「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

英兵

2006-09-29 10:34:48 | Weblog
 作業場で私が接した英兵の大部分は学問の程度が低かった
 「学校には何年まで行ったか?」と聞くと「3年まで行った」「それからどうした?」「炭鉱で働いていた。今度兵隊でお金を貯め、帰ったら又行くつもりだ」なんて20歳位のが答えた。大学に行くというのではなくて、小学4年に行くというのだ。
 それで掛け算の九九も理解できない訳が分かった。
 荷物のラベルも逆さに置いてあれば読めないし、斜めであれば顔を斜めに傾けるし、縦に置いてあれば顔を真横にして読む者もいた。
 こんな状態だから、いろいろとゴタゴタがある時には交渉がはかどらない。訳が分からないのだ。こんな時には
 「将校を呼ぼう」と提案する。将校はさすがに教育を受けているので、話はよく分かった。
 日本の義務教育制度の普及徹底の効果は抜群であり、普通教育の程度はおそらく世界一ではないかと話し合った

 これは英軍戦死者の遺骨収集に行ったときのこと、
 1回目は小高いスロープの丘の英軍戦死者の墓地に白木の十字架の墓標が5列位並んでいる横に、新しく長さ1・5m、幅50cm、深さ50cm位の穴をスコップで掘らされた。全部で30柱分ほど用意された。
 2回目は英兵のジープに乗って、3人で遺骨掘りに行かされた。とある所で車を停めた英兵が地図を見ながら、「ここを掘れ」と指図した。そこらの土は少し掘ると脂の付いた肉の様な色をしていたので、白い土や石にあたると《出たか?》とオッカナビックリで《何も出ませんように》と祈りながら約30cmほど掘ったところ、英兵が「作業終わりだ」と言ったので《やれやれ何も出ずによかった》とジープに乗った。
 この埋葬の情報は、華僑の知らせによるものと言われていたが、真偽は怪しかった。遺骨の出た所の作業をした者は臭いが気になって昼飯がまずかったと言っていた。
 墓地に行って休憩をしていると1台、2台とトラックが着いた。幌の着いた荷台から毛布に包まれた遺体が英兵によって地面に降ろされた。穴の所に持って行って静かに降ろした。毛布は真新しい純毛のようであった。
 私達日本人は丁寧に扱ったが、英兵達は粗雑だった。穴の中にすっぽり入らない時は軍靴で踏んづけて押し込むこともあったと言う。私達は
 「乱暴なことをするもんだ」と話した。