◆2012年5月26日(土)
江古田Flying Teapot(西武池袋線江古田駅徒歩5分/練馬区栄町27-7榎本ビルB1・TEL03-5999-7971)
「忘れてしまう前に」開場18:00 開演18:30 ¥1500+1ドリンクオーダー
出演: 及川禅 with seedmouth、中川一郎、ガリノイズ、小川京子+$tinky Guitar+直江実樹
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忘れてしまう前に「忘れてしまう前に」出演に向けて
2012年5月26日、中川は江古田のフライングティーポットで開催される「忘れてしまう前に」というイベントに出演させていただきます。ぜひ、お越しください。
このイベントは、2010年に逝去された日本のノイズミュージック、サウンド・スケープの鬼才、種口裕人さんの三回忌を期して開催されるものです。
四十代でこの世を去った種口さんのその晩年にあたる時期に、中川は接点を持つこととなりました。その種口さんとのご縁は今に至るも中川の音楽活動を新たな展開に導いてくれていると感じます。
■ 2009年10月 富山前衛行為音楽祭 ・・・ 「旅の終わりは、旅の始まり。」
2008年の暮れ頃でしたでしょうか。種口裕人さんより「第16回前衛行為音楽祭」への出演依頼をいただきました。自分の音源を聴いたうえで、伝統あるイベントにお招きいただき、そして、中川としては1995年に音楽活動を再開して以来、初のツアーということでもあり、実に光栄に感じたのでありました。
2009年3月、種口さんが上京。高円寺の無力無善寺で、種口さんのソロと、シードマウスというバンドでの演奏が行われるということで、中川は聴きにいきました。種口さんに初めてご挨拶し、そして、初めて生で種口さんの演奏に触れる機会ともなりました。シードマウスとして演奏した「ひとのかなしみ」。これが中川が初めて聴いた種口さんの歌、旋律、演奏でありました。清涼感あふれるギターサウンドに、「はかなさ」を凝縮したかのような歌、その印象が深く心に残りました。
2009年10月、第16回富山前衛行為音楽祭出演。イベント前日、イベント当日と宿泊と食事は種口さんのご実家にて、ありがたいおもてなしをいただきました。学生の頃、友達の家に泊めてもらい歓待してもらった・・あの感覚がありました。この富山前衛行為音楽祭のトリをつとめさせていただいた時、「誰にも告げずに、旅を続ける。誰にも知られず、旅を続ける。旅の終わりは、旅の始まり」と、中川は即興で歌うことができたのでした。
2010年5月、種口さんの訃報に接しました。ただただ合掌し、ご冥福を祈念するばかりでした。その後、種口さんを追悼する富山前衛行為音楽祭が2010年10月に開催されることとなり、ありがたいことに中川にも出演依頼をいただきました。光栄に感じました。そして、種口さんの墓参もしよう、そのような思いで。二年連続となりましたが、10月の富山に向かうこととなったのでした。
■ 2010年10月 ・・・ ガリノイズとの同行・・レコーディングの提案
ガリノイズのレコーディング。中川がミキサーをつとめる。
初めて自分以外のアーティストのレコーディングをやってみようというこの突拍子の無い考えが浮かんで、即座に口をついて提案したのは、2010年10月の富山からの帰りの車中のことでありました。今、思い起こしてみると成仏なさった種口裕人さんの導きだったのだと感じます。
2010年10月、種口さんを追悼する主旨の富山前衛行為音楽祭に出演する機会をいただいたのでしたが。
イベントの二週間ほど前、富山への往復のツアーの手配をしたのでしたが、よくわからない理由でキャンセルされたなんてことのあった日の翌朝のことでした。
朝、目覚めてからずっと脳内で種口さんの名曲「ひとのかなしみ」が、それこそすっと、ずっとループして響き続けていた。日常の起床の所作をしている間も、出かける支度をしている間もずっとループしていたのでした。
