【有藤氏に語った】ロッテ福浦 不屈の闘志 2000本よりプロ30年
2000本より30年――。通算1912安打を放ち、大台まであと88本に迫っているロッテ・福浦和也内野手(40)をスポニチ本紙評論家の有藤通世氏が直撃した。石垣キャンプでは2軍でマイペースの調整を続けている23年目のベテラン。ロッテ生え抜きでは最後の通算2000安打達成者、元ミスターロッテが「幕張の安打製造機」の心技体に迫る。(構成・永瀬 郷太郎)
有藤 今年で何年目になる?
福浦 23年目です。
有藤 最初ピッチャーで入ってきたんだよね。なんで野手に?
福浦 入った時、2軍の打撃コーチが元監督の山本功児さんで、昼休み中に小野晋吾(現ロッテ2軍投手コーチ)と「おまえら2人バッティングしろ」と言われて、打ったら「ピッチャーやめて野手になれ」と。それがきっかけなんです。
有藤 納得しなかったでしょ?
福浦 左ピッチャーは少なかったですし、ピッチャーでやりたいと思ってました。
有藤 自信もあったんだ。
福浦 自信はなかったですけど、ピッチャーの方がいいかなと。
有藤 ドラフトは?
福浦 7位です。その年のドラフトの一番最後に名前を呼ばれました。
有藤 それに対する反発心というのはあった?見返してやるという…。
福浦 なかったです。プロ野球選手になれると浮かれてたと思います。
有藤 1年はピッチャーで?
福浦 いえ、半年で。オールスター明けから野手に転向しました。
有藤 そのときはもう踏ん切りついてた?
福浦 はい、もう…。
有藤 1軍に上がったのは近藤昭仁さんが監督のときだよね。
福浦 はい、4年目の1997年です。2軍の遠征先の秋田から、すぐ千葉に戻ってこいと言われて…。デーゲームで即スタメンでした。2打席目にどん詰まりのセンター前ヒット。オリックスのフレーザーというピッチャーから打ちました。
有藤 そのヒットからスタートして2000本まであと88本に迫ってるんだけど、どう?2000本という数字は。
福浦 いや、もう、凄すぎて…。
有藤 1500安打までは早かった。ここまで来たら「よし、いける」と思ってたでしょ。
福浦 それは思ってました。
有藤 故障があったりして、そこから長くかかってる。初っぱなのケガはどこ?
福浦 07年ですかね。脇腹を骨折しました。
有藤 なんで?
福浦 アウトコースを無理やり一、二塁間に狙いにいってツイストした(ひねった)んです。グリグリっていいました。それからですね。01年から続けてきた3割をこの年に割るんです。
有藤 それでも09年には1500安打に到達した。
福浦 そこから監督もいろいろ代わって使われ方も変わってきましたし…。年を取るごとにそうなるんですけど、DHが多くなったりとか。左投手のときはスタメン外されたりとか、だんだん試合に出る数が少なくなってきたんで。
有藤 でも、よく頑張ってんじゃない、そんな境遇の中で。ドラフト7位の「なにくそ」という精神じゃないの?
福浦 いや…、ずっとレギュラー張れるような若くて生きのいいのが出てきてたらここまでできなかったと思います。まだ使ってもらえますし。
有藤 使わざるを得ない状態にする努力をしてるんじゃないの。そういやオフも練習してたね。昭和21年生まれ組でつくった「21年会」が宮崎でイベントしたとき来てもらったらバットを持って動いてる。変わってるなと思った。
福浦 たぶん首位打者を獲った年(01年)に呼ばれたんだと思います。次の年も結果残さないと「たかが1年か」と思われてしまうんで…。自分の中で不安でしようがないんですね、やっとかないと。今もそうです。
有藤 練習を見てるといろいろやってるね。右手を上にしたり、右でティー打撃…。スパイクじゃなく運動靴で打ってるのは何か効果を考えて?
福浦 そうですね、僕なりに。スパイクだと(踏み出す)足が勝手に止まって、楽に打てちゃうんです。アップシューズだと指でしっかり止めないといけないんで。
有藤 そうやって土台をしっかりつくるんだ。いつから?
福浦 5、6年前からですね。きょうはアップシューズ、あしたはスパイクでとか年々いろいろ試しながら。今年はずっとアップシューズです。
有藤 スパイクは全然履いてない?
