JAPAN PRIDE こんな日本を愛するため!!

日本大好きなあ~やが皇室問題や日本に関する事を書いていこうと思います。

皇太子御夫妻、両陛下にトンガ出発報告

2015年06月30日 23時40分14秒 | 皇室
《トンガ国王のツポウ6世の戴冠式に出席するため同国を訪問する皇太子ご夫妻は29日、皇居・御所を訪れ、天皇、皇后両陛下に出発前のあいさつをされた。

 ご夫妻は7月2日夜に特別機で羽田空港を出発。4日に首都ヌクアロファの教会で行われる戴冠式と王宮での戴冠式昼食会にそろって参列する。雅子さまの外国訪問は2年ぶりで、現地で活動する青年海外協力隊との面談など他の行事は体調を考慮して出席せず、皇太子さまだけが参加する。帰国は6日。

 宮内庁の小町恭士東宮大夫によると、皇太子ご夫妻はトンガ訪問にあたり「我が国とトンガ国の良好な友好関係や、我が国皇室とトンガ国王室との親密な交流に少しでもお役に立つのであれば幸いです」と話しているという。【高島博之】》

いよいよ出発と言うことで、何事もなく終わりますようにと祈るばかりです。


皇居に向かう皇太子御夫妻、何だか雅子妃殿下の笑顔が凄い!!顎を突き上げて、してやったりって笑顔ですね。

それにしても、秋篠宮御夫妻の御成婚記念日に報告とは・・・。
香淳皇后の例祭に仕込み公務を入れたり、弟の結婚記念日に海外訪問の報告をしたり、たまたま偶然とは思えないよね?


香淳皇后の例祭を無視するなんてとネットで言われたら東宮擁護派は『もうすぐ海外に行かれて、その際に武蔵野陵と武蔵野東陵に参拝される決まりだしいいんです!!』とか言ってたけど、そう言う問題じゃないでしょ?
海外に行かれる時は行き帰り共に両陛下と皇太子御夫妻は潔斎をした後、略式の束帯と十二単で宮中三殿に参拝して、武蔵野陵、武蔵野東陵に参拝するのが決まりですが(宮家の方は正装はしないそうです)皇太子御夫妻は最近はやっていらっしゃらないですよね?数年前は皇太子殿下だけでやっていらっしゃいましたが、最近は皇太子殿下ですらやってるご様子がないと思うんですけど気のせいかな?

果たして、今回は擁護派の言う通り、例祭の分まで参拝されるのか、そして、トンガではどのようなご様子を見せて下さるか気になる所です。

秋篠宮御夫妻、銀婚式

2015年06月29日 19時30分00秒 | 皇室

祝、秋篠宮御夫妻、御成婚25周年



結婚25年にあたって

<出会い>

 秋篠宮さま 
今年は結婚をしてから25年がたつようです。時間は常に経過していますので、取り立てて25年に意味づけをするものではないと思いますが、少し振り返ってみるのも記憶と記録を整理する上でよい機会かもしれませんね。

 紀子さま 
はい。私たちの今までを整理する方法のひとつとして、対談の形もあるのではないかとのお話になりました。このような形に慣れておりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

 秋篠宮さま 
もっとも、結婚する前にしばらく付き合っていた時期があるので、そのあたりから始めましょうか。いつのことか覚えていますか?

 紀子さま 
30年ぐらい前になりますでしょうか。私が大学1年生の春、本を探しに大学内の書店に立ち寄りましたとき、初めてごあいさつをさせていただきました。

 秋篠宮さま 
私の記憶に間違いがなければ、1985年の5月のことです。ちょうどそのころ、各地の文化や自然を楽しむことを目的としたインターカレッジのサークルを作ったので、そこに誘ったところ喜んで入ってくれました。白川郷の合掌集落などずいぶんあちらこちらに出かけましたね。

 紀子さま 
はい。いろいろなところを旅行して、地域の豊かな文化や多様な自然にふれることができました。

 秋篠宮さま 
そして86年、ある集いがあった後、あなたを送っていく途中に…。

 紀子さま 
2人で信号を待っておりましたとき、突然、将来のことについてのお話があって、びっくりいたしました。大学卒業後は、海外の大学院に行くことを考えていましたので、どのようにお返事をしたらよろしいかと迷い、考えさせてくださいとお話しさせていただいて。

