしい><卑劣だ>

「かくあさましき夢」<思いもよらなかった(柏木の早世で)、夢を見ているような気分>

<今は(私が)こうして思いもよらぬ悲しい夢をみておりますような心地ですので、少しでもその夢が覚める折りがありましたら、、、>

 


歌に戻ると、
「おどろかす(驚かす)」には、<(思いがけないところに)訪問する、便りをする>の意味があります。
「おどろかす」は、<隣で寝ている雲井の雁を起す>ではなく、<落葉宮を訪ねる>のようです。

柏木の葬儀を済ませたばかりなのに、夕霧もせっかちなものです。


@(夕霧33)B.
明けない夜の夢が覚めた時に、とかおっしゃっていた一言を、いつのことと思ってあなたを訪ねたらよいのでしょう。


いとこまやかに書きて、うち置きてうそぶきたまふ。忍びたまへど、漏りて聞きつけらる。
<筆を置いて口ずさんでいらっしゃる。声をひそめていらっしゃるが、漏れ聞えてくる。>

夫を亡くしたばかりの未亡人に、隣に寝ている奥さんの脇で懸想文を書くのみならず、それを口ずさむとは。。。
さすがは源氏の血を引く夕霧だけのことはあります。
もうちょっと考えたれや、と思うのは私だけでしょうか。

「おどろかす」の両義性を利用して、カモフラージュしたつもりかも知れませんが、むろん本音はバレバレです。

雲井の雁は「いと心づきなし」<気にくわない>と思っています。

さきほどの落葉宮の言葉も、
「あさまし」<考えが足りない><あさはかだ><情けない><興ざめだ><みすぼらしい><さもしい><卑劣だ>

<今は(あなたが)こうして(夫を亡くしたばかりの私に言い寄るなど)思いもよらぬさもしい夢をみておりますような感じですので、少しでもその夢が覚める折りがありましたら、、、>

というのが本音でしょう。

 

大抵の本では、@(夕霧33)Bの路線に沿った訳文しか載せられていませんが、
さすがに夕霧も、奥さんのすぐ脇で口ずさむからには、何らかの言い逃れの道を残しておいたのではないでしょうか。

そのような想定の下で、@(夕霧33)Bの<ホンネ>を覆い隠す、<タテマエ>の訳文を試しに考えてみたのが、(夕霧33)Aです。

 

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歌の直後に夕霧の口ずさんだ言葉を考えて見ましょう。

「上より落つる。」
「いかでよからむ」
など口すさびたまへり。


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古注による引き歌:
(引き歌1).いかにしていかによからむ 小野山の<上より落つる>音なしの滝 (出典不明)
「いかによからむ(如何に良からむ)」<どのようにしたら良いのだろうか>

@(引き歌1)A.(小野山の滝が上から落ちても音がしないように)満足な返事が無いので、どうして良いか分らない。
(参考:小学館「新編日本古典文学全集 源氏物語4」)
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「小野山」は、<篠(細い竹)の名所>で、「小野の篠原」は歌枕として用いられます。

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(夕霧31).里遠み小野の篠原わけて来てわれもしかこそ声も惜しまね
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「竹」は源氏物語の中で、しばしば<柏木>を暗示します。
「よ(節)」は竹の縁語です。

 

引き歌に繰り返し出てくる「いか」は、
「いかいか」<おぎゃあおぎゃあ><赤子の泣き声の擬音語><産声>
を連想させます。
それはまた、三宮が待たずに出家した「五十日(いか)の儀」をも想起させます。

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(落葉宮6).朝夕になく音をたつる小野山は絶えぬ涙や音なしの滝
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「いかによからむ(如何に良からむ)」<どのようにしたら良いのだろうか>


「いか」<おぎゃあ>
「よ(節)」<竹の節>
「かる(刈る)」<刈り取る>

これらのイメージを重ねて、地の文を訳してみましょう。

「いかに節刈らむ」

(地の文)B.
「いか」<おぎゃあ>の声が聞こえたが、
どのように「よ(節)」<竹の節>を刈り取ればいいのか?


この地の文は「竹取物語」の「かぐや姫」を連想させます。
これは、「竹取の翁」の呟きのようでもあります。


「よ(節)」<竹の子><ワケアリの子>

ある日突然、どこかから翁が家に連れ帰って来た「かぐや姫」は<隠し子>を連想させます。

<(正妻が家にいるが)、どうやって外から子をこさえようか?>

 


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「とか」を「とが」とし、
「とが(咎、科)」<咎><欠点><過ち><罪>
としてみましょう。
濁点を打つ習慣のなかった当時、これらはともに「とか」と表記されました。

「おどろ(荊、棘)」<イバラなど、棘のある木><イバラの繁る場所><髪が乱れている様>

「とか言ひしひとこと」を
「咎言ひし人、"子と"」<"子(が出来たなど)と"罪なことを言っていた人(柏木)>
としてみましょう。

「あく(明く)」は「あぐ(上ぐ)」を連想させます。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「あく」と表記されました。

「明く」カ行下二段活用<明ける><夜が明ける><年、月、日が改まる>

「あぐ(上ぐ、挙ぐ、揚ぐ)」ガ行下二段活用<上げる><赤子をとり上げる><子を産ませる><助産する><成し遂げる><し終える><(女子の成人儀式として)垂らしていた髪を結い上げる><(近世語)遊女を呼んで遊興する><没収する><奪い取る> (旺文社「古語辞典」など)

今でも「御子を上げる」という言い方が残っていますよね。


「さめて(覚めて)」を「さめで(覚めで)」としてみましょう。

濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「さめて」と表記されました。


「ゆめ(夢)」<悪夢>としてみましょう。

「ゆめ」は打消を伴い、<決して~ない><全く~ない>という意味にもなります。

 

     驚かす      明けぬ 夜     覚めて       一言
いつとかはおどろかすべき  あけぬ よ の 夢 さめて  とか言ひしひと こと
  とが 荊  科す    あげぬ 節     さめで  とが   人  "子と"
  咎           上げぬ 世     覚めで  咎
              挙げぬ 代

 

(夕霧33)C.
いつ咎(罪)は、荊(の刑)を科すべきなのか。
明けない夜の悪夢は、決して覚めないので。
"子と"<子が出来たと>罪なことを言った人を。

 


ちなみに、当時の分娩は「座産」でした。
「座産」(座位または立位)では、しばしば、天井から綱を垂らし、妊婦はそれにつかまっていきんで子を産みます。
この場合、赤子は文字通り<産まれ落ちる>ことになります。
<産まれ落ちる>赤子を<取り上げる>意味から、
「(赤子を)取り上げる」<助産する>という言葉が生じました。
この言葉は今でも残っていますよね。


「上より落つる。」
<(子が)上から(生まれ)落ちてきた。>

 

落葉宮の夫柏木は落葉宮の妹の三宮に懸想し、夕霧は落葉宮に懸想する。
そんな三角関係のねじれた連鎖が、妻である雲居の雁への夕霧のとりなしの言葉に、暗示されているようにも見えます。

 


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ちなみに、「小野の篠原」などというように、小野は篠<細い竹の総称>の名所であり、歌枕となっています。

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浅茅生の小野の篠原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき (源等)
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「しの(篠)」<竹><笹><群生する細い竹><篠竹>

「しの(篠)」は「しのぶ(忍ぶ、偲ぶ)」との掛詞としても常用されます。

「しのぶ(忍ぶ、偲ぶ)」バ行上二段他動詞<じっとこらえる><堪える><包み隠す><秘密にする><人目を避ける>
「しのぶ(偲ぶ、忍ぶ)」バ行四段他動詞<思い慕う><恋い慕う><懐かしむ><思いを馳せる><賞美する>


柏木の<落胤><不義の子>薫は、しばしば「竹」とともに登場します。


***「竹」<ワケアリの子>***************
(光源氏196).うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにぞありける
(柏木13).笛竹に吹きよる風のことならば末の世長き音に伝へなむ
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「おとなしのたき」の「しのたき」は「しのたけ」<篠竹>をも連想させることは興味を引きます。

「音(おと)」は「音(ね)」を通じて「ね(根)」を連想させます。
「根(ね)」は<祖先><子孫><血筋>の例えとして常用されることも興味を引きます。

 

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「かる(刈る)」ラ行四段<刈る><刈り取る>
「かる(枯る)」ラ行下二段<枯れる>
「かる(離る)」ラ行下二段<離れる>
「かる(借る)」ラ行四段<借りる>
「かる(着る)」ラ行四段上代東国語<着る>
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(万葉集20-4431).笹が葉のさやぐ霜夜に七重かる(着る) 衣にませる子ろが膚(はだ)はも
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源氏物語は「暗示」に満ちあふれています。
暗示は、明示的に描かれる場面より以前に出てくれば、「伏線」となり、後に出てくれば「既視感」によるリフレイン、あるいは意識下への「刷り込み」(サブリミナル効果)ということになるのでしょう。
それは、源氏と藤壺宮の密通が、柏木と三宮の密通の前奏曲になっている、というような、大きな流れのレベルだけではありません。
それよりはるかに小さい、細々(こまごま)とした場面の、数行のレベルで、随所に「伏線」と「既視感」とが繰り返されます。

言葉に込められた「象徴」を極限まで味わう、という意味で、源氏物語は、「物語」では無く「詩」であると思います。
源氏物語を、論説文や機械の取扱説明書のように、<あらすじ><起承転結><論理>だけ読むことは、この「暗示の文学」の本質とかけ離れた鑑賞姿勢とならざるを得ないと私は感じます。


文学作品をジャンルに分けるとき、「散文と韻文」という分け方があります。また、「小説と詩」という分類もあります。
これらの定義は考える人の数だけあるので、どれが正しいと言うものではありません。

物語や小説は、出来事を描写し、他の人に伝達することにまず主眼が置かれます。
そのため、ひとつの言葉が指し示す内容を出来るだけそぎ落とし、一対一対応の明示的な記号として言葉を用いる傾向にあります。
たとえば、推理小説では、事件現場にナイフと柿が落ちていたとき、それらはそのものズバリを指すのが普通です。
「ナイフ」が<鉄文明>の象徴である、とか「柿」は<純愛>の暗喩だ、などということはまずありません。

****(注774012)参照


物語や小説がそぎ落としている、こうした言葉の象徴機能を、逆に目一杯働かせて、創作や鑑賞の対象とするとき、それが「詩」だ、と定義する立場があります。
この立場から言えば、<文章の長短>や、<韻を踏んでいるかどうか>は、「詩」であるか否かには、全く関係がありません。

逆に言うと、普通は「小説」と見なされている作品を読むに当たっても、ある言葉に対して、その指示する物、象徴する内容を極限まで押し広げ、突き詰めて考えるとき、それは「詩」として読んでいる、ということになります。
たとえ三行の詩でも、言葉の意味は慣習そのままに、出来事の経緯や因果関係だけを読み取るなら、コトの良し悪しは抜きにして、それは「小説」や「物語」や「家電のトリセツ」(取扱説明書)を読んでいるのと同じですし、音の流れの美しさを楽しんでいるだけなら、「詩」ではなく「音楽」を聴いている、歌っている、ということになります。

「引き歌」「本歌どり」という発想も、言葉の象徴する内容を、普通よりも奥行きをもたせるためのものです。
たとえば、「昔の人の袖の香ぞする」という古歌を背景「引き歌」として用いることによって、「橘」という言葉だけで<別れた恋人の思い出>などのニュアンスを表すことができます。<少ない文字数で歌の内容に幅や奥行きを持たせる>このような工夫がパターン化した技巧が「本歌どり」ですが、これは<真意をあからさまに表現しない>という平安貴族の美学に合致するものでもあります。


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***「連想」「イメージ連鎖」の解釈の極端な例 ***************************
(万葉集2-158).山振(やまぶき)の立ちよそひたる山清水 酌みに行かめど道の知らなく (高市皇子)
この歌では、
「山振」の花の黄色の「黄」と
「清水」の「水」
が合体して「黄泉(よみ)の国」<あの世>を表している(小学館「新編日本古典文学全集、万葉集1」など)
というような、アクロバティックともいえるイメージ連結による解釈が一般に認められています。
「黄」という文字も「泉」という文字も、この歌には含まれていないにも拘らず。
また、「山吹」と「清水」とが別々の単語であるにも拘らず。
もう、<何でもあり><俺のピストルが法律だ>の世界ですよね。
ことほど左様に、古人の言語空間は、現代人の想像の及びもつかない、豊かな連想で結ばれた世界であった、ということなのかもしれません。
ちなみに、どんな権威が是認していようと、私自身の感覚では、この解釈は、さすがに飛躍しすぎという気がします。
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「橘」から橘の木に宿るとされる「橘鳥」<ホトトギス>を連想させ、<魂迎え鳥><死出の田長><托卵>などといった、<別れた恋人の思い出>以外のニュアンスを含ませたり、あるいは橘の実には種の無い房(雄性不稔など)があることから、<子なし>を想起させて<托卵>と響かせることも、ひょっとすると可能なのかもしれません。
これがムベなら<種なし>なんて見たこと無いですもんね。あって欲しいけど。
ちなみに西欧ではザクロは<多産>の象徴とされています。

