ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

今週のドラマ

2014-10-24 07:17:46 | ドラマ・ワイドショー

 宮沢経産相でしたっけ?SMバーにお金を使っていたとか。

さらに東電株所有。

安倍総理、大丈夫なんだろうか?以前もこんな風に回りを崩されて辞任したような。

今時、後ろ暗いものがない政治家なんていないと思うけどね。

さて。今週は真面目にドラマを見ましたよーーでも「ディア・シスター」は挫折。

面白くないわけじゃないけど、見ててかったるい。

 

 信長協奏曲

道三の死を嘆く帰蝶に大泣きしてしまいました。

少しずつストーリーの意図が見えて来たような気がします。

いつも小栗君の乗馬姿ばかり気になってしまって すみません。

どれくらい稽古してあそこまで乗れるようになったのかなあとか

うまいのか下手なのか・・・ちょっとわからないなあ。

駆歩は出来るけど。

 

 素敵な選TAXI

ネットで竹野内の無駄遣いと言われているけど、本当によくわかります。

「素敵な竹野内を見たかった」ってわかるわーー

なんだかんだいって竹野内豊という人は、二枚目なんです。

二枚目に三枚目をさせちゃいけないわーー器用な人ではないし。

今回のストーリーは、最初よりはよかったと思うけど

未来で捕まった仲村トオルはどうなってるわけ?なんて考えちゃって。

 

 相棒

右京さんそっくりのしゃべり方をする少年。

コンセプトはいいけど、彼は棒読みだった・・・・・ 

でも最後、花の里で泣きじゃくるのを見てもらい泣き。

 

 今日は会社休みます

「こじらせ女」っていうのは色々考えすぎて踏み出せない女のこと?

っていうか、考えすぎなんじゃないの?

まあ、年下彼氏が財布を忘れた時点で「この展開は・・・」と見えたけど

でも、普通はそこまで疑わないよなあ

うざすぎて・・・携帯メールの返事が来ないだけで一晩、まんじりともせずって

あーー私が19歳の頃はこんな感じだったけど、30の人がやると

こんなにうざいとはっ

だんだん「ホタルノヒカリ」そっくりになっていくので

藤木君が出て来ないかしらと思ってしまいます。

 

 ドクターX

岩下志麻さん・・・すごいっ!すごすぎる。

高畑さんと組むと最強「大奥」

本当に岩下・春日局で「大奥」やりません?

何、これ時代劇?」と大門が言っておりますが、その傾向は強まるばかり。

北大路欣也が出ているからかなあ。

というか、時代劇風を取り入れる事によって何でもありの世界になるのは事実。

どんなありえない手術だってできちゃう。

シーズン1の頃は「いくらなんでもこんなにうまくはいかないんじゃ」と

思っていたけど、今じゃ「さあ来るぞ来るぞ」だもんね。

でも、高畑看護師長が言うように、いつもいつも大門のやり方が

成功するとは限らないと釘を刺すのはいいこと。

それにしても・・・・・岩下・高畑両名に叱られても

5時なので帰ります」ってさっさと帰る・・ここまで恐れを知らないと

打つ手がないよね。

せいぜい嫌味に白衣を送りつけることくらいかしら?

 

そうそう、東宮御所に雇われたスーパー数学教師。

犬の散歩もさせられてるって?

いたしません」と言えないの?

何を命令されても「教師の資格がなくても出来る事はいたしません」って言っちゃえ。

 

追記

 「SAKURA」 → これまたどこの時代劇?風な言い回し。

            非情にだれたけど、ラストのちゃんばらに免じて次回も見る。

 「全てがFになる」 → 退屈でしたー武井咲が可愛いのは認めますけど

                「ガリレオ」ほどのインパクトはないかも。

                武井のDAKSの衣装が・・・・バブリーで。

 

 

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献杯

2014-10-23 19:01:29 | 近況報告・子育て・嫁姑

 皆様、ご心配頂き、ありがとうございます。

一応、仕事には行っているのですが帰ってきたらぐたーーっとなっちゃって

薬の副作用もあって眠いです。

やっぱり週末には病院に行くべきですよね。

今回、旦那の伯母上様が亡くなってわかた事ですが、お通夜をしない「一日葬」というのが

あるそうですね。

亡くなった翌日には葬儀をして火葬して終わり。

出席者はせいぜい10人くらい。精進揚げもしない

それでかなり費用を安くあげられるのだとか。

核家族化が進み、こういう形の葬儀が流行っているとも。

今回、伯母上はそのような形で葬儀を執り行ったのですが、

何もかも一人で決めちゃった伯母上の夫82歳の几帳面さには

親族一同「へえーー」ってなもんらしいです。

 綺麗好きの為、家に他人を上げない。関東に住む子供達家族ですら近くのサウナに泊める。

 家事は全て一人でこなす。

 妻が認知症になっても子供達に介護を頼まず、全て自分で精神病院への入所を決めた。

 亡くなった朝は車で1時間半かけて病院にかけつけた。

 自分が死んだときの事は全てお役所にお願いし、書類も全て作成済で、子供達は一切

  関わらないようにしている・・・らしい。

伯母の実の弟である郡山宮は、姉が認知症と診断されてから、何とか郡山に連れて来たいと

思っていたようですが、さっさと精神科に入れてしまい、お見舞いに行くのもままならず。

大館という所は非常に遠いので。

見舞いはいらない。来なくていい。子供にも頼りません。全部役所に頼んでる・・・・そこまで

完璧にされちゃったら誰も口をだせず、宮は姉と最後の語らいもなく。

亡くなった日は市の仕事に関わっていた為、すぐに大館に行く事が出来ず、結果的に

夜中に行くハメに。

そして別れを惜しむとか、思い出を語る間もなく葬儀になって、一泊もせず帰って来たんだとか。

多分、私達が郡山に行くたびに、そこらへんの「無念さ」を延々と語られるだろうなと思います。

私が電話をした時も、82歳にしては本当に元気な声で

弔電なんて打たないで。そんなに大層な事をするつもりはありませんから

とおっしゃり、私が「おば様はおいくつだったのですか」と言うと

81です。でも私は82ですよ。まあ、何とか見送る事が出来ましたから」と。

淡々としているなあと思いつつ。

心には真一文字に「一人で全部やる」って刻み込んでいるんでしょうね。

普通、喪主は夫であっても一切を取り仕切るのは長男だと思うんですけど

印象としてはお客さん状態?

「通夜ぐらいしてよ」とも言えない立場。

そんな意固地さが可愛くない・・・・と親族は思う。

そういう郡山宮だって10年前の長男死去の際は、あまりに一人で頑張ろうとするので

旦那がつききりで裏方をやっていたんですけど。

本当にあの世代と言うのは、よく言えば潔い。でも悪く言えば可愛げがない。

50をとうにすぎた子供達であっても頼るに値しないと思うんですか。

その代わりといっちゃなんだけど、一切面倒みろとも言わないし、電話をかけてくるわけでもなく

元気なうちは存在すら忘れちゃってるかも。

 

私にはそんな事出来ないなと思います。

構ってちゃんの私は、先週、腰痛で歩けなくなった時

すぐに帰って来なかった夫に腹を立てていますし(現在進行形)

翌日も病院に連れて行ってくれなかった事にも腹を立てています(現在進行形)

どうもこの体調不良は結婚25周年時の絶望から来ているんじゃないかと。

人は「25周年くらいなによー 大げさな事をされたら余計にひくわーー」なんて言うけど

私は引きませんっ 来年の舅の傘寿より私を大事にしてほしい。

だって結婚生活ってそういうもんでしょ?