<結婚にむけた準備>

 秋篠宮さま 
少し時計の針を進めましょう。私が大学を卒業したのが88年ですが、その年の夏からしばらくの間英国に滞在しました。この間、昭和天皇のご不例と崩御があったことから、しばしば日本に帰ることになりました。日本にいる間は、諸行事に参列するためだったのですが、そのおりに、将来のことについていろいろと話す機会にもなりました。そして、89年の9月に公表するに至りました。これはいわゆる結納に当たる正式な婚約ではなく、皇室会議の議を経て婚約が内定したということを発表する機会でした。服喪中のこうした発表は異例なことと思った人がいたようですが、51年7月の順宮(現池田厚子)様の発表は貞明皇后の崩御から約2カ月後で、しかも当時参考としていた旧皇室服喪令によると、私たちの発表時期より一段階重い服喪期間中でしたので、手続きを終えたという発表は前例にもあり問題ないと宮内庁は判断したわけです。

 そして、私たちの結婚の時期についてです。秩父宮両殿下のご婚儀が28年9月末で、昭和天皇の即位の礼が同年の11月初旬。その間は2カ月もなく、大変だったことを両陛下が聞いていらしたそうです。そのようなことから、私たちのときには、結婚から同じ年の11月予定の即位の礼までにある程度の時間があったほうがよいとのことで、私が帰国した直後に式がおこなわれることになりました。

 紀子さま 
とてもありがたい思し召しを賜り、感謝申し上げております。

 秋篠宮さま 
話が少し前後しますが、昭和天皇の一周年の行事が終わり、私は1990年の1月から6月にかけては英国に滞在していたわけですが、その間、新たに住む家については、あなたに任せきりでした。もっとも、改築の平面図を見てもイメージすることができない私より、多少は空間認知に優れているあなたが見る方がよかったのは明らかでしたが。

 今のは自分にとって都合のよい言い訳なのですが、実際のところ帰国したのが6月21日で、6月29日の結婚式までは約1週間しかなかったことを考えれば、新居での生活の準備は完全にあなたへ依存していたわけで、このことについては申し訳なかったとしか言いようがありません。

 紀子さま 
いいえ。むしろ、英国よりのご帰国を待っていたのかのように、式までの約1週間、宮中行事の習礼(しゅらい)をはじめ、関係者とのこまかい打ち合わせが多くおこなわれましたが、時差がある中、大変ではありませんでしたか。

 秋篠宮さま 
幸いなことに、私は一般的に言われていることとは逆で、若いころは東へ向かうほうが時差の影響が少なかったため、それで大変ということはなかったと思います。

 紀子さま 
新しい生活にむけての準備や支度は初めてのことばかりで、新居について、相談をしたいと思いましても、当時は連絡手段としてメールはまだ普及していなくて、電話やファクシミリで、英国との時差もあり、すぐには連絡がとれない状況でした。式までに考えるべきこと、決めるべきことがたくさんあり、大学院の講義も受けていましたので、時間がたつのが早く、準備を終えられるか心配でした。

 そのような中、宮内庁の職員が、改築や内装をはじめ、よく考え、提案してくれました。そばにいらしてくださったら、どんなに心強いかしら、と思うことはありましたが、いろいろな人の助けを借り、用意をある程度進めることができました。

 帰国されたときは、本当にうれしく、それまでの不安もどこかにいってしまうくらいでした。

<結婚の日と新居>

 秋篠宮さま 
さて、90年6月29日の結婚の日は、結婚の儀にはじまり朝見の儀、その他の諸行事が朝からたくさんあり、夜の10時ごろでしょうか、一息ついたときにようやく結婚したことを実感した記憶があります。もっとも、その翌日からもいろいろと行事があったので、何となく慌ただしかったですけれどね。