私にとってのその富山行きの目的が、より明瞭になったのでした。追悼イベントに出演して自分のパフォーマンスを行うことに加えて、種口さんの「ひとのかなしみ」を歌うこと。生前、種口さんとシードマウスというバンドを組んで「ひとのかなしみ」のバックをつとめていたガリノイズの小倉さん、佐藤さんをバックをお願いして、ぼくがあの「ひとのかなしみ」を歌うこと。それが私が行うべき種口さんの追悼なのだということがはっきりとわかったのでした。
ガリノイズの富山行きに同行したい、そして、ガリノイズをバックにして「ひとのかなしみ」を歌いたい。富山行きまで二週間足らずでありました、この私の唐突な提案をガリノイズの皆さんに快諾いただいたのでした。
前衛行為音楽祭の前日に佐藤さんの地元の燕三条のスタジオで「ひとのかなしみ」のリハーサルもさせていただき、佐藤さん宅で一泊。その後、富山に同行。種口さんの墓に参り、そして本番のステージでも「ひとのかなしみ」を勤めることができ、私がするべき追悼を果たすことが手できのでした。
その富山からの帰りの車中で、私は、ガリノイズのレコーディングを唐突にも提案したのでありました。頭の中で「ひとのかなしみ」がループしたことも、ガリノイズに富山行きの同行を打診したことも、ガリノイズをバックに「ひとのかなしみ」を歌ったことも。この唐突なガリノイズのレコーディングを提案することに向けて、種口さんが導いたことだったのではないだろうか。そんな気がします。
■ 2011年2月~2012年4月 ガリノイズ・レコーディング
中川の地元、浦和にあるリハーサルスタジオのような場所で演奏していただいて、それを中川のMTRで録音し、中川がミキシングする。そのような形でガリノイズのレコーディングをはじめたのは2011年の2月からでした。中川にとっては、初めて、自分以外の人たちの演奏をレコーディングし、ミキシングする。そのような習作の機会となりました。
中川が使用しているMTRは、録音したソースのトラックの音を標準的なWAVという音声ファイルに出力できるものであります。なので、いずれ中川のミキシングの技量が上達したら、その際にまたリミックすることもできます。あるいは、ガリノイズの魅力を感じる、より技量の高いミキサー、エンジニアという方が現れれば、その方にソースのトラックの音を託して、リミックスもできます。そのような訳で、後からいくらでもやり直しや改善、向上はできるものであるから、この習作としてのレコーディングとミキシングは始めてしまおう、進めてしまおう。そのような思いで中川はとりかかったのでありました。
一曲目の「凧揚げ」は、ガリノイズが2010年の前衛行為音楽祭でも演奏していた曲でした。中川も、レコーディングするならまずこの曲をと願っていたものでありました。
311を挟み、2010年の富山からの帰りの車中での提案から一年半という期間。以下の日程で、ガリノイズの皆様に浦和にお越しいただき、レコーディングを進めました。一回に1~2回、レコーディングしていただき、中川がミキシングしたものをCDにして。それを各メンバーにお送りして方向感などをうかがって、ミキシングしなおす。そのような段取りでありました。
2011年2月5日、11日 凧揚げ
2011年5月26日 左翼バー
2011年11月26日 火の車
2012年2月11日 月光のブルース、十代の孤独、左翼バー アコギ
2012年4月7日 バージョン、曲順決定
■ 2012年5月26日 「忘れてしまう前に」・・・種口裕人さん三回忌のイベントに向けて
種口裕人さんの三回忌を期して江古田・フライングティーポットで開催される「忘れてしまう前に」というイベント。中川もこのイベントに参加させていただくことになりました。
2010年の種口さん追悼の前衛行為音楽祭以来、レコーディングを通じて深まったガリノイズの皆さんともステージをともにします。
種口さんのおかげでご縁の場に参加させていただけるものであります。
このご縁に応えべく、しっかりとつとめられるよう養生、精進をいたします。
ぜひ、お越しください。
2012年4月11日
中川一郎 aka Ambient_Samurai 拝