福浦 守備の時は履いてます。打席で履くのはオープン戦に入ってからですね。
有藤 下を鍛えるのは分かるけど、その割に走ったら相撲取りみたいにドタドタ。20メートルくらいのダッシュはスパイクで1日3本か5本やった方がいいんじゃないかな。さて、あと88本…。
福浦 出場試合数が少なくなってきてからは考えないようにしてます。欲になってしまうんで。だからヒットを欲しいとは思ってないんです。
有藤 ウソやろ。
福浦 いや、本当なんです。ヒットは打ちたいですけど、その思いが強すぎるとどうしても悪球に手を出してしまうんで…。どっちかというとまだ選球眼が…。
有藤 大丈夫なんだ。いいことだね。
福浦 欲を出さないで1日1打席を大事に…。それでチームが勝つために打てたら最高です。
有藤 去年は47安打。今年何打席立てるかだけど、そのペースでいけば、あと2年。そこも考えない?
福浦 あと3年でも4年でも…。
有藤 じゃあ安打数より年数、年齢で考えたら…。(プロ)30年まであと7年か。
福浦 48歳ですね。
有藤 やってみてよ。
福浦 はい。その気持ちで頑張ります。
◆福浦 和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県生まれの40歳。習志野では甲子園出場なし。93年ドラフト7位でロッテ入団。1年目に投手から野手に転向し、01年に打率.346で首位打者に輝いた。10年にベストナイン、03、05、07年にゴールデングラブ賞を受賞。オールスター出場3度。今季年俸4500万円。1メートル83、88キロ、左投げ左打ち。血液型B。
(スポニチ)
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【千葉魂】 原点に立ち戻った田中 京大で過去と向き合って
「代われるものなら、代わりたいぐらいだよ」。大学時代の友人の何気ない一言が、田中英祐投手の脳裏にずっと残っていた。昨年末、京都大学野球部の同級生17人が集まった同窓会に出席した。それぞれが別の道へと進んでいる。大学院に進学をし、研究を続けている者。一流企業に就職をした者。それぞれが新たな舞台で挑戦をしていた。その中で、野球を続けているのは田中ただ一人。懐かしき友の研究室や仕事場での愚痴を聞いていると、ふと芽生える気持ちがあった。
「やはり、みんなも心のどこかで大好きな野球を続けたかったという思いがあるのだと感じた。そういう意味ではプロ野球という世界にいる自分は、みんなからしてみれば、特別な場所で特別なことをしている。みんなが応援してくれているし、みんなが注目をしている。自分が頑張ることで、みんなも頑張れる部分もあるのかなと、ふと思いました」
□ ■ □
京都大学初のプロ野球選手として騒がれたルーキーイヤーは、ほろ苦い思い出だけが残り、終わった。「こんなに悩んだことはなかったかもしれない」と振り返る1年目。多くのテレビカメラにその一挙一動を追いかけられ、いつしか自分のピッチングを失った。マウンドではとにかく力んだ。ボールが暴れる。2試合に登板して0勝1敗、防御率13・50。それが1年目の足跡だった。
シーズンオフに入ると精力的に動く。シャドーピッチングを日課にし、フォームを徹底チェック。さまざまな人に教えを請うた。初めて迎える1月の自主トレを、どうしようかと考えた。一人で実家の近くで行おうかと考えていると、年下の田村龍弘捕手に諭された。「絶対に誰かと一緒にやった方がいいですよ。そっちの方が絶対に自分にプラスになりますから」。そうだよなと納得した。すぐに一人の先輩投手の顔が浮かんだ。マリーンズの左の貴重なセットアッパーとして3年連続で40試合以上投げている松永昂大投手に頭を下げた。黙々と自分の練習をこなしている姿に憧れがあった。実績ある投手の練習メニューは、やはりストイックだった。
朝6時半にはグラウンドに到着して7時には走り込みが始まった。短距離から長距離まで午前中はひたすら走った。ピッチングは遠投が中心。90メートルの距離を投げ込むことで、本来の腕の振りを思い出した。先輩投手は、悩める右腕を思いやり、さりげないアドバイスを心がけてくれた。それは野球以外にも及んだ。「プロは食べるのもトレーニングだよ」。食が太い方ではなかったが朝食から、たらふく食べた。下半身を強化し、肉体的にも大きくなり、大胆な腕の振りを取り戻して、1月の自主トレを打ち上げた。
