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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム記事【7/15~7/18】

2024年07月19日 02時57分33秒 | マリーンズ2024
≪7/18≫


 ロッテの安田尚憲は前カードのソフトバンクとの3連戦、出場した2試合でいずれも安打を放った。

 『8番・一塁』で出場した16日のソフトバンク戦では、0-0の5回一死走者なしの第2打席、先発・有原航平が2ボール2ストライクから投じた6球目のチェンジアップをライト前に弾き返すと、0-4の7回二死一塁の第3打席、「ランナーを返すことが出来て良かった」と有原が3ボール2ストライクから投じた6球目のストレートを左中間に適時二塁打を放った。

 17日の試合でも3-4の7回一死走者なしの第3打席、津森宥紀が1ボールから投じたストレートをレフト前に2試合連続となる安打。

 7月はソフトバンクの3連戦が始まる前まで打率.105(19-2)で、7月14日の試合前練習後の取材では打撃の状態について「そんなにいい感じではないですね」と話していた中で、ソフトバンクの3連戦は7打数3安打1打点。これをきっかけに、さらに安打、打点を積み重ねていきたいところだ。

 7月9日、10日の楽天2連戦(ZOZOマリンスタジアム)、12日〜14日のオリックス3連戦(ZOZOマリンスタジアム)での試合前練習では「色々考えながらやっています」と福浦和也ヘッド兼打撃コーチにマンツーマン指導を受けながら、打撃練習することが多かった。スタッフに打っているところを撮影してもらい、打撃練習の合間に映像を確認している場面もあった。

 福浦コーチは14日の試合前練習後の取材で安田について、「基本タイミングを取るのが上手じゃないので、タイミングの話は常にしていますね。1球目から振れる準備の話とかしていますね」と明かした。福浦コーチは安田の新人時代から“下半身を使って打つ”よう指導してきたが、現在も「そうですね、下半身の動きを言っていますね」とのことだ。

 打撃投手が投げる打撃練習では、「ライナー性を意識して打撃練習をしています」と角度のついた大きなフライではなく、ライナー性の打球を打っていた。その意図について「バットが下から出ないようにという意識でやっています」とのことだった。

 結果を残すために、日々試行錯誤する。「しっかりと準備しながら、福浦さんと話しながら、いい結果を残せるようにやっていきたいと思います」と安田。

 福浦コーチにチームとして安田に期待していることについて訊くと、「やっぱり去年もそうですけど、チャンスで1本出るように。少しずつやっていますね」と、勝負強さを求めている。

 安田自身も「チャンスでしっかり仕事ができるように準備できたらなと思います」とキッパリ。「打つしかないと思うので、しっかり打席で結果を残せるように頑張りたいと思います」。現在リーグトップの58打点を挙げるソトがポイントゲッターとしての役割を果たすが、さらにチームの得点力を上げるためにも、安田にも勝負強さを発揮してほしいところだ。ソフトバンクに追いつき、追い越すためにも、安田にはこの先、ガンガン打ってチームの勝利に貢献していってもらいたい。

取材・文=岩下雄太

(ベースボールキング)

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≪7/15≫


シドニー五輪予選、初のプロ・アマ合同の日本代表に初芝清氏は選出された
「出場できなかったらどうしよう、その話ばかりしていました」。強打の内野手として「ミスターロッテ」と呼ばれ、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める初芝清氏。シドニー五輪予選を兼ねた1999年秋のアジア選手権(韓国・ソウル)に初のプロ・アマ「合同チーム」による日本代表で出場した。

 歴史的な日本代表のチーム編成。初芝氏は話題を耳にしても当初は無関係と考えていた。「大会中もプロ野球のシーズンが止まるわけではない。僕はレギュラーで4番も打っていました。選んでほしくない、という方が先でしたね」。それが、メンバー入り。「ええっ、なぜ俺? ちょっと待って、タイトルも懸かってるのに」と驚くやら、打点王争いのライバルたちの動向が気になるやら。
 代表選手はアマ16人、プロ8人の24人。プロは古田敦也捕手(ヤクルト)、松坂大輔投手(西武)ら。アマは石川雅規投手(青学大、現ヤクルト)や阿部慎之助捕手(中大、現・巨人監督)らがいた。初芝氏は「石川は20歳の頃でした。もう可愛くてね、みんなのマスコットだった」と回想する。