さらに、「いか」を<産声><赤子>、「おどろ」を<落雷><道真公の天罰>、「みそひとし(三十一字)」を<三十一才の死><一条天皇>などとするように、言葉の象徴機能を、小説や物語、あるいは日常生活の文脈から切り離して、ゼロベースで自由に言葉を組み立てることが詩の創作であり、またそれを味わうことが詩の鑑賞だ、とするのも、上で述べたような詩のとらえ方に沿うものです。


****参照:(注735521):「イチジク」<隠蔽>

 

上記のような意味で、私は、源氏物語は「詩」として読むのが適切な鑑賞姿勢であると考えます。
ここで「適切な」と言ったのは、
<作者が読み手に伝えようと腐心しながら表現したであろう何かを、出来る限りもらさず受け取る>
と言う意味です。
これも個人の好みであり、この態度が正しいと言うことではありません。
みなさんも自分に最も合っていると感じられる鑑賞姿勢で作品に臨むのが一番だと思います。


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<詩>のように、言葉の意味を、日常生活のしがらみ、手垢のついた語感から解き放ち、意味生成の可能性を極限まで押し広げることによって、紫式部は公然とは言えない、声なき叫びを文章の裏に込め、立場の弱い民衆に、「私だけじゃないんだ」と慰めを与え、共感を呼び覚まそうとした、あるいは怨霊を鎮魂しようとしたのだろう、と私は思います。

歌の仄めかす意味を読み手が解釈する助けとして、あるいは、スポンサー(藤原道長)への義理立てとして、そして、作品を書いた真の意図を隠す隠れ蓑として、つまりは単なる<手段>として、紫式部は物語のあらすじを作り上げた過ぎない、と私は思います。
(ちなみに、紙も高価なものであったことを考えると、源氏物語のような長大な作品は、趣味として片手間で書けるものではありません。)

このように、源氏物語は、通常の小説とは全く異なる動機で創作されているため、当然ながら、通常とは全く異なる、いわば「実験小説」の様相を呈しています。
文体や使用語彙が各帖で異なったり、場面ごとに様々な人物が登場したり、というように、各帖の間に種々の「断層」が見られるのもその現われなのでしょう。
それぞれの場面で詠まれる和歌の真意を、出来る限り<隠しながら伝える>という、ともすれば空中分解しそうな、相矛盾する極めてアクロバティックな要求を満たすことを最優先した結果として、「全体観」「一貫性」にいささか、断層、ぎこちなさ、ツギハギ感が生じているのだと私は思います。

源氏物語は、いわば、<空中分解>小説、とでも言えるような作品であると感じますが、それは、躍動する言葉を、暴れる言霊をどうにかこうにか閉じ込めた、一触即発の<詩><言葉の爆弾><意味の爆弾>の集合体であると考えれば、むしろ当然の結果なのかもしれません。


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あらかじめ、あらすじ「地の文」の流れがある上に、後から和歌がぽつんぽつんと置かれるように、源氏物語は創作されたのでしょうか。

紫式部が読み手に伝えたい何かがあり、それを伝える和歌がまず作られ、地の文はその間を埋めるスペーサだったのではないでしょうか。
そのスペーサは、言葉足らずな和歌の真意を補うヒントになるのと同時に、和歌の真意を覆い隠すヴェールになるという両義的な働きをします。

実際のテクスト形成過程における、多少の時間的(通時的)前後はあるにしても、最終的な(共時的)構成としてはそう読む方が各場面の断絶や連続をうまく説明できるのではないでしょうか。


おそらく、源氏物語における、「地の文」と「和歌」も、ダイナミックな相互作用を経た結果として現在のテクストの形に落ち着いたのでしょう。しかし、各場面における作者の主張が結晶した中心は「地の文」ではなくあくまで「和歌」であり、その形成過程を考えれば、各場面の間の断層、ツギハギ感や、異常なまでの登場人物の数の多さは、むしろ当然のことと私は感じます。

 

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地の文は、DNAを保護する核膜のようです。
あるいは、和歌をエキソンとすれば、地の文は、イントロンなのかもしれません。


****参照:(注337781):<遺伝子><核膜><エキソン><イントロン>


DNA(遺伝子)からRNAの転写・翻訳を経てタンパク質は合成され、生体内で様々な用途に用いられます。
DNAの塩基配列の変化は、生成されるタンパク質に影響しますが、タンパク質の変化はDNAの塩基配列には影響しません。
この<一方向性>は「セントラルドグマ」(中心教義)と呼ばれます。

セントラルドグマは、生命の本質<主体>が細胞ではなく遺伝子であることを意味します。
でなければ、そもそもウイルスのような丸裸の遺伝子が増殖するなんてことはありませんよね。
仮に生命の主体が細胞であるなら、遺伝子を欠く細胞(生命体)が増殖しても不思議はないはずですが、現実にはそんなことは起こりません。


遺伝子こそが、次代に伝えられる生命の本質であることが分かったとき、
(ア)「個体や細胞にとって、遺伝子は何のために存在するのか?」
という問いは
(イ)「遺伝子にとって、個体や細胞は何のために存在するのか?」
へと完全に逆転しました。
次世代に伝わる物質<生命>の本体はDNAであり、細胞質基質や核膜やミトコンドリアではないからです。
ミトコンドリアもリボゾームも、ゴルジ体も核膜も、目も胃も頭髪も、指も膝も、、、、全ては、遺伝子を次代に伝えるために作られたのであって、その逆ではありません。

これは、

(カ)<神(外的存在)によって他の生物が人間のために(目的論的に)創造された>という「創世記」を、
(キ)「進化論」は、<動物からヒトは自律的(内発的)に結果論として(無目的に)進化したに過ぎない>として、覆しました。

上記の(ア)から(イ)への発想の転換は、(カ)から(キ)への転換よりも、はるかに本質的なものでしょう。
ウイルスの類は例外として、ヒトであれ他の動物であれ植物であれ、全ての生物は、<遺伝子>とそれを取り巻く<細胞>から出来ているのですから。

それは、「生物学におけるコペルニクス的転回」とでも言うべきパラダイムシフトだった、と私は思います。
我々は現在もその爆風のただ中にいます。「爆風の中にいる」とは、<それを超克する自然観は未だ出ていない>という意味です。


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源氏物語の遺伝子は、和歌であって、地の文ではありません。
地の文は、和歌の真意を保護しつつ、かつ、同世代の人々や次代に伝えるために存在する外被に過ぎません。

我々は、源氏物語を読み解くに当たって、
「あらすじや地の文にとって、和歌は何のために存在するのか?」
という問いを
「和歌にとって、あらすじや地の文は何のために存在するのか?」
へと逆転しなければなりません。


あるいは、和歌がエキソンで、その間を埋めるイントロンが、地の文である、という例えの方が適切かもしれません。
エキソンもイントロンも、ともに「塩基」=「文字」<記号>から構成されます。
ちなみに、「糖-燐酸-塩基」という核酸分子やその構成要素は、体内で様々な用途に用いられますが、
DNAデオキシリボ核酸という分子そのものは、生体内で情報伝達以外の役割は持っていません。
すなわち、代謝をになう<物質>としてではなく<指示媒体><記号><言葉>、使用価値を有する<モノ(商品)>ではなく<交換媒体><貨幣>として働いています。


遺伝子が初めにあって、それが様々な物質を作り、遺伝子を取り囲む細胞を築き上げていったように、
和歌の真意が初めにあって、それを<保護しつつ伝える>ように周りの地の文が出来上がり、最終的に「源氏物語」が出来上がったのだ、と私は思います。


皆さんの手元にある「国語便覧」を見てみてください。
そこには、中古の文学は「和歌が感動の中心」と書いてあるはずです。
我々は、この言葉の意味を、今一度強く意識すべきかもしれません。


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「源氏物語は悪文だ」「和歌が拙い」と評する研究者もおられます。
確かにその通りです。
しかしそれは、そもそも<流麗な文章を書く><上手な歌を詠む>ことなんかハナっから紫式部の眼中に無かったからです。
源氏物語の創作において、そんな<美学><芸術>などというものは、単なる読者サービス、後宮の女房達への話題提供程度の意味しか無かった、と私は思います。
紙も高価であった当時、この大作を書き続けるためには、そうしたサービスも必要であったことは想像に難くありません。
源氏物語は<色恋>や<美学>を伝えるために書かれた、と想像することは、自らの狭隘な世界観、文学観によって、紫式部の創作意図を矮小化する行為に等しいと私は思います。

*** 坂口安吾「日本文化私論」:「美」と<必要> ******************
、、、そうして、小菅刑務所とドライアイスの工場と軍艦と、この三つのものを一にして、その美しさの正体を思いだしていたのであった。
この三つのものが、なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から付加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上がっているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。。。。全ては、ただ、必要ということだ。そのほかのどのような旧来の観念も、この必要のやむべからざる生成をはばむ力とは成り得なかった。そうして、ここに、何物にも似ない三つのものが出来上がったのである。
僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。おすして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って、一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。。。。。
********************************************

源氏物語の「必要」とは、弱者への<慰め><呼びかけ>や、社会に対する<「理」の実現要求>であったと思います。
ただ、厄介なのは、それを公然と主張できる<合理的な>社会では無かったため、それらを<隠しつつ伝える>というアクロバティックな要求が、さらに加わったことです。
それら全てを満たすために、和歌に真意を封じ込め、さらにそれを核として、その周りに様々な織物を紡いで人目を誘い、かつ鎧で固めて保護したのです。
すなわち、字数制限から生ずる両義性を隠れ蓑として、和歌に真意を隠し、地の文によって、読み手を誘いつつ言葉を補いながら真意を伝え、かつそれを守ったのです。

<隠しつつ伝える>ために、ストレートに表現できず、巨視的な構成も、微視的な文体も、のたうちまわった様な作品が出来てしまったのは致し方ないことだと私は思います。
自身の<美意識>と社会的<使命>の板ばさみになって、それでも後者を選んだ紫式部自身が、もっとも苦々しい思いで「源氏物語」を見つめていたことでしょう。

当時は誰も、想像すらしなかったような発想、かつ奥深い内容をもって、千年前にこの実験小説を纏め上げた紫式部の天才と、恐怖政治下の決死の覚悟に、私は驚きを禁じ得ません。

 

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(近江の君1).草若みひたちの浦のいかが崎いかであひ見んたごの浦浪
(弘徽殿女御の侍女1).ひたちなるするがの海のすまの浦に浪立ち出でよ箱崎の松
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これらは極端な例ですが、これらの歌の真意を<保護しつつ伝える>ために、
「近江の君」は<落胤><隠し子><貴族社会になじめないまれびと>という人物設定を背負わされて登場し、
「弘徽殿女御」は、<嫡子><正当な血統><後宮の中心><貴族社会を体現する人物>として登場したと、紫式部に創作されたのだと、私は思います。
いわば、登場人物は、和歌の<番人>であり<伝令者>なのです。


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****参照:(注227792):「菅原道真」関連年表2

 

「おどろく(驚く)」<気がつく><目が覚める><驚く><ハッとする>
「おどろおどろし」<激しい><はなはだしい><恐ろしい>
の語源は、<激しい雷の音>だそうです。(荻野文子「マドンナ古文単語230 パワーアップ版」)


「おどろ」<雷の音の擬音語><ゴロゴロ>

「かみなり(雷)」は「かみなり(神鳴り)」とも書きました。
雷鳴は<神の怒りの声>と考えられていました。
和歌の直後の「上より落つる」という夕霧のセリフは意味深です。

 

****参照:(注446676):「文芸」<鎮魂>

 

この場面のやり取りを、<鎮魂>の観点から解釈して見ましょう。


(落葉宮).
今は、かくあさましき「夢の世」を、すこしも思ひ覚ます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞こえやるべき。


