再開発の進む旧防衛庁跡地「東京ミッドタウン」。
外苑東通りを挟んでその向かい、六本木7丁目には
元漁師達が暮らした町がありました。
その名も「麻布龍土(竜土)町」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/b6/a4cda757e1d8fa0a2249fd3fe2ccb598.jpg)
麻布龍土町は渋谷川の支流、笄川の支谷のいきつく高台に開けた町です。
龍土町は「りょうど町=猟人町」であり、猟人すなわち漁師の町を
意味しています。
今の神谷町近辺、旧地名西ノ久保一帯には、家康の江戸入り以前、
日比谷入り江を生活の舞台とする漁師達が暮らしていました。
神谷町に漁師町が?と不思議に感じるかもしれませんが、
当時虎ノ門辺りまで海が入り込み、日比谷入り江の玄関口の
西側という漁村としては申し分のない場所だったのです。
※玄関口の東側は江戸前島の「老月(ろげつ)村」で、こちらも日比谷入り江を代表する漁師町でした。
江戸の拡張と日比谷入江の埋め立てに伴い、立ち退きを迫られ、
生活の場を奪われた彼らに与えられた代地がこの龍土町だったというわけです。
漁師が高台に連れてこられてどんな生活をすることになったのかは
わかりません。ですが、日比谷入り江が1607年までには埋め立て
られてしまっていること、龍土町への移住が1620年代であること、
この二つの年代差が謎を解くヒントになるのかもしれません。
ちなみに他にも「龍土・竜土」の名の付く町が小さいながらも
いくつかあります。また、道路拡張の影響で龍土町から
さらに移転した代地もあります。
麻布竜土材木町:六本木通り沿い、麻布トンネル入り口の辺り
麻布竜土坂口町:六本木交差点、あおい書店の裏、TSUTAYAの辺り
麻布竜土六本木町:外苑東通り沿い、饂飩坂を上った辺り
竜土町代地三田古川町:南麻布古川沿い、慶応グラウンドの対岸一帯
明治33年この地に開業したフランス料理「竜土軒」は文豪達が
集う場であったことや、2.26事件の決起将校達が密談に
使っていたことで有名です。
また、江戸川乱歩の名探偵明智小五郎の探偵事務所もここ
竜土町に設定されていたりと、話題に事欠かない町です。
今でも一歩裏に入れば六本木というイメージからは
程遠い落ち着いた家並みも残っています。
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