大橋清隆の政策工房:日本の清流 奥会津の伊南川のアユと南郷トマトと老人福祉の里 2024 

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福島県南会津郡南会津町永田字東俣170  大橋清隆

奥会津の街道  沼田街道

2013-06-30 14:46:51 | 奥会津地方

沼田街道とは
越後街道の気多宮(会津坂下町)を起点として、柳津-滝谷-宮下-沼沢-川口-横田-叶津-只見と只見川沿いに進んだ後、只見川を渡り、さらに黒谷-山口-古町と今度は伊南川に沿って進み、檜枝岐を経て尾瀬沼から沼田領に入り、さらに三平峠を越えて片品村(群馬県)を経た後、終着点の沼田城下へと至る。総道程36里。
口留番所は檜枝岐におかれていた。
この街道は南会津西部の大動脈的役割をもち、柳津・滝谷・宮下で銀山街道と連絡し、叶津から八十里越えで越後三条へ、只見から六十里越えで越後長岡へ、山口から針生を経て田島へ、内川から舘岩・八総などの各村を経て下野街道へと、多くの広がりをもち、物産の流通、年貢の運搬でにぎわった。
尾瀬の歴史は意外に古く、平安時代から知られていたとされる。
片品村の文化財調査委員の大久保勝実さん(83)によると、同村に残る古文書には一一七〇年代から片品村側と会津地域の交易が尾瀬沼周辺を経由して行われていた記録が残っているという。
大久保さんは「木炭や木工品などが片品村側から、会津側からは米や酒などが運ばれ、最初のころは物々交換がなされていたようだ」と説明する。江戸時代には初代沼田城主、真田信幸の代から沼田街道として本格的に整備され、尾瀬沼山荘近くでは約三百枚の寛永通
宝も見つかっている。
木地師文書
http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1264566058429/index.html
尾瀬物語 名前の由来
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~kazuharu/oze-name.htm
私は尾根(おね)を訛り尾瀬(おぜ)と云いと思う。
後白河天皇第3皇子の(第2王子) 高倉以仁王(たかくら もちひとおう)伝説
会津の高倉宮以仁王伝説について
http://www.geocities.jp/rockfish384/tatakai/tatakai17-1.htm
高倉宮以仁王御墳墓考
宮城三平:明治14年(1881)宮内卿より古来諸王の地方伝説並びに墳墓調査が通達されると、これを受けた福島県令三島通庸の依頼で高倉宮以仁王伝説を追い、群馬県一帯から会津・越後の山間の村々を詳細に調査した。
著書に『会津温故拾要抄』『山陵記』などがある。

投稿者:奥会津、南会津地方の風習行事、奇祭、イベント情報のHPのアドレス
         http://www.eclat.cc/home/okuaizuibento/

奥会津の秘湯のホームページ
         http://www.eclat.cc/home/nagatano/

 
山王茶屋レストランhttp://sayurinosato.co.jp/sanno/
 
 
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