死刑執行が2年以上行われていないことが明らかになった。そういえば年末に死刑執行の報道がないと思っていたが、2年以上死刑執行がなかったとは驚きだ。
本来刑事訴訟法475条は判決の確定から6か月以内に死刑執行を法務大臣に命じるよう定めている。6か月以内に死刑執行しなければ違法なのだ。ただ刑事訴訟法475条の政府解釈は6か月以内はあくまで努力義務としている。最高裁の刑事訴訟法475条の解釈はまだない。
自民党政権なのに死刑執行をしないのであれば自民党政権である必要がなくなる。民主党政権も死刑執行の数こそ減ったが、死刑執行はしていたので政権交代を躊躇う理由にはなるまい。
日弁連や欧州諸国など死刑廃止論者の主張は私にはよくわからないのだ。なぜ彼らは「死刑」にだけあれほど反対するのか私には理解できないのである。
死刑は残虐だとのことだが、死刑囚による犯罪、大抵は殺人、は残虐ではないのか。残虐に4人も5人も殺害して死刑を免れることは著しく社会正義に反すると考える。
オウム真理教の教祖から幹部まで死刑判決を受けた死刑囚の死刑は執行されたが、無期懲役では罰として足りないだろう。やはり死刑が必要だと考える。
死刑廃止論者によれば国家による殺人は許されないとのことだが、例えば現行犯の犯人を警察官は射殺することがある。それは国家による殺人ではないのか。射殺した警察官の殺人だと責任を放棄するのか。
公務員の職務上の行為は国家が責任を負うのが当然ではないか。だとすれば現行犯の殺害も国家による殺人だろう。それも許されないというのか。一部そういう左翼はいるが。
戦争もまた国家による殺人ではないか。もちろん戦争で軍人が軍人を殺害してもそれは罪ではない。しかし殺人に変わりはないのだ。幸い日本は戦後から今まで戦争をすることなく過ごしてこれたが、死刑廃止国で戦争をした国は少なくない。もちろん兵士が殺人をしている。
それは国家による殺人ではないのか。死刑は駄目だが、戦争は構わないとする理屈が私には理解できないのだ。
死刑に犯罪の抑止力はないとも死刑廃止論者は述べる。それは判決確定から死刑執行まで何年も掛かるからであり、また日本の場合は死刑に関する情報を公開しないからだ。
死刑を犯罪の抑止力として機能させたいのであればそれこそ死刑執行を判決確定から6か月以内に行わなければなるまい。そうして「見せしめ」にして死刑は犯罪の抑止力として機能する。
冤罪であれば取り返しがつかないと死刑廃止論者は述べる。これだけは耳を傾ける意見だ。だが殺人も取り返しのつかない犯罪ではないか。1000人の真犯人を逃すとも1人の無辜を出すなかれ。近代刑事裁判の原則でそれは正しいと考える。
だが犯罪者の殺人も取り返しのつかない犯罪なのだ。それに対して死刑という罰がないのは著しく不公平だとと私には思えるのだ。本来は一人でも殺害すれば死刑になるべきではないか。そう考える。
自民党の岸田文雄内閣の法務大臣が死刑を執行しないのは怠慢だ。許されることではない。つい最近まで犯罪者の権利ばかりが尊重され(人質司法などもあるが)、被害者と被害者遺族は蔑ろにされてきた。それがようやく声が司法に政治に届くようになったのだ。
ほとんどの被害者遺族は犯人の死刑を望んでいる。犯罪被害者の会「あすの会」なども設立している。裁判所に刑事訴訟法475条を遵守を訴えても正直6か月以内の死刑執行が刑事訴訟法475条の解釈になるとは思えない。しかし誰かが訴えるべきではないだろうか。他力本願で申し訳ないが。
犯罪被害者と被害者遺族の権利も政治に声を上げねば政治は変わらないのだ。犯罪被害者など誰もなりたくないだろうが、もしなったときのためあるいは同じ日本国民の権利を守るために政治に関わるべきなのだ。
直接犯罪被害者でなければマトモな政治家を選ぶために投票するだけでも良いだろうが、積極的にボランティアやシンポジウムなどに参加するのも良いだろう。私のようにネットで自分の主張をするのも良い。
