まだまだ尽きない情熱― 退団のロッテ池田寮長、あっという間の49年
70歳の元寮長兼打撃投手が踏み出す新たな一歩
4月30日の夜。部屋は熱気で充満していた。ロッテ浦和寮の寮長の部屋には次から次へと人が集まっていた。翌5月1日は池田重喜寮長兼打撃投手の70歳の誕生日。お祝いにと寮生たちが次々とドアをノックした。故郷の地酒をプレゼントする選手もいれば、誕生日ケーキを持ち込んだ選手もいた。みんなで、古希を迎える寮長の前祝いを行った。
「こうやってみんなに祝ってもらえて、ありがたいなあ、嬉しいなあ」
お酒の強い男が珍しく酔っ払っているようだった。感謝の言葉を述べ、寮生たちに、これまで何度も披露している自身の昔話を語り出した。
生まれたのは戦後翌年の46年。11人兄弟の末っ子だった。大分県の津久見高校で2年夏に甲子園出場を果たした。67年にドラフト4位で大洋に入団。71年にロッテに移籍し、77年まで投手として現役でプレー。通算成績は155試合に登板して13勝12敗。ただ、その現役生活は濃密なものだった。
当時・阪神で同じ年の田淵幸一氏にプロ1号を打たれた話。あの江夏豊氏からピッチャーながらサヨナラ打を打った武勇伝(68年6月14日、東京)。伝説のON砲と対戦したエピソード(王氏に8打数1安打1奪三振、長嶋氏には16打数4安打1本塁打1奪三振)。「あんな大打者と対戦できたのだからね。今思うと長嶋さんにホームランを打たれて良かった。王さんに打たれていないのが残念だなあ」と茶目っ気たっぷりな表情を見せると場は笑いに包まれた。
レジー・ジャクソンから4打席4三振、感嘆上がる秘話
ロッテが米アリゾナでキャンプを行った際の練習試合では後にヤンキースで563本塁打を放つレジー・ジャクソン(当時アスレチックス)から4打席4三振を奪った。この話題に今度は感嘆の声が上がった。その後はコーチや裏方としてロッテを支え、00年に寮長に就任した。コーチ時代も、寮長になってからも練習では若手選手に投げ続け抜群のコントロールを披露した。ならばと12年より2軍打撃投手を兼務。そして70歳を迎えてなお打撃投手の仕事を全うした。
「プロ入りして49年。ロッテに入って44年。こんなに長いこと、野球に携わらせていただけるとは思っていなかった。現役を終えた後もトレーニングコーチ、育成コーチ、チームスタッフ、そして寮長を17年間やらせてもらった。本当に幸せな日々だったよ」
そんな寮長も今年11月30日を持って退団をすることになった。11月23日。ファン感謝デー参加のため選手たちが寮からマリンに向けて出発する前に、寮の駐車場に全員集合をかけた。この日が事実上、寮生全員が寮に集合をしている最終日。いつもみんなで朝の体操を行った想い出の詰まる場所に全員を集め、今年限りで仕事を離れることになったと伝えた。そして最後の訓示が始まった。それはこの17年間、変わらずに寮生たちに言い続けてきたこと。最後の日もいつもとまったく同じだった。
「毎日言ってきたことだけど、くだらないことで評価を下げて、損をするなよ。人に好かれる必要はない。でも嫌われるなよ。そのためには、まずは挨拶。そして約束の時間を守ること。とにかく人として当たり前のことを当たり前にやること。人間、まずはそこからだからな。朝食はしっかりととる。部屋の整理整頓をする。部屋を出る時は電気を消す。そういう当たり前のことの積み重ねが人生では大事だからな」
「勝負の世界は厳しいヨ」―、寮長が残した言葉
息子、いや孫のように愛情を持って接した寮生一人一人の目を見ながら、最後にもう一度、人としてのあるべき生き方を伝えた。
情の人だった。生活態度が乱れがちな選手を見ると、あえて大声を出して怒ることはしなかった。自分たちで気が付いてほしかった。だから、その選手の部屋に直筆のメッセージを添えた紙を貼った。
「勝負の世界は厳しいヨ。寮長」
