宇宙とは意識の投影だった!☆OnenessラムZeropoint創世∞

すべては意識の進化のため。現実世界とは至高神の遊び!夢!生きる目的は魂の進化!日々を喜びの存在として生きる!☆One

ラムサ〜純粋な喜びの存在へと進化する

2018-02-20 17:49:49 | 日記
ここ地球での生は、様々な体験をし、人が純粋な喜びという存在へと進化するための『遊び場』として有るのだ。

自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種となるのだ。

あなたがどうしていいか判断に迷ったなら、今いるところよりもずっと高い位置から、高い視点から物事を見るようにすることだ。

あなたが責める他人の側面とは、自分の中で受け容れることのできない自分自身の側面なのだ。
あらゆる状況を生き、その全てと折り合いがついているならば、他の人間を理解し、価値判断なしに彼らをそのままで居させてあげることができる。

神とはこの今という瞬間のことだ。

無限とはこの今という瞬間なのである。

永遠なる神になるということは、この今という永遠の中にのみ生きることなのだ。

というのも神はそのように生きているからだ。

真の神とは、決して途絶えることのない、あなたの本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだ通りの『幻』を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。

人は自分自身について無知なままだと、いかに小さく無力であるか、そして知識の中に身を置くと、どれほど偉大な存在となるかを、私は悟った。

自分はみすぼらしく、無力なのだと言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。

そしてもし人が自分を神と呼ぶならば、その人は実際に神となるのである。

ラムサ〜


ラムサ〜この次元でのゲームの目的

2018-02-20 17:20:17 | 日記
この次元でのゲームや幻を、あなたは大げさに、ひどく真剣に演じているが、その単なる目的とは、教え、成長させ、覚醒させること、言い換えれば、あなたが理解するのを助けるだけのことである。

この人生とは、叡智という、人生で得られる最高のもののために、自分が様々なゲームを演じ、幻を体験する舞台にすぎないのだ。

真の変化とは、自分の考え方をひとつのモデルから別のモデルへと変えることではない。

人は、意識の拡大したときにだけ、変化することができる。

それが本当の変化だ。

ラムサ〜

ラムサ〜「ただ在る」ことの喜びが無限の「知っている状態」の力となる

2018-02-20 16:37:35 | 日記
けっして真実を探し求めてはいけない。「ただ在る」ことだ。「ただ在る」とき、あなたは無限の宇宙とひとつになっているのである。

生命は「ただ在る」のだと理解すれば、あなたは自分の能力を最大限に生かした人生を創造する自由と力を持つことができるようになる。そしてあなたは、次の瞬間に自分が何をしていようと、自分がすべての生命と共に振動していることを確信していられるのだ。そしてその次の瞬間にも、さらに次の瞬間にも、そしてその先にやってくるすべての瞬間にも、そうやって振動し続けていくことを確信していられるのだ。

マスターよ、生命にはひとつの計画があるわけではない。あるのは、「ただ在る」ことだけなのだ。「在る」という状態でいることは、自己表現の中で最も偉大なものなのだ。「在る」ということだ。存在よ、重要なことはあなたが「在る」ということなのだ。それだけが重要なことなのである。

マスターよ、善もなければ悪もない。ただ「在る」ということだけがあるのだ。「在る」という状態の中では、すべてのものは「自己を満たしているか」という点においてのみ評価される。つまり魂がそれ自身を英知で満たしていくために、魂が必要としている感情的な体験を実現しているかどうか、という観点からのみ見られるのだ。

「在る」という状態、すなわち神の状態。

完璧さといったようなものはない。存在するのは「在る」ということだけなのだ。生命の「在る」という状態の中では、あらゆる瞬間にあらゆるものが変化し進化している。したがって「完璧な状態」というものが確立されることはけっしてないのである。

私が認めるのは「在る」ということだけだ。それは神である自己が何かになっていくのを妨げる法や理想がまったく存在しない状態だ。「在る」という状態の理解の中では、自分のやりたいことの他に、人生でしなければならないことは何もない。

この今という瞬間の「在る」という状態だけが存在するのだ。重要なのは今である。あなたは「今」という瞬間の産物なのだ。あなたは自分の人生を、「今」という瞬間の中で生きている。あなたの未来は、この今の中で創造されるのだ。
この「今」という瞬間の中で、「ただ在る」状態として真に生きるということは、自己を表現したり、拡大したりするのを妨げる法や支配や規則なしに生きるということなのだ。あなたが「在る」という状態で生きるとき、重要なのは「今」だけである。つまり過去でも未来でもなく、今だけが重要なのだ。なぜならそれこそがまさに神が生きている場所だからだ。