新聞は朝日新聞、毎日新聞、東京・中日新聞は死刑廃止の論調だ。世論が死刑容認だから明確に死刑廃止を訴えてこなかったが、部数が減った辺りで明確に死刑廃止を訴えるようになった。死刑に賛成の人はこの3紙を購読すべきではあるまい。死刑廃止の主張が広まってしまうからだ。
もちろん死刑の是非についてだけが全てではない。死刑容認だが、他の主張が良いので購読するということはあり得る。新聞も総合評価で見るべきだからだ。もちろん死刑廃止の主張は絶対に許せないから購読しないと決めても良いが。
だが新聞は財務省の犬なのだ。今挙げた3紙は反日でもある。残りの全国紙読売新聞、産経新聞、日経新聞は御用新聞だから体制に都合の悪いことは報道しない。それでは新聞の価値はないと考える。だから貴方が保守でもリベラルでも中道でも新聞の不買・解約を強く勧めたい。
テレビもぼーっと見ているのは身体と精神に毒なのだ。特にワイドショーを見ることは身体に悪い。時間潰しのためにテレビを見ることは止めて欲しいのだ。見たい番組を見るのは全く構わない。
最後にランキングボタンを押してくれるようお願いする。ランキングが上がればより多くの人に読まれるし、私の気持ちも上向くからだ。
本来刑事訴訟法475条は判決の確定から6か月以内に死刑執行を法務大臣に命じるよう定めている。6か月以内に死刑執行しなければ違法なのだ。ただ刑事訴訟法475条の政府解釈は6か月以内はあくまで努力義務としている。最高裁の刑事訴訟法475条の解釈はまだない。
~~引用ここから~~
国内での最後の死刑執行から26日で2年となった。自民党の政権復帰後は、基本的に数カ月~半年に1回のペースでの執行が続いていた中、異例の長さの空白期間といえる。慎重姿勢の背景には、執行を巡る失言による法相の辞職や、死刑が確定していた袴田巌さん(88)の再審開始が影響したとの見方がある。
直近の執行は2022年7月26日にあった。秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚が対象で、当時の古川禎久法相が命じた。
後任の葉梨康弘法相が22年11月、「法相は死刑(執行)のはんこを押す。ニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」などと失言。数日後に更迭された。
23年3月には袴田さんの再審開始が確定。10月に始まった再審公判は無罪の公算が大きい。死刑制度への関心が高まるため、執行に踏み出すのは容易ではないとみられる。
法務省によると、6月末時点で刑事施設に収容中の確定死刑囚は108人。刑事訴訟法は判決確定から6カ月以内の執行を定めるが、14~23年は確定から執行まで平均約9年だった。
~~引用ここまで~~
自民党政権なのに死刑執行をしないのであれば自民党政権である必要がなくなる。民主党政権も死刑執行の数こそ減ったが、死刑執行はしていたので政権交代を躊躇う理由にはなるまい。
日弁連や欧州諸国など死刑廃止論者の主張は私にはよくわからないのだ。なぜ彼らは「死刑」にだけあれほど反対するのか私には理解できないのである。
死刑は残虐だとのことだが、死刑囚による犯罪、大抵は殺人、は残虐ではないのか。残虐に4人も5人も殺害して死刑を免れることは著しく社会正義に反すると考える。
オウム真理教の教祖から幹部まで死刑判決を受けた死刑囚の死刑は執行されたが、無期懲役では罰として足りないだろう。やはり死刑が必要だと考える。
死刑廃止論者によれば国家による殺人は許されないとのことだが、例えば現行犯の犯人を警察官は射殺することがある。それは国家による殺人ではないのか。射殺した警察官の殺人だと責任を放棄するのか。
公務員の職務上の行為は国家が責任を負うのが当然ではないか。だとすれば現行犯の殺害も国家による殺人だろう。それも許されないというのか。一部そういう左翼はいるが。
戦争もまた国家による殺人ではないか。もちろん戦争で軍人が軍人を殺害してもそれは罪ではない。しかし殺人に変わりはないのだ。幸い日本は戦後から今まで戦争をすることなく過ごしてこれたが、死刑廃止国で戦争をした国は少なくない。もちろん兵士が殺人をしている。