                       覚ます           訪ひ
今は、かくあさましき「夢の世」を、すこしも思ひさます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞こえやるべき。
                       冷ます           弔ひ


「とぶらふ(訪ふ)」<訪問する><訪ねる><問う><訪ねる><質問する><探す><調べる>
「とぶらふ(弔ふ)」<弔う><死を悼む><お悔やみを言う><弔問する><死者の霊を慰める><鎮魂する><冥福を祈る><追善供養する>


923年に、醍醐天皇の最愛の息子、保明皇太子が21歳で没し、道真の怨霊によるとの風説が流れました。
怨霊を鎮めるため、道真の左遷の詔は破棄され、官位も元の右大臣に戻されました。

そのような<追善供養>にも関わらず、2年後の925年には、保明皇太子の息子、次の皇太子慶頼王までも、わずか5歳で死亡してしまいました。

 

「あさむ」マ行四段<びっくりする><驚きあきれる>
「あさむ(浅む)」マ行四段<侮る><卑しめる><軽んじる>
「あさむ(諌む)」マ行下二段「いさむ(諌む)」の転じたもの<諌める>

「あさまし」<驚きあきれる><意外だ><浅はかだ><論外だ><嘆かわしい><情けない><みすぼらしい><卑劣だ><軽蔑すべきだ><さもしい><ひどく><はなはだしく><ずいぶん>

「夢」<夢><幻><幻覚><夢のようにはかないさま><ぼんやりしたこと><迷い><煩悩><ささやかなこと>

(落葉宮)B.
今は、このような浅はかな、幻のような世の中を、少しでも亡き道真公の思い<恨み>を冷ます折があれば、絶えず供養し申し上げるべきだ。

 

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(夕霧33).いつとかはおどろかすべき 明けぬ夜の夢さめて とか 言ひしひとこと


「ゆめ(夢)」<夢><悪夢><道真の祟りで悪夢のような世の中>

「ゆめ」打消を伴い<決して~ない><二度と~ない>

「ゆめさめで(夢覚めで)」<悪夢が覚めないで><悪夢が(決して)覚めないので>


***********************
ちなみに、
「あく(明く)」は「あく(空く)」をも連想させます。

「あく(明く)」(カ行下二段)
「あく(空く)」(カ行四段)

「あく(空く)」<空く><空っぽになる>
「胸空く(むねあく)」<胸がスッキリする><気が晴れる>
***********************

 

何時      驚かす           夜  夢   覚めて          一言
いつ とか は おどろ かす べき 明けぬ よの ゆめ  さめて   とか 言ひし ひと こと
   とが   オドロ 科す        世      冷めて   咎      人  子と
   咎                         さめで
                             覚めで

 

繰り返される「とか」「とが(咎)」<罪><罰>が耳に残ります。
濁点を打つ習慣の無かった当時、これらはともに「とか」と表記されました。

「咎言ひし人」<罪な言葉を言った人><讒言した藤原時平><大宰府左遷の詔(勅令)を出した醍醐天皇>

「こと(言)」を「子と」<子と><子もろとも>
としてみましょう。

醍醐天皇は、最愛の息子、保明皇太子を21歳で亡くしたばかりか、保明の子、次の皇太子慶頼王までも、わずか5歳で死んでしまいました。
藤原時平の子は次男顕忠(あきただ)を覗いてみな夭折しました。
当時これらの災厄は、むろん道真の祟りだと考えられました。

道真の<鎮魂>の観点から、この歌を解釈してみましょう。

 

何時 咎は おどろ 科す べき / 明けぬ夜の 夢   覚めで / 咎 言ひし 人 子と
                        ゆめ

(夕霧33)D.<鎮魂>
いつ(藤原時平や醍醐天皇の)咎に、「おどろ」<雷鳴><天罰>を科すべきか。
(この恨みを晴らさなければ)、明けない闇夜の我が悪夢は、永遠に覚めることが無いので、
罪な言葉(讒言)を言った人(時平と醍醐天皇)に、子もろとも(天罰を下してやる)。


この歌の直後の夕霧のセリフ:
「上より落つる」
<上から落ちる(雷で)>

 


この歌は、AやBの訳例のように、「倒置法」を元の語順に戻した方が、分かりやすいでしょう。


(夕霧33)D(2).<鎮魂>(倒置法)
罪な言葉(讒言)を言った人(時平と醍醐天皇)と、その子と(に対して)、
いつその咎に、「おどろ」<雷鳴><天罰>を科すべきか。
(この恨みを晴らさなければ)、明けない闇夜の我が悪夢は、永遠に覚めることが無いので。

 

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*****「手に掛くる者に者に死あらば」<暗殺> ***************************
(薫5).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや
「手にかく」<手にかける><自らの手で殺す>
手にかくる 者に「死」あらば 藤の花 松よりまさる 色を見ましや
(薫5)C. 
<手にかける><殺す>者<菅原道真>に死がある(死ぬ)ならば、「藤の花」<藤原氏>が「松」<天皇家>より栄える夢をただ見るだけですますだろうか。
(いや、天皇家から実権を奪うだろう)
****************************************************
詳細はこの和歌のファイルをご参照下さい。


屏風絵などに常用される「藤」<藤原氏>「松」<天皇家>のモチーフを背景として、藤原氏の政権掌握の長年の陰謀を詠ったとも読み取れるこの歌も、「地の文」の<外被>を纏っています。

(薫5)の和歌の直前と直後の地の文:
*****「かすめ」「ほのめかす」*******************
世の中恨めしげに「かすめ」つつ語らふ。
わが心にあらぬ世のありさまに「ほのめかす」。
************************************

「かすむ(掠む)」マ行下二段他動詞<掠め取る><盗む><欺く><ごまかす><仄めかす>
「かすむ(霞む)」マ行四段自動詞<霞む><霞がかかる><ぼんやりする><はっきりしない>

*****「かすむ(掠む)」<仄めかす> *****************************
あらはには言ひなさで、「かすめ」愁へ給ふ  (源氏物語「東屋」)
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藤原氏の陰謀は、<讒言><左遷>だけには留まらなかったのでしょう。
少なくとも紫式部はそう把えていたように思えます。


源高明の西宮の豪邸が焼けたのも藤原氏側の放火なら、道真の死も徐々に毒を盛られたのでしょうか。
高明邸の焼失が不審火であることは当然として、紫式部は道真の死も、<暗殺>と考えていたのだと思います。

あらわには言えないその思いを、「かすめ」<仄めかし>つつ、紫式部は語ったのでしょう。


**** (夕霧33)の和歌の直前と直後の地の文 **************
「忍びたまへど、漏りて聞きつけらる」
<(時平は)隠れ忍んでなさったことだけれど、漏れて聞かれてしまう>
<(時平は)隠し立てなさったところで、自然と漏れ聞こえてくるものだ>
<(道真公は)内心で耐え忍んでおられたけれど、その恨みは漏れ聞こえてくる>

「上より落つる」
<上から落ちる(雷で)>
*************************************


「落つ(おつ)」タ行上二段活用が連体形で、その後に続く名詞が省略されています。
その<省略>により、この歌の真意が巧みに<隠蔽>されています。

「連体形」<体言省略><隠蔽>


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紫式部は世に聞こえる漢学者を父に持ち、幼少期からその薫陶を受けたとも言われています。
漢学の神様であった菅原道真を紫式部が敬愛していたとしても不思議はありません。
ちなみに、紫式部は「白氏文集」を中宮彰子に進講しましたが、それは道真の愛読書でもありました。


何時咎は「おどろ」<落雷><天罰>科すべき。。。

<怨霊><鎮魂>の含意を素通りして、この(夕霧33)の和歌を後世に伝えるべきではない、と私は思います。


死因を明確に特定する科学技術も無ければ、物証に基づいた裁判が行われるわけでもない当時。
ましてや道長の恐怖政治下にあったと考えられる宮中において、紫式部はこの歌の真意<道真公の叫び><藤原氏の謀略>を命がけで伝えようとしたのだと私は思います。

ちなみに、道隆、済時(なりとき)、朝光(あさてる)の三人は、いい飲み友達だったそうですが、わずか二ヶ月の間に三人とも相次いで亡くなったそうです。(村上まり「枕草子が面白いほどわかる本」)


紫式部日記には、清書して製本したばかりの「源氏物語」が、(道長に)持ち逃げされたことが書かれています。
そのくだりの直後の地の文が興味を引きます。

************************************
(地の文).
若宮(敦成親王)は、御「物語」などせさせたまふ。(「紫式部日記」)
うちに、心もとなくおぼしめす、ことわりなりかし。


「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>
「うち(内)」<内裏><主上><天皇>
「心もとなし」<心細い><待ち遠しい>
「かし」<念押し>

@(地の文)A.
赤子の若宮は、(「あ」「う」など)意味の無い声をお出しなさる。
主上におかせられては、若宮の後参内の日を待ち遠しくお思いになるが、それももっともなことだ。

 


「ことわり(理)」<道理><理にかなう裁き><道真公の天罰><落雷>

**** <道真公の天罰><落雷> *******************************
57歳(901年) 太宰権帥に左遷。
59歳(903年) 大宰府で客死
  (908年) 道真の左遷を聞いて駆けつけた宇多法皇を内裏に入れなかった藤原菅根が「落雷」で死亡。
*************************************************

「かし」は「かじ(火事)」「くゎじ(火事)」を連想させます。

「鳴る」<(雷が)鳴る>
ちなみに、「かみなり(雷)」は「神鳴り」から来ています。


               理       
うちに、心もとなくおぼしめす、ことわり なり かし。
                    鳴り かじ
                       火事


(地の文)B.
若い天皇のお言葉などに意味はなく(藤原氏の操り人形だ)。
内裏に、「ことわり(理)」<道理><理にかなう裁き><道真公の天罰><雷>が鳴り響き、「火事」になるのが待ち遠しくお思いになる。

************************************

「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>


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「詩」<言葉の意味を日常の文脈から解き放つこと>


我々が通常目にする古典の「散文」も、文字列の指示内容を日常の文脈から解き放ち、言葉の象徴機能を極限まで押し拡げて、先入見にとらわれずゼロベースから言葉を解釈した時点で、それは「散文」を脱して「詩」となります。
その「詩」は、「勝てば官軍」の支配者が事後的に「正史」の陰に葬り去った闇の真相を知る唯一の手掛かりに他ならず、殊に、為政者が知られたくなかった<不都合な史実>に関して、それはむしろ「正史」をも凌駕する史料価値を持つ、と私は思います。

文学作品からの情報を歴史認識に外挿することに対して、我々が慎重の上にも慎重を期さねばならないことはもちろんです。
しかし、「正史」が<隠蔽>である他はない以上、「正史」を絶対視することはかえって危険であるのは明らかであり、さらに、歴史を陰で動かした重要な出来事、為政者にとって都合の悪い事実、に関しては、ますます「文学」が歴史認識に重要な視点をもたらす度合いが強くなる、と私は思います。

ここにも、私は古典「文学」の復権、復興の極めて重要な契機を見る思いがします。

「源氏物語」は、摂関政治が確立する過程で、歴史の表舞台から消えていった藤原氏以外の氏族の<鎮魂>のために、道長が紫式部に書かせたものだ、と井沢さんはおっしゃっています。
ちなみに、道長自身は、源倫子、源明子(あきらけいこ)と、源氏の血筋から嫁をもらっています。
現実の歴史とは正反対に、源氏物語では、光源氏が藤原氏に属するライバルの頭中将との出世競争を制して栄華を極めます。
藤原氏の他氏に当たる源氏のサクセスストーリーが<鎮魂>であることは、誰が見ても明らかで、それは道長の意図であったはずです。
おそらく道長の依頼は、鎮魂のために、他氏に花を持たせた物語を書いて欲しい、というような大まかなものだったのでしょう。


道長は紫式部に、「源氏が繁栄する」という程度の<架空>の「粗筋」を指示したのでしょう。
しかし、紫式部は、話の大きな流れである「粗筋」のそこここにある、一見見落としてしまいそうな小さな物陰に、「正史」から葬り去られた<史実>を巧みに織り込みました。
その、あちこちの小さな物陰の<史実>は、道長が紫式部に書かせようとした、源氏の<架空>のサクセスストーリーとは対極にある、藤原氏や道長にとって不都合な<史実>です。それは道長の目から隠して紫式部が命がけで伝えようとした<歴史の闇に葬られた真相>であり、それを書き残すことこそが、彼女に出来た真の意味での<鎮魂>だったのでしょう。

