ありのままに…

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群馬へ(3)。

2012-05-06 11:30:42 | 日常
次は、

富岡市の【富岡製糸場】へ。







いろいろ回って来て、
もう4時を回っていました。
駐車場のおじさんに「4:30までに入って下さ~い。」と言われ、
あわてて猛ダッシュ



中に入ると…


案内人のおじさんがいらっしゃり…
いろいろ説明していただきました。

今から130年以上前の富岡市に国が初めて製糸工場を作りました。と…




遠い外国から海を越え日本へやってきた黒船。
日本に外国と付き合うよう強く求めた。

その頃のヨーロッパは…

カイコの病気が流行っていて…

「日本には生糸がたくさんあります。」と説明し、

こうして生糸の輸出が始まりました。

外国からの注文がどんどん増え…
しかし、大量の注文にそれまでの手作業だけでは追い付かない上、質の悪い糸を混ぜ売る人も出て…

その結果、日本の生糸の評判が下がり、輸出量も減ってしまった。

そこで…

ヨーロッパの器械製糸のやり方を取り入れ、良い生糸を作るお手本の国が経営する工場を作った。
それが【富岡製糸場】だった。
工場を建てるにあたって明治政府は、養蚕が盛んな長野・埼玉・群馬を見て回り…


何故、富岡?
・良い繭がたくさん取れる。
・生糸に必要な良い水がある。
・地域の人の賛成があり、大きな工場を作る為の広い土地がある。
・器械を動かす燃料の石炭が手に入る。

これらにあった場所が【富岡】だった。


富岡製糸場の建設、経営、器械製糸のやり方はフランス人に教えてもらい…
でも建物を実際に建てたのは日本の大工さん達。

富岡製糸場の建設がきっかけで、日本の生糸は信頼を取り戻し、世界最大の生糸生産・輸出国になった。

こうして、日本の工業化の始まりがこの製糸の器械化だった。




(写りは悪いけど、糸を取る器械。)



(製糸場ができる前の江戸時代の器械。)








日本の工業化、近代化に大きく貢献したので、
【世界遺産】にと、頑張っているそうです☆


後に長野県岡谷市にも建設され…
今日、実家の母に聞いた所、
私の祖父も若い頃、富岡製糸場で働いていたことがあると聞きました。
何か親近感がわきました。
またいつか、岡谷市の製糸場関係の場所へ行ってみたいと思います。


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