「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

電信第六連隊 7

2006-05-07 12:57:52 | Weblog
 集合の時、命令が出る。
編上靴、巻脚袢!」この時は編上靴を履いてから、その上部を覆って巻脚袢を巻くことで、靴の中に土砂は入らないが、
巻脚袢、編上靴!」ときたら、巻脚袢をしてから編上靴を履くのですぐ脱ぐことができる。最初はこの命令の区別がつかず弱った。 執銃訓練は38歩兵銃であった。私達が佐世保から持ってきた99式歩兵銃はどうなったか分からない。
営庭は一面凍てついて、10糎(センチ)位のヒビ割れが続いていた。疑せい弾を使う時なんか弾倉から薬きょうが跳ねて、その割れ目に入ったらとても取れそうにもなかったので恐ろしかった。
昼夜反対訓練というのがあって、1週間、朝9時消灯、ベッドに入って日が照っているのにカーテンを閉めて眠る。夕方6時起床、飯上げ、点呼、作業、夜の12時に昼食、作業4時終わり、6時夕食という具合にやる。切り替えの終わりが身体がついていけず、戸惑いを感じた。昼間に、やはり不寝番がついた。 不寝番は1晩を2交代でやるのだが、初年兵と古参兵とが組だ。が、古参兵は初年兵が「交代です」と起こしてもなかなか起きてくれず困ったものであった。 不寝番についたら、舎外の温度計を見て、日誌につける事になっていたが、ある時「お前見てこい」と言われて出て行って見ると、マイナス45度になっていた。これは私が見た最低の温度である。
夜間演習があった。いつもの防寒具の上から、防寒外套、防寒手套(親指と後の4本分が一緒になったもの)《ミトンかな?》、防寒頭巾(毛糸で編んだ頭からスッポリ覆り、目の所だけが空いているもの)、防寒脚袢を着ける。どこか満人の横に屯(たむろ)していたが、腰を下ろすとジワジワと雪が解けてくる感じだった。
夜間行軍も大変だった。軍歌「雪の進軍」そのまま、「何処が川やら道さえ知れず」の通り、雪の下の窪みにスッポリ踏み込んで、腿まで埋まったりして行く。小高い丘の上から遥か彼方にボンヤリ霞んだようにみえる電信第六連隊の営門の2つの灯りは何か懐かしいものを感じた。

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