王様の耳はロバの耳

たったひとりの叫びでも、そのうち風にのって広がれば・・・

わかりにくい政治 1

2015-06-07 06:02:40 | 政治
アゴラの記事、「安保法案は憲法違反なの?」を見て、なるほどな~と思った。
いや、記事内容ではなく、「こども版」としているところがである。(内容的に、池田信夫氏の見解は「?」だが・・・笑)

そう、子供たちにも知る権利というのが当然あって、大いに知ってほしいところだが、さておき、選挙権のある若者の政治離れということも言われて久しい。

さて、その彼らは、単純に、政治が面白いかと問われたなら、つまらないと答えることだろう。新聞を見ても、ニュースを聞いても漢字の羅列と難解な言い回しに溢れ、言わせれば「イミフ」である。
霞ヶ関か永田町あたりで爺さんたち(政治家)が勝手にやっているという印象は拭えず、まずは他人事のように見える。少なくとも身近ではなく、直接的には自分とは「無縁」だ。
私も若い頃はそうだった。政治は政治家がやることであって俺には関係ない。自分は自分で日々面白おかしく過ごせればそれでいいのだ、と。
だが、日々面白おかしく過ごせるかどうか、それは政治の動きにも懸かっているのである。

一方、若者のみならず、大人にとっても、仕事や生活に追われていればなかなかどうして関わりを持つに及ばない。今、自分の居る世界とは違う「政治の世界」というものが存在し、現に「政治の世界」はまた独特であって、興味を持って積極的、能動的に捉えてやっと少しずつわかってくる程度だ。

しかし、ひとたび解りはじめれば、例えばそこで使われている漢字の羅列と難解な言い回しも、それに都度説明を加えないでも済む合理性があるのがわかる。
とは言え、根本的な部分で、地方行政においても然り、社会の仕組み全体が「政治は難しい」という先入観を一般に植え付けてしまっている事実があるのも否めない。
なぜなら、政治を生業としている人間は、自分が承知していることは相手も承知しているはずだという思い込みの上に、それを前提に仕事を進める傾向にあるからでもある。
仮に、商売人であれば、お客に納得の行くような説明を心掛けるだろう。しかし、政治家や官僚から見た市民なり国民は、彼らからすれば「お客」ではない。ビジネスではないから(政治はビジネスであるという観点での議論はさておき)選挙で支持を集めるとき以外はサービスはいらないのである。
ゆえに説明不足や解り難さが常としてつきまとうことになる。

また更に、国民に理解が及ばないほうが都合が良い、とする政治勢力があり、彼らはメディアを牛耳り報道を抑え、敢えて解り難くしていたりもする。
況やそれは歴代の自民党政府のことにほかならないのだが、先日、「知らされないことの恐ろしさ」という記事を書いた。「ナチスのプロパガンダ」の引用部分に、「説明を意図的に放棄する」、「具体的計画を示し、選挙公約や政治目標を説明することではなく」、「曖昧模糊とした」、「具体的な明言は避け」とあるが、加えて日本の政府は、「極力難しい言葉、言い回しを駆使、乱用して」、「複雑に思わせること」をしてきたのだと思う。
つまり、そうすることにより政治から国民の目を逸らし遠ざければ、何より“コト”が運びやすくなるからでもある。


当拙ブログの前記事で、女性向け雑誌記事について書いた。
女性週刊誌が政治問題を取り上げること、なぜそれが画期的なのか。
ついては従来から「女子供は無関心でいい」とする政府の姿勢があり、そうした風潮があったからで、例えば今に至る過去からの大臣達の失言の数々を思い浮かべれば、頷ける部分は多いのではないだろうか。
従って、むしろ政治をより解り難くしているのは政府であって、国民にとって「政治がわかりにくい」のはある意味で無理もないことだというふうにも言える。


さて先日、選挙権年齢を18歳以上とする公職選挙法改正案が衆院の特別委員会で可決し、6月中旬にも法案が成立する見通しとなった。国政では来夏の参院選から適用される見込みだ。
これを受けて、今後各政党は若者に訴える政策、若者向けの“プロモーション”を打ち出してくることだろう。
必然的に「わかり易い政治」を心掛けなければならなくなり、これは歓迎すべき大変良いことだと言える。
当然自民党も政府としてそうせざるを得なくなるが、そうなると今までのやり方は通用しなくなる。だが、大丈夫か?
いや、早々にボロが出てくるのが楽しみなのだが、自民党よ侮ることなかれ、若者や女性が真剣になれば、その見る目はかなり厳しいものとなるぞ。


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