江古田Flying Teapot(西武池袋線江古田駅徒歩5分/練馬区栄町27-7榎本ビルB1・TEL03-5999-7971)
「忘れてしまう前に」開場18:00 開演18:30 ¥1500+1ドリンクオーダー
出演: 及川禅 with seedmouth、中川一郎、ガリノイズ、小川京子+$tinky Guitar+直江実樹
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忘れてしまう前に「忘れてしまう前に」出演に向けて
2012年5月26日、中川は江古田のフライングティーポットで開催される「忘れてしまう前に」というイベントに出演させていただきます。ぜひ、お越しください。
このイベントは、2010年に逝去された日本のノイズミュージック、サウンド・スケープの鬼才、種口裕人さんの三回忌を期して開催されるものです。
四十代でこの世を去った種口さんのその晩年にあたる時期に、中川は接点を持つこととなりました。その種口さんとのご縁は今に至るも中川の音楽活動を新たな展開に導いてくれていると感じます。
■ 2009年10月 富山前衛行為音楽祭 ・・・ 「旅の終わりは、旅の始まり。」
2008年の暮れ頃でしたでしょうか。種口裕人さんより「第16回前衛行為音楽祭」への出演依頼をいただきました。自分の音源を聴いたうえで、伝統あるイベントにお招きいただき、そして、中川としては1995年に音楽活動を再開して以来、初のツアーということでもあり、実に光栄に感じたのでありました。
2009年3月、種口さんが上京。高円寺の無力無善寺で、種口さんのソロと、シードマウスというバンドでの演奏が行われるということで、中川は聴きにいきました。種口さんに初めてご挨拶し、そして、初めて生で種口さんの演奏に触れる機会ともなりました。シードマウスとして演奏した「ひとのかなしみ」。これが中川が初めて聴いた種口さんの歌、旋律、演奏でありました。清涼感あふれるギターサウンドに、「はかなさ」を凝縮したかのような歌、その印象が深く心に残りました。
2009年10月、第16回富山前衛行為音楽祭出演。イベント前日、イベント当日と宿泊と食事は種口さんのご実家にて、ありがたいおもてなしをいただきました。学生の頃、友達の家に泊めてもらい歓待してもらった・・あの感覚がありました。この富山前衛行為音楽祭のトリをつとめさせていただいた時、「誰にも告げずに、旅を続ける。誰にも知られず、旅を続ける。旅の終わりは、旅の始まり」と、中川は即興で歌うことができたのでした。
2010年5月、種口さんの訃報に接しました。ただただ合掌し、ご冥福を祈念するばかりでした。その後、種口さんを追悼する富山前衛行為音楽祭が2010年10月に開催されることとなり、ありがたいことに中川にも出演依頼をいただきました。光栄に感じました。そして、種口さんの墓参もしよう、そのような思いで。二年連続となりましたが、10月の富山に向かうこととなったのでした。
■ 2010年10月 ・・・ ガリノイズとの同行・・レコーディングの提案
ガリノイズのレコーディング。中川がミキサーをつとめる。
初めて自分以外のアーティストのレコーディングをやってみようというこの突拍子の無い考えが浮かんで、即座に口をついて提案したのは、2010年10月の富山からの帰りの車中のことでありました。今、思い起こしてみると成仏なさった種口裕人さんの導きだったのだと感じます。
2010年10月、種口さんを追悼する主旨の富山前衛行為音楽祭に出演する機会をいただいたのでしたが。
イベントの二週間ほど前、富山への往復のツアーの手配をしたのでしたが、よくわからない理由でキャンセルされたなんてことのあった日の翌朝のことでした。
朝、目覚めてからずっと脳内で種口さんの名曲「ひとのかなしみ」が、それこそすっと、ずっとループして響き続けていた。日常の起床の所作をしている間も、出かける支度をしている間もずっとループしていたのでした。