私は私なりに家族の為に頑張ってきたけど、多分旦那は「ふぶきのせいで今がある」と

思っているんだろうなあと。

子供には「ママが死んだら宝塚のDVD以外のものは全部捨てるね」と言われ

傷ついたと訴えると「そんなもんでしょ」といなされる。

何なのよねーー

 

長患いはしたくないけど、病気の時くらいちやほやして欲しい。

死ぬ間際には家族が側にいてほしい。

私が生きて来た痕跡を全部なくすなんて言わないで欲しい。

若い頃は何度入院してもそこまで孤独を感じた事はなかったけど

やっぱりこの歳になると思います。

葬儀は通夜くらいして・・・・しみじみ一晩くらい語って欲しいわと。

家族が全員そろって(できれば一族が揃って)

賑やかに通夜振る舞いをしてくれたらありがたいよね。と。

葬儀の日。

旦那が帰ってきて平日なのにお酒を飲むので付き合ってと言いました。

伯母さんが亡くなったから・・なんていうの?こういうの

献杯

それそれ。それやろう」って。

伯母上の為には盃を上げるのだな。よく気が付く人だよなと思いつつ。

だったら大館まで行けばよかったのにと思いつつ。

二人で杯を捧げました。

伯母上様。結婚以来、あまりお会いした事はなかったのですが

いつも静かに微笑んで座っておられた印象です。

宮妃曰く「旦那さんが潔癖症で妻に家事を任せない人だから苦労した」との

事ですが、お会いした限りではそんな風には見えませんでした。

長女として弟や妹達の面倒をよく見いていた・・・家族の犠牲になったのではと

言われる程。本当に大変でしたね。

手先が器用な方で、おしゃれを全くしない宮妃の為に、スーツを手作りして下さって。

ワンピースやブラウスは縫えても、スーツを仕立てるというのは

すごいなあと。

正直、服のセンスゼロで安ければいい・・・的な宮妃が、我が家の子供達の

慶事に明るい色のスーツを着てくれたのは、全て伯母上様のおかげ。

ありがとうございました。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」169(企のフィクション)

2014-10-23 07:40:00 | 小説「天皇の母」161−

東宮御所は恐ろしく暗い場所だった。

今まで皇居とか東宮御所とか、とにかくそういう場所には縁がなかった。

だから暗いも明るいもない筈なのに

門をくぐったその瞬間から身震いがする。

やっぱり緊張する?そりゃあそうよね。日本で一番偉い場所だもの」

広々としたセダンの後ろ座席にゆったりと座った女性が言った。

先生、今、震えたでしょ。わかるわ。その気持ち

オーノは(それは違う)と思ったが、言葉では

そりゃあ、我々庶民には遠い存在ですし」と言った。

気をよくしたのか、彼女は「そうなの。でも私達も準皇族だから」と自慢げに言う。

「準皇族」などという言葉があるのか、そこらへんの知識は全くない。

ただ、目の前の女性がふふっと笑って、その笑顔を見た時

(病んでるよな)と思ったくらいだった。

 

今時の日本でこんなにこんもりとした緑に囲まれている屋敷があるだろうか。

それなのに緑が全て真っ黒に見えるのだ。

初夏の光を浴びて美しい筈なのに。

税金で暮らしているんだよなあ。

皇室に対する尊敬の念など持った事のないオーノは

軽い嫉妬と妬みの感情に襲われたが、それを必死に顔に出さないよう努力した。

まあ、自分がどんな表情をしようとも隣の女性は気づかないだろう。

そんな女だ。

 

やがて車は広い玄関に止まり、女官や侍従の出迎えを受けて、二人は車から降りた。

いらっしゃいませ。イケダ様

女官長が無表情で会釈する。必要最低限の会話しかしない・・・と心に決めているようだった。

お姉さまに伝えて。先生をお連れしたって

畏まりました

女官長が去り、二人はプライベートスペースの一室に入った。

公人が来てもいつでも対処できるように、東宮御所はいつも完璧に掃除されている。

チリ一つない・・・筈なのに、どういうわけかピカピカ感がなく、どんよりしている。

空気がくぐもっているというか、息苦しいというか。

すれ違う者がいない長い廊下。声を出してはいけないような雰囲気。

これが東宮御所というものなのだろうか。

やがて、女官に付き添われて・・・・・入って来た女性。

それが皇太子妃だった。

そろそろ暑い時期に入ろうとしているのに、とっくりセーターのようなものを着て

ストライプのパンツスーツを着ている。

不機嫌さを隠そうともせず、部屋に入っても視線は妹に集中した。

一体、何の用事なの

まあ、お姉さまったら。可愛い妹がご機嫌伺いに来たのよ。もう少し優しく出来ないの

レイコはむくれた顔で言ったが、マサコは取り合わなかった。

お父様が心配しているのよ。お姉さまがずっと東宮御所にひきこもりになって

このままでは本当に体を壊すって」

それはそれでいいんじゃないの

よくないわよ。お姉さまは病気なの。気が付かないうちに病気になってるのよ

どこが」

よくわからないけど心が風邪をひいているんじゃないかって。だって変でしょ。

ご自分の部屋から出て来ないし、電話にも出ない。回りにはドアの隙間から

メモを渡すような事してるし。可哀想にアイコだってほったらかしで。

いつもベッドに寝てるんですって?そんなに体調が悪いの?

熱があるわけでもないし、検査をしても異常がないって。だからきっと心の病なんだろうって

思うのよ。それでね、今日、オーノ先生をお連れしたの。

先生はケイオウ出身で私どは同窓生になるわ。アメリカで主人と知り合ったの。

権威ある精神科の先生よ」

 マサコは初めてオーノを見た。大きな瞳だった。どこか狂気をはらんでいるような気がした。

お・・オーノです」と名刺を渡す。

名刺をじっと見つめるマサコはひどく嬉しそうだった。まじまじと名刺を見つめる。

どうしたの?先生がご挨拶しているのよ

だって、名刺を貰うなんてなかった事だもの。この10年ずっと

どうやらマサコは「名刺」を受け取って「社会人」として認知されたような気になってるらしい。

マサコの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

お姉さま

レイコが驚いて叫びそうになるのをオーノは手で制した。

おっしゃりたい事をおっしゃってください。イケダさん、外に出て

レイコは言葉もなく、慌てたように外に出て行った。

暫く、誰も入れないで下さい

後姿にオーノはそう言い、マサコの手をとった。

どうぞ、今のお気持ちを全て吐き出して下さい

子供のように泣きじゃくっているマサコは頷いた。

「みんな意地悪。みんな嫌い。少しも私の事をわかってくれない。

誰も私を大事にしない。嫌いな事ばかりさせる。そして出来ない出来ないと

ぎゃあぎゃあ怒る。最悪。最低。

好きで結婚したんじゃない。好きで子供を産んだんじゃない。

私は外務省にいたかった・・・」

それから先はもう、延々と2時間以上、同じ事をしゃべり続けていた。

時には泣き、時には怒り、叫んだり。

これが今までテレビで見てきた皇太子妃の本性だったのかと。

オーノは頭を抱え込んだ。

出来る事から始めましょう。毎日、日記のように、今日出来た事を書くのです。

まず自分を受け入れて

彼が行っている認知行動療法は「うつ病」に効果的であると信じている。

しかし。

 

一通りの話を終え、またレイコが呼ばれ、今度は3人でお茶を楽しんだ。

さっきまでのマサコは別人だったのかもしれないと思う程、

快活になっている。

先生の話を聞かせて」

いや・・・」(何を話せと・・・)

どうして精神科を選んだの?」

それは手術が嫌いだから

記憶の中に嫌な影が蘇る。

まあ、それは冗談ですが。私の持論は心が病気になると

体の病気も治らないというもので。要は心というのは目に見えないものですが

非常に重要な部分です。

日本は長い間、精神医学に関しては世界から後れを取ってきました。

やっぱり日本人の習性なんでしょうね。

怠けられないと思えば必死に頑張る。頑張りすぎて疲弊してしまい、それが

目に見えない体調の悪化につながるのです。

自分を認められず、許す事が出来ず追い込んでいくんですね

そうそう。そうなのよ」

マサコは大いに頷いた。

でも、世の中、精神科医と歯科医と美容外科医は医者じゃないという事ですし

それでも美容整形などは儲かるからいいけど、精神科は・・・・」

そんなのおかしいわ。心のお医者様こそ沢山収入があるべきよ。まして

先生はケイオウを出ていらっしゃるし留学までしていらっしゃる学者様だもの

「いやいやなかなか・・・・」

脳裏に浮かぶ言葉。

あいつ、医者になるなんてすごいなあ。さすがだよ)

医者ったって精神科医だぜ。鉄格子ついた部屋で気が狂った人間を相手にしているんだろ。

そんなの医者じゃないよ)

まあ、悩み聞いて薬処方すればいいんだから楽だよな

うまくやってるよ。あいつは全く)

いつかの同窓会でそんな話を耳にした時の嫌な気持ちが蘇る。

それからなかなか認めて貰えない「認知行動療法」の事も。

医者になったといえば聞こえがいいが、結果的にみな、同じような事を

思っているのだ。

ところで、先生、姉の状態はどうですの」

唐突にレイコが話題を変えた。

は・・はい

オーノは言葉に詰まる。

(どう考えても反社会性人格障害などとは言えない。よく見積もっても

自己愛性人格障害としか・・・ミュンヒハウンゼン症候群を起こしかねない)

どうなさったの

いや。あの、こんな事を申し上げてはなんですがお身内に精神疾患の患者が

出たというような事は?」

まあ先生ったらなんてことを

レイコが怒った声を出したので、オーノは黙ったが、そこをマサコが庇った。

先生は医師として聞いているの。どうかしら。私達の家系でそんな人いた?」

いるわけないじゃない。オワダもエガシラも優秀なんだもの

ははは・・優秀で生真面目すぎる傾向があるようですね

オーノのお世辞に姉妹は喜び、くすくすと笑った。

ただ、今姉妹を見た感じでも、爆発しやすい性格なのは明らかであるし

話に脈路がなかったり、話題を継続していけない事などから

コミュニケーション障害も違われる。

どれもこれも、環境によってそうなったというようり、元々持っている

気質のように感じる。

そういえば・・・・今まで関心がなかったから何も知らなかったけれど

内親王は「自閉症ではないか」と疑いがあったのでは?

