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金瓶梅の世界 その③

2008-06-21 20:25:58 | 読書/東アジア・他史
その①その②の続き
 西門慶が衣食住に色も極めた暮しが出来たのは、しっかりした経済的基盤が在ったゆえなのだ。第48回に彼が塩の販売許可書(塩引/えんいん)を入手したことが記されており、これは特権のようなものらしい。『金瓶梅』の舞台・山東は南北の交通の要所でもあり、商売に適した土地柄だった。西門慶はその地で商売で成功を収めるが、一番収入の多いものは質屋だったと日下氏は見ている。古来高利貸しほど、儲かる職業もないからだ。

 ただ、中国で商人の儲けなど官僚の収入に比べたら、微々たるものに過ぎなかった。商人と役人では地位、権力、収入…いずれをとっても到底比較にもならなかったという。中国では役人、特に地方官ほどうまみのある地位はないとされ、「清官3年やれば3代食える」の諺もあるほど。清廉潔白な役人の清官さえこの始末なら、暴利を貪る貪官(たんかん)なら、想像を絶する。その主な収入は賄賂並びに税金の着服だった。ただ、着服とは不正確な表現であり、中国では当然の収入とされていた。その最大の理由は、正式の給与(禄高)が極めて低く、到底体面を保ちつつ一過郎党を養える額ではなかったからだ。決まった禄高の範囲内で、使用人の数や着る服の格まで制限されて暮らしていた日本の武家階級と中国の役人とは根本的に異なり、私服を肥やしたことで悪名高い平安時代の受領(ずりょう)など、大人しいものだ。

 商売上手な西門慶だが、その利益も権力と結びついてるがゆえに得られる暴利なのである。船の荷が着くと、彼は税を安くしてもらうため役人に手紙を送ったりする。このように官僚でありながら特権を活かし、商売をする者を中国では「官商」と呼ぶ。あくまで民間人である日本の「政商」とは、これまた立場が違う。『金瓶梅』が書かれた16世紀中国は、新興商人階級は活動の関心を封建的土地支配よりむしろ商業投機に集中し利潤を追求、その利潤を利用し封建支配階級と結びつくことにより、新たな特権階級として台頭した。官商は権力を借りて多くの便宜を得、公平な競争原理を阻害、利益独占をしたことに特徴があり、中国人学者にもこのことが原因で西欧のような資本主義に発展せず、社会生産力の向上に結びつかなかったと見る者もいる。

 では官商を明代末期の特異な利権集団と思いきや、共産主義下の現代中国も共産党員の官商が蔓延っているそうだ。改革・開放路線で北京などの大都市を中心に、実質的に役所または役人が経営するか或いは重役を務める企業が多数設立された。これら企業は物質・資金の調達などの権限を握る官庁をバックに、一般企業よりはるかに好条件で商売活動を展開、マスコミでこのような企業を翻牌公司(看板取替公司=官庁役所の看板を企業のそれに取替えるの意)と諷している。

 翻牌公司のようなケースは成功すれば私服も肥やせるが、損をする事態となれば役所の圧力により、一般企業に損失を転化することも可能なのだ。平たく言えば、従来の権力と人脈を悪用、市場より遙かに安い価格で人気商品や工業資材を入手し、実業体の名義で売り捌き、膨大な利益を得るということ。
 中国ビジネスのハウツー本の決まり文句が、「誰か後ろ盾になる権力者を見つけ、その保護を受けること」なのも、法整備の未熟さばかりが原因ではないようだ。実際そうしないと、寄ってたかり税や寄付、公共料金の値上げ等で利益を吸い取られる始末である。このようなトラブル解決の際、謝礼を包むのが常識なのは書くまでもないが、受け取る側に賄賂との認識はまずないだろう。

