「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

スマトラ へ

2006-06-19 19:36:29 | Weblog
 7月9日、昭南(シンガポール)に10日間いて、もうアメーバ赤痢保菌者がいないということが分かると、軍用貨物列車で昭南駅出発。貨車は家畜輸送用のものに、筵(むしろ)を敷いたものであった。
 ここで初めてパパイヤを食った。現地人から同車の兵隊が、美味しそうだったので買ったのだが、車内に持ち込んで、恐る恐る一切れづつ食べたが、何か変な味がして、美味しいとは思わなかった。それで残りは車外に放った。
 また、向こうで別の者が果物みたいなのを切った途端、卵の腐ったような臭いが車内に充満した。
 「臭いぞ!」
 「何やっているんだ、捨てろ!」と、総攻撃を受けて捨ててしまったが、実はこれがドリアンだったのである。
 私達、パパイヤを食べた連中は下痢をした。列車が停まると急いで飛び降り、そこらの草むらの影でやった。やっている最中、列車が
 「ピーッ」といって、ゴトンと動き出すと
 「オーイ 早く来い…」尻拭いも中途半端で列車に飛び乗った。私も2回くらいやったが、他の者もやっていた。
 昼頃、クアラルンプール駅着。駅は寺院みたいな建築様式であった。駅前の広い公園を通って司令部に行き、昼食糧秣受領。何かの入った(何であったか記憶にない)バケツを下げて帰った。
 7月10日、クアラルンプールの西方、マラッカ海峡に面した、ポートセッテンハム着。
 7月14日、ポートセッテンハム港出帆。この港は大した設備もなく、軍装しての縄梯子の乗船はフニャフニャして上りにくかった。
 マラッカ海峡は浅いらしく、なにやら濁っていた。
 ヘラワン港で「菊丸」という30トン位の焼玉エンジンの船に乗り替えた。
 「ここまで来れば潜水艦は大丈夫だよ」と船長は言った。途中で浅瀬に乗り上げたりしながら、やっと…
 7月16日、スマトラ島、テルクニホンに上陸。
 そこから汽車でメダンヘ。

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