スポーツエトセトラ

スポーツ(主に野球・ラグビー)に関するさまざまな資料やデータをご紹介していくブログです。ぜひお楽しみください。

大阪桐蔭出身プロ野球選手一覧【前編】

2020-06-07 08:33:39 | 大阪桐蔭出身プロ野球選手
名門校出身のすべてのプロ野球選手を一覧にして表すシリーズの第3弾は、
大阪府の大阪桐蔭高校です。

甲子園に春夏合わせて20回出場にして、優勝8回。
特にここ数年は必ず上位に進出するなど、現在の高校球界を代表する強豪校です。
プロにも、多くの選手を輩出しています。

大阪産業大学高等学校の大東校舎として1983年にスタートした同校の歴史。
88年に「大阪桐蔭高等学校」として分離独立すると、
以降は野球部強化に本格的に取り組んでいきます。

1991年のセンバツに初出場すると、いきなりベスト8に進出。
その年の夏の選手権では、初出場初優勝の快挙を成し遂げました。



大阪桐蔭としての事実上のプロ第1号は、今中慎二と桐山明佳のバッテリー。
3年生時に校名が変わりました。今中はのちに、球界を代表するサウスポーとなっています。

91年夏、大阪桐蔭は夏の甲子園で初出場初優勝を達成。
その原動力となった主砲・萩原誠は地元・阪神に進むも活躍はできませんでした。

92年から01年までの10年間、大阪桐蔭は甲子園から遠ざかり危うく「一発屋」になりかけますが、
その間も大阪大会では上位進出の常連となり、プロ選手も多数輩出しています。

94年度卒の川井貴志はロッテ時代はセットアッパー、
楽天では谷間の先発と、40歳まで細く長く現役を続けています。
95年度卒の森本学は主に内野の守備固めとして起用されていました。

01年の夏の大阪大会で、大阪桐蔭は10年ぶりに決勝へ。
惜しくも準優勝に終わりますが、主砲の中村剛也は一発長打が魅力のスラッガーとして、西武の4番に定着。
「おかわり君」の異名を頂戴し、19年までに6度の本塁打王に輝いています。

同期の岩田稔は先発ローテの一角に加わり、
08年には10勝をマーク。その後も7勝以上を5度記録するなど安定した成績を残しています。

02年、大阪桐蔭は11年ぶりに甲子園の大舞台に帰ってきます。
そのときの主砲・西岡剛はロッテで早くから遊撃のレギュラーに定着。チームの中心選手として活躍しました。
その後はメジャーを経て、阪神でもプレーしています。

05年夏、甲子園でベスト4と久々に上位に進出した大阪桐蔭。
5本塁打を放った強打者・平田良介はプロでは攻守に安定したプレーを見せてチームに貢献。
現在も主力選手としてチームに貢献しています。

次回は後編です。

プロ野球・出身地別人数一覧【地域別】

2020-06-01 08:41:39 | プロ野球出身地別人数一覧
プロ野球選手の出身地別の人数を紹介するシリーズの最終回では、
関東、近畿などの地区ごとにまとめて表してみました。



どの球団も、関東・近畿・九州出身選手の割合が多いことが分かります。
本拠地が東に偏っているパ・リーグの方が、関東や東北出身の選手が多いように思います。
逆にセ・リーグは近畿出身者の比率がやや高めでしょうか。

巨人やヤクルトは在京球団ながら、
関東よりも近畿出身者が占める割合が高くなっているのは面白いですね。
逆にオリックスは大阪の球団ながら、関東出身者がもっとも多くなっているのが特徴です。

中日は東海地区、ソフトバンクは九州出身と、地元及びその周辺の選手をしっかりと集めていますね。
それぞれ愛知、福岡だけでなく、東海、九州と地域全体をホームタウンとして考えている、ということでしょう。

ちなみに、昨年度の各地区の人口を、出身選手の人数で割ってみましたので、以下に紹介します
(総務省統計局が発表した人口を参考にしています)。

北海道・東北…17万9556人に1人
関東…20万4812人に1人
北信越…17万6432人に1人
東海…18万7890人に1人
近畿…10万9000人に1人
中国…14万340人に1人
四国…16万7197人に1人
九州…9万3547人に1人

全体的に西日本、特に近畿と九州が人口比で多くのプロ野球選手を輩出していることが分かります。
関東は人口を考えると、実はそれほど多くはありません。

最後に、参考までに都道府県ごとの人数のランキングベスト10を発表します。



金色がその球団で1番目に多い地域、銀色が2番目です。

機会があったら、タイトルホルダーごと、通算成績などの
出身地の比率なんてものも調べてみようかと考えています。