あなたが幸せで喜びにあふれ、自分自身を愛し、「ただ在る」ことを自分に許す瞬間をより多く過ごせば過ごすほど、あなたはすべての生命のもつ神の力へと近づいていく。もしあなたが、「自分が人生で求めるものは、すべて自分を幸せにするため」という生き方で人生を生きるならば、あなたは最も壮大な運命を生きることになる。あなたは奇跡的なことをやり遂げる。あなたは自己と神への愛の驚くべき手本となるのだ。あなたという偉大なる美、素晴らしい神秘を体験し理解するのである。

「ただ在る」状態でいるのを自分に許し、あなたの存在の内なる促し、内なるフィーリングに耳を澄ませば、あなたの驚くべき自己をさらに偉大な叡智と永遠の喜びへと拡大していくために最も必要としていることを、あなたはいつも体験していることになるのだ。

「あなた」こそが人生の目的なのだ。あらゆる者がこれやあれをしなければならないという考えを超越すれば、つまり自分の運命はこれだあれだという考えを超越し、「ただ在る」という本来の状態に入り、明晰さと共にその瞬間の中に生きるならば、これまで知っていたものよりも、はるかに壮大な幸せと、はるかに大きな自由を見出すことになる。つまり生命の中への解放、生きるということのあるべき真の姿を見出すことになる。それこそがあなたの目的である。「ただ在る」ことだ。

この天界に人間が存在し始めた頃、人間はまだ自分が神であることを知っており、同じ化身のまま数千年も生き続けていた。というのも、「ただ在る」という状態で人間が表現していた限りない思考の純粋性が、体を不死のものにしていたからだ。

自分の存在の内面において、自分は卑しい存在なのだと「知っている状態」になったのと全く同じように、あなたが「今、自分は神なのだ」と自分の存在の内で知れば、あなたは自分のすべてにおいて神になる。純粋な思考である「第七のレベルの理解」と呼ばれるもの、すなわち「ただ在る」という究極の状態(これはあなた自身があらゆるものの究極の力となっている状態だが)に戻るためには、父が自分の内面に宿っていることをただ知るだけでいいのだ。

自分が神であることを知っている状態は、「ただ在る状態」において達成されるからだ。というのも、神とは「存在すること」であるからだ。それはすべての生命が「在る」という状態である。「ただ在る」状態でいる、つまりあなたがどんな表現をしていようと、単純に自分本来の姿でいることを自分に許している状態でいるということは、「父」と全く同じようになるということなのだ。そしてそれを達成するには、ほんの一瞬しかかからない。ほんの一瞬の間に実現するのである。

神とは、この「今」という瞬間のことだ。無限とはこの「今」という瞬間なのである。「永遠なる神」になるということは、この今という永遠の中にのみ生きることなのだ。というのも神はそのようにして生きているからだ。(今の瞬間を生きるメリット)

「ただ在る」ことだ。そうすればあなたはすべての生命が「ただ在る」という状態、その絶え間ない継続性とひとつになり、あなたの体もその継続性になるべく自ら上昇していく。そうすればあなたはもはや死ぬ必要はない。あなたはすべての天界を超越して第七の天界まで行き、そこですべてのものの究極の形である思考そのものになることができるのだ。これは真実である。

あなたの首から縄がはずされ、喜びのフィーリングが表に出始め、それが魂の内で高まってくるにつれて、あなたは「ただ在る」状態の中で、本来の自分であるこの荘厳なる神になり始めるのだ。

光の時代は人間を無限の思考へと、そして「ただ在る」ことの愛と喜びと自由という崇高なる王国へと連れ戻してくれるのだ。

マスターよ、私はいま自己を表現しており、在るがままの自分でいながら幸せな状態でいる。そしてあなた方がここで見ている姿でない時、私は「ただ在るもの」、すなわち全てのものが生まれてくる基盤になっているのだ。なぜなら第七のレベルとは、思考の総体であり、巨大な「空」(ヴォイド)であるからだ。

それはあなた方の惑星を軌道に保ち、細胞をひとつにまとめ、永遠のかなたにまで存在する全てのものを包含している。そしてあなたが第七のレベルの存在になると、もはやレベルというものすら無くなる。「た
だ在る」だけなのだ。その状態では、存在するものすべてのフィーリング、すべての「知っている状態」のフィーリング、すべての思考のフィーリングにあなたはなるのである。

