先週に引き続き、今週は日本中で大雪でした皆様、大丈夫でしたでしょうか?少しでも被害が少ない事を祈ります。
私は地元はそれほど降りはしなかったのですが、予定があって行った場所がものすごく降っていて、あれほどの雪は初めてでテンションアップでしたまだ踏まれていない新しい部分を子供のようにはしゃいで踏んで楽しんでました
車に乗っていても、振動で屋根に積もった雪が窓に落ちてきて前が見えなくなったり、ワイパーが動かなくなったのは初体験でした
でも、木々達に雪が積もり、まるで花を咲かせたような姿は幻想的で綺麗だったな~~~~
----------------------------------------
ネットで見つけた記事が興味深い内容だったので、紹介したいと思います。
これを見ると、雅子妃殿下がこのような状況になった原点がわかるような気がします。
頭がいいことは、本来であれば誇るべきことだ。だがあまりに優秀すぎると、時に不都合なことが起こる。それは、一般社会でも、皇室においても同じこと。才媛・雅子妃が辿る道は、茨の道だった。
「皇太子夫妻のご成婚記念日には、毎年商店街をあげてお祝いをしています。今年は20周年ということもあり、横断幕を作って掲げ、6月9日には駅前広場でイベントを開催しました。ただ、昔のような盛り上がりはまったくなくなりましたね。ご成婚当時は、見物客やマスコミが押し寄せ、商店街の景気もよかった。でも、今はさっぱりです。当時、小和田家が出前をとっていると評判になり大繁盛した寿司屋や鰻屋も、ほとんど店をたたんでしまいました」(雅子妃の実家に近い洗足商店街の商店主)
皇太子妃となった'93年、小和田雅子さんの人気は凄まじかった。実家の小和田家に通じる道路には「プリンセス通り」の異名がつき、一般人は通行止めで、許可証がないと、足を踏み入れられなかった。テレビ中継された6月9日の結婚の儀の最高視聴率は79・9%を記録。いかに国民の関心が高かったかを物語る数字だ。
「雅子妃は、美人で笑顔もチャーミング。ファッションセンスもよく、その上才媛でバリバリの現役外交官。非の打ちどころのない完璧な女性として、老若男女から圧倒的に支持されていました。そもそも雅子妃は、外務省入省時から非常に期待が高かった。その大物ぶりに、当時のメディアが『清原級ルーキー』とまで持ち上げたほどです(笑)」
結婚するまでの雅子妃の経歴には、まさに他を圧倒する迫力がある。
雅子妃の父・小和田恆氏は、東京大学教養学部とケンブリッジ大学大学院を卒業し、事務次官にまで昇りつめた外務省のトップエリート。この間、在米大使館公使、在ソ連大使館公使、国連大使などを歴任し、現在は国際司法裁判所判事の要職にある。また、母親の優美子さんも慶応義塾大学を卒業後、エールフランス航空の東京支社長秘書を経て恆氏と結婚した�エリート専業主婦�だ。
この父母のもとで大切に育てられた雅子妃もまた優秀だった。父の仕事の影響で、幼少期をソビエト連邦、スイス連邦で暮らす。帰国後、優美子さんの出身校でもある名門・田園調布雙葉学園小学校に編入、高校まで同学園で過ごした。
「小和田家は一家揃って教育熱心です。特に優美子さんは、何としても雅子さまを、母校の雙葉学園に入学させたかった。そこで、幼い雅子さまを連れて雙葉幼稚園の、かつて美智子皇后の指導にあたった先生に会いに行き、『どうか娘の雅子を指導してください』と頼みこんだのです」(皇室ジャーナリスト・渡辺みどり氏)
その後、雙葉高校在籍中に、再び父の仕事の都合でアメリカのボストンへ移住し、ハーバード大学経済学部に進学した。
ハーバードでは学業に熱心に取り組み、在学中に執筆した論文で、「優等賞」を受賞。経済学部で受賞したのは、当時まだ3人目だったという。
こうして、幼少期から徹底した英才教育を受けた雅子妃は、持ち前の勤勉さを武器に、父と同じ外交官の道へ進む。そして、次代の皇室を担う皇太子妃として、白羽の矢を立てられたのだ。
当時、海外暮らしで培った広い見識と聡明さを持つ雅子さんが、皇室に新風を吹き込んでくれるかもしれないという期待も大きかった。ところが—。
成婚から20年の月日が経ち、雅子妃の評価は真逆のものに変わってしまった。その原因は、「完璧すぎる経歴」にあると、別の宮内庁担当記者は語る。
「雅子妃ご本人は、『皇室外交の担い手になる』という意気込みで結婚されたのだと思います。実際、それを期待させる言葉で、皇太子は雅子妃を口説き落としている。しかし、いざ結婚してみたら、求められるのは跡継ぎの出産のことばかり。皇室外交への期待の声などほとんどない。前に出て自分を主張したり、能力をアピールすることは、皇族らしくない振る舞いとして疎まれ、変人扱いされてしまうのですから、行き詰まって当然でしょう。雅子妃が皇室祭祀に参加しないことへの苦情もよく聞きますが、皇室祭祀は自分の存在をアピールできる外交のような場とは対極的な滅私の場だから、雅子妃には参加する意味が見出せないのではと思います」