そうなるとますます遺伝的傾向が。

で、どんな病名がつきますの?」

レイコが尋ねた。

要はそこか・・・・と勘のいい医師は思う。

ここで、変に「うつ病」だの「〇〇障害」などと診断すればまずいという事かもしれない。

言葉を慎重に選ばなくては。

そうですね・・・病気・・・といえるかどうか・・・」

病気ですよ。だってこんなにやつれて毎日部屋に閉じこもりきりなんですよ。

私の前でだってさっきのように泣いたりして」

ああ・・そうですね。病気ですね

うつ病なんでしょうか」

うつ病・・・・といえなくも

でも、そんな名前を公表したら偏見を持たれるわ

マサコが今にも泣きそうな顔で訴える。

気持ちが沈みこむと何もできなくなるんです。私、ネットで調べました。

これはうつじゃないかって。私みたいなタイプに多いんですって。

それはそうでしょう?

女であっても私はそこそこ学歴もあって自己実現したいと思って生きて来たんです。

まさか皇室に入ってお飾りの役目をさせられるなんて思いもよらず。

毎日針のむしろです。

私の存在なんてどうなってもいいんだわ。誰も私を認めてくれないのよ・・・」

妃殿下、落ち着いて下さい。そんな風に思い詰めないで心を自由にして」

でも、先生!私がうつ病だって世間に知られたら、私、どんな目で見られるか」

・・・・・」

何となくやらせの芝居を見ているような気がする。

いや、自分もまた登場人物の一人だった。

そうでしょう?」

ではどんな病名にいたしましょう

「・・・皇室嫌い病とか・・自己実現なんたら病とか・・・ああ、もうわからないわ。

結果的にこの環境が大嫌いなんです」

では適応障害というのはいかがでしょう

てきおう・・障害?」

マサコは聞いた事ない名前に少し驚いた。

環境に適応できない為に急性として起こる障害です。

症状は人によって様々ですが、環境を変える事で完治する・・・という。

治療の一環として休養、それから自分のライフワークを見つける努力をする

という」

それで決まり!」

マサコは叫んだ。

適応障害にしましょう。私に公務が出来る?」

嫌な事をいやいややっていると症状が悪化するので、今は好きな事を好きなだけ

おやりになって下さい。軽い睡眠薬で不眠症は回復するでしょう

ああ・・・心からほっとしたわ

マサコは安堵のため息を漏らした。レイコも笑った。

これで偉そうなカナザワをぎゃふんと言わせてやれるわね。

あの医者が何と言っても無駄よ。こちらには皇太子妃の専属医がついているんですもの。

お姉さまはオーノ先生しか信用しないわよね」

ちょっと待って下さい。専属って・・・」

そんな話は聞いていなかった。

自分としては患者の言いなりになって診断をつけた事にかなりの罪悪感を抱いていたし

出来ればこれきりにしてほしかった。

がんのように目に見える疾患なら白黒をつけやすいのだが、精神医学の場合

どこまでもグレーゾーンである。

まして「悩み聞いて薬処方して金貰って」と陰口をたたかれる精神科の世界で

患者の言いなりになったとしられれば大問題。

学界の信用にかかわる。

名前を借りるだけよ。普段はつききりじゃなくていいわ。ただ、私の具合が悪い時は

付き添って欲しいの。私は先生を信じるし、全力で先生をバックアップする。

絶対に損はさせないわ」

皇太子妃の専属医・・・・・麻薬のように魅力的な肩書だ。

これさえあれば医学界において自分の名声が高まる。

運が自分に向いて来た事を彼ははっきり悟った。

承知しました。妃殿下のおおせのままに

後に日本一有名な精神疾患名となる「適応障害」

思惑絡みの医師と患者が決めた病名。

最初は誰もこの病名を知らなかったし、信用もしなかった。

しかし、「皇太子妃を苦しめる心の病」という肩書が一人歩きしはじめ

やがて若い女性中心に適応障害の診断を受ける者が続出していく。

本当は誰もその病気の実態を知らなかった。

オーノ自身、この診断名が定着しようとは思いもせず。

この病名がやがて「自分に都合のいい精神病」の代名詞になるとは・・・・・

精神医学界に大きな傷を与えた事をオーノは気づかなかった。

 

 

 

 

 

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雑談

2014-10-22 07:00:00 | つれづれ日記

 腰痛が何とか治まったものの、風邪が治らないの。

声が変で鼻がぐすぐすで だるいし、やる気おきないし。

なのにお仕事しないといけないし・・・・・ぐちぐち

朝、郡山宮妃からお電話で。

宮の姉君が亡くなられたと。享年81歳。

宮夫妻は一応、駆けつけるとは言ってるけど、私達は遠すぎて行けないので

「弔電お願いねーー」と言われました。

でも、聞いた住所を検索しても何も出てこないっ はあ? 地図で見てもさら地だよ。

こんな所に葬儀屋があるのか?みたいな。

それで右往左往し、結果的に秋田まで電話をかける始末。

「身内だけでやるから気を遣わずに」と言われたけど、そうはいってもねーー

「あんたの方が大丈夫か?」と82歳のおじうえに言われました。

そ・・・そんなにひどい?私の声。あわわ・・・・

もう風邪なのかアレルギーなのかわからない。喘息も出るからいつも胸が苦しいし。

というわけで、ブログを書く暇がなくもうしわけありません。

とはいっても。

「マッサン」でエリーが「夫はキング、妻はハウスメイド」と教わって愕然とするシーンが

ありました。いわゆる「亭主関白」を日本語に訳したつもりなんでしょうけど

個人的には「?」でした。

じゃあ、スコットランドがどんだけ「男女平等」だったのか?と言いたくなります。

西洋=女性に優しい。レディファーストだから男女平等

日本=封建時代のなごりが残っている。家父長制だから男女不平等

というとらえかたをしているのかもしれませんが

安倍総理が小渕さん達を閣僚にしたのは、「日本は男女不平等で女性が活躍しにくい

発展途上国。ゆえに従軍慰安婦問題が出てくる」からでしょ。

「女性だから」閣僚にされたんじゃ、嫉妬されて追い込まれるよね。

男の嫉妬は醜いですが・・女性だって「女だからっていうな」と怒るべきだったのではないかと。

 

世界的にみて日本は政治の場における女性の数は少ないらしいです。

確かにいまだに女性総理大臣は出てこないし、女性大使とかいうのもいないし。

じゃあ、お隣の韓国は大統領が女性だから「男女平等」の国なんですか?

まさか。口が滑ってもそんな事いえない。

あんなに女性に対して冷たい国はそうそうないだろうというお国柄。

だけど「トップが女性である」というだけで、印象としては「平等」アピールにはなる?

あの大統領は独身だから大統領になれたんじゃないか・・・・いわゆるあの人を

女性としてみてはいけないような気がします。

単に「性」が「女」に分類された人という気が。

ジェンダーフリーの信奉者は必死に言います。

男女参画が望ましい。女性も男性と同じように働いて収入を得る道を作るべき。

その為に配偶者控除をなくそう。女性もパートじゃなくてフルタイムで働き

結婚しても大丈夫なように保育所を設置し、男性も家事・育児に参加を」と。

半分は賛成。でも半分は。

 

この世でどうしても変えられないもの。

それは「女性は子供を産む事が出来る唯一の存在」であるという事。

ニューハーフが増えても人口は増えない。

性転換しても子供は産めない。

無論、男性と女性がいて初めてそれはなされるのだけど、子供を体内で育てる

事が出来るのは女性のみです。

しかしながら、それゆえに体調も変わりやすくなるし、不調も多くなります。

まるっきり元気な人もいれば、一度の出産で体を壊す女性も多くいるのです。

年齢によって変化も大きいし。

つまり、どんなに頑張っても女性を男性と全く同じように扱う事は出来ません。

女性の男性化は無理なんです。

それをやったら、この世の中は男性ばかりになってしまって子孫は増えません。

安倍総理がやった事は矛盾しているのです。

女性を閣僚にすれば女性の社会進出を促進することになる」と思ったんでしょう。

でもその代償が「少子化」ならどうするのですか?