達筆な字で書かれた短い言葉に部屋に戻ってきた選手は何度となくハッとさせられ、自分の行動を思い直した。それは40年以上もプロ野球界で生きてきた人間だからこその含蓄溢れる言葉だった。
最後もまた多くの人が集まった。12月6日、栃木のゴルフ場で送別会を兼ねたゴルフコンペが催された。台湾ウィンターリーグに参加しているメンバーなどを除く12人の寮生が参加。70歳に達するまでの長きにわたってプロ野球の仕事に携わり、自分たちにとって父親のような存在だった寮長をみんなで慰労した。晴れ渡る空の下、前半に2つのバーディーをとるなど92のスコアでまわった。プレーをしながら、ずっと寮生たちと思い出話をしては盛り上がった。
アマ選手指導のため講習会を受講、「老後がとても楽しみ」
「もちろん、色々なことがあったよ。人生、ならせば平らになるというけど、辛かったことの方が多かったように思う。でもこれまでを振り返るとあっという間。本当にあっという間。ということはやっぱり、幸せだったんだよ。それだけ充実した毎日を過ごしたということだよ」
それから数日後。プロ野球経験者が学生を指導するための学生野球資格回復制度のプロ側研修会の会場に池田氏の姿があった。アマチュア選手を指導する資格を手に入れるため、講習会を受けた。「老後がとても楽しみ。これからは若い子たちに教える活動もしてみたいんだ」。新たな一歩に夢あふれる表情を見せた。
思えば、現役引退した後、近所の少年に「プロ野球選手だったんでしょ! キャッチボールをして」とせがまれた。そして最近、散歩をしているとまた近所の子供に「キャッチボールをしてほしい」と頼まれた。よく話を聞くと昔、キャッチボールをしてあげた子供が大人になり、そして結婚して生まれた子供だという。
「ずいぶん長い時間が過ぎたんだなあ」。池田氏は思わずその場で立ち止まり、感慨深い表情でしばし、長い旅路を振り返った。いろいろな出会いがあった。充実した幸せな日々だった。そして、そばにはいつも大好きな野球があった。マリーンズのユニホームは脱いだ。ただ、情熱はまだまだ尽きない。
マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara
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ロッテ戦力外の青松が引退決断 「本当にありがとうございました」
今オフ、ロッテを戦力外となった青松敬鎔内野手が22日、現役引退を表明した。自身のブログで「この度現役を引退する事に致しました」と報告した。
2004年のドラフト7位でロッテに入団。06年に1軍デビューを果たしたが、その後は1軍の出場から遠ざかり、15年の13試合の出場がキャリア最多だった。今季は1軍での出番がなく、戦力外通告後は12球団合同トライアウトも受験していた。プロ通算12年間で26試合に出場し、打率.214、1本塁打、5打点だった。
引退を決断した30歳は「12年間、ロッテグループ、千葉ロッテマリーンズ球団関係者の皆様、そしてチームの力になれないどうしようもない自分を応援していただいたロッテファンの皆様、青松ファンの皆様本当にありがとうございました!」と綴り、母や妻への感謝の気持ちも綴った。
また引退後の就職先が決まっていることも報告し、「社会人として、プロ野球界にいた人間としてプロ野球選手は社会では通用しないなと言われないように、プロ野球出身者だからこそ次世代のプロ野球出身者のセカンドキャリアに良い影響がでるように頑張りたいと思います」と第2の人生に意欲を見せている。
(Full-Count)
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2016年『ロッテ5大ニュース』 ナバーロ逮捕で始まり、最後はデスパイネが鷹に捕まった!?
31年ぶりの2年連続Aクラスでシーズンを終えた2016年の「千葉ロッテマリーンズ」。場外&場内、よくも悪くも話題は豊富だった。その1年を「5大ニュース」で振り返る!!
