YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

・パレスチナ人、ヨルダン人そしてユダヤ人の見分け方(私感)の話~ハッゼリム キブツ滞在

2021-12-14 16:05:08 | 「YOSHIの果てしない旅」 第8章 イスラエルの旅
・パレスチナ人、ヨルダン人そしてユダヤ人の見分け方(私感)の話
 所で、六日戦争(第3次中東戦争)でエルサレムの旧市街地を含むヨルダン川西岸地域やシナイ半島をイスラエルが占領したので、私が訪れたベエルシェバ、エルサレム、そしてベツレヘムの一帯はパレスチナ人の他に、多くのヨルダン系のアラブ人も住んでいた。イスラエルは又、複雑な地域であった。
  イスラエル人(ユダヤ人)、パレスチナ人、そしてアラブ人(ヨルダン人)の見分けは、そんなに難しくなかった。彼等の顔は三者とも似ているが、外見はどこかが違って、見分けが出来た。
 パレスチナ人男性はズボンを履いて、長い手ぬぐい(クーフィーヤ=パレスチナの代表であるアラファタ議長が頭に被っている物)を頭に巻いていた。パレスチナ女性は、ワンピースの様な服で、頭に頬被りをしていた。
 アラブ人(ヨルダン人)男性は白衣の長いドレスを着て、頭に白い布物(クーフィーヤ)で頭を覆って丸い輪っかを付けていた。履物はサンダルみたいなものが多かった。アラブの女性は殆どが黒の長いドレスを着て、顔と頭部をベール(ヒジャブ)で覆ったスタイルをしていた。これを「ブルカ」、イランでは「チャドル」と言っていて、彼女達の顔が見えるのは目だけで、中には目をも黒網で覆って、全く顔が見えない女性もいた。履物はスリッパの様なものであった。
 イスラエル人男女の外見は、西欧人が着ている、履いている様な一般的な服装であった。イスラエル人の顔は西欧人に似ている人もいたが、大多数の人は中近東人に似ていた。イスラエル人は大昔、チグリス・ユーフラテス川辺り(メソポタミア)からパレスチナへ移住して来たと言うから、中近東人に似ているのも無理はなかった。そしてイスラエル人は自分達の国を持たなかった所為か、大抵の人はヘブライ語の他にもう1ヶ国語、或は2ヶ国語以上を話せた。