
1.舞坂宿から新居宿
まず、昨日見てなかった舞阪宿の良く整備保存されていた「脇本陣跡」を見物しました。しばらくすると「浜名湖」が見えてきました。
浜名湖はかつて閉じた淡水湖であったようですが、室町時代の大地震により、外海と繋がり、舟で渡るようになったようです。当時の渡し場跡である「北雁木」が保存されていました。現在は、橋により陸行出来るので、穏やかな浜名湖と朱色の「弁天島シンボルタワー」を横目に「新居宿」へ向かいます。1時間程で「新居関所跡」に着きました。幕末の安政2年に建てられたこの関所は、全国でも唯一当時のままに残る貴重な建物で、かつての宿場の雰囲気が解るような気がしました。
●新居関跡
2.新居宿から白須賀宿
「新居宿」を後にして、片側に松並木の続く旧道を右手に見つつ新道を往く。遠州灘を望む浜で一時休憩した後「白須賀宿」を目指す。「白須賀宿」は過去に大地震による津波のため現在の高台に移ったと言われていますが、確かに急坂の「潮見坂」を越える必要がありました。頂上の「潮見坂公園」からは雄大な遠州灘を一望に出来ました。海を眺めつつ、宿へ入る。現在も道幅は狭く、古い家並みをとどめた趣のある宿場町でした。
●遠州灘
●元宿
●潮見坂
●白須賀宿
3.白須賀宿から吉田宿(豊橋)
「白須賀宿」を出ると、境川という小さな川に行き当たる。ここが遠江と三河の国の国境であるそうだ。ここを境に赤土の山が現れ、黒い土の東国と地質がかわってくるとも言われているそうだ。日本列島の東西の境はどこか?と話題になるが、興味深い話であると思います。
「二川宿」へは両脇に田園風景の広がるのどかな道を往く。「二川宿」には古い家並みも所々に残り、堂々たる
本陣が復元、公開されているというが、「吉田宿」までに未だ6kmの距離を残していたので、外から一寸覗くだけで寄らずじまいであった。一号線を1時間歩行半程、耽々と歩行しました。
左手に[吉田宿:東惣門]が見え、やっと到着いたしました。ホテルのある「JR豊橋駅前」まではそれから30分程かかりました。天気が良すぎたせいか距離の割には疲れたようです。
07/31東海道紀行-12(舞阪宿~吉田宿)
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