□ ■ □
その翌日、帰京を前に田中は京都大学野球部のグラウンドに顔を出した。足を踏み入れたのは卒業式以来。4年間、汗を流してきた原点。名門私立校ひしめくリーグの中で、なんとか勝ちたいと仲間たちと野球をしていた場所。大学で研究をしながらも、その合間を縫って、この場所で鍛え上げてきた日々を思った。時には真っ暗の中、走った。その原点を探しに来たかのように、グラウンドに足を踏み入れた。変わらぬ景色がそこにはあった。忘れてはいけない初心がそこにはある。プロ入り志望届を出すかどうか悩んだ時、周囲からは「無謀」という声も聞こえた。たくさんの人にも相談をしたが最後は自分で決めた。困難な方の道をあえて選択した。
「1球のボールに何万人の人が一喜一憂する。それは素晴らしいこと。僕も何万の人の心を一つのボールで感動させてみたいと思った。それが僕の原点」
昨年のプロ入り初先発は4月29日のライオンズ戦。本拠地QVCマリンフィールドのスタンドは超満員に膨れ上がった。3回を投げて5失点で負け投手。それでも、その大声援と「英祐コール」に「マリーンズに入って良かった」と選択した道が正解だったと実感をした。大学時代に描いた大志。初登板で感じた大事な思い。それらを京都大学野球部のグラウンドで、過去の自分と向き合うことで再確認をしたかのようだった。
「まずは1軍で1勝。そうしないと次には進めないし、先は見えてこない」
青空の広がる石垣島キャンプ。田中英祐は精力的に体を動かしていた。ちょうど1年前、背番号「31」に集中をしていたマスコミの姿はその周辺には一切ない。だが、彼にとってそれはどうでもいいことなのだ。一歩一歩、前に進んでいることを実感しているように充実した表情を浮かべる。大事な原点に立ち戻った若者は2年目の今季、地道に確実に歴史的な一歩を踏み出そうとしている。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)
(千葉日報)
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【球界ここだけの話(453)】
庶民派宣言のロッテ・伊東監督! 石垣島“40分待ち店”の大行列に並ぶ
ロッテ・伊東勤監督(53)の表情が明るい。家族よりも日々接する担当記者としては、ホッとする限りだ。
「特に投手陣の仕上がりがいいんですよ。オフにどれだけのトレーニングを積んできたのか、聞かなくても分かるぐらい、みんなが取り組んでいると思います」
基本辛口の指揮官だが、今春は選手を褒めることが多い。それだけ充実した沖縄・石垣島キャンプを送っている“証し(あかし)”だ。
そんな伊東監督が今春、石垣島の“あかし食堂”にハマっている。正確には『明石(あかいし)食堂』。いま石垣島で、最も行列ができる店として注目されている。
5、10、15日とあったキャンプ休日。伊東監督は5、10日と連チャンで出かけた。人気の行列店。5日は30分待ち、10日は40分待ちだったという。それでも伊東監督は並んだ。
「2回ともカツ丼を食べましたね。全メニューが美味しいらしいけど、ボクはカツ丼にハマりました。東京との単純比較はできませんが、とにかく、昔ながらの味なんですよ」
ゲンかつぎの“勝丼”もあるが、伊東監督が絶賛するどんぶり。そこまで力説するので行ってみたが、食材切れで閉店していた。
それはともかく、かくいう伊東監督を、周辺サークル(取材陣)は自然に応援する。気配りの人なのだ。
今キャンプ中、指揮官主催の担当記者食事会が開催されたが、ロッテの取材にかかわっているのは記者だけではない。新聞社でいえばカメラマン、テレビ局ではクルーと多くの人が汗を流している。かなりの大人数となり、すべてをフォローすることは、物理的に難しい。
しかし、同食事会が行われた後日、伊東監督は「宴席に来られない方もいたので…」と相当数のランチ弁当を球場(石垣市中央運動公園)内で振る舞った。ふつうに頭が下がった。
「派手なことは苦手なんですよ。自分は庶民派でいきますから、特別なことでもありません」
こんな伊東監督のサポーターでありたい一方、「明石食堂」のカツ丼もぜひ、食べてみたい。実は、大好物なのだ。19日のキャンプ打ち上げまで、残されたチャンスは限りなく少ない!?