 紀子さま 
はい。このよき日の行事を滞りなく終えたときは、安堵(あんど)いたしました。

 大学院生としての日々から、公的な仕事をする生活となったことは、大きな変化でした。そうした中で、折にふれて、両陛下が導いてくださり、あたたかくお見守りくださいました。各宮妃殿下方にも、行事の所作や服装などを丁寧に教えていただきました。さまざまな形で多くの人から支えられましたことを、ありがたく思っております。

 秋篠宮さま 
少しばかり新居となった家のことを話しましょうか。というのは、私にとって10年ほど過ごしたこの家には、けっこう思い出があるからです。

 当初、宮内庁は新婚の我々のために、仮住まいではあるけれど同じ場所に新たな家を建てることを考えていました。しかし、いずれどこかに居を構えるのに、仮住まいのために建て直すその計画は無駄が多いように思い、現存している建物を一部改築して使いたい旨伝えました。たしかに大勢の人とそこで会うのには適当ではありませんでしたが、こぢんまりとしていたぶん、非常に落ち着く場所でもありました。玄関を入って少し大きな声で呼べば、どこにいても大抵聞こえたのではないでしょうか?

 結婚後の生活をあの家でできたことはよかったと思っています。

 紀子さま 
約60年の木造家屋を、2人で過ごせるように直して、新しい生活がはじまりました。そして、娘たちの誕生にあわせて部屋を増やしました。その中で、娘たちは成長していき、子どもたちの元気な声が響き、ギターやピアノの音もよく聞こえる、ぬくもりの感じられる家でした。

 秋篠宮さま 
今の家からは近くにあるので、この前行ってみたのですが、子供たちが小さい頃に遊び回っていたことを思い起こし懐かしく感じました。彼女たちも気に入っていましたよね。

 紀子さま 
はい。今の家に移りましてから、またあちらの家で住みたい、と娘たちが話していたこともありましたね。

<日本国内・海外の訪問などに関連して>

 秋篠宮さま 
ところで、結婚後には公的私的は別にして、日本の各地や海外を訪問する機会がたびたびありました。また各種の行事にも出席をしてきました。訪問場所や行事そのものというより、それらに関連して何か印象に残っていることはありますか?

 紀子さま 
この25年の間に、日本国内、国外でいくつもの場所を訪問し、行事に出席いたしました。そして、さまざまな出会いがあり、多様な分野の人のお話を伺ったり、取り組まれている活動を見せていただいたりするなど、貴重な経験をいたしました。

 秋篠宮さま 
そうですね。各地で温かく迎えてくださる方たちがいることは、うれしいしありがたいことです。

 紀子さま 
また、健康作り、子育て支援や食育など、幼児から1人暮らしの高齢者まで地域の人々の暮らしを見守っている方々にも多くお会いしてきました。心強い活動と感じています。

 秋篠宮さま 
私の場合には、たとえば学術や環境関係の授賞式等でご縁のあった人や団体が、その後さらに発展した形で社会への貢献をしたときなどは、とてもうれしく感じます。

 公的ということに関連して、あなたもよく知っているように、皇族には国事行為の臨時代行以外に公務は存在しません。あくまで公的な行為もしくは活動であり、言葉としてきちんと区別するべきものと考えます。そのような公的な仕事は、公務と異なりある程度自分の裁量で取捨選択ができてしまう。そのようなことから、声をかけていただき、それらが適当と判断されたものについては、できるだけ応えるように心がけてはいます。

 紀子さま 
私もそのように努めてまいりました。そして、公的な活動でも、生活の中でも、宮家に関わる宮内庁や皇宮警察の職員をはじめ、さまざまな形で支えてくれる人たちがいることを大切に思っています。

 秋篠宮さま 
いっぽう、これは私的なことになりますが、国内外であなたとは一緒でなく訪れている場所もけっこうあります。なかには、一緒に行ってみたい場所もありますので、近い将来の楽しみとして考えることにしましょうか。

 ちなみに、この時は眞子と一緒だったのですが、かなりの悪路ではあるものの、マダガスカルのチュレアールからムルンベへ行く途中に3種類のバオバブやパキポディウムを見ることができ、コーデックス好きにとっては素晴らしい12時間半のドライブを楽しみました。もちろん、ほぼ同じ時間をかけて帰ってきたのですが、ムルンベのバオバブの景観は本当に素晴らしいですよ。

