そんなこんなで。

30代ケースワーカーにして博士大学院生(来年の春から)のそれからと、これから。

本当に終わりが見え始めたとき

2024-01-16 23:12:44 | 日記

先日
久しぶりに30㎞のマラソン練習をしてまいりました。

重い腰を上げて

とりあえず

とりあえずスタート地点に行くこと・・・
とりあえず10㎞はしること・・・
とりあえず最寄り駅までは頑張ること・・・

等々

自分にスモールステップを与えて

目標開始時刻を大幅に過ぎたころに

やっとこさ
走ってまいりましたが、

久しぶりに走ってみて
思い出したのが

一番しんどいのが
残り3㎞くらいのとき。

序盤とか、中盤とかではなく
本当の終盤も終盤。

残り5㎞はまだ気力が残ってる。

本当に終わりが見え始めたとき。

今思えば
あとちょっとなんだから
頑張って走り切ればいいものを

あとちょっとだから
歩いてもいいよね

もうどうせゴールだから
後は歩いてもきっと未来の自分は後悔しないよ?

みたいな
逆の発想にいつも引っ張られているなあって
気が。

フルマラソンとか走った時も

意外と
残り数㎞みたいなときに

急にやる気がなくなってしまう
みたいな状況に陥ってしまうなあ。

何事も
本当の最後の最後まで
頑張り切れるかどうか

って

意外と共通して
大切なのかもしれないと

思ったそんな練習でした。

ありがとう、デラックス

2024-01-09 22:59:17 | 日記

ぼんやりと、スト缶を飲みながら
youtubeで上がっていた
マツコと有吉の怒り新党の過去動画を見ていました。

その中で
「意識が高い人を何で馬鹿にするの?」
ということが議題に上がっていました。

多分実際の放送は
10年以上前のことだとは思うのですが

休職をして
その最中
TOEICの勉強や
大学院の勉強をしている自分に

何やら
チクチクと刺さる言葉が
たくさんありました。

マツコと有吉は
『一生懸命≠意識高い系』

ということで

(大人なんだったら)頑張ってる姿見せるなよ
頑張ってる姿見せないほうが意識高いんじゃないのか
何もしていないのがクールではない
やってるけど、やってないのを見せるのがクール
意識と実力が見合ってるかが大切

とのことでした。

確かに
最近はyoutubeとかで

study vlogとかで
勉強のルーティンとかが
上がってますね。

ぼくも
それを見て
モチベーションを上げさせてもらっている
まさに第一人者ではあるのですが。

それを見ていると
時々
脳みそだけが
勝手に先を行き

まるで実現できるような辻褄を合わせた
甘い未来を
想像してしまうのです。


結局
自分のキャパシティーに見合いもしない目標を

いやいや無理無理とか思いながら
心の奥底で立ててしまい

結局、達成できない自分に
落ち込む

そんな日々だなあと
この動画を見ておもいました。

この動画は次のように続きます。


『困ってる人を救いたい』
とかいう人は
力がないなら
目の前で苦しんでいる人に手を差し伸べるしかない

今のあなたに
世界中の人を巻き込むこむ力も
お金を引っ張てくる力も
あなたが言い出したことについてくるあなたの求心力も
なにもないでしょ?(byマツコ・デラックス)

そこにたどり着くまでにそれをする人は何をしてるんだろうっていうことを理解するうえでも
まずは目の前の困ってる人に一人でもいいから手を差し伸べるべき(byマツコ・デラックス)。

いや、まさにその通りだなあって。

今の自分には
支援対象者
一人一人に対して
どれだけ誠実に支援ができるかがすべてなのに。

なんだか
勝手に
偉そうになっていたなあって。

力も実力も、才能も、何にもないくせに。
だから大学院また行こうって思ったんだろう?

本当そうだよなあ・・・。

大人はがむしゃらでもがむしゃらでもがむしゃらに見せるべきではない
まずは、目の前のことからやっていきましょう(byマツコ・デラックス)