(ロッテ担当・西村浩一)
(サンスポ)
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本塁ブロック禁止は二塁、三塁と一緒/里崎智也評論
<里崎評論:本塁上のクロスプレー>
ニッカンスポーツ・コムでは、新聞紙面で好評の里崎智也氏(日刊スポーツ評論家)の「ウェブ特別評論」を今季から掲載する。
今回はルール改正となった本塁上のクロスプレーについて話を聞いた。
今季から本塁でのクロスプレーで捕手のブロックが禁止となる。
阪神ではホーム上での捕手の立ち位置を審判に入念に確認するなど対策メニューが組まれていた。
個人的には今回のルール変更は、ホームベース上のタッチが二塁、三塁と同じ普通のベースタッチになったと考えている。
宮崎、沖縄でキャンプ視察して思うに、現行のルールのままではホームベースにちょっと足がかかっただけでも走塁妨害になる恐れもあるので、本塁上は少し複雑になる可能性もある。今後、オープン戦を通して審判も選手も確認が必要だろう。
ただ、自分と重ね合わせて、捕手目線で見てしまうが、新ルールは捕手寿命で考えればプラスと捉えたい。
現役時代に本塁のクロスプレーで2度、左脇腹を骨折した。捕手がけがするケースは以下の2パターンだ。
(1)走者の体当たりに負けまいと踏ん張って、走者と衝突する場合。
(2)不可抗力。それた送球を捕球し、振り向きざまに左脇腹に走者が突っ込んできたケース。
では2つのけがを防ぐにはどうするか。(2)の不可抗力は残念ながら制御不能。ただ(1)については、けがを減らすことができる。
吹っ飛ばされて当たり前-。ボールだけしっかり持って、勢いある走者に無理に体当たりを挑まず、タッチに集中して、飛ばされる心の準備さえあれば、飛ばされてもけがは減る(もちろん受け身の習得は必須)。
「ブロック禁止」についてルールが実戦の運用で落ち着くまでには、さまざまな問題が起こるだろう。
しかし、ルール改正の根源は、セーフのタイミングを捕手のブロックで無理やりアウトにしようとするところにあったのではないか。
走路がないから、走者はホームベースをこじ開けようと捕手に体当たりする。捕手も勢いのついた走者を受け止めようと踏ん張るからケガをするといった悪循環だった。
かつては「命張ってでもホームを守れ」「1点やらなかったら本塁打1本分得する」。そんな声を耳にしたこともある。もちろん、気概も大事だが、なぜ、そういうことが、問題になるのか、本質をしっかり把握できれば解決の突破口になる。
(日刊スポーツ評論家)
◆里崎智也(さとざき・ともや)1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれ。鳴門工(現鳴門渦潮)-帝京大を経て98年にロッテを逆指名しドラフト2位で入団。06年第1回WBCでは優勝した王ジャパンの正捕手として活躍。08年北京五輪出場。06、07年ベストナインとゴールデングラブ賞。オールスター出場7度。05、09年盗塁阻止率リーグ1位。昨季限りで引退。実働15年で通算1089試合、3476打数890安打(打率2割5分6厘)、108本塁打、458打点。現役時代は175センチ、94キロ。右投げ右打ち。
(日刊)
新ルール、捕手苦悩…ブロック禁止に「厳しい」困惑 根底から技術見直し
プロ野球春季キャンプは実戦が始まり開幕へ向けたふるい落としが始まった。ところが、捕手には定位置争いとは違った“難敵”があるようだ。今季から導入する「コリジョン(衝突)ルール」だ。本塁の衝突を禁じる捕手を守るルールのはずが、クロスプレーの技術を根底から見直す必要に迫られるなど、思わぬ悩みの種となっている。(大宮健司)
14日の阪神の紅白戦。四回1死二塁から、中谷が放った左前打で二走の荒木が本塁へ突入し、左翼手のペレスからの返球を捕手の小宮山が捕球。クロスプレーでアウトにした。だが、審判団は内野に集結。協議の輪が解けると球審が「ホーム」と宣言し、鮮やかな補殺が一転、走者の生還が認められ得点となった。
長井功一球審は「捕手が走路をまたいで捕球していると判断し、『コリジョン』を適用した」と説明。小宮山が「ブロック」のように体で走路を遮ったと判断したため、守備側の走塁妨害をとり、判定がセーフに覆ったというのだ。
クロスプレーのブロックは、相手の得点を阻止する捕手の見せ場のひとつでもあった。一方、激しい衝突が捕手のけがを招く危険は小さくはない。日本高野連は2013年から、米大リーグは14年からブロックを禁止。プロ野球でも昨秋の教育リーグから新ルールが試験導入され、各球団も対策を練っていた。
ただ、開幕まで1カ月半を切る中、走塁妨害と判定される線引きははっきりしない。キャンプで走者としてコリジョンによる生還を経験した捕手の梅野は、走者目線から「(捕手の捕球位置は)本塁が隠れるとまではいかなかった。あれを取られるなら厳しい」と困惑。小宮山は「返球のタイミングとバウンドで一番取りやすい位置に動いたらコリジョンといわれた」と頭を悩ませていた。
今季からは本塁のビデオ判定も導入されるが、勝敗を左右しかねないルール変更だけに、キャンプに参加する審判団も練習での事例を集めるなどして試行錯誤している。矢野作戦兼バッテリーコーチは「捕手として『これはないよ』というのは(審判と)すり合わせないといけない」と話すなど、基準が固まるまでまだ時間がかかりそうだ。
練習でクロスプレーを入念に確認している金本監督は「(判定基準に)はっきり統一性を持ってほしい」と注文をつける一方、「本能的に(走路に)足が出たり、ブロックとか絶対にある。捕手はかなり悩むんじゃないか」と捕手の苦悩をおもんぱかっていた。
(産経)
2000本より30年――。通算1912安打を放ち、大台まであと88本に迫っているロッテ・福浦和也内野手(40)をスポニチ本紙評論家の有藤通世氏が直撃した。石垣キャンプでは2軍でマイペースの調整を続けている23年目のベテラン。ロッテ生え抜きでは最後の通算2000安打達成者、元ミスターロッテが「幕張の安打製造機」の心技体に迫る。(構成・永瀬 郷太郎)
有藤 今年で何年目になる?