今、男性達は自分の体調すら顧みることが出来ない程、働いています。

親の介護の為に仕事を辞めざるをえない人も多々いる状態。

つまり、少しでも会社にとって得にならない存在になったらいつでもくびを切られる・・・

そんな状態で仕事をしているのです。

女性もまたそういう中に入ってしまったら、結婚どころの話じゃなくなるでしょう。

どちらか片方が年収1000万とか2000万くらいあって、専業主婦主夫出来る

ブルジョワのみが結婚や子供を持つ「特権」を得るような時代になるのではないかと。

 

「マッサン」の話に戻るけど

夫はキング、妻はハウスメイド」などと言うけれど、それじゃあ

日本では妻を「山の神」と呼ぶ事を知らないのでしょうか。

どこの世界に妻を「山の神」と呼ぶ国があるでしょうか?

近代でいえば「大蔵大臣」とも呼ばれていますね。

一番偉いのは総理。だけど実は影の実力者は大蔵大臣だとも言えます。

つまり、今も昔も「本当に偉いのは妻のほう」だって夫もわかってるという図式。

政治の場で活躍する事だけが「女性の社会進出」ですか?

小渕さんは閣僚だったけど、家事や育児は旦那さんと半々だったの?

もしそうなら尊敬するけど。

 

どんな先進国だって「妻」が出世の階段を上り始めたら夫は狼狽し

プライドが傷つき、家庭にひびがはいる・・・これはDNAなのかしら。

軋轢を起こさないように一歩引きつつ、財布はがっちり握って

「自分へのご褒美」を買う妻の方が賢い生き方だと思うけどな。

 

疲れているのかしら?私。

「仕事」だけしていればいい身分になりたい気もするけど。

ふぶき家の「山の神様」は非常に孤独です。

 

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道化の瞳

2014-10-21 07:00:00 | ヅカOG その他舞台

 「すべてはNのために」はとってもおもしろいなと思いました。

窪田正孝&榮倉奈々・・結構お似合いですし、「青春」という気がします。

あのお母さんの壊れっぷりが・・・(父もだけど)

最後まで突っ走って欲しいです

刑事・吉永誠一」はキャラクターの性格がいきなり変わっていてびっくり。

小泉ジュニアには乱暴な言葉遣いは似合いません。

もうちょっと何とかならないものでしょうか。

ごめんね青春!」今回のツボは「腐ったみかん」でした

いやーーこれがわかる年代っていうのが嫌だーー でもわかっちゃうんだよーー

はちゃめちゃな話ではあるけど、少しずつ理由がわかってきたような気がします。

突撃!あっとホーム」でしたっけ?

宝塚駅の傍にあるもなかやさんの店主さんが引退というので

真琴つばさ・遼河はるひ・映美くららの3人がフラッシュ・モブを企画。

かなり面白かった。

何が面白かったって。もなかやのおばあちゃん。

榛名由梨一路真輝からのビデオメッセージに一々お返事して可愛い。

齢80 なのに信じられないくらいしゃきしゃき歩いていらっしゃる。

80年も生きると、全てに感謝って気持ちになるんでしょうね。

いやいやもう、ありがとうございます」と柔らかな関西弁で言われるとほっこりします。

店にあまり来なくなったら出世したのかしらーーと思ってねーー」なんて

本当にお母さんのような優しさを感じます。

これが本当の「慈愛」なのかもと、ちょっと思いました。

・・・映美くららは本当に可愛いなあ 下手な娘役よりずっと。

小渕&松島氏のダブル辞任。

これだから女は・・・・・と言われる元を作ってしまったんですよね。

小渕さんはよくもわるくも「お嬢様」

長年主婦をやっていたら収支が恐ろしく違う事くらい気が付きそうなものだけど

しゃあないっか。トカゲのしっぽ切りをしなかっただけ偉いというか。

松島さんはよくわかりません。何で大臣になったのかも。

安倍ちゃん。女性だあら大臣になれるというなら、ぜひ私を少子化担当大臣に・・・って

ちょこっと言ってみた。

 道化の瞳 

場所;シアタークリエ

出演者;玉野和紀・屋良朝幸・梶原善・・保坂知寿・彩吹真央・畑中洋・中河内雅貴・上口耕平

     佐藤洋介・大真みらん・白華れみ

 

初演から人気で上演を続けてきている・・・玉野氏のオリジナル人気作品。

白血病で骨髄移植をしたものの、再発して命が危ないケンイチが母の為に

絵本を書きました。

母は目が見えず、けんちゃんの世界は病院だけ。

1幕目はけんちゃんの病気に関する話。

2幕目はけんちゃんが書いた絵本の話。

それがリンクしていく・・・・という話です。

回りはすでに1幕目から鼻をすすっていたし、2幕目は多分号泣

全てのお客を泣かせる切なさ。

母と病気の息子の話という、設定だけで泣ける、しかも結末もわかりきっている

作品ながら非常に感動させて頂きました。

ストーリーとしては定番中の定番。

目が見えない母に「目をあげて」と死んで行くけんちゃん。

そのけんちゃんの分身のような道化の人形、チャーリー

何をどう言っても「とにかく泣けっ!」って感じ。

 

主演の屋良君は・・・はっきりいって「お母さんといっしょ」の歌のおにいさんみたい。

声の感じがそうなのよね。

ドクターの梶原善。この人がいて本当によかった この方の助演がなければ

成功しなかったでしょう。

彩吹真央の「ママ」は優しく、美しい。二幕目のチェリルは金髪のお嬢様なんですけど

これがとにかく可愛い

こんなに金髪が似合う人もいません。

 

大真みらん白華れみのダンスも素晴らしかったし。

佐藤洋介の体の柔らかさもすごいっ

適材適所に人を配置したすばらしい舞台でした。

が・・・ちょこっとケチをつけるなら。

これがもし脚本コンクールに出したりしたら間違いなくボツになるだろうなと。

なんでか?

月並みな内容だからです。

はっきりいってどこにでもあるストトーリーで誰でも考えそうな話。

それがそうなっていないのは、「道化」というアドリブが入るから。

結構な時間をとってジャグリングやら輪投げやら・・・1幕目は戦隊ものの青いのが出てくるし。

そこで大いに笑わせておいて一気に泣かせる。

演出の妙でしょうね。

それと、二幕目のローガンは意味不明な存在。

チャーリーを見るなり「あんたの母親に金を貸して返してくれなかった」と責め立てたかと

思えばクーガンを「自分の子供かもしれない」といって肩にあるあざを探させる。

グリゼルダとペデリアという養子?が2人いて、その二人を変わらず愛しているけど

それでもクーガンが気になる

結果としてクーガンの母親だったかどうかは不明。

ここらへんの処理が甘い。あますぎると思います。

 

それと、チャーリーがラスト、チェリルに目をあげる為にわざと事故にみせかけて死んでしまうのですが

それに対してクーガンが必死に

なんてことをしたんだ。人はそれぞれ役割をもって生まれて来たんだよ」と

自殺した事を責めるような言葉を残しているのに、結果的に自分の芽を母にあげてと

遺言を残す。

自殺と病死では全然意味が違うけど、チャーリーとけんちゃんとクーガン、

母とチェリルが表裏一体というなら、チャーリーへの言葉は必要なかったんじゃないかなと。

ここらへん、少し修正するとよりいい作品いなると思います。

 

とはいえ、彩吹真央みたさに行った甲斐がありました

 

 