 紀子さま 
いつか見てみたいですね。

<子どもたちのこと>

 紀子さま 
子どもたちが小さいときは動物園や博物館にでかけ、また、一緒に旅行もしました。その他にも、子どもたちとはたくさんの思い出がありますね。

 秋篠宮さま 
先日、英国にいる眞子から父の日のカードが送られてきました。普段は必要最小限の連絡事項をメールでしているだけなので、妙にうれしい気分になりました。久しぶりだったからかな。

 紀子さま 
すてきですね。私も眞子より母の日に羊の親子のカードを受け取りましたときは、胸が熱くなりました。

 秋篠宮さま 
佳子とは比較的最近のことですが、珍しく一緒に買い物に出かけたことがありました。父親にたいしてつっけんどんな態度のことが多いのですが、意外と優しいところもあり、私が自由に選んだものについて、代わりに会計をしてくれました。もっとも、帰りに彼女にそのまま荷物を持たせていたら注意されましたけれどね。

 紀子さま 
ほほえましいですね。佳子が小さかったとき、誕生日によく手作りのものを贈ってくれました。幼稚園のときだったでしょうか。私の誕生日に二つの贈り物を考えていたのですが、先に作った貝殻の贈り物を私に見せたくて、早めに渡してくれました。そのあと、誕生日にもうひとつの贈り物をもらい、お祝いを2回してくれた、かわいらしい思い出もあります。

 秋篠宮さま 
悠仁もしばしば折り紙などの作品を届けてくれます。上の子どもたちと同様、もらったものには年月日を付して、飾ったり、保存したりしています。最近は、絵も上手になってきましたね。自分が絵を描くことが下手なので言うわけではありませんが、何かを観察してそれを絵として表現できると旅をしたときの記録として意味が出てきますので、どんどん描いてほしいものです。

 紀子さま 
絵を描いたりするほかにも、切り紙をしたり、厚紙で入れものをつくったりしながら、いろいろなものを創り出すことを、悠仁は楽しんでいますね。

 私たちの手元には、子どもたちの小さいときからの作品がいくつもあります。どれも大事な宝物。普段なにげなく描いた絵から、本に登場する主人公や生き物などを描いたものが廊下の壁にかかり、折り紙やペーパークラフトが部屋に飾られています。

<結婚したころと今と>

 紀子さま 
ここで、結婚したころと、それから25年たった今のお気持ちを伺ってもよろしいでしょうか?

 秋篠宮さま 
このような機会がないと考えることもないですからね。

 90年というのは、ついこの間のことのように思えますが、やはり相応に時間がたっているということを感じることはあります。仕事や研究などでいろいろな事柄を解釈・判断するときに、若いころでは思い至らなかったことが多々あると感じます。そのことで、ずいぶんと周りに迷惑をかけたことがあるように思います。

 もちろん、いまだに不十分で、反省と後悔すること多々ありです。精神年齢がいまだ20代から進化していないのでしょう。

 紀子さま 
私も結婚をしたころは、慣れないことや戸惑うことがあり、考えすぎることや力を入れすぎて、ご迷惑をおかけしたことがいろいろあったのではないでしょうか。今は遅ればせながら、力を抜くこつが少しずつわかってきたように感じていますが。

 このようなことにも「進化」という見方があるのですね。今でも、20代のときのような探究心や若々しい感性や創造性をおもちになっているのではないでしょうか。例えば、研究会に参加されているときには、そのように強く感じることがあります。

 秋篠宮さま 
たしかに研究会等への出席は、今まで自分がもっていなかった知識を得る機会にもなり、有意義に感じることが多くあります。まだまだ好奇心は残っているなと。出かける前と帰ってきた後とでは、テンションが違うと感じることがあるでしょう?