それは国家による殺人ではないのか。死刑は駄目だが、戦争は構わないとする理屈が私には理解できないのだ。
死刑に犯罪の抑止力はないとも死刑廃止論者は述べる。それは判決確定から死刑執行まで何年も掛かるからであり、また日本の場合は死刑に関する情報を公開しないからだ。
死刑を犯罪の抑止力として機能させたいのであればそれこそ死刑執行を判決確定から6か月以内に行わなければなるまい。そうして「見せしめ」にして死刑は犯罪の抑止力として機能する。
冤罪であれば取り返しがつかないと死刑廃止論者は述べる。これだけは耳を傾ける意見だ。だが殺人も取り返しのつかない犯罪ではないか。1000人の真犯人を逃すとも1人の無辜を出すなかれ。近代刑事裁判の原則でそれは正しいと考える。
だが犯罪者の殺人も取り返しのつかない犯罪なのだ。それに対して死刑という罰がないのは著しく不公平だとと私には思えるのだ。本来は一人でも殺害すれば死刑になるべきではないか。そう考える。
自民党の岸田文雄内閣の法務大臣が死刑を執行しないのは怠慢だ。許されることではない。つい最近まで犯罪者の権利ばかりが尊重され(人質司法などもあるが)、被害者と被害者遺族は蔑ろにされてきた。それがようやく声が司法に政治に届くようになったのだ。
ほとんどの被害者遺族は犯人の死刑を望んでいる。犯罪被害者の会「あすの会」なども設立している。裁判所に刑事訴訟法475条を遵守を訴えても正直6か月以内の死刑執行が刑事訴訟法475条の解釈になるとは思えない。しかし誰かが訴えるべきではないだろうか。他力本願で申し訳ないが。
犯罪被害者と被害者遺族の権利も政治に声を上げねば政治は変わらないのだ。犯罪被害者など誰もなりたくないだろうが、もしなったときのためあるいは同じ日本国民の権利を守るために政治に関わるべきなのだ。
直接犯罪被害者でなければマトモな政治家を選ぶために投票するだけでも良いだろうが、積極的にボランティアやシンポジウムなどに参加するのも良いだろう。私のようにネットで自分の主張をするのも良い。
新聞は朝日新聞、毎日新聞、東京・中日新聞は死刑廃止の論調だ。世論が死刑容認だから明確に死刑廃止を訴えてこなかったが、部数が減った辺りで明確に死刑廃止を訴えるようになった。死刑に賛成の人はこの3紙を購読すべきではあるまい。死刑廃止の主張が広まってしまうからだ。
もちろん死刑の是非についてだけが全てではない。死刑容認だが、他の主張が良いので購読するということはあり得る。新聞も総合評価で見るべきだからだ。もちろん死刑廃止の主張は絶対に許せないから購読しないと決めても良いが。
だが新聞は財務省の犬なのだ。今挙げた3紙は反日でもある。残りの全国紙読売新聞、産経新聞、日経新聞は御用新聞だから体制に都合の悪いことは報道しない。それでは新聞の価値はないと考える。だから貴方が保守でもリベラルでも中道でも新聞の不買・解約を強く勧めたい。
テレビもぼーっと見ているのは身体と精神に毒なのだ。特にワイドショーを見ることは身体に悪い。時間潰しのためにテレビを見ることは止めて欲しいのだ。見たい番組を見るのは全く構わない。
最後にランキングボタンを押してくれるようお願いする。ランキングが上がればより多くの人に読まれるし、私の気持ちも上向くからだ。
ただ、オウムなどは背後に(北とかS価とか⁾反日勢力があったのかもしれないので、解明できたら今後の役に立ったのではないかとも。
問題と思うのは、死刑囚もほかの犯罪者も刑務所での待遇が良すぎることです。
それに外国人犯罪者は祖国で働くより安穏と暮らせるのではないですか。
それはやはりおかしいですよ。
死刑の執行は、法務大臣の命令による。
②前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。
日本の刑務所は待遇が良いというほどではないでしょう。受刑者を「さん」付けして呼ぶようになったのはどうかと思いますが。