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皇后陛下、傘寿に  3

2014-10-20 07:23:03 | 皇室報道

 芸術について

「芸術ー質問にある音楽や絵画,詩等ーが自分にとりどのような意味を持つか,

これまであまり考えたことがありませんでした。

「それに接したことにより,喜びや,驚きを与えられ,その後の自分の物の感じ方や考え方に,

何らかの影響を与えられてきたもの」と申せるでしょうか。

子どもの頃,両親が自分たちの暮らしの許す範囲で芸術に親しみ,

それを楽しんでいる姿を見,私も少しずつ文学や芸術に触れたいという気持ちになったよう記憶いたします。

戦後,どちらかの親につれられ,限られた回数でも行くことの出来た

日比谷公会堂での音楽会,丸善の売り場で,手にとっては見入っていた美しい画集類,

父の日当たりのよい書斎にあった本などが,

私の芸術に対する関心のささやかな出発点になっていたかと思います。

戦後長いこと,私の家では家族旅行の機会がなく,大学在学中か卒業後かに初めて,

両親と妹,弟と共に京都に旅をする機会に恵まれました。

しかし残念なことに,私は結婚まで奈良を知る機会を持ちません。

結婚後,長いことあこがれていた飛鳥,奈良の文化の跡を訪ねることが出来,

古代歌謡や万葉の歌のふるさとに出会い,歌に「山」と詠まれている,

むしろ丘のような三山に驚いたり,背後のお山そのものが御神体である大神(おおみわ)神社の深い静けさや,

御神社に所縁(ゆかり)のある花鎮(はなしず)めの祭りに心引かれたりいたしました。

学生時代に,思いがけず奈良国立文化財研究所長の小林剛氏から,

創元選書の「日本彫刻」を贈って頂き,「弥勒菩薩」や「阿修羅」,

「日光菩薩」等の像や,東大寺燈篭の装飾「楽天」等の写真を感動をもって見たことも,

私がこの時代の文化に漠然とした親しみとあこがれを持った一因であったかもしれません。

建造物や絵画,彫刻のように目に見える文化がある一方,

ふとした折にこれは文化だ,と思わされる現象のようなものにも興味をひかれます。

昭和42年の初めての訪伯の折,それより約60年前,ブラジルのサントス港に着いた日本移民の

秩序ある行動と,その後に見えて来た勤勉,正直といった資質が,

かの地の人々に,日本人の持つ文化の表れとし,

驚きをもって受けとめられていたことを度々耳にしました。

当時,遠く海を渡ったこれらの人々への敬意と感謝を覚えるとともに,

異国からの移住者を受け入れ,直ちにその資質に着目し,

これを評価する文化をすでに有していた大らかなブラジル国民に対しても,

深い敬愛の念を抱いたことでした。

それぞれの国が持つ文化の特徴は,自ずとその国を旅する者に感じられるものではないでしょうか。

これまで訪れた国々で,いずれも心はずむ文化との遭遇がありましたが,

私は特に,ニエレレ大統領時代のタンザニアで,

大統領は元より,ザンジバルやアルーシャで出会った何人かの人から

私たちはまだ貧しいが,国民の間に格差が生じるより,皆して少しずつ豊かになっていきたい

という言葉を聞いた時の,胸が熱くなるような感動を忘れません。

少なからぬ数の国民が信念として持つ思いも,文化の一つの形ではないかと感じます。

東日本大震災の発生する何年も前から,釜石の中学校で津波に対する教育が継続して行われており,

3年前,現実に津波がこの市を襲った時,校庭にいた中学生が即座に山に向かって走り,

全校の生徒がこれに従い,自らの生命を守りました。

将来一人でも多くの人を災害から守るために,胸の痛むことですが,

日本はこれまでの災害の経験一つ一つに学び,しっかりとした防災の文化を築いて

いかなくてはならないと思います。

歓び事も多くありましたが,今年も又,

集中豪雨や火山の噴火等,多くの痛ましい出来事がありました。

犠牲者の冥福を祈り,遺族の方々の深い悲しみと,未だ,行方の分からぬ犠牲者の

身内の方々の心労をお察しいたします。

又この同じ山で,限りない困難に立ち向かい,救援や捜索に当たられた各県の関係者始め

自衛隊,消防,警察,医療関係者,捜索の結果を待つ遺族に終始寄り添われた保健師の方々に,

感謝をこめ敬意を表します。

 記者会が質問したのは「皇后陛下にとって芸術の持つ意味は」

  「これまでどんなお気持ちで芸術に接してこられたのか」

  というものでした。

 記者会としては、皇后陛下がすぐれた文学者であり、音楽にも造詣が深い・・・という

  ような事を含めて、そのような部分をどのようにお子様やお孫様方に伝えて

  いかれているんだろう・・・というようなことを聞きたかったのでは。

  しかし、答えとしてかえってきたのは・・・話が非常に大きくなって、しまいには

  質問の答えから逸脱してしまったような印象があります。

 本当は「愛子がチェロを弾き、私がピアノの演奏をする事がございます」とか・・・

  そんなエピソードが欲しかったんでしょうね。

  それがブラジル移民の話にまで広がると・・・・

  ブラジル移民の方々の話を聞くと、そこまでブラジルが日本に優しかったかというと

  疑問を感じざるを得ないのですが。

 唐突に出てきたタンザニア大統領の言葉。

  皇后陛下は本当に心から「格差」が嫌いなのですね・・と思いました。

  誰だって好きな人はいないでしょうけど、日本が戦後70年のうち、50年以上

  「世界で社会主義を実現できているのは日本だけ」と言われる程、

  社会主義国も及ばないような「横一列」の繁栄を築いて来たのですが

  皇后陛下の中では、日本がずっと「格差」を感じて生きて来たのだと解釈されて

  いるのでしょうか。

  ゆえに、「普通」に拘り皇室と庶民の価値観を一つにしようと努力されてきたのかと。

 自分達の暮らしの許す範囲で芸術を楽しみ

   限られた回数でも

 この二つの言葉に「私はブルジョワ出身ではありませんよ」と言っているような気がして。

  いや、十分にブルジョワ出身でいらっしゃいますけどね。

 

私達が今まで見て来た皇后陛下のお姿。

「慈愛」に彩られた優しいお姿。

でも80年を経て垣間見えたお姿は、非常に政治的で怜悧な方。

歳を重ねてよりシャープにご自分に課題を課しておられるような印象です。

いいのか悪いのかわかりませんが、ここまで皇后陛下が「私」の感情を

取り払った、「自分の人生のみ」に目を向けた文章をお書きになった事。

どんな意味があるのでしょうか。

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皇后陛下、傘寿に  2

2014-10-20 07:18:30 | 皇室報道

 戦後70年を迎える感想

「今年八月に欧州では第一次大戦開戦から百年の式典が行われました。

第一次、第二次と二度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い、

共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。

 私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の

強い恐怖を忘れることが出来ません。

まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、

従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、

個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、

身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います。

 「怖れ」という言葉を誤解されないように「憎しみ等であろう筈はなく」と書いて

  おられますが。私は当時の中学生ならやっぱり「A級戦犯に死刑判決」と聞けば

  「あんなひどい戦争を引き起こした責任を取る為の死」という感覚を持たれたのでは

  ないかと思います。

戦後の日々、私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが、

戦中戦後の記憶は、消し去るには強く、たしか以前にもお話ししておりますが、

私はその後、自分がある区切りの年齢に達する都度、

戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか、

と思いを巡らすことがよくありました。

 ここの部分は陛下も同じで、それが対馬丸への慰霊などに繋がっているのだと思います。

 両陛下は生きているけど、同世代の人達があの時、一歩間違ったら空襲で死んでいたかも

  しれない、あるいは、戦後、人生が崩壊するような出来事にめぐり合ったかもしれない。

 はからずも両陛下は、そのようなものから「守られて」生活してきた事に対する、罪悪感かなと。

 まだ若い東宮妃であった頃、当時の東宮大夫から、

著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。

長くシベリアに抑留されていた人の歌集で、中でも、帰国への期待をつのらせる中、

今年も早蕨(さわらび)が羊歯(しだ)になって春が過ぎていくという一首が特に悲しく、

この時以来、抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと、

その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に、心を向けるようになりました。

 最近新聞で、自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が、

十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前、死亡場所等、出来る限り正確な名簿を

作り終えて亡くなった記事を読み、心を打たれました。

戦争を経験した人や遺族それぞれの上に、長い戦後の日々があったことを改めて思います。

第二次大戦では、島々を含む日本本土でも百万に近い人が亡くなりました。

又、信じられない数の民間の船が徴用され、六万に及ぶ民間人の船員が、

軍人や軍属、物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを、

昭和四十六年に観音崎で行われた慰霊祭で知り、その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。

戦後七〇年の来年は、大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。

 世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、

わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。

遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、

今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、

国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが

大切ではないかと考えています。

 「遺族会」・・・・どう解釈したらいいのか。

 「平和」を志向する事が憲法順守であったり、安保体制反対だったり・・・だったのかなと。

  ひねくれすぎてすみません。

 

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皇后陛下、傘寿に

2014-10-20 07:12:42 | 皇室報道

 皇后陛下、お誕生日おめでとうございます 

 これからもますますお健やかにお過ごしくださいませ 

 

 皇后陛下誕生日文書 

 

 