 紀子さま 
はい。お話しくださる様子から、心がはずむ時間を過ごされたのではないかと感じることがあります。

 秋篠宮さま 
いっぽう、フィジカルな面は劣化していますね。走り回ることについては、佳子が小学生の時にリタイアしてしまいましたが、最近不便に感じているのが老眼。もともと遠視があったので遠からずそうなるだろうと予想はしていましたが、眼鏡が放せなくなってしまいました。まあ、いたしかたないことではありますが。

 紀子さま 
私も小さい字が急に見えにくくなりました。また、疲れたとき、回復する時間が以前に比べてかかるようになりました。

 毎朝のように散策をされたり、休みの日には庭仕事をされたり、よく身体を動かされていますね。週末は、散策に私も誘ってくださいますので、四季の移り変わりを感じながら歩くこの時間は、健康のためにも、楽しみのためにもありがたいです。

 秋篠宮さま 
25年というと、親・兄妹と過ごした年月より長く一緒にいたことになります。それだけの期間をともに過ごしていれば、共有することができた貴重な経験は数多くあります。また、誰かの言葉を借りれば導火線が短い私ですので、口論も多々あるのはごく普通のことでしょう。そのようななかで、ほとんど言葉に出さないので不満かもしれませんが、感謝の気持ちもきちんともっていますよ。

 紀子さま 
それはうれしいです。

 秋篠宮さま 
さまざまな書類、私の所に届くまでに不明な点などを整理しておいてくれますね。これは非常に助かっています。

 紀子さま 
まだまだ至らないところもあると思いますが、そういう面でもお役にたっておりますなら、幸せです。

 秋篠宮さま 
また、昔からなぜか階段を踏み外しやすいことから、階段のあるところでは、滑り落ちないようにさりげなく支えてくれていますね。周囲から見ると、私があなたを支えているように見えているかもしれないけれども。

 紀子さま 
こちらこそ、いつもこまやかにお教えくださり、また健康面も気遣ってくださり、深く感謝しております。

 また、一緒に生活をするようになってからわかったことですが、食べ物の好き嫌いがほとんどありませんね。私は、いくつか苦手なものがありますが…。食材を自由に選ぶことができて、助かっています。旅先でもいろいろな郷土料理を一緒に楽しむことができ、食文化に親しむ機会が増えたように思います。

 ほかにも、用事が立て込んでいましても、余裕をもって時間を守られていることには敬服しております。私は自分の時計の針を早く進めても、遅れ気味になってしまいます。もっとも、行事の前に私のところにいらして、あと何分と言われると、プレッシャーを感じますが…。

 お互いの気づきや発見がいろいろあり、自分と違う考え方だなと感じるいっぽうで、共有できる見方もありました。また、理解するのが難しかったこともあれば、言葉を交わさずとも心が通じ合うようになり、助けられたことも多々ありました。

 秋篠宮さま 
そうですね。結婚するまでまったく異なるところで暮らしてきたわけですから、考え方などで共有できるところとそうでないところがあるのは当然のことでしょう。その上で、我が家の場合に限って言えば、経験を共有することと趣味を共有しないことがよかったと思います。経験は共有することで将来的に発展しますが、趣味、たとえば、あなたがヒョウタンに興味をもってそれを共有したとすると競ってしまいますので、良好な関係でなくなる可能性大です。趣味はそれぞれ楽しみましょう。

 紀子さま 
それぞれの趣味もありますが、一緒に音楽を聴いたり、自然に親しんだり、旅行にでかけたりという時間も楽しいですね。

<夫、妻、親として>

 秋篠宮さま 
さて、ときどき夫もしくは親としてどのように認識されているのか気になることがあります。あなたも同様でしょう。最後に評価でもしてみませんか?

