スポーツエトセトラ

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産業対抗野球大会史(1)前史

2020-06-12 08:50:08 | 産業対抗野球史
本日からは恐ろしくマニアックなシリーズをスタートさせます。
その名も「産業対抗野球大会史」です。

といっても、ピンとこない方の方が圧倒的に多いはず。
1951年から73年まで、社会人野球のビッグイベントとして行われていた大会です。
当時は「サンベツ」の愛称で、野球ファンから親しまれていました。

かつて、社会人野球では真夏の球宴・都市対抗野球大会に加え、
球音の到来を告げる春のサン大会(選抜都市対抗野球・現在のスポニチ大会)、
そしてシーズンの掉尾を飾る秋の産業対抗が「社会人野球三大大会」と呼ばれていました。

産業対抗が開催されることになった理由として、戦後復興に沸き立つ当時の日本産業界の好況がありました。
すでに、全国の鉄道管理局の約30の野球チームによって1921年から鉄道野球大会が行われていましたが、
戦後まもなくからは、日本の産業を支える存在となっていた炭坑チームによる野球大会が
日本石炭協会を中心に、政府や毎日新聞の協力のもとにスタート。

また、日本鉄鋼連盟も鉄鋼会社による全国規模の野球大会を企画していたほか、
電気や自動車業界においても、同業種の企業による全国規模の野球大会の開催熱望の声が上がっていました。

全国民が復興に向けて邁進する中、産業の発展、業界の親睦・融和を図るべく、
1951年10月、日本産業界を挙げた野球の祭典として、「日本産業対抗野球大会」のスタートが決定したのです。

第1回の主催は日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)、産業野球連合会の共催。
後援は通産省(現・経済産業省)、文部省(現・文部科学省)、運輸省(現・国土交通省)、大蔵省(現・財務省)の各省。
さらに日本経営者団体連盟、経済団体連合会、そして毎日新聞社と、そうそうたる顔ぶれで華々しく幕を開けます。

第1回に参加した産業は国鉄、炭鉱、鉄鋼、化学肥料、石油、電力・ガス、鉄道運輸、紙・パルプ・新聞・通信、綿紡績、化学繊維、造船、
建設、金融、醸造・食品、金属鉱工業、電気機械、官業公社、化学工業、産業機械、百貨店商業、電信電話、自動車の計22部門。

会場である後楽園球場を目指して、それぞれの部門で予選を実施。
その代表となったチームは業界の親睦・融和を目指すものとして、各部門で敗れたチームから
都市対抗と同様に、選手を「補強」することが可能でした。

次回は第1回大会から4回大会について書きます。