次は、
富岡市の【富岡製糸場】へ。
いろいろ回って来て、
もう4時を回っていました。
駐車場のおじさんに「4:30までに入って下さ~い。」と言われ、
あわてて猛ダッシュ
中に入ると…
案内人のおじさんがいらっしゃり…
いろいろ説明していただきました。
今から130年以上前の富岡市に国が初めて製糸工場を作りました。と…
遠い外国から海を越え日本へやってきた黒船。
日本に外国と付き合うよう強く求めた。
その頃のヨーロッパは…
カイコの病気が流行っていて…
「日本には生糸がたくさんあります。」と説明し、
こうして生糸の輸出が始まりました。
外国からの注文がどんどん増え…
しかし、大量の注文にそれまでの手作業だけでは追い付かない上、質の悪い糸を混ぜ売る人も出て…
その結果、日本の生糸の評判が下がり、輸出量も減ってしまった。
そこで…
ヨーロッパの器械製糸のやり方を取り入れ、良い生糸を作るお手本の国が経営する工場を作った。
それが【富岡製糸場】だった。
工場を建てるにあたって明治政府は、養蚕が盛んな長野・埼玉・群馬を見て回り…
↓
何故、富岡?
・良い繭がたくさん取れる。
・生糸に必要な良い水がある。
・地域の人の賛成があり、大きな工場を作る為の広い土地がある。
・器械を動かす燃料の石炭が手に入る。
これらにあった場所が【富岡】だった。
富岡製糸場の建設、経営、器械製糸のやり方はフランス人に教えてもらい…
でも建物を実際に建てたのは日本の大工さん達。
富岡製糸場の建設がきっかけで、日本の生糸は信頼を取り戻し、世界最大の生糸生産・輸出国になった。
こうして、日本の工業化の始まりがこの製糸の器械化だった。
(写りは悪いけど、糸を取る器械。)
(製糸場ができる前の江戸時代の器械。)
↓
日本の工業化、近代化に大きく貢献したので、
【世界遺産】にと、頑張っているそうです☆
後に長野県岡谷市にも建設され…
今日、実家の母に聞いた所、
私の祖父も若い頃、富岡製糸場で働いていたことがあると聞きました。
何か親近感がわきました。
またいつか、岡谷市の製糸場関係の場所へ行ってみたいと思います。