 紀子さま 
気にしているかどうかわかりませんが、面白そうですね。

 秋篠宮さま 
本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。

 きちんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか。

 紀子さま 
私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか。

 秋篠宮さま 
おたがい、改善点が多いということですね。「良」や「優」は、今後の努力目標とすることにしましょう。

 紀子さま 
はい。これからも、可能性を大事にしつつ、努力目標にむけて一緒に年を重ねていくことができれば幸せに思います。

 秋篠宮さま 
それでは、このあたりで終わることにしましょうか。

 紀子さま 
そうですね。ありがとうございました。


何でしょう、この熱々ぶり!!
砂糖をこれでもかと云うくらい入れすぎたスイーツのように甘い対談ですね。

25年も経ち、お子様も成人されていらっしゃるのにこのラブラブな感じ、羨ましいです。

このようにお互いを信頼し、愛情を持っているからこそ、いつまでも美しく輝き続けていらっしゃるのでしょうね。

これからもいつまでもお健やかに、お幸せにお過ごし頂きたいと思います。

御成婚25周年、本当におめでとうございます。

皇后陛下の傘寿を祝う演奏会

2015年06月27日 19時44分35秒 | 皇室
《皇后さまの傘寿を祝う演奏会が26日、皇居・東御苑の桃華楽堂で開かれ、天皇、皇后両陛下と皇太子ご夫妻をはじめ皇族方が鑑賞された。》


え?また?ってのが正直な感想だったりします(^^;
まぁ、両陛下と言うお立場なら様々な所からお祝いの要請があるんでしょうね、やってる事は同じでも主催者が違うって事かな?


満面の笑みでとってもご機嫌な雅子妃殿下、 桃華楽堂はお気に入りなのかな?
それにしても、皇居に向かう際の皇太子御夫妻の写真はいつもコピーしたかのように同じですね。


紀子妃殿下と佳子内親王、秋篠宮殿下はご公務のため御欠席です。
最近の紀子妃はお車で俯かれる事が多いですね、諸々、お疲れなのかな?ご無理なさらないように願います。



天皇皇后両陛下、 皇后陛下は時折、旋律に合わせて体を揺らしたり、曲が終わるごとに笑顔で盛んに拍手を送ったりして、奉祝の演奏を満喫されていたそうです。


席のご様子、最近は両陛下の横に絶対に雅子妃殿下を座らせませんね。以前、陛下の横に座られた時にずっと雅子妃が陛下に話しかけておられて、あからさまに陛下が嫌がって避けるように皇后陛下の方に身体を傾けられた事がありますが、それが影響してるのかな?


席のご様子をもう少し拡げて摂られた写真。佳子内親王の隣に信子妃殿下がいらっしゃいます。お子様方との事で大変かと思いますが精力的にご公務に励まれていますね。
フィリピン大統領の晩餐会の時に佳子内親王と笑顔でお話しされていた信子妃殿下、秋篠宮御一家との関係は良好のようですね。


佳子内親王は夏休みに入られたご様子、そうなるとご公務も増えるでしょうね。学業との両立、大変でしょうけど頑張って頂きたいです。

悠仁親王、映画『アリのままで』鑑賞

2015年06月20日 22時46分54秒 | 皇室
《秋篠宮同妃両殿下と悠仁親王殿下が20日、都内で行われた、映画『アリのままでいたい』特別試写会にご臨席された。試写会後、東映株式会社 代表取締役社長の多田憲之氏と共に囲み取材に応じた撮影総監督の栗林慧は、「悠仁親王殿下から『とても面白かった』と言われたことが印象的でした」と語った。

本作は、世界で唯一の特殊カメラ“アリの目カメラ”を用いて、3年の製作期間をかけて撮影された、驚異と神秘の3D昆虫ドキュメンタリー。日本に生息する50種類以上の昆虫が登場し、超クローズアップで撮影された昆虫たちのし烈な生存競争など、身近にいながら今まで知りえなかった昆虫たちの真実の姿が映し出される。
 
 この日、招待された40組88名の親子と共に本作をご高覧された、秋篠宮同妃両殿下、並びに悠仁親王殿下。悠仁親王殿下が昆虫に興味を持たれていることは、これまでもメディアで報じられており、多田氏は「身を乗り出してご覧になっていました。別れ際、ありがとうございましたとお礼の言葉をいただきました」とうれしそうに報告した。

また、秋篠宮殿下は楽しげに、そして興味深くご高覧されていたそうで、栗林撮影監督は「アリがカマキリの幼虫を襲うシーンで、クロオオアリですか? と種名まで言われたことにびっくりしました」と昆虫にも造詣が深いことに驚きを隠せないでいた。一方の多田氏は、「接写で撮られて大変迫力ある映像でした」と言葉をいただいたそうで、満足気の表情を見せた。

