「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

西部七十五部隊 (2)

2006-04-25 23:10:29 | Weblog
 海軍の水兵さん達が教官らしい人に追いまくられて駆け下っていった。福崎観音様は裾の道端に並べて祀ってあった。
夜は消灯ラッパでベッドに寝た。ここの消灯ラッパは今まで聞いたうちでは一番上手に思えた。あの最後の長く尾を引いたところがとても綺麗で悲しかった。電信第六連隊の消灯ラッパはこれと比べたらとても下手くそで感情も何もなかった。家庭、家族と離れた年老いた召集兵達は冷たいベッドの中で、この消灯ラッパを聴いて眠りに誘い込まれていくのだった。
 そうして半月程経った頃「今度、お前たちに本月20日の日に面会が許されることになった。家族の有る者は面会に来るように葉書きを出してよろしい。」と班長が伝えた。言葉の裏に何か有るような気がして、皆、故郷の家族に葉書きを書いた。
 面会の日はどんな日和だったか、多分晴れだったろう。営庭は朝から一杯の人々で賑わった。私も名前を呼ばれて面会所に行った。面会所といっても営庭のひとすみだが、下有佐のお父さんと和子をおんぶしたアヤ子がネンネコを羽織って来ていた。何を話したかよく覚えていない。しかし、和子が「トウチャン」と呼んだのだけは今でもはっきり耳の底に残っていて、思い出す度に頭がジーンとしてきて たまらなくなる。
下有佐のお父さんは煙草が好きだったから班で支給された「ほまれ」とその他に販売所から買って来て渡したことを覚えている。私達の周りにも幾組かの人達が語り合っていたが、すぐ隣に若い伍長さんと奥さんらしい人が特に目にとまった。きっと新婚早々召集されたんだなーとかわいそうに思った。面会時間はそう長くなかったようで3人は帰って行った。面会があった次の日から急に忙しくなって 軍服も戦闘帽も新品で今度は大体身体に合ったもの、背嚢、水筒、雑嚢等が支給された。21日にはグリスで錆止めされ、白い布に巻かれた99式歩兵銃が各人に渡された。その日の午後、営庭で記念写真が撮られ、夕方から壮行会が開かれ、こも被りの酒が出た。又班長から「お前達はこれから他の隊に行くが、行ったら先輩の事は絶対に言ってはいかん」と注意があった。それから、隊の人が「白衣の天使」を寿ゝ木米若節で浪曲をやってくれたが声量も豊かで質もよく、皆うっとりと聞きほれた。
 


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