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今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【10/29~10/30】

2018年10月30日 23時21分59秒 | マリーンズ2018
≪2018/10/29≫

“春男”脱却の裏で苦悩も… ロッテの4番・井上晴哉が振り返る覚醒の1年

打撃部門全てで自己最高の成績、最も納得できたのは「99打点」も…

 開幕直後は存在感を示すが、夏までに1軍の舞台から姿を消してしまう……。そんな“春男”と呼ばれたロッテ・井上晴哉内野手は、プロ5年目の今季、ついに覚醒した。133試合に出場して、打率.292、24本塁打、99打点。打撃部門全てで、自己最高の成績を残した。

 今季の成績のうち最も納得できた数字について、井上は「チームの順位があまり良くなかったので……」と前置きしたうえで、「99打点というところじゃないですかね。そこは貢献できたと思います」と、リーグ5位の打点数を挙げた。

 チーム3冠王に輝き、成長を遂げた井上ではあるが、シーズンを通して順調だったわけではない。開幕から4番で起用され、開幕2戦目の楽天戦でプロ入り初となる2打席連続本塁打を放つ好スタートを切ったが、徐々に成績が下降した。

 5年目で初めて、夏までに2軍落ちすることなく1軍でプレーしたが、5月は打率.208、2本塁打、12打点。11日の西武戦からは打順が5番に変更となり、その後は7番まで下がった。交流戦が始まってからは、指名打者制が採用されていないセ・リーグ主催試合で、ベンチスタートという日もあった。

 そんな苦悩の日々を井上は「あの時はドミンゲスも調子が良くて打っていたし、『正直俺じゃなくてもいいのかな』と不安な気持ちもありました」と振り返る。さらに「ちょっと良くなってきたなと思ったときに、扁桃炎になりました。チームに迷惑をかけたと思いますし、その中で不安な気持ちも自分の中でありながら、やらないといけないというのがありました」と、不振と病気離脱が重なった際の素直な心境を明かした。

不安な気持ちを取り除いた豪快弾、「4番打者」への強い思い

 これまでの井上であれば、そのまま負の連鎖でズルズルといってしまう可能性もあったが、ここで立て直せたのが今年ひと味違うところだ。「本当に不安しかなかった」と話した再昇格後初戦、6月23日の西武戦で、今井達也投手からプロ初の満塁本塁打。「即(昇格で)ああいう形で結果が出たのは、本当に自分の中で大きかったですし、その分だけ強くなったのかなと思います」。翌24日には、2打席連続本塁打を放って勢いに乗った。

 7月9日の西武戦からは再び打順が4番に戻り、同月は月間打率.400、7本塁打、23打点で、自身初となる月間MVPを獲得した。8月は再び調子を落としたが、「打席の中での切り替えを含めて、色んな意味で切り替えができたかなと思います」と自身のメンタルを上手くコントロールした。

 9月に入ると再び打撃の状態が上がり、9月8日の西武戦では約1か月ぶりとなる本塁打。これで球団の日本人選手では、2013年の井口資仁内野手(現監督)以来5年ぶりにシーズン20本塁打に到達した。

 井上は「4番である以上は、チームを代表する打者として恥ずかしくないスイングをしたい。そのなかで、(20本塁打以上)打てたというのはいいこと」と力を込める一方で、「ただそこまでホームランが絶対というのはないですね」と大きな一発への強いこだわりはないことを明かす。

 打席内ではすでに4番打者としての風格を醸し、「4番として出る以上は、やっぱり相手に向かっていく気持ちは忘れてはいけないと思います。それは、4番だからというのもありますね」と語る井上。7月9日の西武戦以降、誰にもその座を渡すことなく2018年シーズンを終えた。シーズン自己最高の成績を残し、オフには「今までは何をしたら良くなるかと悪い反省で考えていましたが、今年は打てた理由を深く探っていきたい」と、良かった部分を徹底的に追求していくという。

 来シーズンからは本拠地・ZOZOマリンスタジアムにホームランラグーンが新設され、本塁打増加も期待される。球団の日本人選手では、1986年の落合博満氏以来となる30本以上のアーチを描くことはできるだろうか。かつては“春男”と呼ばれた男が、これからはさらに頼りになる4番打者となる。

(フルカウント)

