幼稚園から小学校までの9年間の東宮家と学習院の日々を振り返ってみたいと思います。
幼稚園時代
・お弁当はお箸で食べる決まりがあった→内親王が入園してからスプーンでもOKになった
・ちゃんとご挨拶をする→内親王の入園から挨拶はなしでもOK
愛子内親王が上手にできないからと、主に上記の点が変えられました。また、東宮家直々に規則が厳しいと抗議があり、様々に緩い規則になったそうです。
小学校時代
・担任にはベテランの男性教諭が予定されていたが、直前になって女性教諭に変更
理由は幼稚園時代に内親王が慕っていた先生に雰囲気や物腰が似ていたから、内親王も馴染みやすいとの理由、学習院内部から『特別扱い』との声が上がる
・2年生の終わり、内親王が不安感を訴えられ不登校になり、雅子妃が付き添う事に
前から勢いよく廊下を走り回ったり、大声で騒ぐ男子児童がいて、内親王が強い恐怖と不安を感じられたのが不登校の原因、東宮職が公に会見を開き「別のクラスに乱暴な男の子がいて、内親王を含めた複数の生徒に乱暴しているのが理由」と発表、学習院は「乱暴な生徒は確かにいるが、内親王に乱暴行為をしているとは認識していない」と反論、雅子妃はこの学習院の対応に不信感と怒りを覚えられ「学習院には任せておけない」と2年近く付き添い、教室の後ろで授業を見続ける状態が続き、保護者からは「雅子妃が毎日教室にいる事で子供達が緊張して授業に集中できない」と不満の声が上がり、雅子妃と保護者とで微妙な距離が生まれるも、内親王の為に出来る唯一の方法と続けられる。
その登校も、毎日ちゃんと朝から最後までじゃなく、いつ来られるかわからない不規則登校で、お二人が来られると校長がお出迎え、教師が5人位、護衛するようにお二人に張り付いている状態で、お二人が学校にいらっしゃる間、子供達は思いっきりはしゃぐ事も遊ぶ事も出来ず遠慮がちになり、保護者も「いつまでこんな状態が続くのか」と漏らしつつ、面倒に巻き込まれたくないと「愛子内親王に近づくな」と子供達に言い聞かせるようになります。
給食も皆と取らずに雅子妃と貴賓室で取られる内親王、給食を全部食べるまで食堂から出る事が出来ないので、食べるのが遅い内親王が食後の自由時間に遊べないから、残してもわからないようにしたのでは?と噂される事に。
そして、この登校問題を皮切りに東宮家の学習院の監視と独裁が始まり、教室に鍵が付けられ、内親王をかの国の将軍様のように扱うよう要請し、おびただしいSPが学校をうろつき、学校に抗議をしたり、転校しようとすると一部の保護者から嫌がらせを受けるようになったと言います。学校側も保護者には「お察しください」と言うだけだったとか?
・老舗かまぼこ工場付き添い
社会科見学でいかれたかまぼこ工場に、雅子妃が同行される事になり、工場周辺には30人に及ぶ警官が立ち、物々しい雰囲気に包まれ、子供達もせっかくの社会科見学なのに笑顔がなく、保護者からも「雅子妃殿下が参加される事で児童に影響が出るのはおかしい」と批判を受ける結果となる。
この頃、内親王の小学校入学より養育係を務めていた小山久子さんが退任、表向きは体調面としているが、登校問題で雅子妃に進言をしたが聞く耳を持たずにお付き添いを続けられたので、私のいる意味はないと身を引かれたのが本当の理由
・写真の流出騒ぎ
学園祭や運動会での内親王の写真がメディアに流れた事で父母会が行われ、校長が「児童の写真がメディアに流出した、ここにいる皆さんが犯人とは言わないがこのような流出は憤りを感じる、児童を傷つけるな」と発言、保護者から「傷ついているのは愛子内親王だけじゃない、児童だって雅子妃の同伴に迷惑している」と抗議、次の運動会では保護者に「自分の子供以外の写真撮影は許可が必要」と撮影に規制をかける事になるものの、皇太子御夫妻だけは例外で写真を色々と撮りまくる。
・2泊3日の山中湖校外学習をずっと追いかける、ホテルは一泊12万のスイートルーム、警備や諸経費で3千万の国費が使われる事に
基本、保護者同伴禁止の校外学習に雅子妃が数分遅れで全行程追いかけられる事に、バスの後ろをパトカー2台、雅子妃の車、覆面パトカー5台、白バイ2台で追いかけ、警備も厳重になり、児童達は物々しい雰囲気の中で過ごす事になり、楽しいはずの2泊3日が恐怖に変わりました。帰ってきた児童に保護者が校外学習の感想を聞くと「怖かった」と言ったとか?
これには更に話があって、雅子妃が「愛子と一緒に児童と同じバスに乗りたい」と言いだし、学習院が頑として拒否したそうです。皇太子殿下もお見送りに来られて、一行が見えなくなるまで笑顔でお手振り、将来の天皇たる人物が一般の保護者に交じって我が子に笑顔で延々とお手振りする姿は違和感があり、周りからは「逆一般参賀」と命名される。
児童の行動範囲には規制のロープが張られ取材を徹底拒否、近隣住民は「撮影すると大変な目に合わせる」「家宅捜索する」と脅される。
宮内庁長官は「通常の校外学習の形でなく心配している」東宮大夫は「今の状態が正常だとは思っていない」と苦言を呈す
・授業参観での、雅子妃の保護者避け
数々の出来事で保護者の目が冷たくなられたのを感じられた雅子妃が、あからさまに避けるように目を合わさず背中を向ける出来事が起きる。そんな状況を変えようとしたのか、内親王が入部されている管弦楽部の音楽会には、保護者がやる児童の誘導の係を率先してやる事に
・愛子内親王の卒業式での要求
・卒業証書は生徒が名前を呼ばれて一人ずつ檀上に上がるのではなく、先生がまとめて教室で配る
・和服を着る時は、着る理由、どのような色や柄、種類、小物等を詳細に書いて学校から許可を取らなくてはいけない(妃殿下の取り巻きが卒業式に何を着るか、口頭で聞いたり、アンケートを取って調べている)
・謝恩会は普段はお茶会なのに、アルコールが出されたり、食事も和食から中華に変更
・皇太子殿下が頻繁に学習院に来て、生徒の個人情報や行事等の議事録や書類を持ち出している
とネットで大きく言われていました。
以上を見ていると、学習院にとってはものすごい日々だった事がわかりますね、学習院の警備員さんも「モンペって本当にいるんですね」って記者さんに言ったとか
こんな状態じゃあ、秋篠宮両殿下が悠仁親王が学習院に入る事を拒否されるのもわかります。幼稚園入園が叶わず、せめて小学校からでもと初等科の校長直々に秋篠宮邸に足を運び「どうか学習院にお入り下さい」と頭を下げても断られたとの事ですが、こんな状況だと仕方ないですよね?たった1年とは言え、この環境で過ごすのは辛いと思います
でも、これから中学、高校、大学と学習院はある訳で、愛子内親王がどのような道を歩まれるかは不明ですが、このままだと10年程は学習院の苦難が続く事になります
由緒ある学校だった学習院、たった一人にこんなにも変えられてしまうとは、権力って怖い