福浦 23年目です。
有藤 最初ピッチャーで入ってきたんだよね。なんで野手に?
福浦 入った時、2軍の打撃コーチが元監督の山本功児さんで、昼休み中に小野晋吾(現ロッテ2軍投手コーチ)と「おまえら2人バッティングしろ」と言われて、打ったら「ピッチャーやめて野手になれ」と。それがきっかけなんです。
有藤 納得しなかったでしょ?
福浦 左ピッチャーは少なかったですし、ピッチャーでやりたいと思ってました。
有藤 自信もあったんだ。
福浦 自信はなかったですけど、ピッチャーの方がいいかなと。
有藤 ドラフトは?
福浦 7位です。その年のドラフトの一番最後に名前を呼ばれました。
有藤 それに対する反発心というのはあった?見返してやるという…。
福浦 なかったです。プロ野球選手になれると浮かれてたと思います。
有藤 1年はピッチャーで?
福浦 いえ、半年で。オールスター明けから野手に転向しました。
有藤 そのときはもう踏ん切りついてた?
福浦 はい、もう…。
有藤 1軍に上がったのは近藤昭仁さんが監督のときだよね。
福浦 はい、4年目の1997年です。2軍の遠征先の秋田から、すぐ千葉に戻ってこいと言われて…。デーゲームで即スタメンでした。2打席目にどん詰まりのセンター前ヒット。オリックスのフレーザーというピッチャーから打ちました。
有藤 そのヒットからスタートして2000本まであと88本に迫ってるんだけど、どう?2000本という数字は。
福浦 いや、もう、凄すぎて…。
有藤 1500安打までは早かった。ここまで来たら「よし、いける」と思ってたでしょ。
福浦 それは思ってました。
有藤 故障があったりして、そこから長くかかってる。初っぱなのケガはどこ?
福浦 07年ですかね。脇腹を骨折しました。
有藤 なんで?
福浦 アウトコースを無理やり一、二塁間に狙いにいってツイストした(ひねった)んです。グリグリっていいました。それからですね。01年から続けてきた3割をこの年に割るんです。
有藤 それでも09年には1500安打に到達した。
福浦 そこから監督もいろいろ代わって使われ方も変わってきましたし…。年を取るごとにそうなるんですけど、DHが多くなったりとか。左投手のときはスタメン外されたりとか、だんだん試合に出る数が少なくなってきたんで。
有藤 でも、よく頑張ってんじゃない、そんな境遇の中で。ドラフト7位の「なにくそ」という精神じゃないの?
福浦 いや…、ずっとレギュラー張れるような若くて生きのいいのが出てきてたらここまでできなかったと思います。まだ使ってもらえますし。
有藤 使わざるを得ない状態にする努力をしてるんじゃないの。そういやオフも練習してたね。昭和21年生まれ組でつくった「21年会」が宮崎でイベントしたとき来てもらったらバットを持って動いてる。変わってるなと思った。
福浦 たぶん首位打者を獲った年(01年)に呼ばれたんだと思います。次の年も結果残さないと「たかが1年か」と思われてしまうんで…。自分の中で不安でしようがないんですね、やっとかないと。今もそうです。
有藤 練習を見てるといろいろやってるね。右手を上にしたり、右でティー打撃…。スパイクじゃなく運動靴で打ってるのは何か効果を考えて?
福浦 そうですね、僕なりに。スパイクだと(踏み出す)足が勝手に止まって、楽に打てちゃうんです。アップシューズだと指でしっかり止めないといけないんで。
有藤 そうやって土台をしっかりつくるんだ。いつから?
福浦 5、6年前からですね。きょうはアップシューズ、あしたはスパイクでとか年々いろいろ試しながら。今年はずっとアップシューズです。
有藤 スパイクは全然履いてない?