敵と味方で人を区別する
頭がよく、合理的。挫折を知らないエリートの女性が、皇太子に見初められ、日本で最も歴史ある旧家「皇室」に嫁ぐ—。シンデレラストーリーで始まった結婚生活だが、当初からこの「ミスマッチさ」に不安を抱いていたと語るのは、今上天皇の学友でジャーナリストの橋本明氏だ。
「ご成婚当初の東宮御所には、明るさがありました。皇太子にようやくお嫁さんが来たという嬉しさが漂っていた。ところが、すでにその時、『雅子さまの朝のお目覚めが悪くて、殿下のお見送りも上手く出来ていない』という話が耳に入ってきたのです。結婚の直後からこんな状況になってしまうとは、一体どうしたものかと、不安になりました」
しかし、実は結婚以前から、キャリアウーマンである雅子妃を皇室に迎えることを不安視する声が、宮内庁内部で上がり始めていたという。
「反対派の宮内庁職員が、お妃候補から雅子妃を外そうとしたところ、皇太子が『(雅子さんと結婚できないのであれば)それなら僕は結婚しない!』と、憤慨なさったこともありました」(東宮関係者)
雅子妃と皇室の歪は、早くも生じ始めていたのだろう。そして近年議論を呼んだ、愛子内親王の通学の付き添い問題に関しても、雅子妃のエリート意識が影響していたのでは、と考える意見もある。
「愛子さまの学校でのいじめ問題以降、雅子妃は長い間付き添いをされていました。ご自身が、親子べったりの純粋培養のエリート教育で育ってきたので、同じ感覚だったのでしょう。しかし、通学に10人も20人もお付きが付いてくる様子は、本当に異様ですよ。ところがご本人は、親として当然という感じで周囲の迷惑に気づかない。学習院には、親は同行しないという原則があるにもかかわらず、自分の娘が心配という理由だけで、それを無視する。広い視野で物事を考えることができないのではないかと思ってしまいます」(学習院関係者)
病気の発症後、たびたびその行動が原因で批判を浴びるようになった雅子妃。なぜ、このようなことになってしまったのか—この問題を考える上で、「父親の影響力の大きさ」が重要な要因になっていると、皇室ジャーナリストの神田秀一氏は語る。
「先のオランダ訪問で、小和田夫妻は宮内庁にも現地に同行した東宮職にも断りなく、皇太子ご夫妻が宿泊されていたホテルを訪問しました。その直前にも密かに日本に帰国して雅子妃と面会している。皇室に嫁いだ方の前に、その両親がことあるごとに現れる。皇室の歴史上、こんなことは例がない。娘が皇室に入ることは、恆氏にとっても誇らしいことだったのでしょう。なるべく目立たないようにしようとする美智子皇后のご実家の正田家との最大の違いは、ここにあります。一方、雅子妃も父親の行動を嫌がらないということは、妃の中での恆氏の存在、影響力がどれほど大きいかを物語っている。私には、雅子妃の通学時の付き添いの様子が、恆氏の行動そっくりに見えました」
恆氏を身近で見てきた外務省キャリアOBも言う。
「雅子さまには、自分が信頼しない人間は、東宮の人間であれ誰であれ、厳しく拒絶するところがあるようですが、父の小和田氏もまさに同じタイプでした。接触したくない人間とは一切交流をもたない。小和田家には、『自分にとって味方か、敵か』で人を区別するところがあります。実はこれは典型的な官僚思考。東大から霞ヶ関というエリートコースを歩んできた人間によく見られ、その意味では小和田氏や雅子さまに限ったことではありません。でも、皇室はそれとは正反対の場所で、自分の好き嫌いで判断することは厳格に慎む教育がなされ、その文化の中で子どもも育てる。だから、皇室と雅子さまには異文化の衝突がある。また、ご両親もそんな雅子妃を後押しし、夫である皇太子も味方している。そのため、雅子さまも皇室に順応しようというお気持ちにならないのではないか」
ジレンマを抱え続けた結果、雅子妃は体調を崩し、'03年末に長期療養を発表。「適応障害」という形で、雅子妃の心は重圧に潰れていく……。
そしてその半年後、皇太子の口から「人格否定発言」が飛び出し、物議を醸した。この一連の出来事にも、恆氏がかかわっていたのではないかと、宮内庁のベテラン職員が語る。
「普段から皇太子殿下と接している関係者からしてみれば、あの発言は非常に違和感のあるものでした。というのも、あのようなトゲのある言葉は、殿下が持っておられる語彙にはない。実際、小和田元次官の力が働いたのではないかと考える者も少なくなかった。小和田氏が殿下のお口を借りて、宮内庁とマスコミに抗議のメッセージを送ったのでは、と憶測が飛び交ったのです。殿下は、雅子妃を支えなければならないという非常に強い責任感をお持ちですから、小和田氏にも逆らえなくなっているのではないか、と……」
キャリアアップ?
