YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

共に働いたキブツの仲間達の話~ハッゼリムキブツ滞在

2021-12-17 08:35:53 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
△ハッゼリムキブツの私の部屋の前にて~左からナンシー、私、そしてジョアン。
 木が見えるその後方は何も無い砂漠であった。

・共に働いたキブツの仲間達の話
 私の部屋の仲間は2人居た。1人はFrank(フランク)、もう1人はPeder(ピーター)と言う人でした。フランクは、北アイルランド出身の田舎者、髭を生やし、少し太り気味、海賊バイキングに似ていた。彼はイギリス人であるが、アイルランド系なので訛りのある英語を話していた。彼は読書が好きなのか、よく本を読んでいた。少し意地が悪く、私はフランクを好かなかった。ある日、フランクと話をしている時、何度か「Is that so ?」と言ったら、彼が「Is that so ?は日本語で何と言うのか教えてくれ」と聞くので、日本語で「『(あ、)そうですか』と言う意味です」と教えた。その後、彼は事あるごとに「あ、そうですか」とバカの一つ覚えで、口癖になっていた。何回も言うので、私はバカにされている感じがして来た。そして終に12月28日、彼と喧嘩をした。
 ピーターは、ノルウェー人で背が高く色白であった。彼の歳を聞いた事がないが、見た目は20歳以下、おとなしい人であった。クリスマス イヴにベツレヘムへ行った帰りそこから深夜、彼とキブツまでヒッチして帰って来た事はイスラエルの思い出となった。
 その他の仲間で、Andy(エンディ)と言うカナダ人とは、一番仲が良かった。彼は責任感が強く、他の仲間は元旦ズル休みしたが、彼と私だけは作業に従事した。食事や農作業時、私はいつも彼と共に行動していた。彼は良き話し相手であったし、中東の旅についてアドバイスをしてくれた。又、フランクと喧嘩した時、私の味方をしてくれて、良き理解者であった。彼は帰国後、数年してから日系女性と結婚した。
 John(ジョン)と言うアメリカ人も居た。彼はゴリラに似た赤い顔をして、力があった。又、我々仲間の中心的存在で、気持の良い男であった。ある日、私は仲間に相撲のルールを教え、彼等と相撲を取った事があり、仲間の皆を投飛ばした。しかしジョンと相撲取った時、下に潜ったら上から力強く両腕を抱え込まれ、身動きが取れなくなり、その内に首が痛くなってギブアップ(降参)してしまった。彼は私より一回りも二回りも大きくその上、馬鹿力があった。それから1週間ぐらい首筋が痛かった。怪我をしてからでは遅いので、外国では余り無理をしない方が良いと反省した。相撲を取った感想として、彼等(ジョン以外)は、日本人と違って、腰が弱い事が分った。
  Bart(バート)と言うオランダ人も居た。ボクシングが好きで、私とよくボクシングの真似事をしていた。彼曰く、「Yoshiには相撲では負けたが、ボクシングでは負けないぞ」と。私は「何言っているのだ、ボクシングだって負けないよ」と軟弱な外人には、負けない気持だけはあった。
 Nancy(ナンシー)と言う、可愛いアメリカ人女性が居た。彼女はいつも同じアメリカ女性のJoan(ジョアン)と一緒に仕事をしていた。パーティ(仲間内の飲み会)や食事の時、ナンシーはいつもジョンに寄り添っていた。二人は出来ているのかどうか分らなかったが、私は彼女に一目ぼれ、嫉妬を感じていた。愛くるしい彼女にジョンの手前、指を咥えて見ているだけであった。
穏やかなある日、畑のネズミ捕りでナンシーと共に作業した事があった。その日、食堂からオレンジ数個を持って来て、休憩時間の時に一つ彼女に分け、話をするチャンスがあった。それ以後、時々話をする様になり、彼女と親しくなった。
 イギリス人と同棲しているユーゴスラビア人の女性も居た。もしかしたら彼女は結婚しているかもと想像した。顔立ちやアクセントから彼女は、直ぐにユーゴ人と分った。ユーゴを旅している時、あのトラックの運転手が女性を見る度に、「ピーチカ、ピーチカ」と言っていた事を思い出して、彼女にその言葉の意味を尋ねた。そうしたら、彼女から『ピーチカ』の意味をユーモアたっぷりに教えてくれた(ユーゴの旅「ピーチカと美味しいワイン」参照)。
 又こんな事もあった。ある日、イギリス人一時滞在者2人が部屋でハシシを吸っていた事が分り、管理人から怒られていた。翌日、彼等はキブツから追い出された。キブツは薬やハシシを吸う人に対して、キブツに入る条件の通り、決して許さない行為であったのだ。 
 その他にも、私の様な一時滞在者が何人も居たが、日本人は私だけであった。