道長が意図したような、ケガレとは無縁の美しい<架空>の物語をこしらえて、うわべだけ怨霊の<ご機嫌をとる>ことが、真の<鎮魂>となりえないのは、考えてみれば当然のことです。藤原氏にとって都合の悪い事実、讒言や地方受領の不正の黙認、あるいはライバルの暗殺まで含めて藤原氏が政権を掌握するために用いた汚い手口、血にまみれた<史実>を書き残し、その非を告発することこそ、真の<鎮魂>であるはずです。
そして、それを<隠しつつ伝える>というアクロバティックな要求を満たす唯一の手段が、暗号としての「詩」<言葉の意味を日常の文脈から解き放つこと>だったのです。


ドイツの建築家ミース・ファンデル・ローエの言葉「神は細部に宿る」は、文芸評論にもしばしば引用されます。
その単なる文芸評論の常套句よりもはるかに重大な意味において、源氏物語の精髄は、まさに「細部」に宿っています。
源氏物語の真の意味、紫式部が命がけで伝えようとした真意は、この「細部」に埋め込まれた<史実>であって、<架空>の「粗筋」「サクセスストーリー」ではありません。
我々は、細断されて源氏物語のそこここに散らばめられた、後世に伝えるべきそのDNAの<断片>、葬られた<史実>を拾い集め、つなぎ合わせて、正史によって隠蔽された歴史の真相を再構成せねばなりません。


*** 藤原道長が娘彰子のライバル「御匣(みくしげ)殿」の暗殺を企てたことを仄めかす源氏物語の一節 *********
(大宮4).ふた方にいひもてゆけば玉くしげわが身はなれぬかけごなりけり
「よくも玉櫛笥にまつはれたるかな。三十一字の中に、異文字は少なく添へたることのかたきなり」
と、忍びて笑ひたまふ。
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詳細はこの歌の解釈のページを御覧下さい。


同じく鎮魂のために書かれたであろう平家物語にも脚色や隠蔽は当然ありますが、それでも敗れた平家側の登場人物たちの合戦での活躍だけでなく、一族郎党は子供(八歳の童)まで殺した源氏側の所業も書かれています。平清盛がまだ幼かった頼朝や義経を殺さなかったにも関わらず。


あえて子殺しまで書き入れたのは、支配者となった勝者側が、その後の反逆を未然に防ぐための<見せしめ>として「平家物語」を書かせたから、また最終的に頼朝の敵となる義経(九郎判官)を悪役にするためでもあるのはもちろんであるにしても。

***「平家物語」<八歳の童子の首を切る><一族郎党皆殺し> ***********
急ぎ乳母の懐の中より、若君引き出し参らせ、腰の刀にて押し伏せて、つひに首をぞかいたりける。
(「平家物語」巻十一「副将斬られの事」)
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話を戻すと、
ここでの紫式部の和歌には、立場の弱い者たちの声無き叫びが込められていると思います。

(夕霧33)や(薫5)の歌は、道真公の鎮魂のために。
(近江の君1)(弘徽殿女御の侍女1)は農民や防人のために。
(末摘花5)(光源氏175)(空蝉5)(源典侍4)は子を中絶した女性や男性にモノ扱いされる女性のために。

 

(夕霧33)を書くにあたっては、万一の場合には言い逃れ出来るように、地の文や引き歌で、この和歌を<恋愛>の歌としてカムフラージュしながら、
同時に地の文「上より落つる」「漏りて聞きつけらる」でその説明を補足することによって、その真意<藤原氏の謀略>をなんとか伝えようとしたように、私には思われます。

合理的思考が浸透した現代社会ならば、その決死の覚悟を公にし、世に広めることが出来ます。
古典の教育者には、過去に対する責任と、未来に対する義務があることを忘れ、
真意を汲み取り伝える努力を怠るならば、
それは我々の後世から見た場合、我々が千年前のウソの隠蔽に加担しているのと、何ら変わりません。

 


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****(注664471)参照


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日本語の多義性を巧みに操って、紫式部は上述のような「暗示」<伏線と既視感>を、作品の中に意図的に配置していたと私は思います。

 

紫式部は、この引き歌を、その元の意味の通りに、「源氏物語」の中に取り込んだわけではないと私は思います。

この引き歌を外部の作品から引きちぎって、源氏物語の中に叩き込んだとき、紫式部の脳内には、「音(おと)」「音(ね)」「ね(根)」の言葉が瞬時に連想されていたのでしょう。

 

  音(おと) ----<訓の繋がり>---- 音(ね) ----<音の繋がり>---- ね(根) ---- <意味の繋がり>---- 血縁 ---、、、

 

このような音と訓を縦横無尽に結びつけるイメージの連鎖は、彼女が源氏物語を創作する上で、和歌のみならず地の文においても、極めて中心的な位置を占めるインスピレーションの源であったと思います。


さらにこの連鎖は、「源氏物語」の殻を突き抜け、引き歌のみならず、歌謡、神話、漢籍、など、ありとあらゆる古今の文学作品に浸蝕したことでしょう。
そして、外部の幾千のテクストの首根っこをつかんで、源氏物語の世界に持ち帰り、源氏物語の文脈に当てはめて読み替え、それを源氏物語の中に組み込んでいったのだと思います。
私は、この「いかによからむ」の歌を引き歌とした紫式部に、極めて「戦闘的・挑発的」な読解の姿勢を感じます。


「そこには、古今の文学作品とのダイナミックな相互作用があった」などという形容では生ぬるいのかもしれません。

「源氏物語」は、他のあまたの文学作品を陵辱し、略奪し、噛み砕き、同化して血肉とし、さらに腕力をつけ他を圧倒し呑み込む存在になっていったのだと感じます。

紫式部の貪欲さとそれを形にする知力・腕力には、あらためて脱帽するほかありません。
今度は我々が、源氏物語に積もった、「千年の埃」を吹き飛ばす番ではないでしょうか。

 


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メモ:

語彙、語法・文法、
連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

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****参照:(注772251):(夕霧33).いつとかはおどろかすべき のメモ:


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ここまで。
以下、(注)


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(注664471)


****「北野天神」「雷」<水神><農耕の神>***************
(参考:「マンガ 日本の歴史9 延喜の治と菅原道真の怨霊」)

雷はもともと<雨を降らせる>水神であり、竜蛇の姿をして<農耕を助ける>神でした。
北野には、道真の時代以前から、農業神としての雷火が祀られていました。
さらに道真以後も、様々な追善供養が行われました。

959年 藤原師輔により北野天神神殿増建
993年 道真に正一位、左大臣追贈、さらに太政大臣とされる。

平安時代は「農耕の神」「怨恨の神」
鎌倉時代中期より「冤罪を救う神」「慈悲救済の神」
現代「学問の神」
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(注774012)


***「柿」は<純愛>? それとも<不倫>? *********
豆や栗の実(可食部)は、種子の子葉に由来しますから<子の一部><子の遺伝形質>であり、受精(受粉)なしでは出来ません。
しかし、柿やブドウの実(可食部)は、母体の子房などに由来するので、<親の一部><親の遺伝形質>であり、果実の成熟に、必ずしも(正常な)受精・発生が必要なわけではありません。「種無し柿」や「種無しブドウ」が出来るのはそのためです。
これは「単為結果」などと呼ばれることもあります。つまり果実だけ見れば<処女懐胎><想像妊娠>です。
ちなみに、米やトウモロコシなどのイネ科穀物の実(可食部)は、被子植物の重複受精で形成される胚乳(3n)に由来しますから、これにもやはり受精(受粉)は必要です。
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(注227791):「菅原道真」関連年表

2021-01-19 23:11:25 |  <他紙排斥><陰謀><暗殺>

 

(注227791):「菅原道真」関連年表


***「菅原道真」関連年表***************
18歳(862年) 文章生
32歳(876年) 文章博士と式部少輔兼任
41歳(885年) 讃岐守、遥任でなく現地に赴任。
44歳(888年) 阿衡(あこう)の紛議で藤原基経に進言。
47歳(891年) 親政に積極的な宇多天皇から蔵人の頭(帝の側近中の側近)に抜擢される。
49歳(893年) 参議(正四位)
50歳(894年) 道真の進言により遣唐使停止される。(14年後に唐滅亡)
51歳(895年) 中納言。ライバルの時平に追いつく。
53歳(897年) 宇多天皇、醍醐天皇に譲位。
55歳(899年) 道真右大臣、時平左大臣になる。
57歳(901年) 太宰権帥に左遷。
59歳(903年) 大宰府で客死
  (906年) 時平派の中納言定国、40歳で没。
  (907年) 日本が三百年に渡って目標としてきた<律令国家>「唐」滅亡。
  (908年) 道真の左遷を聞いて駆けつけた宇多法皇を内裏に入れなかった藤原菅根が「落雷」で死亡。
  (909年) 藤原時平没。
  (911年) 大安寺焼失。
時平の子は次男顕忠(あきただ)を覗いてみな夭折。
  (913年) 大納言源光、狩猟で泥中に沈み死亡。死体は見つかっていない。
  (923年) 保明親王没。道真の怨霊によるとの風説流れる。
  (925年) 保明親王の息子、次の皇太子慶頼王、わずか5歳で死亡。
  (930年) 清涼殿に「落雷」。藤原清貫らが死ぬ。
藤原時平一族は徹底して祟られるなか、宇多天皇と関係がよく、大宰府の道真にもしばしば便りを出していた忠平のみ祟りを免れる。
忠平の正室(正妻)源順子は、宇多天皇の皇女とされているが、宇多天皇の異母妹で道真と血縁関係があるという説がある。
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「おどろ」<雷の音の擬音語><ゴロゴロ>


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(注77116):「文芸」<鎮魂>

2021-01-14 04:59:33 |  <他紙排斥><陰謀><暗殺>

 

(注77116):「文芸」<鎮魂>


***「文芸」<鎮魂>**************************************

道真公は筑紫の地で客死しました。
その後、謀略に関わった藤原氏一派は、病死や落雷など、様々な災厄に見舞われます。
当時それは道真公の祟りだと考えられました。そして、後にその怨霊の鎮魂のため、道真公を祀った北野天満宮が建てられるに至ります。

紫式部が生きた平安中期は他氏排斥を完了した藤原氏による摂関政治の全盛期でした。
賜姓皇族の源氏一族は、もはや中央の政権中枢には手が届きません。
そのような背景の中、藤原道長が、「源氏」の祟りを恐れて、その怨霊の<鎮魂>の為に書かせた(書かれた)のが「源氏物語」である、と井沢元彦さんはおっしゃっています。
それほど日本では、「怨念」「祟り」が恐れられていた、ということです。
「北野天神縁起絵巻」<菅原道真の鎮魂>
「源氏物語」<源氏の鎮魂>
「平家物語」<平氏の鎮魂>
「奈良の大仏」<長屋王など、藤原氏に関係する怨霊の鎮魂>、<光明皇后は男児を産めなかった→効き目なし→京都に遷都>

ちなみに、このような、「勝てば官軍」の勝者側が、事後的に敗者に「花を持たせる」ようなことは外国ではまず見られないそうです。
たとえば、殷の最後のチュウ王が暴虐の限りを尽くしたため、周の諸侯のひとつであった後の武王がそれを倒した、として周の政権樹立は正当化されました。(井沢元彦「源氏物語はなぜ書かれたのか」)
逆に、平家が滅んだあとに書かれた我が国の「平家物語」には、戦における平家の武士の活躍や、平家の人間たちへの憐れみを禁じ得ないような場面が数多く描かれています。
また、ドナルド・キーンさんによると、敗者側を克明に描写した軍記物は、世界中でただひとつ「平家物語」だけなのだそうです。

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夕霧を巡る一連のやり取りを、<鎮魂>の観点から解釈して見ましょう。

 


(夕霧31).里遠み小野の篠原わけて来てわれもしかこそ声も惜しまね


「小野の篠原」などというように、小野は篠<細い竹の総称>の名所であり、歌枕となっています。
「小野の篠原」は「小野篁(おののたかむら)」を連想させます。

「篁(竹かんむり+皇)」の字は、もともと「竹の叢(むら)」<竹薮><竹原><竹>の意味で、<笛>の意味にもなります。

「篁(竹かんむり+皇)」の字は、「竹」に例えられる柏木と、「<皇>女」である三宮の合体をイメージさせます。
「竹かんむり」が「皇」の上に乗っていることも示唆的です。


「小野篁」は<竹><笛><処女懐胎><不義><「竹」と「皇」><柏木と皇女三宮>
を連想させます。

ちなみに、小野篁もかぐや姫のように、<竹から生まれた>という伝説があるそうです。(「野馬台詩(歌行詩)」参考:Wikipedia) 