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≪2018/10/30≫

【千葉魂】福ちゃんと稼頭央くん 友の前で達成した2千安打

「福ちゃんに話さないといけないことがあるんだ」。9月中旬のとある日、福浦和也内野手は同じ年で仲のいいライオンズの松井稼頭央外野手から食事に誘われた。久々の食事の場。親友は席に着くや今季限りで引退する話を切り出した。

 「いきなり深刻な表情で言われたからね。覚悟はしたよ。この年までお互い励まし合いながらやってきた。デビューしたのは稼頭央くんが先で三拍子そろった選手として活躍する前から有名だった。オレとは全然、格の違う選手。ずっと、なんとか追いつけるようにとその背中を追い掛けてきた。ベテランと呼ばれる年になって、同じ年の選手たちがどんどん辞めていく中で刺激を受け合いながらやってきた。それだけにショックだったね。寂しい想いだった。心にポッカリと穴があいたような気分だった」

 この時点で福浦は通算2000本安打の偉業まであと4本と迫っていた。9月15日からはZOZOマリンスタジアムでの本拠地8連戦。8連戦の最後を締めるのは松井の所属するライオンズ3連戦だった。松井は出場登録を抹消されていたものの、チームに帯同し続けていた。だから心の中でひそかに照準を合わせた。

 「ライオンズ戦で、稼頭央くんの前で2000本安打を打ちたい。誰にも言っていなかったけど、自分の中では、そう決めていた。引退する稼頭央くんの目の前で打ちたいとね」

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 5試合を終えて残り2安打としライオンズ3連戦に突入した。8連戦7戦目の9月21日に1安打を放ち、9月22日のライオンズ戦を迎える。これが友の目の前で偉業を達成するラストチャンス。そしてチームはここから遠征に突入するため地元で記録を決めるためにも、残り1試合で絶対にヒットを記録しないといけなかった。

 しかし、安打はなかなか出ない。中飛、遊飛、四球で試合は終盤の八回まで進んだ。先頭打者として巡ってきた4打席目。この日の最後の打席になるかもしれない場面でライオンズはマウンドに4番手として左の小川龍也投手を送り出した。

 外角へと逃げていくスライダー。狙ったわけではなく必死に食らいついて、バットを合わせた。打球は低い弾道を描き、芝の上で跳ねた。右翼手が打球処理まで時間を要するのを確認すると、躊躇(ちゅうちょ)なく二塁を陥れた。最後は足から滑り込み、偉業は達成された。ベース上で両手を掲げ、大声援に応えた。すると三塁側から大きな花束を手にうれしそうに駆け寄ってくる友の顔があった。サプライズ演出だった。

 「ベンチ入りしていなかったのでどこかで見てくれてはいると思っていたけど、まさか花束を持ってグラウンドまで駆け付けてくれるとは想像していなかった。ビックリした。でも本当にうれしかった」

 抱き合った。18歳から42歳のこの日まで一緒にプロ野球で切磋琢磨(せっさたくま)しながら戦ってきた。2人にしか分からない想いがあった。「おめでとう」「ありがとう」。交わしたのは他愛もない言葉だが、その中にはいろいろな想いが詰め込まれていた。わずかな時間が無限に感じられた。

 「ライオンズ戦で稼頭央くんの前で打ちたいとは思ってはいたけど、本当にそうなるとはね。8連戦の最後で、もしかしたらこの日の最後の打席になるかもしれないという場面で達成できたのはなんか信じられないよね。稼頭央くんの顔を見た時に、いろいろな思い出が脳裏をよぎった。彼がいたから今の自分はいる」

    □     ■     □

 それから4日後の9月26日に松井は正式に引退を発表し、翌27日に引退会見が開かれた。その模様を背番号「9」は寂しげな表情で見つめていた。福浦は現役続行を決めた。

 「本拠地で2000本安打を達成した時の大歓声が忘れられない。オレはここで優勝がしたい。やり残したことがある」

 シーズンオフは秋季練習参加が免除された福浦だが連日、誰もいないZOZOマリンスタジアムに足を運び、ウエートで汗を流している。偉業は達成されたが、いまだ闘志は衰えない。先にユニホームを脱いだ友の想いを背負いながらバットを振る。まだ見せたい感動がある。

(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)

(千葉日報)
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