国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

ミルトン・フリードマン

2006-11-22 | 経済・社会問題


ちょっと日数が経過してしまった話題ですが、先週末、新古典派経済学におけるシカゴ学派の巨匠、ミルトン・フリードマンが亡くなりました。私は経済学についてはド素人なので、彼の学説に対しても完全に理解しているとは言えず、また精密な経済学上の議論もできないのですが、彼の主張した学説は、実に多くの示唆に富んでいたように思います。

彼の言わんとしたことは、ものすごく単純化して言うと、市場(マーケット)というのは、社会におけるモノやサービス等の流通、つまり需要と供給を自動調整する自律機能を持っているのだから、余計なことをやらずにただ放っておけばすべてうまく行くのだ、だから景気対策についても、財政政策は百害あって一利なしで、金融政策だけやればよいのだ、ということではなかったかと思います。当然のことながら、フリードマンはこの学説を数理的に証明した上で主張しており、この彼の経済政策に対する考え方は、一般にマネタリズムと呼ばれています。

 

少し補足しながら進めますと、ここで言う財政政策とは、政府から市場へお金を流す歳出面で言えば、社会保障や公共事業の政策であり、市場から政府にお金を吸い上げる歳入面で言えば、主に税制を指します。また金融政策とは、通貨供給量の調整と公定金利の調整を指します。今日の世界の多くの政府と中央銀行は、これらの政策手段をうまく使い分けて、インフレやデフレにならないように、また特に深刻な不況に陥らないように、景気変動の波の揺れ幅を抑えながら、緩やかな経済成長を達成しようと努めているのが実状だと思います。一方、マネタリズムというのは、財政政策は市場の機能を歪めるだけという立場に立って、原則的にこれを排し、金融政策だけで景気対策を図る考え方です。

 

もともと、今の先進国の多くが資本主義経済に脱皮していった近代においては、アダム・スミスも説いた市場の需給自動調整機能に全幅の信頼を置いていたので、ほとんどの国は景気対策として財政政策を採用することを真剣に考えることはしませんでした。しかし、失業などの労働問題が大きな社会問題になると、政治目的からも社会保障政策を重視する国が出てくるようになり、1929年のアメリカのバブル崩壊に端を発した世界恐慌で、失業問題が国家経済に壊滅的な打撃を与えるようになると、公共事業で雇用を創出しながら、社会保障を拡充するなど、各国の景気対策における財政政策の比重が飛躍的に高まるようになりました。

このときの破滅的とも言える失業問題は、当時の政権担当者たちに、市場には需給を自動調整する機能はあるが、現実世界では賃金は簡単に下がらないので、市場に失業問題を解決する機能はほとんどないということを知らしめることになりました。このような大混乱の中、メイナード・ケインズは、財政政策と金融政策をミックスすることによって、市場の利点を引き出しながら失業問題に対応するというケインズ経済学の考え方を主張して、注目を浴びるようになりました。

 

ケインズ経済学の考え方は、壊滅状態にあったアメリカ経済を復活に導いたため、一時は経済運営の方法として、世界中の多くの国々から評価されるようになりました。しかし第二次大戦が終わって、先進各国の経済成長が一息ついた1970年代に入ると、ケインズ経済学の政策を導入していた先進国の一部で、スタグフレーションというインフレと不況の症状が同時に現出する奇妙な経済現象が発生するようになりました。ここで出てきたのが、フリードマンらの提唱するマネタリズムという金融政策に依存した経済運営の方式で、財政政策と金融政策の両方を併用するケインズ経済学を、市場の健全な働きを阻害する邪道な政策であるとして、激しく批判するようになりました。

マネタリズムの考え方は、その後サプライサイド経済学といった市場の供給面が経済パフォーマンスを決定するという経済政策の考え方に強い影響を及ぼし、この考え方は、当時スタグフレーションにはまっていたアメリカでは「レーガノミクス」という形で、またイギリスでも「サッチャリズム」という形で、それぞれ当時の指導者の名を冠されて導入されていきました。これらの国々のサプライサイド経済学に基づく経済政策は、フリードマンのマネタリズムと内容的に同じものではありませんでしたが、財政規模を縮小することによって民間市場を相対的に拡大し(いわゆる「小さい政府」の経済政策)、市場の生産性をブーストして、税収の確保と経済成長を同時に達成することを狙っていました。