 西門慶の取り巻きで、作品にも幇間(ほうかん)と表現されている応伯爵は脇役の1人だが、彼の本当の職業は幇間ではない。金持ちの家に出入りし、主人の機嫌を取り結びつつ他人との仲介や口利き、使い走りなど金儲けの種を鵜の目鷹の目で探す、ブローカーが実態なのだ。何よりもまず口八丁手八丁、機転が利き、付き合い上手。陽気で賑やか、時には下品なジョークも飛ばす、宴会になくてはならぬサービス業。コネと情報が何よりも大事、腰が低く、使い走りもこまめにこなす。それなりにプライドは示し、肉体労働は断じてしない。それを行えば一段下の小人階級に落ちぶれてしまうのだ。中国では矜持の高い人間であればあるほど、肉体労働を卑しみ、大家の夫人さえ茶一つ入れることもないという。

 中国で物を売るような商談の席に、大抵は必ず立会人が要る。立会人は仲介者であり、謝礼を取ることが多いため、元手いらずの口先三寸で膨大な儲けを得ることが可能なのだ。現代でも生産には携わらず、口利きや仲介で物を動かして大金を稼ぐ官僚ブローカーが存在する。もちろん汚職ではあるが、社会全体がブローカー社会であり、応伯爵のような人物は何時も出番に不足しないということだ。 応伯爵は応花子(ホアズ・乞食)とあだ名され、芸者たちからも呼び捨てにされ蔑まれる存在にせよ、実は中国人誰もが彼のようになりたがっているといわれる。

 新書『金瓶梅』に軽く目を通しただけで、日中社会の違いがリアルに浮かび上がってくる。この本により中国文学に関心を寄せた方もいるだろうが、そのあまりの異質さに違和感を覚えた人が多いのではないか。“東アジア共同体”のような愚にもつかぬ夢物語を唱える者は、最低限でも中国の古典を見るがよい。
■参考:『金瓶梅』(日下翠著、中公新書1312)

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12 コメント

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現代のシナが透ける (スポンジ頭)
2008-06-21 22:14:21
こんばんは。

この日下氏の本、私も持ってます。筋を知らなくても面白いですが、読んでから読むと一層面白いですよ。特に潘金蓮の出鱈目じゃじゃ馬ぶりが良くかけてます。でも、現実生活なら呉月娘の方がいいなあ(笑)。
実際商売・金銭関係の話など現代のシナに通じてます。役人に賄賂を送ったり芸者を上げての豪華な接待をして塩商売の許可を貰ったり、とか役職を金で買い、殺人も巨額の賄賂でもみ消してやったり、とか今のシナでも違和感が全然ありません。日本も接待がありますが、歴史的にもレベルが違いすぎます。
私自身向うの役人の家族の宿泊費を交際費で処理するように言われて「?」だったのですが、あちらは企業を打ち出の小槌のように思ってます。

食事や衣装・装飾品の描写も細かいものですが、食事などそれこそメタボ街道まっしぐらと言う感じのこってりしたもので、日本人だとちょっと胸焼けがしそうです。魚は川魚がほんの少しだけ、まして海藻類や海の魚はありません。牛乳にバターと砂糖を溶かして金粉を散らした飲み物とか、ロバと馬の腸の料理とか、後者だと日本人は辟易するかも。他には麺類があり、明と同時代の室町・戦国時代と比較すると麺料理も多そうです。
この話、イスラム教徒の登場人物もいて、料理も別誂えにする場面がありますが、山東にイスラム教徒がいたのは驚きです。

何かの雑誌で「中国が立派な国だと思うのは三国志と孔子(の思想)しか知らない人間だけだ」と言った日本人がいたとありましたが、金瓶梅を読んでいたらそんな意見はでなかったでしょう。あれがポルノ本と言う話ばかり広まって一般的に読まれてないのは惜しいです。
ちなみに平凡社から出版されていますが肝心の(?)細かい性描写が一部省かれているので残念です(笑)。
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こういうとファンから怒られそうですが・・。 (乱読おばさん)
2008-06-22 16:58:58
 舌先三寸で生きている人の典型といえば「軍師」ですよね。三国志でも諸葛孔明さんは、この三寸不乱の舌先をもって、国を救って見せるなんていいますよね。本当に、こういう軟弱ながら頭だけがよくてあるいは「セコい」英雄がいるのは、やはり中国の特徴でしょうね。西洋の英雄でも、王様ならともかく(あ、でも闘う王様いるよなあ)、武芸の達人でなければいけませんよね。孔明ちゃんなど、刀槍をふるうことなんぞないですけど、勇壮無比な豪傑たちを従えるんだからなあ。応伯爵・・山田風太郎の「妖異・金瓶梅」の語り手で、なかなかカッコいい設定になっています。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-06-22 20:58:16
>こんばんは、スポンジ頭さん。