◇
【ナバーロ逮捕】2月21日、オープン戦を終え、那覇空港から宮崎空港に向かうチームに衝撃が走った。新外国人ナバーロが捕まった。那覇空港で手荷物検査を受けた際、拳銃の実包1発をバッグに所持していたことが発覚。銃刀法違反容疑で沖縄県警に逮捕されたのだ(その後の取り調べで所持は2発と判明)。
ナバーロの母国ドミニカ共和国では「許可制」ながらも、拳銃所持は合法。しかし、日本では違法。司法の判断は不起訴処分となったが、3月中のすべての試合の出場停止、パ・リーグおよびイースタン・リーグ公式戦開幕より各々4週間における出場停止、制裁金50万円の処分が科され、ロッテ本社から球団幹部も処分された。
結果、大した活躍もなく1年限りで解雇。最も脚光を浴びたのが“コレ”。球団はもとより、球界の「お騒がせ助っ人史」に名を残した。
【防災無線】千葉・鴨川市での秋季キャンプは11月22日、波乱の打ち上げとなった。早朝に発生した福島県沖を震源とする地震で「津波注意報」の防災無線。伊東監督は「今年はいろいろありますな。春にはミサイルが飛んできたし…」と振り返った。そう、2月8日の沖縄・石垣島キャンプ中には北朝鮮がミサイルを発射し、全島に防災無線が鳴り響いた。発射から、わずか7分で上空を通過していった。
しかし、恐怖だけではない。おめでたい「防災無線」もあった。2月12日、沖縄・石垣島のご当地選手、大嶺祐が練習後、婚約者の歌手、琴菜と石垣市役所に婚姻届を提出。午後5時の到着に合わせ、なんと防災無線で「お近くの方は祝福に!!」。心和むワンシーンだった。
【涌井&もえ】エース・涌井が人気モデル、押切もえと11月1日に結婚。12月7日(日本時間8日)にはハワイで結婚式を行った。2月の沖縄・石垣島キャンプ中に堂々の「交際宣言」。めだたくゴールインとなった。
涌井は「無事に式を挙げることができました。ここまで見守っていただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは2人で笑顔のあふれる家庭にしていきたいと考えております」とコメント。一方の押切も「たくさんの方々に支えられて今日の結婚式を迎えることができ、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです」。末永くお幸せに-。
【角中ハイボール】高めの悪球を“絶好球”とし、「ど真ん中が打てない」と真剣に悩む孤高の天才打者・角中が2012年以来、4年ぶり2度目の首位打者に輝いた。今季は143試合、178安打、打率・339。パ・リーグ最多安打を合わせれば堂々の「打撃2冠」となった。
合わせて、球団と大手飲料メーカー、サントリーとコラボした球場ドリンク「角中ハイボール」が記録的大ヒット。結果、生ビールの売り上げ記録に挑戦していた球界初の売り子アイドル「マリーンズ カンパイガールズ」の野望を角中が阻止してしまった…という怪情報もなくはない。
来季は新たに背番号「3」。新選手会長となる角中。さらなるヒット量産を期待したい。
【デスパイネ退団】
年の瀬に飛び込んできた“悲報”。3年間在籍したデスパイネの退団が決まった。19日、林球団本部長が同選手の残留をめぐるキューバ政府との交渉を打ち切ると発表した。
ロッテは推定3年&12億円以上の条件を提示したが、相手側の要求額がこれを上回ったことから、残留交渉は困難と判断した。同選手に代わる新外国人については越年が決定。「2月のキャンプ(沖縄・石垣島)までには落ち着かせたい」(同球団本部長)としているが、受けたダメージは大きい。
次の移籍先は、早くからデスパイネの獲得に関心を示していたソフトバンクが最有力。ロッテですっかりおなじみとなった「デスパ、イイネ~!!」の決めぜりふは来季、「デスパ、ヨカネ~」
ってか!?(西村浩一)
(サンスポ)
70歳の元寮長兼打撃投手が踏み出す新たな一歩