私にとってのその富山行きの目的が、より明瞭になったのでした。追悼イベントに出演して自分のパフォーマンスを行うことに加えて、種口さんの「ひとのかなしみ」を歌うこと。生前、種口さんとシードマウスというバンドを組んで「ひとのかなしみ」のバックをつとめていたガリノイズの小倉さん、佐藤さんをバックをお願いして、ぼくがあの「ひとのかなしみ」を歌うこと。それが私が行うべき種口さんの追悼なのだということがはっきりとわかったのでした。
ガリノイズの富山行きに同行したい、そして、ガリノイズをバックにして「ひとのかなしみ」を歌いたい。富山行きまで二週間足らずでありました、この私の唐突な提案をガリノイズの皆さんに快諾いただいたのでした。
前衛行為音楽祭の前日に佐藤さんの地元の燕三条のスタジオで「ひとのかなしみ」のリハーサルもさせていただき、佐藤さん宅で一泊。その後、富山に同行。種口さんの墓に参り、そして本番のステージでも「ひとのかなしみ」を勤めることができ、私がするべき追悼を果たすことが手できのでした。
その富山からの帰りの車中で、私は、ガリノイズのレコーディングを唐突にも提案したのでありました。頭の中で「ひとのかなしみ」がループしたことも、ガリノイズに富山行きの同行を打診したことも、ガリノイズをバックに「ひとのかなしみ」を歌ったことも。この唐突なガリノイズのレコーディングを提案することに向けて、種口さんが導いたことだったのではないだろうか。そんな気がします。
■ 2011年2月~2012年4月 ガリノイズ・レコーディング
中川の地元、浦和にあるリハーサルスタジオのような場所で演奏していただいて、それを中川のMTRで録音し、中川がミキシングする。そのような形でガリノイズのレコーディングをはじめたのは2011年の2月からでした。中川にとっては、初めて、自分以外の人たちの演奏をレコーディングし、ミキシングする。そのような習作の機会となりました。
中川が使用しているMTRは、録音したソースのトラックの音を標準的なWAVという音声ファイルに出力できるものであります。なので、いずれ中川のミキシングの技量が上達したら、その際にまたリミックすることもできます。あるいは、ガリノイズの魅力を感じる、より技量の高いミキサー、エンジニアという方が現れれば、その方にソースのトラックの音を託して、リミックスもできます。そのような訳で、後からいくらでもやり直しや改善、向上はできるものであるから、この習作としてのレコーディングとミキシングは始めてしまおう、進めてしまおう。そのような思いで中川はとりかかったのでありました。
一曲目の「凧揚げ」は、ガリノイズが2010年の前衛行為音楽祭でも演奏していた曲でした。中川も、レコーディングするならまずこの曲をと願っていたものでありました。
311を挟み、2010年の富山からの帰りの車中での提案から一年半という期間。以下の日程で、ガリノイズの皆様に浦和にお越しいただき、レコーディングを進めました。一回に1~2回、レコーディングしていただき、中川がミキシングしたものをCDにして。それを各メンバーにお送りして方向感などをうかがって、ミキシングしなおす。そのような段取りでありました。
2011年2月5日、11日 凧揚げ
2011年5月26日 左翼バー
2011年11月26日 火の車
2012年2月11日 月光のブルース、十代の孤独、左翼バー アコギ
2012年4月7日 バージョン、曲順決定
■ 2012年5月26日 「忘れてしまう前に」・・・種口裕人さん三回忌のイベントに向けて
種口裕人さんの三回忌を期して江古田・フライングティーポットで開催される「忘れてしまう前に」というイベント。中川もこのイベントに参加させていただくことになりました。
2010年の種口さん追悼の前衛行為音楽祭以来、レコーディングを通じて深まったガリノイズの皆さんともステージをともにします。
種口さんのおかげでご縁の場に参加させていただけるものであります。
このご縁に応えべく、しっかりとつとめられるよう養生、精進をいたします。
ぜひ、お越しください。
2012年4月11日
中川一郎 aka Ambient_Samurai 拝