MZの手下の日記

なんということもなく、このたび、日記を開設しました。昔の文章のいくつかも、すこし手を入れて移しています。

湯島聖堂前の「テロワール・カワバタ」

2019-09-29 22:22:42 | お気に入りの店
湯島の聖堂の向かいにある「テロワール・カワバタ」は、いま、最もお気に入りのビストロだ。店の奥からは、階下を流れる神田川が見渡せる立地で、小さな店だが、たいへん素敵なフレンチを食べさせる。

ボキューズドール2003の日本代表を務めた川端清生シェフのお店でだが、カジュアルで、肩ひじを張らない雰囲気で、美味しい料理とワインが楽しめる。その「カワバタ」が御茶ノ水にお店を開いて、5周年を迎えるとのことなので、5周年記念メニューを食べに訪ねた。



シャンパーニュを食前酒にしながら、しばらく待つと、本日のスペシャリテのオマール海老を見せに来た。少しテンションが高くなる。「茄子のアミューズブーシュ」は、旬の秋茄子が本当に美味しい。


前菜の一皿目は、「富士の湧き水育ち 甲斐サーモンのスモーク」で、スモークはこの店の神田川に面したベランダで、燻されている。この自家製スモークサーモンは、名物のひとつで、はじめはそのままで食べ、つぎは、自家製のピクルスと食べ、最後にバケットにのせて、バターを塗って食べるのだそうだ。甲斐サーモンは、いつものサーモンよりもしっかりとしているように思う。



前菜の二皿目は、「久しぶりに作ったスペシャリテフォワグラのテリーヌ」で、フレンチの定番の料理である。三種類のソースが添えてあるが、右下の貴腐葡萄のジュレが美味しい。



魚料理は、「活オマール海老のアメリケーヌソース」で、先ほど見せられた、本日入荷したというオマール海老である。エビの殻でだしを取られたソースが美味しい。海老の腹には、米とオマール海老の味噌をからめた詰め物がされており、濃厚で大変満足した。



肉料理は「フランス産リ・ド・ヴォーと茸のパイケース詰め マデールソース」を選んだ。仔牛のリ・ド・ヴォーが柔らかく、ジューシーで、甘いマデールソースとよくマッチしている。きのこには松茸も使われていた。

ケースに使われたパイも添えられており、これがサクサクで柔らかい仔牛を食べながら、かじると楽しい。濃厚なソースも美味しく、パンにつけて食べてしまった。



チーズの盛り合わせを、しっかりした赤ワインで楽しんだ後、口直しに「無花果のコンポート」を、デザートに「津軽リンゴのババロアと洋ナシのソルベ」を食べ、大変満足したのである。そして、また来たいなと心から思ったのである。



軽井沢駅前の鉄板洋食

2019-09-16 10:30:42 | お気に入りの店
軽井沢駅前の鉄板洋食NISHIHATAは、お気に入りの洋食屋さんだ。鉄板を囲んだ10席のみの小さなお店だが、たいへん手の込んだ洋食を食べることができる。オーナーシェフは、神戸で修業を始め、東京で腕を磨いた人で、最後は軽井沢の星野エリアのホテルのシェフを務めたらしい。何といっても、お勧めは看板メニューの歯ごたえビーフハンバーグなのだが、他の洋食も美味しい。


写真のビフカツは、シェフ自慢の一品である。シェフは関西の出身なので、洋食のカツと言えば、ビフカツということらしい。NISHIHATAのカツは、揚げるカツではなく、衣をつけて、鉄板で焼くように作る。とても衣が軽く、肉はジューシーで、たいへん美味しい。


隠れたお勧めのひとつは、コンビネーションサラダだ。佐久・軽井沢でとれた」新鮮な野菜を使ったサラダで、自家製のポテトサラダ、そしてドレッシングも美味しい。サラダなんかは、野菜を切るだけで、どこでも同じと思いがちだが、だからこそ、素材を選ぶところから料理人の目の違いが出るのだと思う。


セットにすると、ライスと日替わりスープ、デザートが付く。日替わりのスープは、季節の野菜のポタージュが多く、写真はズッキーニのスープである。季節によって、アスパラガス、きくいも、たまねぎ、蕪、バターナッツカボチャなど、いろいろなスープが楽しめる。セットにはデザートとして、鉄板で焼いた焼きりんごが付いてくる。鉄板でゆっくりと焼いた焼きりんごはとても美味しい。リンゴで作ったシードルを少しかけて食べるのがおすすめである。


夕食のみの営業で、木、金、土、日の週4日の営業である。夏休み期間中や、五月の連休などには、繁忙期の特別メニューになり、予約はできない。もちろん夏は焼きりんごはなく、桃などが出てくる。

他にも、鴨の鉄板焼き、ボールキャベツ、オムライス、ステーキなど、どれを食べてもびっくりするほど美味しい。また機会があれば、他の料理も紹介しようと思う。



嬬恋郷土資料館と鎌原城址

2019-09-14 18:57:20 | 上州を旅する
嬬恋郷土資料館へ行った。ちょうど、浅間の天明噴火で有名な鎌原観音堂の真上に位置する。浅間北麓ジオパークの建物と向かい合って建っている。資料館の前には、上皇后さまの御歌の碑が建っている。


天明3年の浅間山の火山活動による岩屑流によって、当時の鎌原村はまるごと埋まってしまった。なんでも570名の村人のうち、生き残ったのは93名だったと伝わる。その多くは、この郷土資料館のそばにある鎌原観音堂のような高台に逃れた人々だそうである。観音堂の50段の石段のうち、35段までが岩屑流に埋まったそうである。



昭和54年から、科研費によって、この埋まった旧鎌原村の発掘が行われ、当時の状況が明らかにされつつある。この資料館には、その発掘の出土品が多く展示されており、一見の価値があると思う。科研費も、たまには、世の中の役に立つことがあるらしい。資料館の屋上からは、鎌原村や、もちろん観音堂も、広く見渡せ、なかなか景色がよい。



この資料館の裏手には、鎌原城という古いお城の跡があり、学芸員の方から、そこの道を入ったところですよ、何もありませんけど、と教わったので、訪ねてみることにした。細い道を登ると、吾妻川の少しひらけた段丘の上に出ることができ、今では畑になっている。吾妻川の段丘の要害を利用した守りの堅い城である。その中に、ポツンと鎌原城址の案内板がある。



鎌原氏は、真田氏と同じ滋野一族で、鎌原から三原あたりを本拠としていたらしい。戦国時代の終わりには、武田氏、そして武田滅亡後は真田氏に仕えたようである。戦国後期の真田氏について書かれた記録には、家老あるいは一族衆として鎌原氏の名前があると、ものの本にある。


この城は、元和の一国一城令で廃された。沼田・吾妻領の城は、沼田城だけになったのである。今では、畑と原っぱにしか見えない城跡である。興味がなければ、畑か鉄塔でも見に来たのかと思うかもしれない。その中で、三の丸と二の丸の間には、発掘された堀切が復元され、ああなるほど、昔は城があったのだと思いをはせられるのである。