福浦 守備の時は履いてます。打席で履くのはオープン戦に入ってからですね。
有藤 下を鍛えるのは分かるけど、その割に走ったら相撲取りみたいにドタドタ。20メートルくらいのダッシュはスパイクで1日3本か5本やった方がいいんじゃないかな。さて、あと88本…。
福浦 出場試合数が少なくなってきてからは考えないようにしてます。欲になってしまうんで。だからヒットを欲しいとは思ってないんです。
有藤 ウソやろ。
福浦 いや、本当なんです。ヒットは打ちたいですけど、その思いが強すぎるとどうしても悪球に手を出してしまうんで…。どっちかというとまだ選球眼が…。
有藤 大丈夫なんだ。いいことだね。
福浦 欲を出さないで1日1打席を大事に…。それでチームが勝つために打てたら最高です。
有藤 去年は47安打。今年何打席立てるかだけど、そのペースでいけば、あと2年。そこも考えない?
福浦 あと3年でも4年でも…。
有藤 じゃあ安打数より年数、年齢で考えたら…。(プロ)30年まであと7年か。
福浦 48歳ですね。
有藤 やってみてよ。
福浦 はい。その気持ちで頑張ります。
◆福浦 和也(ふくうら・かずや)1975年(昭50)12月14日、千葉県生まれの40歳。習志野では甲子園出場なし。93年ドラフト7位でロッテ入団。1年目に投手から野手に転向し、01年に打率.346で首位打者に輝いた。10年にベストナイン、03、05、07年にゴールデングラブ賞を受賞。オールスター出場3度。今季年俸4500万円。1メートル83、88キロ、左投げ左打ち。血液型B。
(スポニチ)
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【千葉魂】 原点に立ち戻った田中 京大で過去と向き合って
「代われるものなら、代わりたいぐらいだよ」。大学時代の友人の何気ない一言が、田中英祐投手の脳裏にずっと残っていた。昨年末、京都大学野球部の同級生17人が集まった同窓会に出席した。それぞれが別の道へと進んでいる。大学院に進学をし、研究を続けている者。一流企業に就職をした者。それぞれが新たな舞台で挑戦をしていた。その中で、野球を続けているのは田中ただ一人。懐かしき友の研究室や仕事場での愚痴を聞いていると、ふと芽生える気持ちがあった。
「やはり、みんなも心のどこかで大好きな野球を続けたかったという思いがあるのだと感じた。そういう意味ではプロ野球という世界にいる自分は、みんなからしてみれば、特別な場所で特別なことをしている。みんなが応援してくれているし、みんなが注目をしている。自分が頑張ることで、みんなも頑張れる部分もあるのかなと、ふと思いました」
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京都大学初のプロ野球選手として騒がれたルーキーイヤーは、ほろ苦い思い出だけが残り、終わった。「こんなに悩んだことはなかったかもしれない」と振り返る1年目。多くのテレビカメラにその一挙一動を追いかけられ、いつしか自分のピッチングを失った。マウンドではとにかく力んだ。ボールが暴れる。2試合に登板して0勝1敗、防御率13・50。それが1年目の足跡だった。
シーズンオフに入ると精力的に動く。シャドーピッチングを日課にし、フォームを徹底チェック。さまざまな人に教えを請うた。初めて迎える1月の自主トレを、どうしようかと考えた。一人で実家の近くで行おうかと考えていると、年下の田村龍弘捕手に諭された。「絶対に誰かと一緒にやった方がいいですよ。そっちの方が絶対に自分にプラスになりますから」。そうだよなと納得した。すぐに一人の先輩投手の顔が浮かんだ。マリーンズの左の貴重なセットアッパーとして3年連続で40試合以上投げている松永昂大投手に頭を下げた。黙々と自分の練習をこなしている姿に憧れがあった。実績ある投手の練習メニューは、やはりストイックだった。
朝6時半にはグラウンドに到着して7時には走り込みが始まった。短距離から長距離まで午前中はひたすら走った。ピッチングは遠投が中心。90メートルの距離を投げ込むことで、本来の腕の振りを思い出した。先輩投手は、悩める右腕を思いやり、さりげないアドバイスを心がけてくれた。それは野球以外にも及んだ。「プロは食べるのもトレーニングだよ」。食が太い方ではなかったが朝食から、たらふく食べた。下半身を強化し、肉体的にも大きくなり、大胆な腕の振りを取り戻して、1月の自主トレを打ち上げた。