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嵯峨天皇は、あるとき戯れに「子子子子子子子子子子子子」は何と読むか、小野篁に尋ねました。
すると小野篁は、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えました。(宇治拾遺物語)
「子」には「こ」「し」「ね」などの読み方があります。
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思い起こせば、柏木は、「ねこ(猫)」がきっかけで三宮の姿を垣間見、さらにその猫を三宮の「形代」として愛玩しました。

地下茎を伸ばして増殖する竹にとって、「ね(根)」は「こ(子)」そのものです。
「ねこ(猫)」は「根=子」という暗号ではないでしょうか。

「竹」「根=子」<処女懐胎><不義の子>の連想を誘うサインとして、紫式部は「ねこ(猫)」を柏木と三宮の出会いの場に登場させた、と私は思います。

竹が「ね(根)」を伸ばし、「よ(節)」を継いで成長するさまは、
「子を<代々(よよ)>重ねていく」イメージ「子子子子子子子子子子子子」に重なります。


連想の展開例:


小野の篠原-小野篁-篁-竹-笛-処女懐胎-不義-三宮と柏木-
         -篁-「竹と皇女」-「三宮と柏木」-
         -篁-竹-「根=子」-「ねこ(猫)」-「三宮と柏木」-
         -篁-竹-「根=子」-<処女懐胎> -「三宮と柏木」-
         -篁-「竹から生まれた」-かぐや姫-私生児-
         -篁-「子子子子子子子子子子子子」-「子を<代々(よよ)>重ねていく」


      小野篁-流刑


ちなみに小野篁は、遣唐副使に任じられましたが、遣唐大使の藤原常嗣の理不尽な要求による諍いがもとで乗船拒否したことを罪に問われ、隠岐の島に流されたことがあります。
(小野篁は、遣隋使小野妹子の子孫、また小野小町の祖先なのだそうです。)


「経(ふ)」(下二段活用)<年を経る><経験する><時を過ごす><通過する><通り過ぎる><超えてゆく>


「よにふる」と聞けば、浮舟と同じく美女でありながら、零落した晩年を過ごしたと言われる小野小町を思い出す人も多いことでしょう。

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かの有名な小野小町が京都は極楽寺の門前で、三日三晩飲まず食わずで野垂れ死んだのが三十三。
三三六歩で引け目が無いよ。。。
(映画「男はつらいよ 葛飾立志編」)
*******************


この歌を、小野篁の<鎮魂>の観点で解釈してみましょう。


里遠み 小野の篠原 わけて来て われも しか こそ 声も 惜しまね
                    死か


(夕霧31)E.<鎮魂>
京の里遠く隠岐の島まで、浪を掻き分け流されて来て、「小野の篠原」<小野篁>もあのように声を惜しまず泣いている。


詳しくは、この和歌のファイルを御覧下さい。

 

 

 

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(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや

2021-01-12 13:25:10 |  <他紙排斥><陰謀><暗殺>


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(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや


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この本は「教科書」「参考書」の類ではありません。

皆さんに「教える」のではなく、どちらかと言うと、皆さんと「一緒に考える」ことを企図して書かれた本です。
また、私の主観も随所に入っていますが、私はこの方面の専門家でもありません。


ですから、
<効率よく知識を仕入れる><勉強のトクになるかも>
などとは、間違っても思わないようにして下さい。
いわゆる「学習」「勉強」には、むしろマイナスに働くでしょう。


上記のことを十分ご了解の上で、それでもいい、という人だけ読んでみて下さい。


ただし、
教科書などに採用されている、標準的な解釈の路線に沿った訳例は、参考として必ず示してあり、
その場合、訳文の文頭には、「@」の記号が付けてあります。


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時々「(注)参照」とありますが、それは末尾の(注)をご参照下さい。
ただし、結構長い(注)もあり、また脱線も多いので、最初は読み飛ばして、本文を読み終えたのちに、振り返って読む方がいいかもしれません。

なお、(注)の配列順序はバラバラなので、(注)を見るときは「検索」で飛んで下さい。

 

あちこちページを見返さなくてもいいように、ダブる内容でも、その場その場で、出来る限り繰り返しを厭わずに書きました。
その分、通して読むとクドくなっていますので、読んでいて見覚えのある内容だったら、斜め読みで進んで下さい。
電子ファイルだと、余りページ数を気にしなくて済むのがいいですね。


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(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや‐4.txt


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要旨:


想いを寄せる大君を、藤の花に例えた薫の恋歌について、
「松」<天皇家>
「藤」<藤原氏>
という定番モチーフの対比を背景として、
藤原氏による<他氏排斥>の観点から、和歌を解釈することを試みた。


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目次:

(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや


メモ:連想詞の展開例など

 

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では、始めましょう。


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「五葉に藤のいとおもしろく咲きかかりたるを」


玉鬘の娘、大君の邸の庭に、五葉松に絡みついた藤に美しい花が咲いています。
大君に心を寄せる薫がそこに訪れています。

 

(薫5 大島本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりまさる色を見ましや

 

「し」副助詞<強意>


「かく(掛く、懸く、架く)」<掛ける><(藤のつるが木に)架かる>など。
「まし」<反実仮想>


「や」係助詞<疑問><反語>
「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>
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<詠嘆> さむしろや待つ夜の秋の風ふけて月を片敷く宇治の橋姫 (新古今、秋上)
<呼びかけ> あが君や。いづかたにかおはしましぬる。(源氏物語、蜻蛉)
<整調> 春の野に鳴くや鶯なつけむとわが家の園に梅が花咲く (万葉集、5-837)
********************************

「や」は種々の語に接続します。文末では終止形接続が普通です。

*****「や」文末<終止形接続>、「か」文末<連体形接続>の例外 ***********
古典文法総覧 p。247
真偽疑問文を作る文末の「や」は終止形接続とされるが、例外あり。
(文中用法では、体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞など種々の語に付く)

(連体形接続) まことに月の影はあるやと疑ふ心侍るなり。(老いのすさみ)
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(薫5 大島本)A.
手にかけることができるものならば、あの藤の花の松より美しい色を見ているだけですませられようか。
(いや、枝を手折って我が物とするでしょう)

 

 

「藤の花」は、<美しい大君>の例えと解釈されるのが普通です。

ちなみに、「松」は「待つ」の掛詞として常用されます。

 

@(薫5 大島本)B.
「藤の花」<美しい大君>に手が届くものならば、あの美しい大君を我がものにせずにいられるでしょうか。
(ただ眺めて待っているだけより、お近づきになりたいものです。)

 

 

大島本では「まさる」ですが、河内本では「こゆる」となっています。

(薫5 河内本).手にかくるものにしあらば藤の花 松よりこゆる色を見ましや


「こゆ(越ゆ、超ゆ)」ヤ行下二段<肥える><勝る><優れる><(官位などで)上位につく>
「こゆ(肥ゆ)」ヤ行下二段<肥える><太る><(土地が)肥える><肥沃になる>


「藤波」という言葉が示すように、藤は花穂の連なる様子が、しばしば<波>に例えられます。
「藤」は「波」を、波は縁語「掛く」を、さらに、松と相俟って、「末の松山波も越えなむ」の「越ゆ」を連鎖的に連想させます。

*** 「末の松山波越ゆ」<決して起こりそうにないことの例え> *********
①君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ (古今集、東歌)
②契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは (後拾遺、恋四、清原元輔:清少納言の父親)

①が②の引き歌になっています。
①は、心変わりしないという約束の歌、②はその約束を破った相手をなじる歌です。

(源氏136).藤波のうち過ぎがたく見えつるは松こそ宿のしるしなりけれ (蓬生)
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すぐ後に述べるように、
「松」は屏風絵などで、しばしば「藤」とともに描かれ、「松」は<天皇家>、それに絡まる「藤」は<藤原家>を指すこともあります。(「和歌植物表現辞典」)

 

玉鬘の娘大君は、求婚者の多い中、結局冷泉院に嫁ぐことになりました。

「藤の花」を<藤波>=<美しい大君>
「松」を<天皇家><冷泉院>
「松よりこゆる」を<冷泉院より越える私(薫)の愛の深さ>
「色」を<私(薫)の恋心>

としてみましょう。「藤の花」は体言止めです。

(薫5 河内本)C.
藤波<のように美しい大君>を我が手にかけることが出来たなら。<冷泉院>より深い私(薫)の恋心がご覧になれますか。


例えば下記のようなイメージの連鎖もあるでしょう。

藤-藤波-末の松山波も越えなむ-越ゆ-松-藤-…


写本により、「こゆる」となるのは、歌意が不明瞭(小学館「新編日本古典文学全集」)と見る向きもありますが、
私は、上記のようなイメージ喚起の連鎖反応も、当時の平安貴族にとっては充分自然であったように思えます。

 

 


***「文芸」<鎮魂>********************

道真公は筑紫の地で客死しました。
その後、謀略に関わった藤原氏一派は、病死や落雷など、様々な災厄に見舞われます。
当時それは道真公の祟りだと考えられました。そして、その怨霊の鎮魂のため、道真公を祀った北野天満宮が建てられるに至ります。

紫式部が生きた平安中期は他氏排斥を完了した藤原氏による摂関政治の全盛期でした。
賜姓皇族の源氏一族は、もはや中央の政権中枢には手が届きません。
そのような背景の中、藤原道長が、「源氏」の祟りを恐れて、その怨霊の鎮魂の為に書かせた(書かれた)のが「源氏物語」である、と井沢元彦さんはおっしゃっています。
それほど日本では、「怨念」「祟り」が恐れられていた、ということです。
「北野天神縁起絵巻」<菅原道真の鎮魂>
「源氏物語」<源氏の鎮魂>
「平家物語」<平氏の鎮魂>
「奈良の大仏」<長屋王など、藤原氏に関係する怨霊の鎮魂>、<光明皇后は男児を産めなかった→効き目なし→京都に遷都>

ちなみに、このような、「勝てば官軍」の勝者側が、事後的に敗者に「花を持たせる」ようなことは外国ではまず見られないそうです。
殷の最後のチュウ王が暴虐の限りを尽くしたため、周の諸侯のひとつであった後の武王がそれを倒した、として周の政権樹立を正当化しました。(井沢元彦「源氏物語はなぜ書かれたのか」)
逆に、平家が滅んだあとに書かれた我が国の「平家物語」には、戦における平家の武士の活躍や、平家の人間たちへの憐れみを禁じ得ないような場面が数多く描かれています。
また、ドナルド・キーンさんによると、敗者側を克明に描写した軍記物は、世界中でただひとつ「平家物語」だけなのだそうです。

*******************************


ためしに「鎮魂」の観点から解釈して見ましょう。

 

 

***「波」「藤波」<藤原家><摂関家>***************
(古今集20-1093).君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ

@(古今集20-1093)A.
あなたを差し置いて、浮気心を私が持つなんてことがあれば、末の松山を海の波がきっと越えるでしょう。
(浮気心を抱くなどは、それほどにありえないことです)。


「松」は屏風絵などで、しばしば「藤」とともに描かれ、「松」は<天皇家>、それに絡まる「藤」は<藤原家>を指すこともあります。(「和歌植物表現辞典」)

******「松」<天皇家>「藤」<藤原家>「春日」「春日大社」<藤原氏の氏神>************
千歳ふるふたばの「松」にかけてこそ「藤」の若枝は「春日」さかえめ (後拾遺集、賀、440、源顕房)
****************************************************
奈良の春日山にある春日大社は藤原氏の氏神です。「春日詣で」、とは春日大社参詣、とくに藤原氏の氏長者による参詣を言います。

藤は花穂の連なる様子が、しばしば<波>に例えられ、「藤波」という言葉も常用されます。

菅原道真を重用した宇多天皇が退位した後は、年若い醍醐天皇は藤原氏の言いなりでした。


「きみ(君)」<主君><君主><天皇>
「波」「藤波」<藤原家><摂関家>

「末」<子孫>
「末の松山」<今後山のように続く、天皇家の子孫>

「山」はそれだけで、「みやま(御山)」<山陵><御陵><天皇家の墓>
の意味を持ちます。

「山」「みやま(御山)」が、<天皇家の墓>を連想させることは興味を引きます。


「今よりのちの御心にかなはざらむなむ、言ひしに違ふ罪も負ふべき」
<後世の目から見て、私の申し上げていることが、間違いであるとすれば、そのときは私は無罪だと言う言葉とは違う(無実の)罪(讒言)も負いましょう>