4月30日の夜。部屋は熱気で充満していた。ロッテ浦和寮の寮長の部屋には次から次へと人が集まっていた。翌5月1日は池田重喜寮長兼打撃投手の70歳の誕生日。お祝いにと寮生たちが次々とドアをノックした。故郷の地酒をプレゼントする選手もいれば、誕生日ケーキを持ち込んだ選手もいた。みんなで、古希を迎える寮長の前祝いを行った。
「こうやってみんなに祝ってもらえて、ありがたいなあ、嬉しいなあ」
お酒の強い男が珍しく酔っ払っているようだった。感謝の言葉を述べ、寮生たちに、これまで何度も披露している自身の昔話を語り出した。
生まれたのは戦後翌年の46年。11人兄弟の末っ子だった。大分県の津久見高校で2年夏に甲子園出場を果たした。67年にドラフト4位で大洋に入団。71年にロッテに移籍し、77年まで投手として現役でプレー。通算成績は155試合に登板して13勝12敗。ただ、その現役生活は濃密なものだった。
当時・阪神で同じ年の田淵幸一氏にプロ1号を打たれた話。あの江夏豊氏からピッチャーながらサヨナラ打を打った武勇伝(68年6月14日、東京)。伝説のON砲と対戦したエピソード(王氏に8打数1安打1奪三振、長嶋氏には16打数4安打1本塁打1奪三振)。「あんな大打者と対戦できたのだからね。今思うと長嶋さんにホームランを打たれて良かった。王さんに打たれていないのが残念だなあ」と茶目っ気たっぷりな表情を見せると場は笑いに包まれた。
レジー・ジャクソンから4打席4三振、感嘆上がる秘話
ロッテが米アリゾナでキャンプを行った際の練習試合では後にヤンキースで563本塁打を放つレジー・ジャクソン(当時アスレチックス)から4打席4三振を奪った。この話題に今度は感嘆の声が上がった。その後はコーチや裏方としてロッテを支え、00年に寮長に就任した。コーチ時代も、寮長になってからも練習では若手選手に投げ続け抜群のコントロールを披露した。ならばと12年より2軍打撃投手を兼務。そして70歳を迎えてなお打撃投手の仕事を全うした。
「プロ入りして49年。ロッテに入って44年。こんなに長いこと、野球に携わらせていただけるとは思っていなかった。現役を終えた後もトレーニングコーチ、育成コーチ、チームスタッフ、そして寮長を17年間やらせてもらった。本当に幸せな日々だったよ」
そんな寮長も今年11月30日を持って退団をすることになった。11月23日。ファン感謝デー参加のため選手たちが寮からマリンに向けて出発する前に、寮の駐車場に全員集合をかけた。この日が事実上、寮生全員が寮に集合をしている最終日。いつもみんなで朝の体操を行った想い出の詰まる場所に全員を集め、今年限りで仕事を離れることになったと伝えた。そして最後の訓示が始まった。それはこの17年間、変わらずに寮生たちに言い続けてきたこと。最後の日もいつもとまったく同じだった。
「毎日言ってきたことだけど、くだらないことで評価を下げて、損をするなよ。人に好かれる必要はない。でも嫌われるなよ。そのためには、まずは挨拶。そして約束の時間を守ること。とにかく人として当たり前のことを当たり前にやること。人間、まずはそこからだからな。朝食はしっかりととる。部屋の整理整頓をする。部屋を出る時は電気を消す。そういう当たり前のことの積み重ねが人生では大事だからな」
「勝負の世界は厳しいヨ」―、寮長が残した言葉
息子、いや孫のように愛情を持って接した寮生一人一人の目を見ながら、最後にもう一度、人としてのあるべき生き方を伝えた。
情の人だった。生活態度が乱れがちな選手を見ると、あえて大声を出して怒ることはしなかった。自分たちで気が付いてほしかった。だから、その選手の部屋に直筆のメッセージを添えた紙を貼った。
「勝負の世界は厳しいヨ。寮長」
達筆な字で書かれた短い言葉に部屋に戻ってきた選手は何度となくハッとさせられ、自分の行動を思い直した。それは40年以上もプロ野球界で生きてきた人間だからこその含蓄溢れる言葉だった。
