「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

極寒の地で 1

2006-05-13 19:26:28 | Weblog
 初年兵は忙がしかった。歩く時は3歩以上は駆け足だった。いつも駆け足みたいにサッサッと走るようにしなければならなかった。 正月前だったか、大掃除があった時に、通信講堂への廊下には天井から、つららがぶら下がっていた。それを棒の先でコツンコツンと叩き折って行った。又、便所当番に当たると2人で12センチ角位の木を持って行き、大便が上を向いて槍のように突っ立っているのを突き崩すのだ。寒さでコチンコチンに凍って、尖がっているので、高くならないうちに木の棒で突き崩さないと、しゃがんだ途端にお尻をグサリとやられてしまう恐れがあるのだ。2人でヨイショ、ヨイショと突き崩すうちに氷のかけらが顔にかかる。その時は臭いも何もしないが、終って班に帰ると、それが解けてウンコの臭いがしてくる。「お前、臭いぞ」という事になる。 満人の農夫がその凍ったのを、引き取り、ソリに乗せて自分の畑に撒いておく。春になり、解けて、あっち、こっちに糞の塊が散らばっている。 野外演習に行き、「散れ!」で解散して、伏せの姿勢になるのだが、そこにウンコがあったりすると、面食らってそこを外そうと一寸もたつくと、「貴様!何をしとるか、遅いぞ!」と上等兵から怒鳴られたりする。 よく笑い話に、小便をすると直ぐに凍ってしまうのがあるが、地面に落ちると直ぐ凍る。終ってから、ボタンをキチンと留めないと、息子が凍傷にかかってしまう。これはくどい程注意された。 とにかく寒いことは寒かった。素手で金物を握るとピシャッと貼り付いて、剥がれなくなるという事だった。軍用トラックに乗って演習に行く時も、荷台の上で1,2,1,2、と足踏みをしていなければ凍傷にかかるといわれた。 又、耐寒検査があった。初年兵を営庭に整列させて、号令と一緒にそばに用意した、バケツの水に左手だったと思うが突っ込んで、頭の上にかざす。すると、指の上の方からローソクの色のように変色していく。「痛くなったら知らせろ!」と監視の上等兵が言う。5秒、10秒、15秒するとあちこちから声が出る。上等兵が駆け寄って手の状態を検査して、氏名を記録する。私は1分くらいだったかな。まあ人並みだった。 「検査の済んだ者は、手をこすれ!」前もって注意のあったとおり、ローソク色になりかけた指を一生懸命こすり続ける。そのうち感覚が戻り、赤味が出てくる。こうした耐寒検査によって、転属先が決まると言っていた。 私も家に居る時は、よくしもやけができたので、凍傷には気をつけた。靴下は乾いた物と毎日替えた。手の甲に一寸しもやけみたいなやつができたので、これは困ったと毎日こすっていたら、広がらずにそのうち跡形もなくなった。
靴下も洗濯しても乾かないこともあったが、その時はベッドの中に入れて、寝ると朝までには乾いていた。 編上げ靴の紐も、明日服装検査という時、急いで洗ってベッドの中に入れて、朝、起床前にそっと目を覚まして、音のせぬように手探りで通しておいたこともあった。

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