しかし、この試みは、特にアメリカでは、冷戦下での軍拡によって財政支出が異常にかさむなど、政策の実証研究を不可能にする要素が多々出てきたため、当初の政策目標の多くを達成することなく終わりました。ただし、この間、先進諸国からはスタグフレーションの症状が消えていきましたので、マネタリズムの正当性が、部分的に証明されたということは言えるのかもしれません。

ちなみに、この時代、日本はスタグフレーションの影響下にはありませんでしたが、レーガン大統領やサッチャー首相と親しかった中曽根首相は、当時のトレンドに影響を受け、国鉄(現JR)、電電公社(現NTT)、専売公社(現JT)などの公共機関を次々と民営化しています。また言うまでもなく、このマネタリズムの潮流は、先般の小泉さんによる郵政民営化とも無関係ではありません。

 

これらケインズ経済学とマネタリズムの考え方は、今もそれぞれ高く評価されるとともに、それぞれ批判もされており、議論は決着していません。日本は伝統的にケインズ経済学的な景気対策を信奉していますが、小泉さんや安倍さんはマネタリズムの源流である新古典派的な市場重視の政策を積極的に取り入れる立場を取っています。アメリカについて言えば、共和党は新古典派に近く、民主党はケインズ経済学に近い立場です。

これらケインズ経済学とマネタリズムの二つの考え方の特徴は、世間的なふつうの言い方をすれば、ケインズ経済学は市場と政府を同じくらい信用しており、マネタリズムは市場を信頼し、政府を信頼していない考え方だと言えます。また、ケインズ経済学は弱者救済に熱心に見えるようで、政府の一方的で高圧的な税制を容認する政策であり、マネタリズムの政策は弱者切り捨てに見えるようで、政府の強権から国民を守る政策であるとも言えます。

また、マネタリズムの要素を強化すると、政府の経済に対する統制が必然的に緩くなっていき、ケインズ経済学の要素を強化すると、政府の統制が自ずと強くなっていくということも言えます。さらには、マネタリズムの要素を極限まで強化すると社会の弱肉強食が徹底しますが、ケインズ経済学の要素を極限まで強化すると究極的には市場が消滅し、政府が経済を完全に統制する計画経済に至るということも言えるかと思います。

このことからも、資本主義の市場経済の国が政治体制として民主政を採用し、社会主義(共産主義)の計画経済の国が独裁政を採用するのは偶然ではないということが、改めて分かります(ケインズ経済学は計画経済ではありませんが)。ですから、この問題を突き詰めていくと、経済政策の問題を超えて、政治体制や政治思想、個人の人権と公益のバランスの問題にも発展し、究極的には個人の社会的な価値観にも行き着くことになります。

 

実は、ミルトン・フリードマンの両親は、ウクライナ出身の労働者階級のユダヤ人で、彼が移住先のアメリカで経済学者の卵として研鑽を積んでいたとき、彼の親戚の一部はスターリンの圧政や、ヒトラーのホロコーストで命を落としたと言われています。そして、フリードマン自身は、その自由の国アメリカで血のにじむような努力をして、15歳で大学を卒業した後、34歳の若さでシカゴ大学の教授になっています。そのため、彼の独特のルーツと激しい生き様が、政府に対する強い不信感と、市場に対する厚い信頼を最大の特徴とするマネタリズムの根本思想を形成したと言われることもあります。

その一方で、フリードマンは、自由競争を尊ぶアメリカで、競争に負けてしまった人たちには冷淡だったという話も聞いたことがあります。たとえば、職にあぶれた黒人の青年を、「努力が足りない」という一言で片付けたという逸話も残っています。たしかに、フリードマンは経済学者として自立した後も、アメリカ国内で転職を余儀なくされるほどの深刻なユダヤ人差別に遭っており、そのようなことを言うだけの努力はしてきたのかもしれません。しかし、地球上のすべての人が、フリードマンのような天賦の才能に恵まれているわけではありません。世の中には、どれほど頑張っても人生がうまく行かないということで、泣いている人たちも大勢いるのです。そのことを、フリードマンに聞いてみたいと思っていましたが、もう永遠の世界へ旅立ってしまいました・・・。

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2 コメント

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Unknown (マトン)
2006-11-23 17:51:00
そうですねー。両者とも、一定の条件下で部分的に自分の正当性を証明できるのですが、何とも一長一短と言うところがありますね。
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Unknown (イクウ)
2006-11-23 11:09:48
ケインズとフリードマンのやり方、弁証法的に、検証することもまた、新しい眼差しを生むかもしれませんね
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