 アマ組が先に現地入りし、プロはシーズンの日程を経て後発。全員が揃うと、日の丸のユニホームの重みを実感した。「プロがいるから負けられない、ではありません。自分も社会人(東芝府中)の時にオリンピックを目指して、代表の選考会や強化合宿に行った事がある。余計に五輪はアマが行くものという気持ちが強かった。(アマのためにも)五輪に出場できないことが一番の怖さ。だから負けられない。出場できなかったらどうしよう、その話ばかりしていました」。

 6つの国と地域が参加した大会は、開催地の韓国も含め同じ宿舎に宿泊した。日本はドーピング対策で外出を禁止した。酒が大好きな初芝氏は、毎日ルームサービスで食事。すると、部屋は未成年を除く選手たちの“溜まり場”と化した。「『きょうもいいですかー』ってやって来るんですよ。韓国では料理を一品頼むとつまみがたくさんつくので、人数が多いからつまみだらけ。そりゃ宴会になりますよね」。杉浦正則投手(日本生命)がプロとアマの間を取り持ってくれた。

 9月11日に予選リーグが始まった。B組の日本はフィリピンとの初戦に10-0で7回コールド。13日の台湾戦は9-1で勝ち、同組1位で予選を通過した。初芝氏は2戦とも出場したのだが、「予選は全く記憶がないんです。俺、出てました? って聞くぐらい」。結果は楽勝で終わっているのにも関わらず。プレッシャーだったのか。

重苦しい雰囲気を打破したひと振り…“消化試合”の日韓戦で感じたプロとアマの違い

 決勝リーグは4チーム中、2位までに五輪出場権が与えられる。15日の台湾との第1戦。初芝氏は予選とは逆にはっきり記憶する。「みんな誰もが真っ青になっていました。点を取られると思っていなかったから。異常な感じでしたね」。先発の松坂が3回に1点を先制されたのだ。

 重苦しいムードを打破したのは「4番・DH」の初芝氏。4回にチーム初安打となる左中間への当たり。レフトがもたつく隙を逃さず、足から滑り込んで二塁を陥れた。「普段の僕ならあそこまで走らない。あれが国際試合なんでしょう」。続く松中信彦内野手(ダイエー)が一塁線を破る三塁打を放ち、同点に追い付く。9回は代打で登場したアマの平馬淳内野手(東芝)が左翼線へサヨナラ打。2-1で制した。

 16日の中国戦は3-0で2連勝。ナイターの韓国対台湾で、韓国が勝つと、日本の五輪出場が確定する。テレビ中継はなかったため、宿舎で結果を待った。韓国のサヨナラ勝ちが伝えられると、初芝氏は「酒を浴びてましたね。宴会です」。

 17日の韓国戦は、シドニー切符を掴んだチーム同士の顔合わせ。初芝氏はプロとアマの違いを感じた。「今も本当に申し訳ないと思うんですが、プロからすると勝っても負けても関係ない“消化試合”の感覚。五輪出場の使命は果たした。プロはすぐ試合が待ってましたから」。初芝氏と松中は18日に帰国し、その夜のダイエー対ロッテ(福岡ドーム)にフル出場している。

 しかし、アマの選手たちの方は闘志満々だった。「アマにとって日韓戦は宿命。気合が違う。別のプレッシャーが懸かってました」。最終戦は3-5で逆転負けした。

 初芝氏は経歴が示す通り、プロとアマの両方の事情を熟知する存在だ。「今はWBCもあるのでね。出場メンバーをオリンピックと分けてくれればいいのかな、と思いますね」。球界全体に向けた貴重な提言に聞こえる。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

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≪7/16≫


初芝清氏は現役ラスト17年目で悲願のリーグ優勝&日本一

「飲んでないのに酔うんですよ」。強打の内野手として「ミスターロッテ」と称され、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める初芝清氏。入団以来Aクラスは1度しか知らなかったが、17年目の現役ラストイヤーはリーグ優勝、さらには日本一まで味わった。忘れられない2005年を回顧した。

 38歳を迎えた初芝氏は“勤続疲労”を自覚していた。「2年前ぐらいから右の股関節が良くなくて、痛み止めが欠かせなかった。自分の見えている感覚と体の感覚にズレがあって、捉えたと思ったのが詰まったり。変なスイングになっていたりした。体が動いてくれない。もう、そろそろかな……というのはありました」。誰しもいつかは訪れる引退への意識は抱いていた。