 さらに多田氏は帰り際、妃殿下から「福山(雅治)さんが主題歌を歌われているんですね」と言われたそうで、「(本作の舞台が長崎であることから)福山さんが長崎県出身でお願いしたところ、気持ちよくご承諾していただき参加していただいたことを説明した」とも明かした。

 さらに栗林撮影監督は「楽しくご鑑賞してくださったのは間違いないと感じました」と断言。お三方のご高覧時の様子や、その後のお言葉は、公開を前にした本作に大きな弾みをつけたようだ。》


お小さい頃から虫に興味がおありの悠仁親王、きっと楽しく映画を鑑賞されたことでしょう。


招待されたお子さんとお話しされる悠仁親王、きっとお話しも弾んだでしょうね。


パンフレットをご覧になる悠仁親王。


しっかりと前を向かれる悠仁親王、凛々しいお顔です。


悠仁親王のアップ、幼さが少し取れて精悍な顔立ちになられましたね。


悠仁親王の事はあまり報道されないので色々と有らぬ噂が流れていますが、この少しの報道でもお健やかなご成長が解ります。

走りは苦手なご様子ですが、それもまたお可愛らしくていいですよね?別に皇族だから勉強も運動も一番でなければいけないわけではありません。

このようにご興味のある分野を深められる事も大切ですね。

昭和天皇はヒオウギアヤメを研究され、秋篠宮殿下も手伝われていました(紀子妃のお印にもなりましたね)今上陛下はハゼの研究をされ、秋篠宮殿下は鶏の研究をされています。悠仁親王もいつか昆虫の研究をされるのかな?

今は静かに、このまましっかりとご成長されることを願います。






皇太子御夫妻、子育て支援施設訪問

2015年06月17日 21時27分30秒 | 皇室

皇太子御夫妻が6月16日、子供の日にちなんだ公務で新宿にある子育て支援施設『ゆったりーの』を訪問されました

両陛下から引き継がれた子供の日にちなんだ行事を行われました。

子供の日は5月5日、今は6月・・・なんて時期外れな・・・特に忙しい訳でもなさそうなのにね。

絵本の読み聞かせをしている子供と職員の皆さん。

子供の様子を見ている皇太子殿下と絵本を読んでる職員を見ている雅子妃、見事に視線がバラバラですね。 雅子妃は取りあえず話をしている人を見ておけばいい思っているようで、常にお話をしている人の顔を見てます。

笑顔の雅子妃、何も言えませんね。

親御さんたちとお話をする両殿下。

一見、普通の公務に見えるこの光景、でも、流石は皇太子御夫妻、普通じゃないんですよねぇ~、相変わらずやからしてます

この日「ゆったりーの」は臨時休館日になりました。施設のブログは『できるだけ、いつもの様子をご覧になっていただきたかったのですが、 大勢の人が駆けつける事態になるといけないので、準備は内々に進め、本日は一般の利用はお休みとしました。』と書かれています。

つまり職員は休日出勤、集められた親子は事前に準備されていた人達なんです。

この公務には新宿区長、東京都福祉保健局次長、厚生労働事務次官の方々も同行している訳ですから、組織ぐるみの『仕込み公務』な訳です。

そりゃ、皇族のお出ましなんだし、何かあってはいけないので、多少の打ち合わせや準備は必要でしょう、でも、ここまでくると何のための公務なの?って感じですよね?

更にこの日は香淳皇后が崩御された日であり、香淳皇后例祭の儀があったんです。

特に忙しい訳でもないのにお婆様の法事(しかもこれはちゃんとした宮中祭祀です)をほったらかしにしてやらせ公務をした訳ですね。もちろん、他の皇族の方々はちゃんと武蔵野東陵を参拝され、両陛下は皇霊殿で御拝礼されました。

こんな大事な日に、特に忙しい訳でもないのに(すいません、しつこい位に言います)ワザワザかぶせてくるのは何なんでしょう?祭司なんて出たくないし公務って言っとけば表向き面目は立つからそうしようって事?仕事はそんなものじゃないよ~。

そして、この日、とうとう浅間山が小規模ながら噴火しましたね・・・トンガに行くと発表されたらトンガで地震があったし、凄いわ、この御夫妻