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その翌日、帰京を前に田中は京都大学野球部のグラウンドに顔を出した。足を踏み入れたのは卒業式以来。4年間、汗を流してきた原点。名門私立校ひしめくリーグの中で、なんとか勝ちたいと仲間たちと野球をしていた場所。大学で研究をしながらも、その合間を縫って、この場所で鍛え上げてきた日々を思った。時には真っ暗の中、走った。その原点を探しに来たかのように、グラウンドに足を踏み入れた。変わらぬ景色がそこにはあった。忘れてはいけない初心がそこにはある。プロ入り志望届を出すかどうか悩んだ時、周囲からは「無謀」という声も聞こえた。たくさんの人にも相談をしたが最後は自分で決めた。困難な方の道をあえて選択した。
「1球のボールに何万人の人が一喜一憂する。それは素晴らしいこと。僕も何万の人の心を一つのボールで感動させてみたいと思った。それが僕の原点」
昨年のプロ入り初先発は4月29日のライオンズ戦。本拠地QVCマリンフィールドのスタンドは超満員に膨れ上がった。3回を投げて5失点で負け投手。それでも、その大声援と「英祐コール」に「マリーンズに入って良かった」と選択した道が正解だったと実感をした。大学時代に描いた大志。初登板で感じた大事な思い。それらを京都大学野球部のグラウンドで、過去の自分と向き合うことで再確認をしたかのようだった。
「まずは1軍で1勝。そうしないと次には進めないし、先は見えてこない」
青空の広がる石垣島キャンプ。田中英祐は精力的に体を動かしていた。ちょうど1年前、背番号「31」に集中をしていたマスコミの姿はその周辺には一切ない。だが、彼にとってそれはどうでもいいことなのだ。一歩一歩、前に進んでいることを実感しているように充実した表情を浮かべる。大事な原点に立ち戻った若者は2年目の今季、地道に確実に歴史的な一歩を踏み出そうとしている。
(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)
(千葉日報)
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【球界ここだけの話(453)】
庶民派宣言のロッテ・伊東監督! 石垣島“40分待ち店”の大行列に並ぶ
ロッテ・伊東勤監督(53)の表情が明るい。家族よりも日々接する担当記者としては、ホッとする限りだ。
「特に投手陣の仕上がりがいいんですよ。オフにどれだけのトレーニングを積んできたのか、聞かなくても分かるぐらい、みんなが取り組んでいると思います」
基本辛口の指揮官だが、今春は選手を褒めることが多い。それだけ充実した沖縄・石垣島キャンプを送っている“証し(あかし)”だ。
そんな伊東監督が今春、石垣島の“あかし食堂”にハマっている。正確には『明石(あかいし)食堂』。いま石垣島で、最も行列ができる店として注目されている。
5、10、15日とあったキャンプ休日。伊東監督は5、10日と連チャンで出かけた。人気の行列店。5日は30分待ち、10日は40分待ちだったという。それでも伊東監督は並んだ。
「2回ともカツ丼を食べましたね。全メニューが美味しいらしいけど、ボクはカツ丼にハマりました。東京との単純比較はできませんが、とにかく、昔ながらの味なんですよ」
ゲンかつぎの“勝丼”もあるが、伊東監督が絶賛するどんぶり。そこまで力説するので行ってみたが、食材切れで閉店していた。
それはともかく、かくいう伊東監督を、周辺サークル(取材陣)は自然に応援する。気配りの人なのだ。
今キャンプ中、指揮官主催の担当記者食事会が開催されたが、ロッテの取材にかかわっているのは記者だけではない。新聞社でいえばカメラマン、テレビ局ではクルーと多くの人が汗を流している。かなりの大人数となり、すべてをフォローすることは、物理的に難しい。
しかし、同食事会が行われた後日、伊東監督は「宴席に来られない方もいたので…」と相当数のランチ弁当を球場(石垣市中央運動公園)内で振る舞った。ふつうに頭が下がった。
「派手なことは苦手なんですよ。自分は庶民派でいきますから、特別なことでもありません」
こんな伊東監督のサポーターでありたい一方、「明石食堂」のカツ丼もぜひ、食べてみたい。実は、大好物なのだ。19日のキャンプ打ち上げまで、残されたチャンスは限りなく少ない!?
