NAKAGAWA-AMBIENT 中川一郎 aka ambient samurai 片言集

2004年以来の中川一郎の音楽活動関係のこと。その他。ambient samurai

岡林信康 1973PM9:00→1974AM3:00 を予約する。

2006-01-31 12:15:33 | 音楽

7年前に、こんなことを記していた。

http://www.asahi-net.or.jp/~JQ9I-NKGW/991014wywwyg.html

実を言うと、その後、それほど、このことをずっと口にしていたりしたわけではないし。その思いは、ぼくが往々にして抱く様々な思いともども、ちぢに散り、埋没し、雲散霧消していた。

今、あるバトンに取り組んでいる。50音ではじまる、自分の思いのある日本の歌・曲の名前を並べてみる。そういうバトンだ。こんな感じで、「あ」から「ん」まで並べるわけだ。「あ
あっ!!:村八分」で、「ん ん?:村八分」と。村八分だけのバトンではないのですが・・。

半分くらいまでは、すらすらと、自分の中で、あれだ、これだというのが出てきて埋まる。しかし、半分を終えたあたりから、唸ってくる。

そして、昨日、唸っていても仕方ないからということで、goo music http://music.goo.ne.jp/
で、自分の思いのあるアーティスト名を検索し、アルバム所収の曲を参照し、埋められるものを埋める。そのようなことをしていたのだ。

「岡林信康」を検索していた時である。未発売のCDが目に入る。

「1973PM9:00→1974AM3:00」。ふとわが目を疑う。ずっと待望し、そして、そのCDでの再発を望むとまで記したあのライブ盤がついに、CD
で再発される。そのことに気付いたのだった。

しばし、バトンは休止。早速、予約を手配したのであった。

確か、メンバーはこのようであった。


歌:岡林信康、ギター:伊藤銀次、キーボード:矢野誠、ベース:細野晴臣、ドラムス:松本隆


74年に、このライブのレビューとかを読んだことがあって、松本さんのドラムスと細野さんのベースが際立っていたというような記述があったように思う。

これまで、このLPの音源は聴いたことがない。1985
年のはっぴいえんど再結成に至る以前の、現役ドラマーとしての松本隆さんの最後のライブ・レコーディング音源となるのではないかということだ。ドラマーとしての松本隆さんのファンであるぼくとしては、春にかけての期待が高まっているのだ。
また、岡林信康の一番好きな時期のライブでもある。待ちに待った、春よ来い、早く来い・・である。

日本のポピュラー音楽史を記述する際に、このライブはある種のぽっかりと空いた空間のような位置にある。フォーク以降、ニューミュージック以前。そのような位置のライブ、そして、その記録としてのライブ・アルバムである。


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000E1NY8A/qid=1138667053/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/250-5734654-5873031

再録:「

このコンテントをディジタルでほしいと表明する潜在的消費者の購買意思表明運動の
可能性---たとえば岡林信康の731231日のライブ盤をCDで・・・とか。

レコードからCD。この流れの中で、やはり良かった。とオーディエンスとして思えることは多いと思います。「ジャックスの世界」というアルバム。アナログ盤は10年以上も廃盤になっていたけれど、CD化されて、今どきの若い人たちはずいぶんとこの素晴しい音源と出会いやすくなったことだろうと思うのです。

ディジタル化して、ネットでアクセスできるような形でアーカイブ化されますと、「ある」「ない」という読者の努力の範囲を超える、あるいはリスナーに超人的探索努力や驚異的な購買力を強いるという既存メディアの問題から、「たどり着く」「たどり着かない」という潜在的読者の「それなりの努力」の範疇の問題に置き換えられるわけであります。

そろそろ、そういうことを呼びかけてみようか・・などと思っております。ディジタル化して、ネットでのダウンロードを可能にしたいもの。それは、やはり、そうでもしないとこれまで絶版になってしまったもの、廃盤になってしまったもの。でありまして、そういうもののリストでもつくり、「ディジタル化されたら、ネットでダウンロードできるようになったら、いくらまで出します」みたいなことを表明したりして、真剣にそういうことを考えている人が一覧できるようになったら、著作権、隣接権をもっている人たちのマーケティング材料にもなるわけであり、コンテントの世界に受注生産方式を持ち込むことになるんじゃないかな。などと思っております。