それらのものよりも振動数の高い「超意識」の思考とは「在ること」、存在、生命、調和、ひとつであること、絶えることのない継続性などの思考だ。それらは愛の思考であり、喜びの思考であり、天才の思考である。それらは無限の思考であり、本当はこれらの言葉による表現さえ超えたものである。というのも無限の思考からのフィーリングを言葉で言い表すことなどできないからだ。

限りない状態に戻り、喜びと「ただ在る」ことの自由を体験するためには、あなたは再び自分をひとつにまとめているものにならなければならない。

これまでに創り出されたあらゆる言葉の中で、この教えに最もぴったりなものがある。それは「在る」という言葉だ。「在る」、それはどういう意味なのだろうか?それは自分がどのようであろうと、その状態でいることを自分に許すこと、そしてその状態の自分を完全に愛するということだ。「在る」ということは、完全にその瞬間の中だけに生きることなのだ。

なぜなら存在するのは「今」という瞬間だけだ、ということを自分が知っているからだ。それは自分がやりたいことをやるということであり、それを追い求めるよう魂が自分を駆り立てる冒険を生きていくことなのだ。

「在る」という状態でいる目的は何か?あなたがそのような生き方をするとき、あなたは自分や他の人、あるいは自分の中に生じる思考に対して価値判断を下すことはなくなる。すると、正しい-間違っている、できる-できない、完全-不完全、プラス-マイナスといったものはなくなってしまう。この瞬間の美を感じ、味わうことを許さない時間という幻がもはやなくなるのだ。あなたが「ただ在る」状態でいるとき、そこには生命の存在性、そして「今」という瞬間の絶え間のない継続性だけがあるのだ。

「ただ在る」状態では、あなたの思考は過去や未来の中をさまようことをやめ、罪悪感や後悔、あるいは「ねばならない」や「すべき」などにとらわれなくなる。あなたが「ただ在る」とき、特定の真実に固執しなくなり、すべての真実を再検討する者になる。あなたはすべての真実を単に「在ること」とみなし、自分の「在る」という状態の中で役立つかどうかを見極めるために、それぞれの真実を探求することを自分に許すようになる。

あなたがそのように生きるとき、あなたのところにやってくる思考のすべては熟慮され、脳を通して体の中でフィーリングとして理解されるようになる。そしてそれは、さらに多くの「知ること」、思考、存在性がやってくるのを可能にするのである。

あなたが「ただ在る」とき、あなたはすべてのものの「在る」という状態と整合状態にある。その整合状態を通して、あなたは自分の望むどんなものでも手に入れることができるのだ。そしてそうするためにあなたがすべきことは、「ただ在る」ことの他には何もない。

あなたの存在の神が、あなたの考えていること、望んでいることを何でも引き寄せ、あなたのところにそれがやって来るのである。あらゆる外的な手段
をつくすことに忙しい者たちは、この内的な手段の無意味なまねごとをしているだけなのだ。「ただ在る」とき、あなたはすでにすべてを持っており、すべてのものになっているのだ。

あなたが「ただ在る」とき、そしてすべての思考を受け容れることを自分に許しているとき、あなたは神の声を聞くことができる。そのときあなたがこれまでに知りたいと思ってきたことのすべてを、瞬く間に知ることができる。

自分の思考に価値判断を下さず、それらが魂の中で感情として実感されることを許すとき、あなたは単に「在る」ということと、在るものすべてに対して心を開くことによって、ひとりの無限の神として生きているのだ。そのときあなたは自分の「神なる自己」の純粋なチャネルとなり、神の精神の純粋な単純さに近づくのである。

とにかく「ただ在る」ことを自分に許すことだ。なぜなら「ただ在る」とき、あなたは全てであるからだ。単に自分の「在る」という状態、「神なる自分」の本質になっているとき、あなたはすべての生命と整合状態にあるのだ。そのとき、あなたは人間としての分離した状態を、神とひとつである状態へと変容させたことになるのである。

「ただ在る」ことの喜びが、無限の「知っている状態」の力となることができる。

「ただ生きる」こと
あなたがまだ生きていない理解はたくさんある。それらの理解の中で、最も偉大なものは何だか分かるだろうか?それは「ただ生きる」という理由のためだけに生きることだ。ただ単に「生きるために生きる」ということは、生命を理解することの中でも、最も偉大な達成なのだ。

なぜならその時こそ、平和というものを知ることができるからだ。その時こそ喜びを知ることができるのだ。

そしてマスターよ、その時あなたは自分のすべてにおいて、再び神になるのである。

ラムサ〜