最後もまた多くの人が集まった。12月6日、栃木のゴルフ場で送別会を兼ねたゴルフコンペが催された。台湾ウィンターリーグに参加しているメンバーなどを除く12人の寮生が参加。70歳に達するまでの長きにわたってプロ野球の仕事に携わり、自分たちにとって父親のような存在だった寮長をみんなで慰労した。晴れ渡る空の下、前半に2つのバーディーをとるなど92のスコアでまわった。プレーをしながら、ずっと寮生たちと思い出話をしては盛り上がった。
アマ選手指導のため講習会を受講、「老後がとても楽しみ」
「もちろん、色々なことがあったよ。人生、ならせば平らになるというけど、辛かったことの方が多かったように思う。でもこれまでを振り返るとあっという間。本当にあっという間。ということはやっぱり、幸せだったんだよ。それだけ充実した毎日を過ごしたということだよ」
それから数日後。プロ野球経験者が学生を指導するための学生野球資格回復制度のプロ側研修会の会場に池田氏の姿があった。アマチュア選手を指導する資格を手に入れるため、講習会を受けた。「老後がとても楽しみ。これからは若い子たちに教える活動もしてみたいんだ」。新たな一歩に夢あふれる表情を見せた。
思えば、現役引退した後、近所の少年に「プロ野球選手だったんでしょ! キャッチボールをして」とせがまれた。そして最近、散歩をしているとまた近所の子供に「キャッチボールをしてほしい」と頼まれた。よく話を聞くと昔、キャッチボールをしてあげた子供が大人になり、そして結婚して生まれた子供だという。
「ずいぶん長い時間が過ぎたんだなあ」。池田氏は思わずその場で立ち止まり、感慨深い表情でしばし、長い旅路を振り返った。いろいろな出会いがあった。充実した幸せな日々だった。そして、そばにはいつも大好きな野球があった。マリーンズのユニホームは脱いだ。ただ、情熱はまだまだ尽きない。
マリーンズ球団広報 梶原紀章●文 text by Noriaki Kajiwara
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ロッテ戦力外の青松が引退決断 「本当にありがとうございました」
今オフ、ロッテを戦力外となった青松敬鎔内野手が22日、現役引退を表明した。自身のブログで「この度現役を引退する事に致しました」と報告した。
2004年のドラフト7位でロッテに入団。06年に1軍デビューを果たしたが、その後は1軍の出場から遠ざかり、15年の13試合の出場がキャリア最多だった。今季は1軍での出番がなく、戦力外通告後は12球団合同トライアウトも受験していた。プロ通算12年間で26試合に出場し、打率.214、1本塁打、5打点だった。
引退を決断した30歳は「12年間、ロッテグループ、千葉ロッテマリーンズ球団関係者の皆様、そしてチームの力になれないどうしようもない自分を応援していただいたロッテファンの皆様、青松ファンの皆様本当にありがとうございました!」と綴り、母や妻への感謝の気持ちも綴った。
また引退後の就職先が決まっていることも報告し、「社会人として、プロ野球界にいた人間としてプロ野球選手は社会では通用しないなと言われないように、プロ野球出身者だからこそ次世代のプロ野球出身者のセカンドキャリアに良い影響がでるように頑張りたいと思います」と第2の人生に意欲を見せている。
(Full-Count)
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2016年『ロッテ5大ニュース』 ナバーロ逮捕で始まり、最後はデスパイネが鷹に捕まった!?
31年ぶりの2年連続Aクラスでシーズンを終えた2016年の「千葉ロッテマリーンズ」。場外&場内、よくも悪くも話題は豊富だった。その1年を「5大ニュース」で振り返る!!