原作を読まれたのなら、この新書をさぞ面白く感じられたでしょうね。
妻には呉月娘のようなタイプを求めつつ、潘金蓮のような派手な美女と遊びたいというのは、男性の本音でしょう。 この物語は悪漢小説の一種にも感じられますが、金と女に恵まれた主人公の人生は男性の理想でもあります。
私も日下氏の本を見て、現代のシナと殆ど変わらない、という印象でした。儒教圏はもちろんヒンドゥー、イスラム社会に比べ、日本の贈賄は何ともスケールが劣ります。田沼意次など他のアジア諸国ではザラですよ。

「医食同源」をwikiで調べてみたら、薬食同源思想からヒントを得て、近年日本で造語された言葉であり、シナに逆輸出されています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E9%A3%9F%E5%90%8C%E6%BA%90

本家の「薬食同源」だと、「肝臓を食べると肝臓に効く」のような考えであり、ならば腸によいからロバと馬の腸を食べたとなりますね。不思議なのはあれだけ栄養過多の食事をすれば、メタボ街道まっしぐらで不健康と指摘する医者はいなかったのでしょうか?シナの役人は太目の方が尊ばれたと聞いたことがあります。

西門慶の第三夫人・孟玉楼は身持ちの固いしっかり者のはずなのに、三夫にまみえているので、儒教的婦道は建前だったようですね。原作を見れば感想がまた違ってくるかもしれませんが、私は悪女潘金蓮より孟玉楼にシナ女の凄さを感じました。
文革時代、紅衛兵が影で金瓶梅を読んでいたとの箇所は面白かったですね。日本版でも性描写が一部カットされていたとは、かなり過激なシーンだったのでしょうか。


>乱読さん

 何時もながら、歴史上の人物への鋭い見方には頭が下がります。
 仰るとおり、諸葛孔明って舌先三寸で乱世を生きた人物ですよね。たぶん日本の三国志ファンの中で、諸葛孔明は最も人気のある人物だと思いますが、クリーン風なところが日本人受けするのかも。孔子も舌先三寸で諸国を放浪した思想家ですが、諸子百家の時代はこの手の口舌の輩の黄金時代だったのでしょうね。シナくらい、「軍師」の目立つ国もないかも。
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山上たつひこ版もあります (madi)
2008-06-22 23:49:44
山上たつひこ版のマンガもありますが、これはエロとギャグにかたよったものです。
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Unknown (ルイージ)
2008-06-23 11:43:21
『金瓶梅』は、なんというか未読ですw



『中国文明論集』で宮崎市定は
「塩鉄」の問題を挙げてましたね。

「さらば塩は中国社会のその後の停滞性を代表するが、鉄は中国社会の進歩性を象徴する」

まあ、ヨーロッパに先駆けたその製鉄も産業革命に辿り着かなかった訳ですがね。
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マフィア (motton)
2008-06-23 12:37:27
演義の孔明はあれなんですが、(軍師でない)政治家としての孔明は、舌先三寸でその場限りの私益を求めるのではなくて、公益を考える本物の政治家だったと思います。
例えば「泣いて馬謖を斬る」なんかも私を捨てて公を取っているわけで。

中国はマフィアの集まりと考えると分かりやすいのかなと思っています。
官は民からみかじめ料(用心棒代と仲介料とシャバ代)を取っているわけですね。
問題は、皇帝(や共産党)といえども数ある内の最大の一家でしかないことで、あまり強くない(=他の一家の存在を許している)ことです。なので、決めた俸禄や税金を下々に平気で無視されるわけです。
中央政府という唯一最大のマフィアが支配する体制になっている日欧米が良く間違えるもとですね。
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Unknown (ルイージ)
2008-06-23 16:30:13
軍師というと参謀的なイメージがあるようですが
近代の参謀と古代の軍師は異なものです。