ありがとう。
デラックス。

ユートピアン・シンドローム

2024-01-06 23:03:57 | 日記

そしてまた
新年を迎えました。

毎年、年明けとか
思い出したころに

「また迎えてしまったぜ」

といったテンションで書いているけど

今年の怒涛の年明けを見ると

こうやって
年越しが出来て

スト缶を飲みながら
何かしらを振り返り
ダラダラ書くことが出来ているのも

ありがたいことのように思ってみたり。

とはいえ

今年は休職の最中の年越しでした。

去年はとにかく
他責的になってしまう一年だったなあ。

もともと自分は
どちらかというと
自己肯定感が低めで
大変内向的な性格に思っていて

何かトラブルがあった時とか
人から非難されたりしても

自分ってまだまだだなあとか
もっと頑張らないとなあとか

そう思って
乗り越えられてきたんだけど

去年は

何で○○してくれないんだろう

とか

どうして今それ○○してるの

とかを年上の職員に非常に感じてしまって

もともとの自己肯定感の低さから
自分如きがまた生意気を言ってしまって
って
さらに落ち込んで

どんどん
負のループに陥ってしまって
脱出できず
結果脱落したそんな一年でした。

休み始めたころは

ベッドに溶ける日々だったのですが
少しずつ回復して

本を読んだりして過ごして。

その中で
今、大学院関係で読んでいる
『変化の原理』
という本で

「ユートピアン・シンドローム」
という言葉が出てきて

それを読んでいるとなんだすごくしっくりきて。

何か問題が起きたときに

実際は解決なんか存在しないのに
それを見続ける

「ユートピア」的な思考が
問題を維持しているという考え。

つまり

人が何か森羅万象に通じる究極的な解決を見出した!見出すことが出来る!という思い込み
その結果
生み出されるそんな目標のことを言うそうです。

そんな目標を設定すると
その目標が達成できないのは

「その目標」のせいではなく
到達できない「人物側」のせいになってくる。

とのこと。

他にも特徴が書いてあったのですが

このことが
ものすごく負に落ちました。

確かに
今思えば

「どうして○○してくれないのかな」
とか
「何で今○○してるのかな」
とかって

自分が
「こうなってほしい」っていう
いわばユートピアン的目標が前提で

それを基に
考えて行動しているから

そもそも
その目標設定とか
問題意識自体を見直さないと

問題意識は正しくても

現状は何も変わらないんだろうなって。

問題意識に正しさを見出して
その対の正解を追及しても
それは自分が考えているだけのことで
周りには何にも関係ないこと。

そうそう。

だから悪循環に巻き込まれるというか
自分で生み出すんだろうな。

何かを変えるなら、
何かを動かしたいなら

自分が
目標、問題と思っている
その前提を変えることなんだぜ。

なあ、自分?

ってまた勝手に自己完結した
そんな
休職中、おともに
スト缶グレープフルーツ味
な夜でした。

ユートピアン万歳。

戦え!社会福祉士。

2023-12-17 20:45:19 | 日記


特に何も考えず

濃い目に割ったハイボールに乗っ取られた
脳みその指令で書いているので

まとまりは本当にないと思うのですが

昨日、今日


『ブリーフセラピー』

という
心理療法というかアプローチの
研修に
2日間参加してきました。

考え方としては

問題は
常に持続しているのではなく、
すでに解決できているところがあるのだ

というスタンスのもの

現状起こっている悪循環を探して

クライアントに
すでにできている解決は何か
クライアントが今持つことが出来ている力は何か

ということを

探していく
そんな技法
と理解をしました。

このアプローチは
心理の世界が出発地点で

社会福祉の世界では
あまりそこまで
浸透していないような。


でも、大学生の頃
この考え方を聞いたときに

目から鱗というか。

確かにその通り
なんて奢った価値観で
社会福祉を志したのか


思ったりもしました。


しかし、
実際、自分なりに勉強して
大学院の修士課程で勉強したり

欠陥へ既存の社会サービスを補う
社会福祉の世界で
実践をする中で

やっぱり
来たくて面接に来る人と
来たくないのに面接に来る人では

天と地
いや
もっと広い違いを

面接者というか
自分は感じるなあって

思ったことを思い出したり。

ブリーフセラピーとかでよく聞く
「この面接でどんなことが解決したら、来てもよかったと思えそうですか?」

とか
強制力を持って呼び出したクライアントとかに

そんなこと聞いても

逆上されちゃいそう。

ただでさえ
怖い面接スタートなのに。

そんなこと聞く余裕なんて
到底ないのよね。

ってのが正直なところ。

でも、
どんな人にも
その人なりに取り組んできた解決方法があるのも事実。

しかし

それが偽解決
と呼ばれるのも事実。

ん?

「偽」解決ってつけるのは
支援者????

確かに
その人なりには100%の解決手段だったけど
それを

「偽」

とつけるのは

果たして誰?

なら
それをどうしたらいいの????

とか
色々考えた

そんな2日間でした。

まだまだ
修行が足りないゼ。


3度目の正直は、正直すぎた。

2023-12-11 22:03:17 | 日記

先日ウルトラマラニックに参加してまいりました。


今回は、神戸マラソンから1週間後にちょっと長めの練習をしてしまったこともあり
少し足を痛めてしまい

不安な中参加しました。

実は、この大会3回目の出場。

1回目は4-5年前参加時に30㎞くらいで足が痛くなりリタイア
2回目はコロナ明けの去年、68㎞くらいで時間切れでリタイア

そして今回。

神戸マラソンで
なんとなく
遅くても一定のペースで走り続ける
っていう感覚を取り戻した僕は

明朝5時から





えっちらおっちらと
できるだけ走り続けました。

前回は、
最後尾の回収車に追われながらがの前進でしたが

今回は何とか70㎞の関門を30分前くらいにクリア。

だがしかし

次の関門まで14㎞

それを2時間半でたどり着かないといけないと

計算した僕の頭は結論を付けました。

『いやいや、12時間近く動き続けた、この足の
片足を前に出すのが精一杯な僕にはそれは無理だろう』

と。


しかし
『とりあえず、次のエイドまで、確か5㎞くらいだったかな?何とか進んでみようか』

僕の中にいる
珍しい前向きな気持ちが囁いてくれたので


結果、
「次のエイドまでは頑張ります!次のエイドまでは何㎞ですか?」

と応援に来てくれた職場の人に聞いたら



7㎞とのこと。



これは
社会人からなんとなくマラソン始めたウルトラマラソン経験者

にしか分かってもらえないと思うけど

70㎞を何とかたどり着いた
その後

エイドなしの7㎞は

その時の自分には
耐えられず


エイドのお好み焼きを食べながら





「勘弁してください・・・」






自分で申し込んだくせに

誰かのせいにして

リタイアしました…。




中々100㎞マラソンは
クリアできません。

来年、12月

今度は、もう一つ先の関門クリアを目指しましょう。


ね、自分。