(ロッテ担当・西村浩一)
(サンスポ)
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本塁ブロック禁止は二塁、三塁と一緒/里崎智也評論
<里崎評論:本塁上のクロスプレー>
ニッカンスポーツ・コムでは、新聞紙面で好評の里崎智也氏(日刊スポーツ評論家)の「ウェブ特別評論」を今季から掲載する。
今回はルール改正となった本塁上のクロスプレーについて話を聞いた。
今季から本塁でのクロスプレーで捕手のブロックが禁止となる。
阪神ではホーム上での捕手の立ち位置を審判に入念に確認するなど対策メニューが組まれていた。
個人的には今回のルール変更は、ホームベース上のタッチが二塁、三塁と同じ普通のベースタッチになったと考えている。
宮崎、沖縄でキャンプ視察して思うに、現行のルールのままではホームベースにちょっと足がかかっただけでも走塁妨害になる恐れもあるので、本塁上は少し複雑になる可能性もある。今後、オープン戦を通して審判も選手も確認が必要だろう。
ただ、自分と重ね合わせて、捕手目線で見てしまうが、新ルールは捕手寿命で考えればプラスと捉えたい。
現役時代に本塁のクロスプレーで2度、左脇腹を骨折した。捕手がけがするケースは以下の2パターンだ。
(1)走者の体当たりに負けまいと踏ん張って、走者と衝突する場合。
(2)不可抗力。それた送球を捕球し、振り向きざまに左脇腹に走者が突っ込んできたケース。
では2つのけがを防ぐにはどうするか。(2)の不可抗力は残念ながら制御不能。ただ(1)については、けがを減らすことができる。
吹っ飛ばされて当たり前-。ボールだけしっかり持って、勢いある走者に無理に体当たりを挑まず、タッチに集中して、飛ばされる心の準備さえあれば、飛ばされてもけがは減る(もちろん受け身の習得は必須)。
「ブロック禁止」についてルールが実戦の運用で落ち着くまでには、さまざまな問題が起こるだろう。
しかし、ルール改正の根源は、セーフのタイミングを捕手のブロックで無理やりアウトにしようとするところにあったのではないか。
走路がないから、走者はホームベースをこじ開けようと捕手に体当たりする。捕手も勢いのついた走者を受け止めようと踏ん張るからケガをするといった悪循環だった。
かつては「命張ってでもホームを守れ」「1点やらなかったら本塁打1本分得する」。そんな声を耳にしたこともある。もちろん、気概も大事だが、なぜ、そういうことが、問題になるのか、本質をしっかり把握できれば解決の突破口になる。
(日刊スポーツ評論家)
◆里崎智也(さとざき・ともや)1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれ。鳴門工(現鳴門渦潮)-帝京大を経て98年にロッテを逆指名しドラフト2位で入団。06年第1回WBCでは優勝した王ジャパンの正捕手として活躍。08年北京五輪出場。06、07年ベストナインとゴールデングラブ賞。オールスター出場7度。05、09年盗塁阻止率リーグ1位。昨季限りで引退。実働15年で通算1089試合、3476打数890安打(打率2割5分6厘)、108本塁打、458打点。現役時代は175センチ、94キロ。右投げ右打ち。
(日刊)
新ルール、捕手苦悩…ブロック禁止に「厳しい」困惑 根底から技術見直し
プロ野球春季キャンプは実戦が始まり開幕へ向けたふるい落としが始まった。ところが、捕手には定位置争いとは違った“難敵”があるようだ。今季から導入する「コリジョン(衝突)ルール」だ。本塁の衝突を禁じる捕手を守るルールのはずが、クロスプレーの技術を根底から見直す必要に迫られるなど、思わぬ悩みの種となっている。(大宮健司)
14日の阪神の紅白戦。四回1死二塁から、中谷が放った左前打で二走の荒木が本塁へ突入し、左翼手のペレスからの返球を捕手の小宮山が捕球。クロスプレーでアウトにした。だが、審判団は内野に集結。協議の輪が解けると球審が「ホーム」と宣言し、鮮やかな補殺が一転、走者の生還が認められ得点となった。
長井功一球審は「捕手が走路をまたいで捕球していると判断し、『コリジョン』を適用した」と説明。小宮山が「ブロック」のように体で走路を遮ったと判断したため、守備側の走塁妨害をとり、判定がセーフに覆ったというのだ。
クロスプレーのブロックは、相手の得点を阻止する捕手の見せ場のひとつでもあった。一方、激しい衝突が捕手のけがを招く危険は小さくはない。日本高野連は2013年から、米大リーグは14年からブロックを禁止。プロ野球でも昨秋の教育リーグから新ルールが試験導入され、各球団も対策を練っていた。
ただ、開幕まで1カ月半を切る中、走塁妨害と判定される線引きははっきりしない。キャンプで走者としてコリジョンによる生還を経験した捕手の梅野は、走者目線から「(捕手の捕球位置は)本塁が隠れるとまではいかなかった。あれを取られるなら厳しい」と困惑。小宮山は「返球のタイミングとバウンドで一番取りやすい位置に動いたらコリジョンといわれた」と頭を悩ませていた。
今季からは本塁のビデオ判定も導入されるが、勝敗を左右しかねないルール変更だけに、キャンプに参加する審判団も練習での事例を集めるなどして試行錯誤している。矢野作戦兼バッテリーコーチは「捕手として『これはないよ』というのは(審判と)すり合わせないといけない」と話すなど、基準が固まるまでまだ時間がかかりそうだ。
練習でクロスプレーを入念に確認している金本監督は「(判定基準に)はっきり統一性を持ってほしい」と注文をつける一方、「本能的に(走路に)足が出たり、ブロックとか絶対にある。捕手はかなり悩むんじゃないか」と捕手の苦悩をおもんぱかっていた。
(産経)
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