『常用字解』
「師は軍が出征するとき、祖先を祭る廟や軍社で肉を供えて戦勝祈願の祭りをし、その祭りの肉を携えて出発した。」

刀でその肉を切り取る権限を持っている者が師で「軍長、将軍」をいう。

「将軍には古く氏族の長老があたり、現役引退後は、氏族の指導者として若者の教育にあたったので、師は「せんせい」の意味にも用いる」


mottonさんの言うように、現代の感覚で言うと戦術よりは戦略、
生粋の軍人と言うよりは政治家に近いかもしれません。


正史を読む限り、彼は後方で食料と軍事力の充足。劉備死後は将軍として前線で戦っていたので
今の参謀的な働きはしてないですね。(演義での赤壁はともかく)

まあ、将軍としての活躍は御存じの通りですがw
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軍師 (motton)
2008-06-23 18:59:23
軍師といえば必ず名前のあがるであろう漢の張良や明の劉基も戦略家ですね。(劉基は演義の赤壁や孔明のモデルとも言われますね。)
彼らや孔明は、主君がチンピラから叩き上げたヤクザそのものなので、主君の代わりに国家を一から作り上げる必要があったのでしょう。
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コメント、ありがとうございます (mugi)
2008-06-23 22:20:04
>madiさん

あの『がきデカ』の山上たつひこも、『金瓶梅』を描いていたとは知りませんでした。
エロとギャグ中心の山上版『金瓶梅』、面白そうですね。


>ルイージさん

宮崎市定の『中国文明論集』、私は未読です。
仰るとおり現代の軍参謀と古代の軍師は異なるようですね。テクノロジーの発展により、古代の戦争と近代のそれは規模がまるで違ってきているため、戦略も変わるのかも。現代の戦争は、軍最高司令官(大統領)は安全地帯に居座っております。


>mottonさん

中国がマフィアの集まりとは、実に鋭い指摘ですね。
実はトルコ史研究家の大島直政氏も、著書『ケマル・パシャ伝』で、ヤクザの組織を拡大したようなものがオスマントルコ末期や清朝の実態だったと書いています。世襲的権力が支配する日欧と異なり、両国の原則だった「実力主義」とは、親分子分という関係で結ばれたグループが支配する社会だった、と。日欧の世襲権力制のエリートの高官たちの方が、トルコや清朝の役人よりずっと「公私の区別」をつけていたそうです。

それにしても、日欧米は唯一最大のマフィアが支配する体制とは、苦笑させられました。公のヤクザが政治家であり、民間権力者がヤクザということですね(笑)。
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唯一最大のマフィア (motton)
2008-06-24 10:37:05
唯一最大のマフィアが支配する体制というのは皮肉ではなくて、国民全員が構成員であり身内→「法」は一つであり平等→法治社会や契約社会が成り立っている、という風に考えているのです。
中国(や韓国)は国内でも身内と他人で「法」が違いますからね。
日本の武士や公務員は国の一員という意識がありますから無茶な汚職はしませんが、中国だと汚職によって他人(例えば政府や民)がどうなろうと知ったことではないのでしょう。
# 昨日、中国有数の国家食糧備蓄庫がカラになっていたというニュースがありました。四川大地震のために開放しようとしたら、横流しで 100万トン以上の食糧が無くなっていたそうです。やはりスケールが違いますね。

なので、毛沢東が社会全体を一つの大家族にしようとしたのは間違っていないと思っています。
問題は、家長(毛沢東)は子供達全員を平等に扱わなければならないことです。ところが、平等に扱う(すなわち法治になる)と家長の(私的な)権力は無くなり(公的な)権威だけになります。
ケマルはそれを是とし故にトルコ国民の永遠の父となりましたが、毛沢東は権力に固執し文化大革命などを起こしてしまったのでしょう。
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