歌う狸ブログ

街角狸マニアがあらゆるマニアについて歌う「マニアソングス」誕生秘話

ジャズソングと狸(前編)

2020-04-09 20:27:47 | 自己紹介
いまさらながらの自己紹介

前回ようやく初のタヌキソング「化かされたなら」が完成したわけですが、よくよく考えてみると私自身の自己紹介を全くすっ飛ばしていたことに気がつきました。そもそもなんでタヌキソングを作ろうと思ったのか、それは自分の持てる能力全てを使って狸を表現しようとした結果でした。というのも、もともとバンド活動をやっていたから出来るかなと思ったのです。

ジャズソングという失われたジャンル

学生時代にはブルーグラスというマイナーなアメリカ音楽を演奏するバンドをやっていました。その頃から1970年代のウエストコーストロック(The EaglesとかDoobie Brothersとか)に惹かれてバンド活動をしていましたが、就職してメンバーも散り散りになってしまったり、なかなか思うように活動ができなくなってきたので、夫婦でこぢんまり始めたのが村田食堂というバンドでした。ベースを弾くのが食堂の女将こと路上園芸学会さんです。

結成当時はとにかく歌いたい曲を演奏していたのですが、その中に「私の青空」という曲がありました。この曲は実は日本で初めて録音されたジャズなのですが、歴史を辿って行くうちにどんどん古い曲に興味が出てきました。ジャズが日本に伝わったのは1920年代のことで、曲調は日本人には全く馴染みがなく、歌詞はもちろん英語だったので、内容を分かりやすくする為に日本語に翻訳して歌われました。この日本語歌詞を今あらためて聴いてみると、とても素晴らしい独特な響きを持っていて、オリジナルの英語詩ともまた違う良さをまとっています。このように日本語訳詩で歌われるジャズ曲のスタイルはジャズソングと呼ばれ、戦前の音楽シーンを席巻しましたが、戦後進駐軍相手に歌われた英語のジャズ・ボーカルに取って代わられ、今ではすっかり失われたジャンルになってしまいました。そんなジャズソングに魅了された我らが村田食堂は古き良き名曲を掘り起こして演奏するバンドとして活動していくことになりました。

そんなジャズソングが流行っていた時代と信楽狸が誕生した時代を結びつけて記事を書こうと思っていましたが、早くも力尽きてしまったので、今回は前編ということにして、村田食堂バージョン「私の青空」でもお聴き頂きながらお別れしたいと思います。


ちなみにこの村田食堂ですが、大変光栄なことにマニアブログフェスタに参加中の地理人さんからコラボレーションのお誘いを頂きまして、曲を共作中です。もしよろしければこちらの記事もお読み頂けたら幸いです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