少し前になるが、中込へ行った帰りだったろうか、急に思い立って、佐久岩村田のピンコロ地蔵を訪ねた。最近あちこちにできたピンコロ地蔵の中でも、比較的、はじめのころにできたものだという。成田山薬師寺の門前にある。
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岩村田は、江戸時代を通じて、中山道の岩村田宿があり、内藤家一万五千石の陣屋が置かれた土地である。当時はこの地が佐久甲州街道の起点となり、栄えたらしい。近年、新幹線の佐久平駅ができるまで、佐久の中心は、ここ岩村田や中込などの東部にあったようである。
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薬師寺の裏手には、伴野城跡の堀と土塁が残っている。伴野城は鎌倉時代から室町時代にかけて、伴野氏の居館があった場所で、戦国時代には城としても一時的に使われたらしい。土塁に囲まれた方形の居館の跡である。今は公園として整備されている。土塁好きの自分としては、少しテンションが上がった。
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土塁は、北側と西側、そして東側の一部が残されており、それを取り巻くように堀が全周をめぐっている。堀とはいっても、戦のときに役に立ったろうかと思わせるような細い幅の堀である。なかには、「長野県史跡伴野城跡」と書かれた看板があり、由来が詳しく書かれている。
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なんでも、鎌倉時代から室町時代にかけて、伴野氏の居館が置かれた跡で、戦国期の動乱を経て、江戸時代には官庫や陣屋などが置かれたとある。
ものの本によると、伴野氏は、信濃国の守護家であった小笠原氏の諸流で、鎌倉時代の初めには、のちの宗家をしのぐほどの繁栄をしたが、安達泰盛の乱に連座し、威勢が衰えたとのことである。