殺されるのでは、と思い言葉を選んだら閉じ込めたり、そもそも葛藤をなかったことにするしかなかった。説明もできない。私はたくさんあったことのかなりを解離で忘れてしまった。忘れないように苦労してきたつもりだった。残す努力をして、ブログに書いていたこともある。何が起こってるのかわからないから、断言はできなかった。私は人の言動に善性を見出そうとするから、相手に期待してしまう。明らかにおかしい、と思って初めて怒っていたことでも、わからなくなってしまう。迎合したり、曲げたりするしかなくなったりして、結果憎んでしまう。最終的に何故か自分を憎んでしまう。
私はあの人が嫌いなのだろう。でも、嫌いという言葉は本当は全然正確ではないし、何か空回りしている。平静を取り戻したくて、あえてそういう言葉を選んでるだけで、全然そんな言葉では言い表せてない。何より憎んでいるし、自分を破壊したものを同じくらい破壊してやりたいと思うくらい憎んでいる。あの人は多分、自他境界のない人だったのだ。
ここ何ヶ月もアカウントを見たりもしていなかったし、忘れていたけど、元通りの平静なんて一つも取り戻していないし、自分の中に訳のわからない、全く説明できない炎症の塊が居座ることになってしまった。長いこと、自分のメンテナンスは丁寧にしてきたつもりだったから、とても悔しく思う。
私はあなたではない。私はお前ではない。自分の外に、自分ではない存在がすぐ身近にあるなら、人への配慮なんて自然に覚えるはずだと思ってる。苦手な人はいるかもしれないけど。断言なんてそもそも難しいことなのに、ものすごい強い支配性を感じてしまって、ただ憎しみを感じてしまう。書かなければいいだけなのかもしれないけど。
どんなに賢くても支配的な人より、おかしい性癖を持ってたり、おかしかったり、叫んでしまったり不器用で取り乱してしまう人の方が人として信用できると思う。その人が自分を例え好きにならなくても、そのことが悲しくても、私はそれを尊重出来ると思う。でも、絶対に好かれたくもない人がいる。
私もどうしてこんなに巻き込まれてしまうのかわからないけど、どうしても、久しぶりに見たとしても、ちっとも冷静になれなくて、憎しみを感じてしまう。
本当に、見なければいい。距離を置きたいし、味方を探さないといけないと思った。
ウクライナが戦う理由が、私はわからなかったし、こんな時代に何で戦争なんだろうとか思っていた。理屈はわかっても、逃げるのが正しいと思ってたし、武器を与えるなんて、と思っていた。当事者でもないなに、それが正しい考え方であることを何一つ疑わない人って何なんだろうと思っていた。でも、支配されるくらいなら、殺してもいいのかもしれないみたいなことを思えてしまう自分がいるのを感じている。尊敬が出来ない。ものすごく嘘つきな人だと感じている。したたかで執拗で、自惚れが強い、憎しみが強い人だと思っている。
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