 80年を振り返って

「ものごころ付いてから、戦況が悪化する十歳頃までは、

毎日をただただ日向で遊んでいたような記憶のみ強く、

とりわけ兄や年上のいとこ達のあとについて行った夏の海辺のことや、

その人達が雑木林で夢中になっていた昆虫採集を倦(あ)きることなく眺めていたことなど、

よく思い出します。

また一人でいた時も、ぼんやりと見ていた庭の棕梠(しゅろ)の木から急に

とび立った玉虫の鮮やかな色に驚いたり、

ある日洗濯場に迷い込んできたオオミズアオの美しさに息をのんだことなど、

その頃私に強い印象を残したものは、何かしら自然界の生き物につながるものが

多かったように思います。

 その後に来た疎開先での日々は、それまでの閑(のど)かな暮らしからは

想像も出来なかったものでしたが、この時期、都会から急に移って来た子どもたちを受け入れ、

保護して下さった地方の先生方のご苦労もどんなに大きなものであったかと思います。

戦後の日本は、小学生の子どもにもさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました。

  感情の試練とは何だろうと思いました。

  価値観が180度変わった事でしょうか。

終戦後もしばらく田舎にとどまり、六年生の三学期に東京に戻りましたが、

疎開中と戦後の三年近くの間に五度の転校を経験し、

その都度進度の違う教科についていくことがなかなか難しく、そうしたことから、

私は何か自分が基礎になる学力を欠いているような不安をその後も長く持ち続けて来ました。

ずっと後になり、もう結婚後のことでしたが、やはり戦時下に育たれたのでしょうか、

一女性の「知らぬこと多し母となりても」という下の句のある歌を新聞で見、

ああ私だけではなかったのだと少しほっとし、作者を親しい人に感じました。

 一般庶民と比べるのは何ですが、うちの郡山宮妃もよくいいます。

 「戦時中の学校は授業にならず、戦後は墨塗りをした印象しかない」と。

 あの当時の子供達はみな、ただただ驚いて、それを反芻する暇もなく、新しい価値観を

  植えつけられていったのだと思います。

 皇室に上がってからは、昭和天皇と香淳皇后にお見守り頂く中、

今上陛下にさまざまにお導き頂き今日までまいりました。

長い昭和の時代を、多くの経験と共にお過ごしになられた昭和の両陛下からは、

おそばに出ます度に多くの御教えを頂きました。

那須の夕方提灯(ちょうちん)に灯を入れ、

子どもたちと共に、当時まだ東宮殿下でいらした陛下にお伴して附属邸前の坂を降り、

山百合の一杯咲く御用邸に伺った時のことを、この夏も同じ道を陛下と御一緒に歩き、懐かしみました。

 自然描写は多々出てくるのですが、あれ程長い時間を一緒にお過ごしになったと思われる

  昭和天皇と香淳皇后に対する感情が非常にあっさりしているような気がしてなりません。

  どんな「御教え」を頂いたのか。

  国民が知りたいのはそこなんじゃないかなと。

 いつまでも一緒にいられるように思っていた子どもたちも、

一人ひとり配偶者を得、独立していきました。

それぞれ個性の違う子どもたちで、どの子どもも本当に愛(いと)しく、大切に育てましたが、

私の力の足りなかったところも多く、それでもそれぞれが、

自分たちの努力でそれを補い、成長してくれたことは有難(ありがた)いことでした。

 「力がたりなかった」のは東宮の事ですか?それでも自分の努力で補ってきたと。

  ここらへんは、正直、きれいごとにしか聞こえなくて。ごめんなさい。

子育てを含め、家庭を守る立場と、自分に課された務めを果たす立場を両立させていくために、

これまで多くの職員の協力を得て来ています。

社会の人々にも見守られ、支えられてまいりました。

御手術後の陛下と、朝、葉山の町を歩いておりました時、うしろから来て気付かれたのでしょう、

お勤めに出る途中らしい男性が少し先で車を止めて道を横切って来られ、

「陛下よろしかったですね」と明るく云(い)い、また車に走っていかれました。

しみじみとした幸せを味わいました。

多くの人々の祈りの中で、昨年陛下がお健やかに傘寿をお迎えになり、

うれしゅうございました。

五十年以上にわたる御一緒の生活の中で、

陛下は常に謙虚な方でいらっしゃり、また子どもたちや私を、

時に厳しく、しかしどのような時にも寛容に導いて下さり、

私が今日まで来られたのは、このお蔭(かげ)であったと思います。

 八十年前、私に生を与えてくれた両親は既に世を去り、

私は母の生きた齢(とし)を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出と共に、

同じ朝「陛下と殿下の御心に添って生きるように」と諭してくれた父の言葉は、

私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います」

 

 前半の文章を読んで持った「印象」は、今、皇后陛下のお気持ちは

 皇室の中ではなく、果てしなく「ご実家」に向かっているという事です。

 小さい頃の思い出やご両親やご兄弟に関しては、こまかい描写も多いですし

 非情に「思い入れ」を感じます。

 しかしながら、皇室に入られてからの事はあっさりしたもので、とってつけたような

 言葉でしか語っていないような気がします。

 皇后陛下の皇族としての生活は、とっくの昔に一般人だった頃を大きく超えているのですが

 「東宮妃」としてあるいは「皇后として」何を第一に考えて来たとか、何を学び、これから

 誰に何を期待するとか・・・そういう事は一切述べられておりません。

 単に「去年まで色々書いて来たからもうよろしいでしょう」と思われたのかもしれませんが

 80歳という節目を迎えて、思い出す多くの事が戦前戦後の子供時代の事だった・・・というのは

 何となく解せませんね。

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皇室ウイークリー

2014-10-19 10:10:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

10月10日・・・天皇陛下 → 通常業務

           両陛下 → 国際法曹協会東京大会の開催について説明を受ける

10月11日ー12日・・・両陛下 → 長崎県訪問

 ・ 長崎県知事らから挨拶を受ける・懇談

 ・ 県勢事情聴取

 ・ 平和公園供花

 ・ 恵の丘長崎原爆ホーム訪問

 ・ 提灯奉迎

 ・ 諫早市美術・歴史館視察

 ・ 昼食会

 ・ 式典前演技鑑賞・国体開会式出席

10月14日・・・天皇陛下 → 神嘗祭勅使に会う

                  警察大学校警部任用科第41期学生に会う

                   通常業務

10月15日・・・天皇陛下 → 農林水産事務次官から進講を受ける

           両陛下 → 秋篠宮両殿下から帰国の挨拶を受ける

10月16日・・・天皇陛下 → 信任状奉呈式

                   お稲刈り

           両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

 

皇太子同妃両殿下

10月10日・・・皇太子殿下 → 東京オリンピック・パラリンピック50周年記念式典

10月11日・・・皇太子殿下 → 山形県訪問

 ・ 全国育樹祭

 ・ 県勢事情聴取・昼食会

 ・ 山形県立博物館視察

 ・ 金山大堰・金山町立金山小学校視察

・ 最上町ウエルネスプラザ木質バイオマスエネルギー地域冷暖房システム視察

 ・ 特別養護老人ホーム紅梅荘視察

 ・ 新庄ふるさと歴史センター視察

 

10月14日・・・皇太子殿下 → オペラ「パルジファル」鑑賞

10月15日・・・皇太子殿下 → 勤労奉仕団に会釈

           両殿下 → 国際交流基金賞受賞者と会う

 

秋篠宮家

9月30日ー10月10日・・・両殿下 → グアテマラ・メキシコ訪問

 両陛下、台風の為、予定を切り上げて帰られて正解です。

  公務が多すぎ。次は「豊かな海つくり大会」で奈良ですって?

  これこそ、他の皇族に任せればいいこと。 なぜ両陛下はこだわるんでしょうか?

  ご自分達が開拓されたもので、魚類の専門家である陛下にとって思い入れがあると

  いうのはわかるけど、だったら猶更、次世代に任せるべきでは。

 「皇太子と山形」と言えば、昔、季節外れの「ラ・フランスジュースが飲みたい」と言って

  回りを困惑させた歴史が・・・・

  とはいえ、山形の前に秋田で日本酒をおおいに楽しみ、また山形でもそうだったでしょう。

 

 愛子内親王に新家庭教師 

 愛子内親王の新しい家庭教師として、元高校教員、大橋志津江氏を採用。

 身分は「御用掛け」

 4年生から担当してきた糸川順子氏(元小学校教員)は退職。

 大橋先生については、採用決定直後からネットで色々な話が流れておりまして。

  おおむね「厳しい」先生であるとか。

  厳しいというか、硬い先生という印象がありますね。

  教え子達のツイッターでは、あまりいい印象は持たれていないような気がします。

 何でも学習院中等科の隣にある戸山高等学校(偏差値70)の数学の先生らしい。

  なぜ中学生の家庭教師に高校の先生が?

 ここからは噂です。

 愛子内親王は日々、午後通学し宿題やテストは持って帰っているので、

  宿題をやる要員ではないか。

 武蔵野陵参拝時、愛子内親王が手順を間違えた事で、家庭教師が一人首に・・・・なるという

  噂がたった直後の採用。

 小学校4年の時からついてた糸川先生と愛子内親王がどんな交流を続けて来たのか

  わかりませんけど、なんともあっさりした事ですね。

 もし、「中学進学に伴って」というのが事実なら、4月の時点で交代しないとおかしいのでは。

 とすると、やっぱり「首きり」の信憑性が高まってしまい。

  どちらにせよ、大橋先生が高校にいた時のように、愛子内親王に厳しく当たれるかどうか。

  小山元園長のように、とりこまれちゃったら終わりかなと。

 というか・・・・子供を持つ母として申し上げますが。

  妃殿下におかれては、家庭教師を云々する事よりも、内親王の生活サイクルを正常に

  戻すことが先なのではありませんか?

