広島にある原爆記念碑の碑文にペンキが掛けられたとのニュースが。酷いことをする奴がいるなと思いながらふと、碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の過ちとは何?『誰が何の過ちを起こして誤っているの?』と疑問がわいた。これまで散々目にし耳にした文言ではあったが・・・。
早速ネットで調べてみるのこの言葉の解釈を巡る論争は慰霊碑建設前からあったようだ。以下wikipediaから一部を引用する。
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『この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。
この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。』
『1952年11月5日に広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなったパールは二度三度と碑文の内容を確かめた後「憤ろしい不審の色」を浮かべて「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」
これを発端として碑文論争が活発化した。この発言を聞いた本照寺の筧義章住職はパールを訪ね「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を要望し、パールは「大亜細亜悲願之碑」の文章を執筆した。
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激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて 死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジアの
解放のため その厳粛なる
誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の
中に在る その啓示
に従って 我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール
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なお前半は筧住職による文であり、後半「抑圧された・・・」以降がパールの文章とする説が存在する。』
・1970年2月11日に運動団体「原爆慰霊碑を正す会」が発足。広島市が「主語は『世界人類』」と公式見解を示す事態となった。
・1983年に主語をトルーマンとする札が慰霊碑に貼り付けられる事件がおこり、広島市は主語はすべての人々とする説明板を設置した。
※ラダ・ビノード・パール、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。ベンガル人。ヒンドゥー法を専攻。日本では主に、極東国際軍事裁判(東京裁判)において判事を務め、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。
wikipediaの『ラダ・ビノード・パール』及び『原爆死没者慰霊碑』の項から引用。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB
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早速ネットで調べてみるのこの言葉の解釈を巡る論争は慰霊碑建設前からあったようだ。以下wikipediaから一部を引用する。
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『この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。
この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。』
『1952年11月5日に広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の碑文にある「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」を通訳を通して読んだ後、日本人が日本人に謝っていると判断し「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」との主旨の発言をおこなったパールは二度三度と碑文の内容を確かめた後「憤ろしい不審の色」を浮かべて「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、"わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ"というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。」「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」
これを発端として碑文論争が活発化した。この発言を聞いた本照寺の筧義章住職はパールを訪ね「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を要望し、パールは「大亜細亜悲願之碑」の文章を執筆した。
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激動し変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の思いを抱いて 死んでいった
しかし
大地深く打ち込まれた
悲願は消えない
抑圧されたアジアの
解放のため その厳粛なる
誓いにいのち捧げた
魂の上に幸あれ
ああ 真理よ
あなたは我が心の
中に在る その啓示
に従って 我は進む
一九五二年一一月五日
ラダビノード・パール
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なお前半は筧住職による文であり、後半「抑圧された・・・」以降がパールの文章とする説が存在する。』
・1970年2月11日に運動団体「原爆慰霊碑を正す会」が発足。広島市が「主語は『世界人類』」と公式見解を示す事態となった。
・1983年に主語をトルーマンとする札が慰霊碑に貼り付けられる事件がおこり、広島市は主語はすべての人々とする説明板を設置した。
※ラダ・ビノード・パール、インドの法学者、裁判官、コルカタ大学教授、国際連合国際法委員長を歴任。ベンガル人。ヒンドゥー法を専攻。日本では主に、極東国際軍事裁判(東京裁判)において判事を務め、被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。
wikipediaの『ラダ・ビノード・パール』及び『原爆死没者慰霊碑』の項から引用。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86%E6%AD%BB%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB
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