ここ地球での生は、様々な体験をし、人が純粋な喜びという存在へと進化するための『遊び場』として有るのだ。
自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種となるのだ。
あなたがどうしていいか判断に迷ったなら、今いるところよりもずっと高い位置から、高い視点から物事を見るようにすることだ。
あなたが責める他人の側面とは、自分の中で受け容れることのできない自分自身の側面なのだ。
あらゆる状況を生き、その全てと折り合いがついているならば、他の人間を理解し、価値判断なしに彼らをそのままで居させてあげることができる。
神とはこの今という瞬間のことだ。
無限とはこの今という瞬間なのである。
永遠なる神になるということは、この今という永遠の中にのみ生きることなのだ。
というのも神はそのように生きているからだ。
真の神とは、決して途絶えることのない、あなたの本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだ通りの『幻』を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。
人は自分自身について無知なままだと、いかに小さく無力であるか、そして知識の中に身を置くと、どれほど偉大な存在となるかを、私は悟った。
自分はみすぼらしく、無力なのだと言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。
そしてもし人が自分を神と呼ぶならば、その人は実際に神となるのである。
ラムサ〜
自分の内にある神なるものに気づくこと以外、人類に救いの道はない。あなたはこの気づきの種となるのだ。
あなたがどうしていいか判断に迷ったなら、今いるところよりもずっと高い位置から、高い視点から物事を見るようにすることだ。
あなたが責める他人の側面とは、自分の中で受け容れることのできない自分自身の側面なのだ。
あらゆる状況を生き、その全てと折り合いがついているならば、他の人間を理解し、価値判断なしに彼らをそのままで居させてあげることができる。
神とはこの今という瞬間のことだ。
無限とはこの今という瞬間なのである。
永遠なる神になるということは、この今という永遠の中にのみ生きることなのだ。
というのも神はそのように生きているからだ。
真の神とは、決して途絶えることのない、あなたの本質の部分であり、それこそが、どんな形でも自分の選んだ通りの『幻』を創造し、それを体現して生きていくことを人間に許しているのだ。
人は自分自身について無知なままだと、いかに小さく無力であるか、そして知識の中に身を置くと、どれほど偉大な存在となるかを、私は悟った。
自分はみすぼらしく、無力なのだと言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。
そしてもし人が自分を神と呼ぶならば、その人は実際に神となるのである。
ラムサ〜