藤原氏の讒言に惑わされ、自分を大宰府に追いやった醍醐天皇に対する、道真公の叫びは、源高明の叫びと、木霊の様に響き合います。
藤原氏の繁栄の陰で、他氏排斥により不幸に追いやられた人々の、<鎮魂>の観点から、この歌を<読み替え>てみましょう。


「君」をおきて あだし心を わが持たば 末の「松」山 「波」も越えなむ


(古今集20-1093)B.<鎮魂>
君主<天皇家>をさし置いて、裏切りの心を私が持った(と天皇がお考えになり、私を大宰府に下す)ならば、「末の松山」<今後山のように続く、天皇家の子孫>を「藤波」<藤原氏>が、圧倒してしまうに違いない。
***********************************


「色」は様々な意味を持つ<多義語>です。


*** 多義語「色」***************
「色」<色><色彩><禁色><当色><喪服の色><にびいろ(鈍色)><顔色><顔立ち><容貌><美貌><種類><品><華やかさ><華美><色恋><色欲><恋愛><情夫><情婦><恋人><遊女><女郎><情趣><心の趣><表情><そぶり><態度><歌曲の節><音色><調子><好色>
*************************

「色」<栄華>
としてみましょう。

「かく(掛く、懸く、架く)」<掛ける><(藤のつるが木に)架かる>など。

「かく(掛く)」下二段活用<行為を及ぼす>
「手にかく」<手にかける><自らの手で殺す>
「火をかく」<放火する>

菅原道真は、大宰府に流された二年後にその地で客死しました。
源高明の京の自邸は右京四条にありましたが、大宰府左遷の、なんと三日後に焼失しています。

「し(死)」<死><道真の客死>
としてみましょう。

「かくる(隠る)」ラ行下二段活用<隠れる><お隠れになる><(貴人が)亡くなる>も、「死」を連想させます。


「や」係助詞<疑問><反語>

(薫5)C.<鎮魂>
<手にかける><殺す>者<菅原道真>に(目論見どおり)死がある(死ぬ)ならば、「藤の花」<藤原氏>が「松」<天皇家>を超える栄華を夢見るだけですませるだろうか。(いや、実際に天皇家から権力を奪うだろう)

 

 

「や」には様々な品詞があります。

***「や」<係助詞><間投助詞><感動詞>***********************************
「や」感動詞<呼びかけ><おい><もしもし>、<驚き><思いつき><あっ>、<囃し声><掛け声><えい>

「や」係助詞<疑問><反語>
「や」間投助詞<詠嘆><感動><呼びかけ><整調><列挙>
*********************************************************


「や」間投助詞<詠嘆>


手にかくる もの に し あらば 藤の花 松より まさる 色を 見  まし  や
  掛くる 者    死                    見る まじ


(薫5)D.<鎮魂>
<手にかける><殺す>者<菅原道真>に(目論見どおり)死がある(死ぬ)ならば、「藤の花」<藤原氏>が「松」<天皇家>を超える栄華を見るだろうよ。

 


参考:「かかる」ラ行四段自動詞<手に掛かる><殺される>


***「かかる」ラ行四段自動詞<手に掛かる><殺される> *************
我が身は女なりとも、敵の手にはかかるまじ。(「平家物語」第十一段「先帝身投げ」)
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「かかる(懸かる、掛かる)」ラ行四段自動詞<引っ掛かる><寄りかかる><頼る><かぶさる><降りかかる><関係してその作用を受ける><(災難などに)出遭う><罪に連座する><殺される><対象に向かう><熱中する><取り掛かる><襲い掛かる><さしかかる><(ある時期に)入る>(補助動詞)<~しかかる>

「かかる(懸かる、掛かる)」<関係してその作用を受ける><(災難などに)出遭う><罪に連座する><手に掛かる><殺される>

 


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(光源氏11).空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ

(光源氏11)B.<鎮魂>
「うつせみ(空蝉)」<蝉の抜け殻>
「うつせみ(空身)」<中身が空になった貝><胎児を抜かれた空っぽの身>
にとって、(不安定な)「世」<男女関係>は辛いものだと知っていましたが、
「『また子?』との葉」<『また子(が出来たのか)?』との(薄情な)言葉>に、
「かかる」<手に掛かる><殺される>(幼い)命であることよ。
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詳細はこれらの和歌のページを御覧下さい。

 

 


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さて、
ここから先は、これまでに輪をかけて、私の強い主観が入っていますから、そのつもりでお読み下さい。
というより、ヒマと物好きで無い方は、ここで終りにして下さい。

ここまでお付き合いありがとうございました。


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有間皇子(孝徳天皇の皇子)も、蘇我の赤兄の罠にはまり、あらぬ謀反の濡れ衣を着せられて殺されました。


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(万葉集 02/0142).家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る (挽歌 有間皇子)

「し」副助詞<強意>

@(万葉集 02/0142)A.
家にいたら食器に盛るご飯だが、草を枕に旅する身なので、椎の葉に盛ることよ。


***「草枕」「手枕」「石枕」*****************
「草枕」<草を枕にすること>とは「旅」を導く枕詞になります。
ちなみに、
「手枕(たまくら)」<腕枕>は<男女の共寝>
「石枕(いはまくら)」<石の枕>は<永眠する時の枕>
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この歌は、奈良から紀ノ川を下り、海に出て海岸沿いを、済明天皇の行幸先の和歌山の白浜まで連行される道すがらで詠まれました。
尋問の後、有間皇子は処刑されました。

「旅」<白浜まで連行される旅><刑死までの護送>


「いひ(飯)」と「しひ(椎)」の音韻の対比が鮮やかです。

「し」は「死」を連想させます。


ちなみに、
「いひ(家)」「いは(家)」「いはろ(家ろ)」は<上代東国方言>で<家>の意味になります。

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(万葉集 20/4343).我ろ旅は旅と思ほど家(いひ)にして子持ち痩すらむ我が妻愛しも (玉作部廣目 防人歌)
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ちなみに、椎の木で染める「椎柴」の布は、喪服に用いられるようになりました。

紫式部は、この歌を、濡れ衣で刑死した有間皇子の鎮魂の観点から<読み替え>た上で、(薫5)の引き歌にした、
と想定(妄想)して、試しに訳してみましょう。

(薫5).手にかくる ものに「し」あらば 藤の花 松よりまさる 色を見ましや


(万葉集 02/0142)
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅に「し」あれば 椎の葉に盛る
                   死

(万葉集 02/0142)B.<鎮魂>
家にいたら食器に盛る「いひ」<ご飯>だが、護送の旅の末に「死」があるので、「しひ」<椎>の葉に盛ることよ。

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***「天児屋命」<中臣氏(のち藤原氏)の遠祖>**********
「日本書紀」神代上第六、第七段、(天岩戸)
天岩戸に立て籠もってしまった天照大神を誘い出すために、アメノウズメノミコトが岩戸の前で踊りを舞った。
ここで中臣氏(のち藤原氏)の遠祖である「天児屋命(あめのこやねのみこと)」と斎部(忌部いんべ)氏の遠祖「太玉命(ふとたまのみこと)」は、天の香具山の五百箇(いおつ)の真坂木(サカキ)を掘り出し、枝に神宝を取り付けて祈祷した。そして、天照大神が岩戸から出るや否や、天児屋命と太玉命は岩戸に注連縄を引き渡し、二度と戻らないよう大神に告げた。
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中大兄皇子に尋問された有間皇子は、
「天と蘇我赤兄が知っているでしょう。私は何も知りません。」
と答え、処刑されました。

「天」は「天児屋命」<中臣氏(のち藤原氏)の遠祖><中臣鎌足>
を連想させます。

有間皇子の謀殺は、中臣鎌足と中大兄皇子の企てたものであるとも言われています。

 

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地の文:
***「かすめ」「ほのめかす」*********
世の中恨めしげに「かすめ」つつ語らふ。
わが心にあらぬ世のありさまに「ほのめかす」。
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「かすむ(掠む)」マ行下二段他動詞<掠め取る><盗む><欺く><ごまかす><仄めかす>
「かすむ(霞む)」マ行四段自動詞<霞む><霞がかかる><ぼんやりする><はっきりしない>


***「かすむ(掠む)」<仄めかす> ***************
あらはには言ひなさで、「かすめ」愁へ給ふ  (源氏物語「東屋」)
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冷泉帝の治世で、源氏(他氏)の最後のエース左大臣源高明が謀反で免職、これで藤原氏に逆らう他氏は根絶された。
冷泉帝は大した事績はないが、この「負の業績」において、平安時代(藤原摂関政治)を象徴する天皇となった。
(参考:井沢元彦「天皇の日本史」)
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***「冷泉天皇」と「源氏物語」*****************************
臣籍降下して源氏となった主人公の光源氏が女性遍歴のあげく、天皇である父親の妻の一人(つまり自分の義母)と不倫関係になり、その間に生まれた不倫の子がなんと天皇になり、その天皇によって光源氏は臣下の身でありながら准太政天皇つまり「名誉上皇」に出世するという物語なのである。
実際には当時、源氏は藤原氏に敗れ藤原氏の天下が確立していた。しかし、この「物語」の中では源氏が逆にライバルに完全な勝利をおさめるのだ。。。(中略)。。。
生前に右大臣だった菅原道真を神様に祭り上げたように、藤原氏は実際には追い落とした源氏一族を「物語の中で勝たせてやった」のである。その証拠に物語の中で天皇になった光源氏の不倫の子は何と呼ばれているか?
冷泉帝、すなわち冷泉天皇なのである。「源氏物語」はフィクションだから藤原氏のことも「右大臣家」とぼかしている。にもかかわらず光源氏の子については現実に存在した冷泉のし号をそのまま使っている。
では、現実の冷泉の治世に何があったか? 源氏の最後のエース源高明が失脚(安和の変)したではないか。つまり「源氏物語」とは、「関ヶ原で石田三成が勝った」という話であって、それを「徳川陣営」が作るというのが、外国にはまったく見られない日本史の最大の特徴の一つなのである。
(井沢元彦「天皇の日本史」)
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(一時的とはいえ)皇統に自らの血を流し込んだ、という意味での光源氏の成功の象徴が<冷泉帝>であり、現実の歴史ではなった者がいない「准太政天皇」の位すら賜ることが出来たのもその冷泉帝の計らいによるものでした。

源氏物語の登場人物のモデルを実際の歴史に探し求める「モデル探し」が今まで盛んに行われてきました。
それは、それぞれの登場人物の具体的な行動や性格を、実在の歴史上の人物と比べてその異同を論じる、というものでした。
しかし、井沢元彦さんのアプローチは、それらとは次元が異なります。

「歴史上実在した冷泉天皇の、個々の具体的な事績」を、「源氏物語の登場人物である冷泉帝の個々の行為や性格」と比べるのではなく、
「歴史上実在した冷泉天皇の治世が<象徴>する<他紙排斥の完了>」を、「源氏物語全体のテーマ<他氏の鎮魂>」と照合させる、
という、メタレベルのアプローチでした。
そして、それは、「現実の冷泉天皇の治世の歴史的意義付け」と、「源氏物語が書かれたそもそもの動機<鎮魂>」とを、見事に符号させています。

私は、これほどクリアー、かつ通常の解釈の発想とは次元を異にする、源氏物語解釈に出会ったことがありません。
ここへ来て、源氏物語の解釈は、「比喩」から「象徴」へと脱皮(昇華)した、とでも言うべきでしょうか。


氏の解釈が正鵠を射ているそもそもの理由は、
「源氏物語は、<文芸><文学><美学><色恋>のために書かれたのではなく、<社会>のために書かれた」
の一点に尽きる、と私は思います。

紫式部の視線の先にあったのは、<文芸><美学><色恋>ではなく<社会><政治>だったからです。

 

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源高明が讒言により大宰府に配流された安和の変の数ヵ月後に左大臣になった藤原師ただが、また翌年には摂政だった藤原実頼が亡くなりました。
当時、これらは源高明の生霊による祟りだと考えられました。

源高明の西宮の豪邸が焼けたのも藤原氏の放火なら、道真の死も徐々に毒を盛られたのでしょうか。
高明邸の焼失が不審火であることは当然として、紫式部は道真の死も、<暗殺>と考えていたのだと思います。

あらわには言えないその思いを、「かすめ」<仄めかし>つつ、紫式部は語ったのでしょう。

紫式部は世に聞こえる漢学者を父に持ち、幼少期からその薫陶を受けたとも言われています。
漢学の神様であった菅原道真を紫式部が敬愛していたとしても不思議はありません。