この人格否定発言の中で、皇太子は、「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあった」と告発した。このキャリアとは、まさに「外交官としてのキャリア」だと、精神科医の香山リカ氏は指摘する。
「皇太子のプロポーズ自体が、『皇室には君の能力が必要だ』という意味の、いわばヘッドハンティングでした。雅子妃にしてみれば、恋愛を成就して結婚したというより、キャリアアップのために皇室に�転職�した、くらいの気持ちだったのかもしれません。雅子妃は『外交官は一生の仕事』と話していました。皇室外交という言葉が、彼女の気持ちを動かしたのです」
だが、いざ菊のカーテンをくぐると、雅子妃が想像していたものとはまるで違う現実が待っていた。
「雅子妃は、いまだにそのギャップを乗り越えられずにいます。むしろ、キャリアウーマンとして培ってきた強い意志を捨てられず、一歩も妥協できていない状況です。雅子妃が、万一皇太子妃とならず、外交官としてキャリアを積んでいたなら、同じような仕事をしている人と結婚して、国際的に活躍されている緒方貞子さんのような人生を歩んでいたかもしれませんね」(前出・香山氏)
雅子妃が、みずからを窮地に追い込み、それでもなお抱き続けている「自分の能力を活かして活躍したい」という想い。これは、勉強が出来る女性特有の感情である—そう語るのは、雅子妃の大学時代をよく知る女性。彼女もまた、東大を卒業した秀才だ。
「東大出身者をはじめ、勉強が出来る女性は試験の成績がよく、偏差値の高い学校に入ると、自分は能力が高いんだと誤解してしまいがちです。そして、これは私自身にも言えることですが、常に自分のプライドを満足させたいという気持ちを軸に行動してしまう節がある。成績は、人間の総合的な能力の一部分でしかないということが言葉ではわかっていても、最終的にはそこを自分の拠り所にしてしまう。男性に対しても、自分の能力を認めてくれる人にだけ過剰に甘え、他の男性は軽視するか無視する、という傾向があります。女性の場合、社会に出れば成績や能力以外のものも要求される。いくら学校の成績がよくても、それだけでは幸せになれないよとか、いい結婚はできないよと言われるたびに、被害者意識に陥って、周囲を拒絶してしまうようになるんです」
雅子妃は秀才として、間違いなく順風満帆な人生を送ってきただろう。「勉強が出来すぎる」がゆえ、皇室に嫁ぐ道も前向きに受け止めた。だが、そこで出会った初めての異文化。雅子妃はその壁の前に、今も立ち尽くしているかのようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<転載ここまで>ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とりあえず、拾ったサイトの原文のまま載せてみました。
これを読むと、雅子妃殿下の行動が、周りには異様に見えても、本人には普通の事である事がわかります。
気に入らない事や嫌な事は絶対やりたくないと言えばやらなくてもよかったし、嫌いな人なら拒絶すれば良かった、それがまかり通っていた。
世間ではそれはおかしな事だけど、親もそうだったし、本人にはそれが当たり前で正しいと思ってきた行動だから何がおかしいのか、なぜ皆が批判するのか理解できない。
おまけに、学歴だけは素晴らしく、私は特別な人間と言う自負もあったのに、求められる事は自分の能力や知識が発揮できる内容ではないものばかりで、やりたい事をやろうとすると「あれはダメ、これもダメ」と窘められる。
30年近く培ってきた本人にとっての常識や普通の事が全否定されて批判され、例え優しい言葉で諭された事も厳しい叱責や自分への侮辱と受け取ってしまうのかもしれませんね。
それが公務のボイコットや「私を理解してくれない周りが悪い、皇室が悪い、宮内庁が悪い、東宮職が悪い」と大っぴらに周りを批判する要因になり、人格否定発言に繋がってしまった。
そう考えると、本当にお可哀想としか言いようがないのですが、でも、ご本人が選ばれた道ですし、受け入れる努力や、その中で自分の生きがいを見つけて頑張る事も必要です。
その努力をしないまま、ただ悲劇のヒロインだと嘆くのは問題があると思います。