YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

キブツ探し、そして長倉君との再会~テルアビブの旅

2021-12-10 08:42:48 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
・昭和43年12月8日(日)晴れ(キブツ探し、そして長倉君との再会)
 今日未明、雷を伴った凄い雨が降り、目が覚めた。今朝方もヒョウ交じりの物凄い雨が降った。朝食を取ってから主人に、「キブツに入所したいのだが、如何したら良いのか」と尋ねたら、キブツ事務所の場所を教えてくれた。
  朝食後、そのキブツ事務所へ行った。その事務所(Ichud Hakvutzot Vehakibbutzim)の方は、私が「キブツへ入所したい」と言ったら、友好的に迎い入れてくれた。入所申込用紙に名前等必要事項を記入したが、この時点ではまだ何処のキブツになるのか、決まらなかった。キブツはたくさんある様で、自分が『何処のキブツへ行きたい』ではなく、事務所側の『何処のキブツで人が足りないので、そちらへ行って下さい』と言う様な関係であった。
 暫らくすると、日本人1人が事務所に入って来た。名前を聞くと、青山さん(仮称、以後敬称省略)と言う方であった。私はアテネで長倉から青山の事を聞いていたので、青山に「私はアテネで長倉に会いましたが、彼も貴方に会いたがっていましたよ。彼もテルアビブへ一両日中に来ると思います」と言った。私は青山と直ぐに親しくなった。
 青山と事務所を出た。テルアビブの街を歩きながら彼に、「今夜からユースに泊まりたい」と言ったら、彼は私をユースに案内してくれた。ユースのベッドで休んでいると、隣のベッドのアメリカ人と仲良くなった。彼から実践・実用的な英語(卑猥、下品な言葉)を教えて貰った。不思議なものでこの様な英語は直ぐ覚えられたし又、忘れなかった。                                                    
 夕方、私がロビーでくつろいでいたら Gabriel Sassoon(ガブリエル)と言うイラン人と知り合った。彼からイラン事情(経済停滞、教育の不確立、不民主的、不親切、騙し等)を入手した。その後、フランス人とイギリス人が何か話をしていた。暫らくすると、第二次世界大戦中の事で大いに激論になって来た。イギリス人が、「ダンケルクの戦いで一番初めに逃げ出したのはフランス兵だし、ノルマンディー上陸作戦に於いても、フランス兵はドン尻でイギリスやアメリカ兵の後に付いて来ただけだ。フランス兵は軟弱だ!」とそのフランス人に言っているのであった。フランス人はこれについて一生懸命に弁明、反論していた。ユース宿泊で彼等がこんな激論を聞いたのは、初めてであった。
 夜10時頃、ロビーで青山と雑談していたらアテネで親しくしていた長倉が、イスタンブールから戻って来た。彼は「Yoshiさんと青山さんに会いたかった」と言ったが、私も彼に会えて本当に嬉しかった。その後、3人で長倉のイスタンブールの事で話に花が咲いた。
 今日は有意義で、面白い1日であった。お休みなさい。