 ボビー・バレンタイン監督は、鹿児島キャンプで選手個々との面談を設定した。「僕は選手間の汚れ役でも何でもいいからチームに貢献する、そんな話をしました。野手で一番年上でしたし」。ロッテで最初に指揮を執った1995年に、既に在籍していたベテランを監督は信頼した。「成績(34試合出場で打率.220)がそんなに良いわけじゃなかったけれど、ずっと1軍にいました。一度もファームに行ってません」。

 その指揮官から進退を“一任”された。「ボビーに『残りたいならば残っていいですよ』と言われ、考えました。実際に引退を決断するのは、なかなか難しかったけれど、タイミング的にもそうかなと思って」。9月19日に2005年シーズン限りでの引退を表明した。

 この年の規定は3位以内が進出するプレーオフを制した球団がパ・リーグ優勝。2位のロッテは9月22日、1位のソフトバンクと対戦した。レギュラーシーズンの本拠地最終戦で、引退セレモニーが準備されていた初芝氏は6回に代打で出場し、死球を足に受けた。痛みで飛び跳ねるように小走りで一塁に向かう姿は、観衆の笑いも誘った。試合後は歓声を浴びながら場内を1周し、感動の嵐を呼んだ。

 ところが、なのだ。「引退セレモニーをしたら普通は次の日から、いないですよね。でも僕はそこから1か月やってましたからね」。セレモニー翌日の楽天戦は仙台へ当日移動。すると、今江敏晃内野手(現・楽天監督)が下半身の不調を訴えた。

「ボビーが僕を呼んで言うんですよ。『イマエサン、アシガイタイ。スタメンイケマスカ?』って」。監督が緊急事態で頼ったのは、やはりベテラン。「9番・三塁」でフル出場し、ヒットもきっちり打ってみせた。僚友の小林雅英投手からは「アレレ、昨日は引退セレモニーやってませんでしたっけ」と突っ込まれたのだが。

「これまでは下剋上。ファイナルをマリンで。熱いマリーンズファンの前で」

 ロッテは2位でプレーオフに駒を進めた。第1ステージで西武に2連勝し、ソフトバンクが待つ福岡へ乗り込んだ。第2ステージもいきなり2連勝でリーグ制覇に王手。「みんなロッカーで、もうパニックですよ。3試合目の時はビールかけ用に水中メガネとか置いてありました」。しかし、2試合連続でひっくり返され、逆王手をかけられた。決戦の第5戦も1-2とリードを許し、8回に入った。敵地で崖っぷちのムードが漂っていた。

 初芝氏が流れを変えた。観客席に「生涯ロッテ初芝清」の横断幕が掲げられる中、この回の先頭で代打に立った。三遊間へのゴロでも懸命に走ると、サードとショートがぶつかり、一塁送球も乱れた(記録は内野安打)。続く福浦和也内野手の右前打で一、二塁。1死後に里崎智也捕手の左中間フェンス直撃の二塁打で逆転した。初芝氏はそのまま三塁守備にも就き、ロッテ31年ぶり優勝の瞬間を体感した。

 そしてビールかけ。「西武が何連覇したとか、いつもテレビで見ていたシーンを、初めて現実にできた。感動しましたね。プロ野球選手が『ビールかけがしたい』と言う意味が、その時に分かりました」。現役17年間の最後に悲願を成就した。

 会場中が歓喜に沸く。「ただ誰も経験がないから(段取りが)分からない。だからビールが冷えているんですよ。かければ、かける程に寒かったです」。嬉しい悲鳴は耳に残る。酒が大好きな初芝氏をして「初めて皮膚からアルコールが吸収されることを知りました。飲んでないのに酔うんですよ」と言わしめた。

 この後に行われた日本シリーズで、ロッテは阪神に4連勝と圧倒して頂点を掴んだ。2回目のビールかけは「みんな、何か妙に落ち着いてましたね。1回経験しましたから」と笑う。

 ロッテは初芝氏の引退後、2010年にも日本一に輝いている。リーグ3位からクライマックスシリーズ、日本シリーズを駆け上がった。

 今は社会人チームを率いる初芝氏。多忙ながら「もちろんロッテを応援しています」と愛を語る。「まだ1度もないマリンでのファイナルステージを、というのは常に期待していますね。その上での日本一。これまでは下剋上、下剋上ですから。やっぱりファイナルをマリンで。熱いマリーンズファンの前で」。“ミスターロッテ”とファンに愛された男は、自身もファンを想い続けている。

(西村大輔 / Taisuke Nishimura)

(以上 フルカウント)

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