◇
【ナバーロ逮捕】2月21日、オープン戦を終え、那覇空港から宮崎空港に向かうチームに衝撃が走った。新外国人ナバーロが捕まった。那覇空港で手荷物検査を受けた際、拳銃の実包1発をバッグに所持していたことが発覚。銃刀法違反容疑で沖縄県警に逮捕されたのだ(その後の取り調べで所持は2発と判明)。
ナバーロの母国ドミニカ共和国では「許可制」ながらも、拳銃所持は合法。しかし、日本では違法。司法の判断は不起訴処分となったが、3月中のすべての試合の出場停止、パ・リーグおよびイースタン・リーグ公式戦開幕より各々4週間における出場停止、制裁金50万円の処分が科され、ロッテ本社から球団幹部も処分された。
結果、大した活躍もなく1年限りで解雇。最も脚光を浴びたのが“コレ”。球団はもとより、球界の「お騒がせ助っ人史」に名を残した。
【防災無線】千葉・鴨川市での秋季キャンプは11月22日、波乱の打ち上げとなった。早朝に発生した福島県沖を震源とする地震で「津波注意報」の防災無線。伊東監督は「今年はいろいろありますな。春にはミサイルが飛んできたし…」と振り返った。そう、2月8日の沖縄・石垣島キャンプ中には北朝鮮がミサイルを発射し、全島に防災無線が鳴り響いた。発射から、わずか7分で上空を通過していった。
しかし、恐怖だけではない。おめでたい「防災無線」もあった。2月12日、沖縄・石垣島のご当地選手、大嶺祐が練習後、婚約者の歌手、琴菜と石垣市役所に婚姻届を提出。午後5時の到着に合わせ、なんと防災無線で「お近くの方は祝福に!!」。心和むワンシーンだった。
【涌井&もえ】エース・涌井が人気モデル、押切もえと11月1日に結婚。12月7日(日本時間8日)にはハワイで結婚式を行った。2月の沖縄・石垣島キャンプ中に堂々の「交際宣言」。めだたくゴールインとなった。
涌井は「無事に式を挙げることができました。ここまで見守っていただいた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは2人で笑顔のあふれる家庭にしていきたいと考えております」とコメント。一方の押切も「たくさんの方々に支えられて今日の結婚式を迎えることができ、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです」。末永くお幸せに-。
【角中ハイボール】高めの悪球を“絶好球”とし、「ど真ん中が打てない」と真剣に悩む孤高の天才打者・角中が2012年以来、4年ぶり2度目の首位打者に輝いた。今季は143試合、178安打、打率・339。パ・リーグ最多安打を合わせれば堂々の「打撃2冠」となった。
合わせて、球団と大手飲料メーカー、サントリーとコラボした球場ドリンク「角中ハイボール」が記録的大ヒット。結果、生ビールの売り上げ記録に挑戦していた球界初の売り子アイドル「マリーンズ カンパイガールズ」の野望を角中が阻止してしまった…という怪情報もなくはない。
来季は新たに背番号「3」。新選手会長となる角中。さらなるヒット量産を期待したい。
【デスパイネ退団】
年の瀬に飛び込んできた“悲報”。3年間在籍したデスパイネの退団が決まった。19日、林球団本部長が同選手の残留をめぐるキューバ政府との交渉を打ち切ると発表した。
ロッテは推定3年&12億円以上の条件を提示したが、相手側の要求額がこれを上回ったことから、残留交渉は困難と判断した。同選手に代わる新外国人については越年が決定。「2月のキャンプ(沖縄・石垣島)までには落ち着かせたい」(同球団本部長)としているが、受けたダメージは大きい。
次の移籍先は、早くからデスパイネの獲得に関心を示していたソフトバンクが最有力。ロッテですっかりおなじみとなった「デスパ、イイネ~!!」の決めぜりふは来季、「デスパ、ヨカネ~」
ってか!?(西村浩一)
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