  中1の試験を休んでしまった・・・・というのは普通なら相当なハンデになります。 

  また、出席日数においても、「遅刻」が多発するよりは「欠席」の方が内申書はいいかも?とか

  親として考える事は多々ありましょうに。

  よその家の晩さん会で26歳の花嫁に張り合って出てきてる場合じゃありませんことよ。

 いわゆる「私的な晩さん会」なら出られるけど、国賓が来る「晩餐会」に出られない。

  オランダへは行けたけど、外国からの王族には玄関先にすら姿を見せない。

  どういう「病気」なのかいい加減、はっきりして頂きたいものです。

  いつまでも「外交官」だった・・・などとほらを吹く前に、それらしき事をしたらいかがか。

  「子供がいるから働けない」という主婦だって、子供が中学生になれば毎日数時間は

  働けますのよ。

  まして女官や侍従や家庭教師に囲まれて子育てしている筈の皇太子妃が

  「娘の行く末が心配で公務出来ず」なんて言い訳、出来るとお思いか?

  誰がなんと言おうと、内親王は内親王。

  「天皇の娘」であっても、天皇にはなれません。

  それでも、ちゃんと礼儀をわきまえたしとやかな姫様なら、そこそこ「皇室外交」だって

  出来るかもしれない。

  愛子内親王に今、必要なのは成績じゃなくて「しつけ」です。

  娘を使って野心を満足させようとするのは間違っています。人はそれを「毒親」というんです。

  まずは1年間、ちゃんと遅刻や早退せず、学校に通う事が出来てから。

 

  

 

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韓国史劇風小説「天皇の母」168(哀のフィクション)

2014-10-18 07:00:00 | 小説「天皇の母」161−

平凡な家の平凡な娘に生まれた。

ただ、人よりちょっと勉強が出来たので、そこそこの大学の英文科に進んだ。

得意科目が英語だったから。

バブルの絶頂期。いつはじけ飛ぶかわからない時代。

ディスコは下火になりつつあったけど、「3高」は健在。

ロレックスの時計をしてソアラでアッシー君が送り迎え。

女が強気の時代だった。

おりしも男女機会均等法時代。

仕事も家庭もと欲張っる人が多かったけど、私はそんな事思ってもみず。

「寿退社」が夢だった。

まさか、それが実現するなんて。

学生時代にたまたま行った合コンで、お互いノリが悪いと回りに言われて

カラオケハウスから出た時、一緒にドアノブに手をかけた彼。

一目ぼれだった。それは多分彼もそうだろうと思う。

東大で外交官志望。

無口だけど、とっても優しい人だったので、

就職2年目で目出度く「寿退社」

彼は外務省に無事入省できて

海外勤務には妻の同伴が必須、じゃあ、すぐ結婚しようって。

誰一人、この結婚に反対する人はいなかった。

平凡なサラリーマン家庭の娘が、そこそこに古い、由緒ある家に嫁いだ。

立派な「玉の輿」

だから結納金は100万と「普通」でも、姑がその姑から受け継いだ指輪をくれたりして。

何となく「選ばれた」自分にうきうきした。

その年は、皇太子妃が内定し6月に結婚するという。

私達も6月がいいんじゃない」と言ったら、姑が首を振った。

6月は日本では梅雨時よ。意味ないわ。秋になさい」

でも皇太子妃殿下と同じ時に結婚出来るなら」

そういう流行りに乗る人が多いから6月は予約で一杯。悪い事を言わないから

秋になさい」

義母の意見は確かだった。

だってその日、6月9日は豪雨だったんだもの。

傘をさして、屋根がある所でもドレスが汚れてしまうわ。お気の毒に」

義母はテレビを見ながら言った。

あのマサコさんって3代前が不詳なんですってね。皇室ともあろうものが

なんだってそんな所から嫁を貰ったのかしら。それに比べてうちは幸せよね。

大した所じゃなくてもちゃんと日本人だしね」

お母さん

彼氏が珍しく声を荒げた。

僕の前でそんな事言わないで。僕は外務省勤務でマサコさんは同僚だったんだから

そうは言っても有名な話じゃないの。しかもチッソの孫だし。嫁の出自は大事だわ。

跡取りを産んで貰うんだからね」

彼はあたまをかいて首を振った。

その時は、単純に「人のよしあしは出自ではない」と思っていた。

彼女はハーバード大を卒業して外務省に入省し、父親も外交官と言うエリート一家。

人も羨む家系だもの。

「本当はどうなの?」とちょっと聞いたら彼は

人のよしあしは出自じゃない。君の家柄がどうであれ、僕は君を選んださ。

ただ、出自は関係ないけど思想は問題だよね。出自に裏付けられた思想がさ

何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

 

秋になって結婚式を挙げた。

神社で式をあげてお色直しは3回。

婚礼セットは桐の箪笥3点と羽毛布団2組。

その程度しか用意できなかったけど、両親の思いに感謝した。

きっと幸せにするよ」と彼は言ってくれたから。

新居は都内の一戸建て。とはいっても彼の実家の敷地内だったけど。

「スープの冷めない距離」にいる姑。

二世帯住宅だと思えば苦でもない。

そのうち、彼は海外に赴任する事が決まり、私は当然同伴。

外交官の妻というのは大変だった。

奥様同士にも夫の地位がそのまま降りてきて、まるで24時間みはられているよう。

しかもお付き合いを無視はできない。

ホームパーティを開けば「どれだけ自分の手作りでいいものが出来るか」の自慢大会。

本当は料理人に作らせたものでも、しらっとして

私が作りましたの。料理は趣味です。夫が私の手料理を喜ぶものですから」と笑う。

そんなみえすいた嘘をつかなければならないのが、奥様同士の付き合いだった。

大学時代まで得意だった筈の英語は、実践では何も役に立たなかった。

慌てて英会話を習う始末。

 

そんなこんなで3年の月日が過ぎた。

子供が出来なかった・・・・なぜなのかわからない。

優しかった義母が少しとげとげしくなってくる。

三年子なきは去れ・・って知ってる?」などと言う。

正直、傷ついた。

病院に行ってみようかと思った。でも恥ずかしい。

もし不妊の原因が自分にあったらどうしよう。

誰にも相談できなかった。外国に行く機会も多かったし、病院にじっくりかかる

時間すらなかった・・・というのは言い訳にすぎないのだけど。

女性週刊誌ではたびたび皇太子妃の不妊が伝えられていた。

高貴な人ですら、悩むのね」と同情した。

公人の宿命とはいえ可哀想だ。子供を産むとか産まないとかどっちだっていい。

あの人は「自己」を確立しているんだもの。

そこらそんじょの専業主婦とは違うんだもの。

いらいらした。

ある日、とうとう姑にせかされて病院を受診。

原因がはっきりしない不妊だった。

すぐに治療を開始しろと言われて、毎月病院に通うようになった。

費用はばかにならない。体への負担も大きい。

どうして女ばかりこんな目に会うんだろう。

そりゃあ、彼だって大変なのは知ってる。

気分が乗らない日だって・・・そこを踏ん張る彼の姿を見ると

有難くて涙が出ちゃう。

だから、不平不満を言わず、頑張らないと。私が頑張らないと。

でも、いくら外交官とはいっても収入にはキリがある。

6年目・・・ついに貯金が底をつき、諦めようと思ったその時。

思いもかけない「妊娠の兆候」

夢ではないかと思った。

彼も大喜び。「最高だよ。僕らが親になるなんて」といって抱きしめてくれた。

そんなに嬉しかったのか・・・・この人はずっと我慢していたんだなと思ったら

本当に申し訳なかったし、頑張って産もうと思った。

姑も泣きださんばかりに喜んでいる。

よくやったわ。まあ、一時は本当に心配したけどね

と。

皆が望んでいる。お腹の子供を。

そんんあ大切な役割を自分が負ってるのだと思ったら誇らしかった。

体を冷やさないように、体に悪いものは何一つとらないようにしよう。

適度に運動をしつつ、お腹の子にクラシック音楽をきかせる。

幸せだった。穏やかに出産を待ち望む生活。

これこそが「幸せ」なんだろうと思った。

ところが・・・・・・その子供はあっという間にお腹の中から消えてしまった。

流産だった。原因はわからない。

天国から地獄へ突き落された瞬間、自分は意識を失って倒れたらしい。

目覚めた時にはすでに全てを失っていた。

傍らには涙を浮かべた彼と、怒り顔の姑。

だから気をつけないさいって言ったじゃないの。今時の人は妊娠しているのに

薄着をしたり、ハイヒールをはいたり。そんな事をするから

お母さん。彼女はそんな事してないよ

だったらどうして流産するの?ねえ。気をつけていたならする筈ないでしょ」

きっと・・・これがこの子の運命だったんだ」

運命ですって?我が家に跡取りが生まれないのが運命だっていうの?ああ・・・

全く、家柄も血筋も関係なく嫁に貰ってやったのに。子供一人産めないとはね

胸に突き刺さった。

いつも笑顔で優しかった姑が内心こんな事を考えていたなんて。

ひどい。本当にひどい。

人間ってこういうものなの?

