何故死んでしまったの…祥一郎の生きた証

私は2015年12月28日、20数年共に暮らした伴侶である祥一郎を突然喪いました。このブログは彼の生きた証です。

あの日をなぞる・・・・・・・・・・・・・・・・

2016年03月18日 | 死別体験
何も予定の無いオフの日。

散々迷った挙句、最終電車で新宿に向かう。

新宿二丁目・・・・・・・・・・・・・・言わずと知れたゲイの街だ。


私はゲイ・・・・・そのセクシャリティを捨てることはできない。そもそも捨てる捨てないというものではなく、自分自身の一つの属性であるから、それから自由になることはできない。


しかし、祥一郎亡き今、自分がゲイであることが疎ましく感じる事が有る。


祥一郎が亡くなってまだ三カ月経たないというのに、同じ属性の人たちの中に身を置き、何も気遣いすることもなく会話したい願望に逆らえず、昨日、馴染みの店のドアを開けてしまった。


そこのスタッフには私に振りかかった人生最大の不幸のことは話してある。
店で人目憚らず、涙を流したこともある。
マスターはこんな壮年ゲイの背中を、ずっとさすってくれた。

昨日も部屋でひとりで居ることにどうしても耐えられず、その店に訪れたのだ。


生身の人間、それもなに憚ることなく会話できる生身の人間と、一時でも話がしたかった。
幸い、マスター始め、スタッフや、顔見知りの客とたわいもない会話をして過ごすことが出来た。


朝が白々と明ける頃、私は店を後にした。



そして気づいてしまった。

嗚呼、祥一郎と運命の出会いをした時も、こんな日だったと。

しこたま酒をあおり、酩酊し、フラフラしながら駅へ続く道であいつに声をかけたのだ。



そう、わたしはあの日をなぞりたかったのだ。

いやに派手なシャツを着た、真っ黒に日焼けした祥一郎に声をかけたあの日を。


それに気付いたとき、新宿の街中それなりの数の朝帰りの人たちの中で、思わずうずくまって泣き崩れそうになった。


時空を超えてまたあいつと出逢えるのではないか、もう一度やりなおせるのではないか、そんな
荒唐無稽なことを考えながら、辛うじて泣き崩れるのを耐え、駅に向かう。


何事も起こるはずが無い。

祥一郎、あいつはもうこの世に居ないのだから・・・・・・・・・・・・

あの日と同じシチュエーションをなぞってみたところで、大きな黒い穴の開いた心は、些かも埋まることはない。

結局とぼとぼと家路につくしかないのだ。


祥一郎・・・・・・・・・・・・・こんなおっちゃんをお前はどういう目で見ているんだい?

馬鹿な奴と思うかい?それとも「おっちゃん、淋しかったら、悲しかったら、またあの店に行ってもいいんだよ。」と言ってくれるかい?

部屋に帰って、祥一郎の遺影を見た時、あいつがほんの少しにやけた顔に見えたのは、気のせいだったのだろうか・・・・・・・・・・・・


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