もしかしたら、そういう新しい形の、「ほしいものを買いたいと表明する」消費者運動とかもすでにネット上で展開されているかもしれませんけれどね。

たとえば、中川の場合、「この一枚を」と問われたら、「この一枚ですよ!」というものがあります。

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岡林信康 19731231日 (千秋楽?) CBS SONY --- うろ覚えなんで
すけれど・・

レコードになっていた時に買わずに、CD化がはじまった時に、「いつかは、いつかは」と思い続けて、何度も音楽ショップに通っては、そのたびに「ああ、まだない・


やっぱり、カネだよ、カネ 2

2006-01-30 09:06:08 | インポート
日本の各地の寺院の鐘の音が、自然音とともに、収められている。

ライブは、ライブ会場においてだけ、あるのではないのだ。鐘の響きは、近所にいくらでもある。


今後、鐘が撞かれる時刻を調べて、そこに鐘の音を聴きに行く。

そういうことを少しずつでもやって行こう。 その響きを、倍音を、空気を、自分の中にただ響かせる。そういう時間を意識して作ろう。

そのように決めた。

今さら感はあるが、気づかずにいくよりも、ましだろう。

Ambient Samurai 中川一郎

タイトルは、多少、受けを狙ったものでした。


やっぱり、カネだよ、カネ 1

2006-01-30 08:51:58 | インポート
何で気づかなかったのだろう。しかし、今、気づいたのだから、一生気づかないまま、過ごすより、多少は、ましなのだろう。

昨日、家族で近所の図書館に行った。CDも貸し出していることに、改めて、今さら、気づく。CDのコーナーで、そこに、これまで、ろくに聴いてこなかったが、ゆたかに響きそうな音、声の数々の存在に気づく。

これ、リッピングしよう。そう思い立ち、貸出の登録をし、カードを作り、とりあえず、五枚借りる。

昨日、外出から帰り、リッピング。今朝から、聴く。

そのうちの一枚。それが、「梵鐘」だった。


「プロフェッショナル広報戦略」の感想。

2006-01-25 17:24:18 | 本と雑誌

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777102998/qid=1138178030/sr=1-1/ref=sr_1_2_1/250-5734654-5873031

2005年9月11日の総選挙は画期的であった。漠然と「画期的だ、でも、難だったのだろう」と物思いに耽っていた今日この頃であったが。この一冊を読んで、わかった。

日本の政治の在り方が、「広報戦略」の導入と展開によって大きく変化した。選挙が、そして、政治が、「広報戦略」に基づく、広報戦となった。それが本質的な変化なのだ。

本書においては、あの選挙において、政治における選択肢がどのように訴求されたのか、「広報戦略」をもとにどのように、仕掛けられ、繰り広げられるのか、その舞台裏、プロセス、狙いが、極めて具体的に開示されている。

「わかりやすさ」に絞り込んで、争点をぶらさず、伝える。その、プロセスとシステムを体系的に整備し、実装し、短期決戦が闘われた。実質的に、対抗党派は、「広報戦略」不在であったことが想像され、この広報戦においては徒手空拳に近いものがあったのかもしれない。

本書の著者の姿勢はフェアだ。マスメディアはこのように働きかけられ、仕掛けられている。そのような理解をもって、日々の報道に接するのと、そうでないのとは大きな違いなのだろう。 当事者である著者が広報戦略のケース・スタディのような形で、あの時何かをやったかを開陳されたのだ。他党派もその気になればこのケースから学び、そのやり方を戦略・戦術ともに刷新することもできるのだろう。その意味でもフェアだと思う。

今後、選挙は、そして政治は、このような「広報戦略」に基づく、広報の仕掛けあいとなっていく。本書において、そのように宣言されたとも言える。

そうした仕掛けられた政治課題、優先順位、争点、論点が主力メディアで繰り広げられる中で、有権者一人一人が政治的な選択をすることになる。選挙をはじめとする政治はそういうものなのだということを改めて認識させられる。
Ambient Samurai -- 中川一郎


Ambient Samurai

2006-01-25 12:51:39 | インポート
英語で自分の音楽活動のことを説明する際に、何か、一言でお前は何ものだ?という問いかけに応えられるフレーズはないかなあと考えていて。

Tetsurohさんに、インスパイアされて、これから、「Ambient Samurai」だと名乗ることにした。

すぐ気が変わるかもしれない。