泣いた。彼と一緒に。彼は一晩中抱きしめて一緒に泣いてくれた。

目は腫れあがり、涙も枯れたけど、それでも悲しみはおさまらなかった。

しかし、男というのは「仕事」がある。

目が真っ赤になっても仕事には行かなくてはならない。

環境が変われば・・・との配慮なのか、また海外に赴任。

外国の風景も奥様方との付き合いももうごめんだった。

この傷ついた心をどうやって癒したらいいのか。

多くを望んだわけじゃない。

普通に結婚して普通に子供がいて。そんな生活がどうして許されないの?

私は前世で何か悪い事をしてきたのだろうか。

そうかもしれないわね

取りとめのない愚痴に真顔で返事をした人がいた。

彼女は夫の上司の妻だった。

前世の因縁というのはなかなか断ち切れないものよ。でも、その方法があるの。

一緒に頑張ってみない?

私も色々辛い事があって悩んだり苦しんだりしたのよ。でもそんな時

救ってくれた人がいたの」

彼女はそういって、一冊の本を渡してくれた。

これは・・・あの有名な・・・・・

「読んでみなさいよ。感想を聞かせて頂戴」

でも私、宗教には興味がなくて

宗教じゃないわ。まあ、そう思ってもいいけど。でも本を読んで気持ちが楽になるなら

いいんじゃない事?」

押し付けられた本を・・・夫の帰りが遅い日の夜に読んだ。

眼から鱗だった。

そうか・・そうだったのか。私はすっかり目の前が明るくなるような気がした。

彼が帰って来てからすぐにこの話をした。

すると「知ってる。君に話そうかどうか迷っていたけど

何でも彼は外務省の中で誘われているそうだ。

一つの「信仰」「思想」によってつながった関係は非常に心地いいらしい。

話を聞くうちに、もし「信仰」の中にどっぷりつかっていけば

出世の道が開けるかもしれない。もう一度子供が授かるかもしれない。

そう思えたようだった。

仕事の分野で彼も一つの壁にぶつかりつつあったし、私は私で

一日ごとに妊娠する可能性が低くなっていく事に怯えていた。

私達はもう何も言わなかった。

翌日にはたすきをかけ、長い数珠を持ち、「朝夕のおつとめ」を大声で唱え始めた。

ベニヤ板で作った大きな仏壇。

お題目が書かれた掛け軸を真ん中に置いて、

水が入ったコップを沢山並べて、それから先祖の位牌も。

そこには名前もなく死んでいった私の子供のものも。

「お経を上げる事は先祖へのごはんである」

そんな教えに必死にすがりつく。

先祖にご飯をあげないわけにはいかない。だから必死にお題目を唱える。

 

おりしも、皇太子妃の妊娠の兆候が発表された。

よかった・・・と思ったら、すぐに流産の報道。

私は目の前が真っ暗になった。

ようやく少し楽になった気持ちがまたもどん底に突き落とされたのだから。

皇太子妃の流産はマスコミが勝手にリークして、勝手に報道したせいらしい。

可哀想に!!

なんてお可哀想なんだろう。

「妊娠」というプライベートな事を勝手に報道するなんて。心無いにも程がある。

反論できない弱い皇太子妃に対して、何という不敬。

私は心から同情した。

本当よね。マサコ様はお可哀想。本来なら女性初の総理大臣って言われたかも

しれないのに。好きでもない皇太子殿下に嫁いで。彼女は私達の為に

人身御供になったようなものよ。

なのに流産まで・・・・お可哀想」

私を学会に誘ってくれた奥様はそう言って大げさに涙を流した。

そして言った。

知ってる?マサコ様も信者なの。皇太子殿下もなのよ。

皇族だって心の傷には勝てないのよ。私達も祈りましょう。

マサコ様のお幸せの為に」

私は大きく頷き、彼と一緒に朝に夕にお題目を唱え続けた。

隣に住む姑は唖然として、何度も私達に「やめなさい」と言ったが

そんな事言われる筋合いはなかった。

うちは代々浄土宗ですよ。どうしてそんな新興宗教なんて

お母様、法然も親鸞も間違っています。本当に正しいのは日蓮です。

そして法華経こそがもっとも偉大なお経なんです。私が流産の悲しみを乗り越えて

今を生きる事が出来るのは、法華経と先生のおかげです」

ああ・・・・

それっきり姑は私達の家に顔を出そうとはしなくなった。

 

私達は布教をする一方で、仲間内の集まりにもよく顔を出した。

同じ信仰を持つ仲間との語らいは心が休まった。

そんな日々の中、ついに皇太子妃がご懐妊したという知らせが飛び込んできた。

私は婦人会に身を置き、毎日、先祖に妃殿下の無事のご出産を祈った。

そして、私にも素晴らしい事が。

再び妊娠したのである。

これこそ、先生のおかげだと思った。

それまで、半信半疑な所もあったかもしれない。それは私の至らぬ部分だった。

先生は、その御業を私にお示し下さったのだ。

彼もまた同じ気持ちだった。

私達は二人で・・本当に二人きりで今度こそ無事に赤ちゃんを産もうと誓い合った。

 

皇太子妃が出産したのは12月1日。土曜日。

内親王誕生だった。

日本中が歓喜にわいた。

そして私が出産したのはそれから半月ほど後。

やっぱり可愛い女の子だった。

内親王には遠く及ばないけれど、幸せに育てたい。

姑は孫の顔を見に来なかった。

きっと女の子だったからだろうと彼は言った。

男女差別だと思った。

今時、跡取りだの家だのって関係ないじゃない。

女の子で何が悪いの。

日々、すくすくと育つ我が子の顔を見る度、幸せに泣きそうになる。

姑は・・赤ちゃんの泣き声くらい聞こえているだろうに。

 

私達の小さな娘は利発だった。

1歳を迎える前に喋りだし、歩くのも早かった。

絵本はうづらちゃんが大好きで、よく読んで聞かせた。

平凡な親子三人の生活。

そこに思いもかけない話が持ち上がった。

「え?うちの子をアイコ様のお友達に?」

そうだよ。オオトリ会を通じて話が来たんだ

まさか。学友は家柄tか血筋で決まるんじゃないの?」

外務省関係者の子がいいってさ

程なく私達3人は、本当に東宮御所に呼ばれた。

宮内庁差し回しの車に乗って、まるで夢のお城に行くようだった。

私達は娘が泣いたりぐずったりしない事を祈った。

 

東宮御所の一室で暫く待たされると、そこに・・・・皇太子ご夫妻が。

女官に抱かれたアイコ内親王の顔をみてびっくり。

私達の娘とよく似ている。

恐れ多い事だけど、我が家の娘が似ているなんて光栄だ。

この度は・・・

硬い話は抜きにしましょう。これからアイコをよろしく

皇太子殿下は柔らかにそうおっしゃってにっこりされた。

マサコ様は「今度、御用邸に招待するわね。そちらの娘さんもご一緒に」と

おっしゃった。

娘はすぐに場の空気になれた。

「うずらちゃん」の絵本を見つけると、とことこと歩いて楽しそうに開く。

それを皇太子殿下は持っていたカメラで撮影し始める。

愛子内親王は隣で、一人絵本を開いたり閉じたりしていた。

本を読むというより、開いたり閉じたりすることに興味があるようだった。

娘は本をさかさまに開いて、いつも私が読み聞かせする言葉を

次々に発して言った。

もういいかい。まあだだよ」

恐縮する私達を皇太子は「いいんですよ」と言いながらカメラを回していた。

もういいかい。まあだだよ。もういいかい、まあだだよ。

どこへ行ったのかな・・・その時、風が吹いてきて・・・パパも」

娘は本が読めるわけではない。暗唱しているのだった。

彼が後を続けようとすると、皇太子殿下が

いくら呼んでも応えはありません

娘は「おしまい」と言って本を閉じた。恐れ多くも皇太子殿下が

話しかけてくださったのに。

可愛いわね。アイコのいいお友達になるんじゃない?」

マサコ様は気さくにそうおっしゃって、子供達を皇太子殿下に

お任せになり、私達を隣の部屋に案内し、おいしい紅茶を入れて下さった。

私達はますます恐縮して、冷や汗が出る。

マサコ様は「やあねえ。外務省で一緒だったじゃないの。気楽にして頂戴」

楽しい会話に一時浸ってしまい。

それからどうやって帰ったかもあまり覚えていない。

それからの私達の生活は・・・・全てが変わっていったのだった。

平凡な家の平凡な娘が、たまたま結婚した相手が外務省勤務だった。

たったそれだけの話だったのに。 

 

 

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