YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

日本の10大ニュースと長倉は強かった~テルアビブの旅

2021-12-11 14:21:13 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
・昭和43年12月9日(月)晴れ(日本の10大ニュースと長倉は強かった)
 昨日、キブツで働く所をテルアビブから余り離れてない所を希望していたが、キブツ事務所の係りの方から「そこは一杯で希望に添えませんでした。明日又、来て下さい」と言われ、今日再び事務所に立ち寄った。そうしたらHazzerim Kibbutz(ハッゼリム キブツ)に決定した。係りの方からそこの住所と行き方を教わった。そのハッゼリム キブツは、テルアビブから100キロ以上のBeersheba(ベエルシェバ)の町からさらに南下したNegev(ネゲヴ砂漠)の北端に位置する所であった。Sinai(シナイ半島)とDead Sea(死海)の中間地点で、まさに何にもない様な所であった。
 国境付近では現時点、休戦協定が成立している状態であるが、依然として小競り合いが起きているとの情報があるし又、所によって過激派によるキブツへのテロ攻撃もあるとも聞いていた。しかし本当の戦争やテロ攻撃の怖さ・恐ろしさを知らない私は、何処でも構わないと思った。
 キブツの滞在場所も決まり、長倉と街へ出掛けた。その後、地中海を望む海岸のベンチに腰掛け、彼と色々な事を語り、一時を過した。暖かな陽気で海は青く、首都に拘わらず誰もいない浜辺は美しかった。何処で戦争が起きているのか、まるで嘘の様に平和を感じた。そしてロンドンからのヒッチの旅は、寒く寂しい旅であったが、それも嘘の様に今は平穏であった。
 この後、我々は新聞を読みに日本大使館へ行った。相変わらず日本は、お粗末な事件が多かった。鉄道事故、学園紛争、火事、盗難、そして殺人事件等で三面記事は賑わっていた。面白かったのは、東大の文化祭ポスターに男の背中の肌に銀杏の葉が描かれ、そこに止めてくれるなおっかさん、背中のイチョウが鳴いている。男東大どこへ行く」と、こんな文句の歌(詩)が書かれていた。一寸ヤクザらしい台詞であるが大分、反響があったらしい。
 因みに、今年の10大ニュースとして挙がっているのは、
①日本初の心臓移植 ②川端氏のノーベル文学賞受賞 ③飛騨川バス転落事故 ④東大紛争 ⑤参議院選挙 ⑥十勝沖地震 ⑦メキシコ オリンピック参加 ⑧寸又峡ライフル魔(きんきろう)事件 ⑨3億円強奪事件 ⑩小笠原諸島返還であった。
  遅い昼食を取った後、私と長倉はユースに戻った。どちらが「相撲しよう」と言い出したのか分らないが、お互いに「君には負けないぞ」と言うのであった。私は高校2年の時、柔道部の連中と柔道場で相撲をした事があったが、決して彼等には負けなかった。又、小学5・6年の時はクラスでトップの方であったし、昔から相撲が好きだった。そんな事で、体格が同じぐらいの長倉と相撲しても、負けない自信があった。でも結果は6回やって私は2度しか勝てなかった。彼は強かった。強い理由を聞くと、彼は高校時代レスリング部に所属し、選手として国体を含む色んな大会に参加し、実績の持主であった。服を脱いだ彼の身体は、筋肉モリモリの体付きをしていた。それに反して私は、数ヶ月間、栄養不足とカロリー不足で力が出ず、負けるのは当然であった。