スポーツエトセトラ

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横浜高出身プロ野球選手一覧【Part1】

2020-05-22 08:35:13 | 横浜高出身プロ野球選手
PL学園に続く、名門高校出身の全プロ野球選手を調査するシリーズ。
その第2弾は、神奈川県の横浜高等学校です。

こちらも、2007年に「アマチュア野球」(日刊スポーツ出版社)で紹介したものです。
その後にプロ入りした選手を新たに追加しています。

PL学園と違い、08年以降も多くのプロ野球選手を生み出し、
今も多くの現役選手が活躍しています。



Part1は1963年度卒~84年度卒まで。

横浜高は63年夏に甲子園に初出場し、いきなりベスト4に進出。
その後は10年間の雌伏を経て、73年のセンバツで初出場初優勝を成し遂げ、
さらに80年の夏には全国制覇を果たすなど、全国区の強豪に躍り出ています。

初出場時のエースでプロ入り第1号の井上健仁は活躍できませんでしたが、
主力野手の佐野勝稔は大学を経て、プロでは定位置獲得まであと一歩に迫りました。
初出場時に2年生で2番手だった平岡一郎は、左のワンポイントとして積極的に起用され、
「王キラー」の異名をとっています。

65年度卒の飯田幸夫は俊足と強打を武器に、
近鉄ではレギュラークラスとして活躍しています。

72年度卒の青木実は代走、守備固めがメインで、規定打席到達こそ果たせませんでしたが、
81年には34盗塁をマークしてタイトルを獲得するなど、一瞬の輝きを見せました。

73年のセンバツ初優勝時のエース・永川英植は横浜高初のドラフト1位指名を受け、
大型右腕として期待されたものの一軍では活躍できず。
1位指名第2号の中田良弘は阪神では先発にリリーフにと起用され、
二ケタ勝利を2度マークするなど結果を残しています。

中田の1学年下の吉田博之は南海で正捕手として活躍しています。
甘いマスクの持ち主で、人気もありました。

80年夏の甲子園優勝投手で、鳴り物入りでのプロ入りとなったのが愛甲猛。
83年に中継ぎとして48試合に登板するも、翌年に打撃センスを活かして野手に転向。
一塁のレギュラーに定着すると、88年から3年連続で二ケタ本塁打、
89年には打率3割をマークしています。

76年から82年まで、横浜高からは7年連続でプロ選手を輩出。これは同校では最長記録です。
しかしこの間にプロ入りした10名中、一軍出場ゼロは6名に終わっています。


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