(薫5)C「手にかくる」「死」<道真暗殺><他氏排斥>の含意を素通りして、この歌を後世に伝えるべきではありません。

死因を明確に特定する科学技術も無ければ、物証に基づいた裁判が行われるわけでもない当時。
ましてや道長の恐怖政治下にあったと考えられる宮中において、紫式部はこの歌の真意<道真暗殺>を命がけで伝えようとしたのだと私は思います。


紫式部日記には、清書して製本したばかりの「源氏物語」が、(道長に)持ち逃げされたことが書かれています。
そのくだりの直後の地の文が興味を引きます。

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(地の文).
若宮(敦成親王)は、御「物語」などせさせたまふ。(「紫式部日記」)
うちに、心もとなくおぼしめす、ことわりなりかし。

「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>
「うち(内)」<内裏><主上><天皇>
「心もとなし」<心細い><待ち遠しい>
「かし」<念押し>

@(地の文)A.
赤子の若宮は、(「あ」「う」など)意味の無い声をお出しなさる。
主上におかせられては、若宮の後参内の日を待ち遠しくお思いになる。
それももっともなことだ。

 


「ことわり(理)」<道理><理にかなう裁き><道真公の天罰><落雷>

**** <道真公の天罰><落雷> *******************************
57歳(901年) 太宰権帥に左遷。
59歳(903年) 大宰府で客死
  (908年) 道真の左遷を聞いて駆けつけた宇多法皇を内裏に入れなかった藤原菅根が「落雷」で死亡。
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「かし」は「かじ(火事)」「くゎじ(火事)」を連想させます。

「鳴る」<(雷が)鳴る>
ちなみに、「かみなり(雷)」は「神鳴り」から来ています。


               理       
うちに、心もとなくおぼしめす、ことわり なり かし。
                    鳴り かじ
                       火事


(地の文)B.<鎮魂>
若い天皇の言葉などに意味はなく(藤原氏の操り人形だ)。
内裏に、「ことわり(理)」<道理><理にかなう裁き><道真公の天罰><雷>が鳴り響き、「火事」になるのが待ち遠しくお思いになる。

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「源氏」<藤原氏に追い落とされた他氏>
「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>

「源氏物語」<藤原氏に追い落とされた他氏の空しい叫び>

 


「墾田永年私財法」など、藤原氏は自らの一族に都合の良い<法律>を作り、荘園による脱税と国司による横領とによって、国富と国民を食い物にして、一族の繁栄を築き上げました。
また、藤原仲麻呂は紫微中台で好き放題に国政を操ろうとしました。

国司の横領を除いて、上記は皆、形の上では「合法」です。
別に法律(律令)に違反しているわけではありません。
というより、「荘園」という<実質的脱税行為>を合法にするために、藤原氏はわざわざ「墾田永年私財法」やら「不輸の権」やら、関連法案を法制化したわけです。
また、甥に当る藤原仲麻呂のわがままを通すために、唐の律令にはない「紫微中台」などという役所を、藤原光明子(皇后)はわざわざ作ったわけです。
その行き着く先は、「悪法もまた法なり」の末世、「末法の世」でした。


法(悪法)と藤原氏だけ生き残った、そんな時代にあって、紫式部が求めたのは、「法」ではなく「理」でした。
「法」そのものではなく、<「理」不尽なこの世に「理」を実現しようとする>「法の精神」でした。


***「理(ことわり)」**************
(光源氏65).やしまもる国つ御神もこころあらばあかぬ別れの中をことわれ
(秋好中宮の女別当1).国つ神空にことわる中ならばなほざりごとをまづやたださむ
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詳細は、これらの和歌のファイルをご参照下さい。

 

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「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>

「源氏物語」<藤原氏に追い落とされた他氏の空しい叫び>

 

万一の場合には言い逃れ出来るように、地の文や引き歌で、この和歌を<恋愛>の歌としてカムフラージュしながら、
同時に地の文で「ほのめかし」、引き歌を読み替えることによって、紫式部はその真意<暗殺>をなんとか伝えようとしたのでしょう。

合理性が浸透した現代社会ならば、その決死の覚悟を公にし、世に広めることが出来ます。
古典の教育者には、過去に対する責任と、未来に対する義務があることを忘れてはなりません。


後述するように、
我々が通常目にする古典の「散文」も、文字列の指示内容を日常の文脈から解き放ち、言葉の象徴機能を極限まで押し拡げて、先入見にとらわれずゼロベースから言葉を解釈した時点で、それは「散文」ではなく「詩」となります。
その「詩」は、「勝てば官軍」の支配者が事後的に「歴史」「正史」<散文>の陰に葬られた闇の真相を知る唯一の手掛かりに他ならず、
為政者が知られたくなかった<不都合な史実>に関して、それは「正史」を補完、時にはむしろ凌駕する価値を持つようにも思われます。


文学作品からの情報を歴史認識に外挿することに対して、我々が慎重の上にも慎重を期さねばならないことはもちろんです。
しかし、「正史」が<隠蔽>である他はない以上、「正史」のみを絶対視することはむしろ危険であり、さらに、それが歴史を動かす重要な出来事に関しては、ますます「文学」が歴史認識に重要な視点をもたらす度合いが強くなる、と私は思います。

ここにも、私は古典「文学」復興の重要な契機を見る思いがします。

「源氏物語」は、摂関政治が確立する過程で、歴史の表舞台から消えていった藤原氏以外の氏族の<鎮魂>のために、道長が紫式部に書かせたものだ、と井沢さんはおっしゃっています。
現実の歴史とは正反対に、源氏物語では、光源氏が藤原氏に属するライバルの頭中将との出世競争を制して栄華を極めます。
藤原氏の他氏に当たる源氏のサクセスストーリーが<鎮魂>であることは、誰が見ても明らかで、それは道長の意図であったはずです。
おそらく道長の依頼は、鎮魂のために、他氏に花を持たせたサクセスストーリーを書いて欲しい、というような大まかなものだったのでしょう。


しかし、紫式部は、大きな「粗筋」のそこここにある、一見見落としてしまいそうな小さな物陰にも、「正史」から葬り去られた<史実>を巧みに織り込みました。
その、あちこちの小さな物陰の<史実>は、道長が意図的に紫式部に書かせた、源氏の<架空>のサクセスストーリーとは違います。
それは、道長にとって不都合な<史実>、道長の目から隠して紫式部が命がけで伝えようとした<歴史の闇に葬られた真相>であり、それを書き残すことこそが、自分に出来る真の意味での<鎮魂>だ、と紫式部は考えていたのではないでしょうか。

「神は細部に宿る」とは、文芸評論でしばしば用いられる常套句です。
源氏物語の真の意味、紫式部が命がけで伝えようとした真意は、この「細部」に書かれた<史実>であって、<架空>の「粗筋」「サクセスストーリー」ではありません。
単なる文芸評論の常套句よりもはるかに重い意味において、源氏物語の神は、まさに「細部」に宿っています。

我々は、源氏物語のそこここに散らばった、後世に伝えるべきそのDNAの<断片>、葬られた<史実>を拾い集め、つなぎ合わせて、恐怖政治によって隠蔽された歴史の真相を再構成せねばなりません。
源氏物語の真の解釈は、いま始まったばかりです。

 


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***「詩」<コトバの象徴機能を日常の文脈から解き放つ>******

文学作品をジャンルに分けるとき、「散文と韻文」という分け方があります。また、「小説と詩」という分類もあります。
これらの定義は考える人の数だけあるので、どれが正しいと言うものではありません。

物語や小説は、出来事を描写し、他の人に伝達することにまず主眼が置かれます。
そのため、ひとつの言葉が指し示す内容を出来る限りそぎ落とし、一対一対応の明示的な記号として言葉を用いる傾向にあります。
たとえば、推理小説では、事件現場にナイフと柿が落ちていたとき、それらはそのものズバリを指すのが普通です。
「ナイフ」が<鉄文明>の象徴である、とか「柿」は<純愛>の暗喩だ、などということはまずありません。


***「柿」は<純愛>? それとも<不倫>? *********
豆や栗の実(可食部)は、種子の子葉に由来しますから<子の一部><子の遺伝形質>であり、受精(受粉)なしでは出来ません。
しかし、柿やブドウの実(可食部)は、母体の子房などに由来するので、<親の一部><親の遺伝形質>であり、果実の成熟に、必ずしも(正常な)受精・発生が必要なわけではありません。「種無し柿」や「種無しブドウ」が出来るのはそのためです。
例えば種無しブドウでは、デラウエア種のつぼみが開花する前にジベレリン液に浸す、という処理が刺激となって、受粉しなくても果実(子房)の肥大成長が促進されます。これは「単為結果」などと呼ばれることもあります。
つまり果実だけ見れば<処女懐胎><想像妊娠>です。
ちなみにギンブナのメスは、オスと交尾しなくても「単為生殖」によって子を産めるのだそうです。ただしその場合、産まれてくるのはメスだけで、それゆえギンブナの群れは大半がメス個体で占められます。
米やトウモロコシなどのイネ科穀物の実(可食部)は、被子植物の重複受精で形成される胚乳(3n)に由来しますから、これにもやはり受精(受粉)は必要です。
(参考:浜島書店「ニューステージ 新生物図表」)
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物語や小説がそぎ落としている、こうした言葉の象徴機能を、逆に目一杯働かせて、創作や鑑賞の対象とするとき、それが「詩」だ、と定義する立場があります。
この立場から言えば、<文章の長短>や、<韻を踏んでいるかどうか>などは、「詩」であるか否かには、全く関係がありません。

逆に言うと、普通は「小説」と見なされている作品を読むに当たっても、ある言葉に対して、その指示する物、象徴する内容を極限まで押し広げ、突き詰めて考えるとき、それは「詩」として読んでいる、ということになります。
たとえ三行の詩でも、言葉の意味は慣習そのままに、出来事の経緯や因果関係だけを読み取るなら、
ことの良し悪しは抜きにして、それは「小説」や「物語」や「家電のトリセツ」(取扱説明書)を読んでいるのと同じですし、
音の流れの美しさを楽しんでいるだけなら、「詩」ではなく「音楽」を聴いている、歌っているに過ぎない、ということになります。


上記の「詩」の定義に従う限り、
その作品が「詩」であるか否かは、作者が決めるものではなく、さりとてその区別が作品そのものに内在するわけでもなく、
徹頭徹尾、読み手側の読解姿勢、鑑賞態度にある、ということです。


「引き歌」「本歌どり」という修辞技法も、言葉の象徴する内容に、通常の場合よりも奥行きをもたせるためのものです。
たとえば、「昔の人の袖の香ぞする」という古歌を「背景」「引き歌」として用いることによって、「橘」という言葉だけで<別れた恋人の思い出>などのニュアンスを付加することができます。<少ない文字数で歌の内容に幅や奥行きを持たせる>ためのこのような工夫が、ある程度パターン化した修辞技法が「本歌どり」ですが、これは<真意をあからさまに表現しない>という平安貴族の美学に合致する技巧でもあります。

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つる(蔓)性植物の藤は、「かづら(蔓)」を伸ばします。
しかし、一年生草本の夕顔などのか細いつると異なり、多年生木本の藤のつるは、年々肥大し、時に絡みついた本体の木を締め上げて枯らしてしまうほど、圧倒的な存在感があります。

ちなみに、「ふぢ(藤)」の音は、古来「ふし(不死)」と結び付けられたそうです。
樹齢五百年を越えるような藤も多く、なかでも春日部市牛島の藤は樹齢千年だそうです。(大貫茂「花の源氏物語」)

 

***「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」**************
「大鏡」「道長(藤原氏物語)」
(大鏡).
内大臣鎌足の大臣、藤氏の姓賜りたまひての年の十月十六日に亡せさせたまひぬ。御年五十六。大臣の位にて二十五年。
この姓の出でくるを聞きて、紀氏(きのうぢ)の人の言ひける、
「藤かかりぬる木は枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
とぞのたまひけるに、まことにこそしかはべれ。

「き(木)」は「き(紀)」<紀氏>を連想させます。

      木
藤かかりぬるきは枯れぬるものなり。いまぞ紀氏はうせなむずる」
      紀

(大鏡)B.<鎮魂>
藤(のツル)が掛かった「き(木)」「き(紀)」<紀氏>は枯れてしまうものだ。
そのうちきっと紀氏は滅んでしまうよ。

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「昌泰の変」で菅原家が追い落とされたように、
「安和の変」で源氏が、
「承和の変」で橘氏が葬られました。

