「私の従軍記」 子供たちへ

平成元年父の誕生日に贈ってくれた本、応召されて帰還するまでの4年間の従軍記を今感謝を込めてブログに載せてみたいと思います

産婦人科病院作業 1

2006-09-18 18:16:03 | Weblog
 ある時、産婦人科病院に作業に行った。ここは元日本の海軍の病院だったという。聞けば従業員の現地人が共産党の指導で、ストライキをやったので、その埋め合わせに我々が狩り出されたのだ。
 ここの看護婦長さんはオランダ人とかで、肉体美の大柄の人だったが、我々を整列させて魅力たっぷりなゼスチャーで何か言って、唇を兵隊の顔の10cm位まで近づけてくるのだった。
 私がその日割り当てられたのは、便所の掃除。水洗便所は新聞紙や汚物でつまり、汚水が廊下まで溢れていて、足の踏み場も無いほどであった。ここの病室は現地人や黒人で満員のようで雑然としていた。
 詰まった物を取り除いて、別の容器に移して通水するとようやく使用できることになった。これで午前中は終わり。
 午後は床掃除で終わりであったが、行った場所によっては昼飯をご馳走になった者もいたという。よく働くからということで、この班はまた次の日も割り当てられ、その後も続いた。
 私は次の日は手術室の掃除。近く手術があるらしく磨いて消毒するのだという。30坪位の床を1人で磨かされた。膝をついて雑巾がけを2回、支那人の若い看護婦が指図したが、終わり前にコップに牛乳を入れたのを持ってきて「はやく飲め」と手振りをした。飲み干すとコップを持ってどこかに行ったが、すぐ帰ってきて掃除の検査をして 「OK」と言った。
 その日だったか、看護婦の宿舎の横を通ったが、支那人の看護婦が5,6人いて私たちに笑顔で話しかけたが、よく意味が通じなく、又こんな所でウロウロしているのを監督に見つかると大変だからと急いで立ち去った。
 ここらの女の出産は、陣痛が始まると分娩室に運ばれるのだが、痛みがくる度に大声で泣き叫ぶのが通例だ。
 「ソーラ始まったぞ」と聞いているとだんだん激しくなる。そしてピタッと止む。「生まれたな」と分かる。生まれた子供はどれも赤い顔をしていた。そして猿によく似ていた。
 「モンキー、サマサマ(猿のようだ)」と思わずある兵隊が言ってしまったのでずいぶん怒られたそうだ。
 白人は個室に入っていた。掃除に行ったら女が「ナース」と言ったので看護婦を呼びに行ったこともある。後でその部屋の前を通ったら、ドアが開いていて夫と思われる人がいて、何か話をしていた。