「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

暗号書受領 1

2006-07-22 22:24:28 | Weblog
 ある日、分隊長から中隊本部に行って、[暗号書(乱数表)を受領して来い]と命ぜられて、1人でセチレイに公用外泊証を貰って出かけた。
 帯剣と雑嚢姿で工兵隊の車に便乗させてもらって、山を下り、ビルンから汽車に乗る。駅には大勢の現地人が食事をしながら、列車の到着を待っているのだが、何時何分に到着するのかと聞いても、「分からん」という返事。当てにして、当てにしないで、来た時が来たという具合だった。それを当てこんで駅の付近には、食べ物屋が屋台を並べていた。
 それでもとにかく、汽車に乗れたが、箱の中は現地人が一杯。座る場所が無いので立っている。こんな時、「こいつ、殺してやろうか」など話し合われても、現地語を知らないと、サッパリだ。全身、耳といった感じで乗って行く。
 この汽車は軽便鉄道を一寸大きくしたもので、機関車はゴムの木の薪を焚いて走る。火の粉が飛んできて、現地人の上着にとまり、ジリジリと焼けたりするので、この方も油断がならない。
 速度がだんだん緩んできて、そして駅でもない所に停まってしまった。
 「坂だから停まったんだ、男の人は降りて押してくれ」と言うので、男は老人、子供を残して全部降りて、ヨイショ、ヨイショと押す。私も降りて押し方だ。坂を上りつめると、下り坂。
 「早く乗れ」と言うので慌てて飛び乗ると、だんだん速度が速くなる。汽車の後押しは生まれて初めてだった。
 ランサに着く。この狭い鉄道はここまでで、メダンに行くには乗り換え。これからのは機関車も客車も日本の汽車と同じで懐かしかった。
 セチレイ駅で停まってくれない。しまったと思って客車のデッキに出て、
 「停まれ、停まれッ」と雑嚢を振りながら叫んだら、暫らく停まってくれた。スタコラサッサと下車して後も見ずに、列車と直角の道を走って行った。
 通りがかりの兵隊に道を尋ねてやっと中隊本部に辿りついた。本部でその旨を告げると、
 「お前の宿舎に行くには宮原隊長の宿舎の横を通らねばならぬのだから、隊長の姿が見える見えないにかかわらず、官等級氏名を言って通るのだぞ」と教えられた。
 何か曲がりくねった道を通って中隊長の宿舎の横に来て、家の中を見たが、誰も居そうに無かったが、それでも直立不動の姿勢で敬礼をして、声を張り上げ、
 「タケゴン分隊陸軍一等兵斉藤永松、通ります」とやったら、何処からか
 「ヨーシ、通れ」と答えてきた。クワバラ、クワバラ。
 宿舎は粗末な兵舎で、木のベッドで眠る。どの位眠ったか分からないが
 「非常呼集っ!」の叫び声、パッと起き上がって上着、軍袴、帯剣、巻き脚袢、戦闘帽で外に出る。石油タンクの向こうが、真っ赤に染まっている。製油所が爆撃を受けたらしい。こちらはどうする術もない。ただ黙って立ってみているだけだった。

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