 

***「松」「藤」「橘」「柳」**************
大きなる「松」に「藤」の咲きかかりて月影になよびたる、風につきてさと匂ふがなつかしく、そこはかとなきかをりなり。
「橘」にはかはりてをかしければさし出でたまへるに、「柳」もいとうしだりて、築地もさはらねば乱れ伏したり。
(蓬生)
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上述のように、「松」は屏風絵などで、しばしば「藤」とともに描かれ、「松」は<天皇家>、それに絡まる「藤」は<藤原家>を指します。


******「松」<天皇家>「藤」<藤原家>「春日」「春日大社」<藤原氏の氏神>************
千歳ふるふたばの「松」にかけてこそ「藤」の若枝は「春日」さかえめ (後拾遺集、賀、440、源顕房)
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奈良の春日山にある春日大社は藤原氏の氏神です。「春日詣で」、とは春日大社参詣、とくに藤原氏の氏長者による参詣を言います。

 

「柳」には、<柳に風と受け流して逆らわないこと>の意味があります。
それは、<権勢に逆らえない人々>をも連想させます。

***「柳」*********************
(蜻蛉日記129.道綱母).山風のまづこそ吹けばこの春の「柳」の糸はしりへにぞよる
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詳細は上記の歌の解釈をご覧下さい。

 

ちなみに、兼家夫妻が若い頃、風になびくススキになぞらえて、兼家の訪れを詠んだやりとりがあります。

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(蜻蛉日記47 兼家).穂に出でば「まづ」なびきなむ花「薄」 「こち」てふ風の吹かむまにまに
@(蜻蛉日記47 兼家)A.
来て欲しいと言葉にしてくれれば、東風吹けばなびくススキのように、真っ先に訪ねていくのに。

帆に出でば「まづ」なびきなむ花「薄」 「こち」てふ風の吹かむまにまに
(蜻蛉日記47 兼家)B.
(道真公が)帆船で西に出発すると、「まつ(松)」<天皇>は「まぜ(南風)」<春日大社(藤原氏)からの南風>になびく。
東風が道真公の方に吹くタイミングの間を縫って。(京で藤原氏が実権を奪ったとの噂が道真に届かぬように)
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「柳」が<柳に風と受け流して逆らわないこと>の意味を持ち、<権勢に逆らえない人々>を連想させるように、
「薄」は<時流になびく人々>をも連想させます。

 


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「詩」<コトバの象徴機能を日常の文脈から解き放つこと><コトバの地平を極限まで押し広げること>


「松」<天皇家>
「藤」<藤原氏>
「橘」<橘氏>
「柳」<権勢に逆らえない人々>


文字列の指示内容を日常の文脈から解き放ち、言葉の象徴機能を極限まで押し拡げて、先入見にとらわれずゼロベースから言葉を解釈した時点で、
どんな「散文」であっても、それは「詩」となります。


源氏物語は「詩」です。
恐怖政治下において、真意を<隠しつつ伝える>ことは、「詩」にしか出来ないからです。
「散文」ではなく、「詩」によってのみ可能となる<鎮魂><告発><反逆>、それが源氏物語の本質です。

 


DNAの一部から転写されたmRNAに、さらにスプライシングが施され、そしてタンパク質へと翻訳されるように、
源氏物語のそこここに紫式部が埋め込んだDNAの<断片>をつなぎ合わせて、
我々は歴史の真相を再構成せねばなりません。

 

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***「詩」を可能にするもの:「豊かな言語体験」とは何か? *******************
数分おきにメールの入る現代と違って、平安時代は、安価とは言えない和紙に、硯を用意し筆で書きつけ、それを従者に渡して相手に届けさせました。
字の綺麗さも教養や人となりの重要な判断基準とされた時代です。墨汁だから書き損じは取り消せず、一から書き直さねばなりません。ちなみに、万葉集の歌が書かれた木簡が出土していますが、紙でなく木簡の場合は、「とうす(刀子)」と言う小刀を消しゴムとして、板の表面を削り取って書き直したのだそうです。(中西進「図解雑学 楽しくわかる万葉集」)

人は、多くとも数日に一度しか来ない紙切れを、懐にしまい、擦り切れるほど手にしたでしょう。つい口をついて出て来てしまうほど、声に出して詠み返していたかもしれません。

メール読み捨ての現代と違って、その回数の多さという単純な事実が、試行錯誤の回数の多さが、確率の小さい偶然を顕在化させたのではないでしょうか。
つまり、同じ歌を何度も読み直すうちに、まったく別の解釈、「ひょっとして?」という<読み替え>が偶然立ち現れさせたのだ、と私は思います。

現実が、多くの場合意に染まなかったであろう時代に、その「読み替え」は、ほんのいっときであっても、彼女たちにとって<生きる支え>となったのかもしれません。

「ガラケー」と呼ばれる、私の小さいオンボロの携帯電話にすら、読みきれないほどのニュース速報がひっきりなしに入ってきます。
流し読みにつぐ流し読みで、一つの文章をじっくり読むことも無く、見ては捨て、読んでは忘れて、右から左へと情報を消費する現代。
かたや、一枚の手紙を穴の開くほど見つめ、一首の和歌をそらんじてしまうくらい詠じて、あれこれと思いを巡らせた時代。

はたして、どちらが豊かな「言語体験」だと言えるのでしょうか。
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メモ:

連想詞の展開例など


あくまでこれは「タタキ台」として、試みに私の主観を提示したものに過ぎません。

連想に幅を持たせてあるので、自分の感覚に合わない、と感じたら、その連鎖は削って下さい。
逆に、足りないと感じたら、好きな言葉を継ぎ足していって下さい。
そして、自分の「連想詞」のネットワークをどんどん構築していって下さい。


詳細は「連想詞について」をご参照下さい。

 

 

「まし」<反実仮想>


「し」副助詞<強意>
「し」<死>


「かく(掛く、懸く、架く)」<掛ける><(藤のつるが木に)架かる>など。
「かく(掛く)」下二段活用<行為を及ぼす>
「手にかく」<手にかける><自らの手で殺す>
「火をかく」<放火する>

「かくる(隠る)」ラ行下二段活用<隠れる><お隠れになる><(貴人が)亡くなる>も、「死」を連想させます。

「かかる」ラ行四段自動詞<手に掛かる><殺される>


「かかる(懸かる、掛かる)」ラ行四段自動詞<引っ掛かる><寄りかかる><頼る><かぶさる><降りかかる><関係してその作用を受ける><(災難などに)出遭う><罪に連座する><殺される><対象に向かう><熱中する><取り掛かる><襲い掛かる><さしかかる><(ある時期に)入る>(補助動詞)<~しかかる>

 

「松」<天皇家><冷泉院>
「藤」「藤波」<藤原氏>
「橘」<橘氏>
「柳」<権勢に逆らえない人々>


「きみ(君)」<主君><君主><天皇>

「末」<子孫>

「山」「みやま(御山)」<山陵><御陵><天皇家の墓>

 

「しひ(椎)」
「いひ(飯)」
「いひ(家)」「いは(家)」「いはろ(家ろ)」<上代東国方言><家>

 

「かすむ(掠む)」マ行下二段他動詞<掠め取る><盗む><欺く><ごまかす><仄めかす>
「かすむ(霞む)」マ行四段自動詞<霞む><霞がかかる><ぼんやりする><はっきりしない>

 


「物語」<赤子が「意味の無い音声」を発すること>
「源氏」<藤原氏に追い落とされた他氏>

「源氏物語」<藤原氏に追い落とされた他氏の空しい叫び>


「うち(内)」<内裏><主上><天皇>
「心もとなし」<心細い><待ち遠しい>
「かし」<念押し>


「ことわり(理)」<道理><理にかなう裁き><道真公の天罰><落雷>


「き(木)」「き(紀)」<紀氏>

 


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ここまで。
以下、(注)


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(注770001)


*** 多義語「かく」*************************
「掻き」接頭辞:動詞の上について、<ちょっと~する><軽く~する>
「かき曇る」「かき口説く」
(「掻き集む」「掻き上ぐ」「掻き鳴らす」などは、本来の「掻く」の意味で用いられているので、接頭辞とは見なさない。)


「かく」も多くの同音異義語を持ちます。
「駆く、駈く」他動詞カ行下二段<馬を走らせる><馬に乗って疾走させる>、自動詞カ行下二段<(馬に乗って)攻め進む><攻め込む>
⇔「引く」、<速く走る>
「架く、構く」他動詞カ行四段<組む><編む><構える><(下帯を)締める>
「掻く」他動詞カ行四段<つめや鋭い道具で引っかく><(琴などの弦楽器を)弾く、かき鳴らす><払いのける、押し分ける><櫂で水を押しやる、漕ぐ><切り取る><くしけずる、髪をとく><かじりつく><(箸で)勢いよく食べる、かっこむ><田畑をすき返す、耕す>

「掛く、懸く」四段、下二段の両方あり。やがて下二段のみになった。
他動詞カ行四段(上代)=他動詞下二段「かく」に同じ。<掛ける>
他動詞カ行下二段<ぶら下げる、つり下げる><高く掲げる><目方をはかる><間に渡す><閉ざす、閉じる><兼ねる、兼任する><(火を)つける><及ぼす、こうむらせる><数に入れる、加える><言葉に出して言う><かぶせる、着せる><(水などを)浴びせる><心に置く、気に留める><心に思う、慕う><言って答えを求める><あらかじめ約束する><掛売りにする><賭けものとする><さらし首にする、掲げて人に見せる><測り比べる><かこつける、たとえる><だます><めざす><託する>
補助動詞カ行下二段<中途でやめる、~さす><食べさす、飲みさす、読みさす、言いさす、、、>

「欠く」カ行四段<足りなくする、欠く>、カ行下二段<不足する、欠ける>
「書く、描く」カ行四段<紙などに、文字・絵などを記す><書く><著作する>
「かく」<(二人以上で籠などを)肩にかついで運ぶ>
「嗅ぐ」<鼻で匂いを感じ取る、嗅ぐ>
「かく(掻く)」四段動詞<掻く><引っ掻く><(弦楽器を)爪弾く><払いのける><押しやる><櫛で髪をとかす><掻き切る><(食物を)かきこむ>
「かく(書く)」四段動詞<書く>
「斯く」副詞<このように><こう><(現状は限界に達している、の意)(今は)これまで>

かく
「駆く、駈く」他動詞カ行下二段<馬を走らせる><馬に乗って疾走させる>、自動詞カ行下二段<(馬に乗って)攻め進む><攻め込む>
⇔「引く」、<速く走る>

「架く、構く」他動詞カ行四段<組む><編む><構える><(下帯を)締める>

「掻く」他動詞カ行四段<つめや鋭い道具で引っかく><(琴などの弦楽器を)弾く、かき鳴らす><払いのける、押し分ける><櫂で水を押しやる、漕ぐ><切り取る><くしけずる、髪をとく><かじりつく><(箸で)勢いよく食べる、かっこむ><田畑をすき返す、耕す>

「掛く、懸く」四段、下二段の両方あり。やがて下二段のみになった。
他動詞カ行四段(上代)=他動詞下二段「かく」に同じ。<掛ける>
他動詞カ行下二段<ぶら下げる、つり下げる><高く掲げる><目方をはかる><間に渡す><閉ざす、閉じる><兼ねる、兼任する><(火を)つける><及ぼす、こうむらせる><数に入れる、加える><言葉に出して言う><かぶせる、着せる><(水などを)浴びせる><心に置く、気に留める><心に思う、慕う><言って答えを求める><あらかじめ約束する><掛売りにする><賭けものとする><さらし首にする、掲げて人に見せる><測り比べる><かこつける、たとえる><だます><めざす><託する>
補助動詞カ行下二段<中途でやめる、~さす><食べさす、飲みさす、読みさす、言いさす、、、>

「欠く」カ行四段<足りなくする、欠く>、カ行下二段<不足する、欠ける>

「書く、描く」カ行四段<紙などに、文字・絵などを記す><書く><著作する>

「かく」<(二人以上で籠などを)肩にかついで運ぶ>
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参考:

「かぐ(嗅ぐ)」<鼻で匂いを感じ取る、嗅ぐ>

「かく(斯く)」副詞<このように><こう><(現状は限界に達している、の意)(今は)これまで>

 

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(藤侍従2:玉鬘の第三子).むらさきの色はかよへど藤の花心にえこそかからざりけれ

 

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