2004年・アメリカ・Harry Potter and the Goblet of Fire
監督:デヴィット・イェーツ(IMDb:7.4 Metacritic:71 Rotten:77)
夏休み特別企画の第1弾として「ハリー・ポッター」シリーズを網羅したい。
第2次ハリー・ポッター革命が起こったシリーズ第5弾。
シリーズ中、最もバランスの悪い映画だ。
はっきり言って、この作品は観客のことをわかっていない。
まず、原作好きの観客には物足りないだろう。
原作の長さはシリーズの中でもトップクラスだ。
しかし、この映画版は最も短い138分となっている。
そして、大半を占めるであろう原作未読者には展開が速すぎてわからない。
いろいろな登場人物が休みなく現れては消え、
その上、、ストーリーが省略されている割には、
妙なところで特殊な設定が出てきたりして混乱を誘う。
映画化する際の定番の脚色方法はストーリーの枝葉を切ることだろう。
だが、この作品はその切られた枝葉が積み重なってできているようだ。
原作の省略というよりは原作の無視である。
では、つまらないのか。いや、おもしろい。
ただ単にみんなが楽しめる映画から映画好きのための映画へと
路線変更してしまっただけなのだ。
脚本の細部など気にする暇もないほど演出が面白い。
突然現れた登場人物が誰かなのか気にする必要はない
どうだっていいのだ。
この映画が要求する観客は実験映画を見る観客なのだ。
つまり、『画面』の面白さである。
アンブリッジ先生の規則をウィーズリー兄弟が花火で破壊する面白さ、
それが分からなければこの作品は楽しめない。
このシーンのように原作の面白さを離れたところで映画の面白さが爆発する。
原作好きも今までの映画版好きも突き放してしまうのだ。
ファンタジーとしての楽しさはもう捨てられてしまった。
だが、これは必然であったといえる。
映画版「ハリー・ポッター」から映画「ハリー・ポッター」へと
移行するための過程がこの作品なのだ。
新たなハリー・ポッターを映画らしく築き上げようという挑戦が始まっているのだ。
そして、この革命が次の「謎のプリンス」で実を結ぶ。
もうすでに子どものための映画ではない。
〈75点〉
監督:デヴィット・イェーツ(IMDb:7.4 Metacritic:71 Rotten:77)
夏休み特別企画の第1弾として「ハリー・ポッター」シリーズを網羅したい。
第2次ハリー・ポッター革命が起こったシリーズ第5弾。
シリーズ中、最もバランスの悪い映画だ。
はっきり言って、この作品は観客のことをわかっていない。
まず、原作好きの観客には物足りないだろう。
原作の長さはシリーズの中でもトップクラスだ。
しかし、この映画版は最も短い138分となっている。
そして、大半を占めるであろう原作未読者には展開が速すぎてわからない。
いろいろな登場人物が休みなく現れては消え、
その上、、ストーリーが省略されている割には、
妙なところで特殊な設定が出てきたりして混乱を誘う。
映画化する際の定番の脚色方法はストーリーの枝葉を切ることだろう。
だが、この作品はその切られた枝葉が積み重なってできているようだ。
原作の省略というよりは原作の無視である。
では、つまらないのか。いや、おもしろい。
ただ単にみんなが楽しめる映画から映画好きのための映画へと
路線変更してしまっただけなのだ。
脚本の細部など気にする暇もないほど演出が面白い。
突然現れた登場人物が誰かなのか気にする必要はない
どうだっていいのだ。
この映画が要求する観客は実験映画を見る観客なのだ。
つまり、『画面』の面白さである。
アンブリッジ先生の規則をウィーズリー兄弟が花火で破壊する面白さ、
それが分からなければこの作品は楽しめない。
このシーンのように原作の面白さを離れたところで映画の面白さが爆発する。
原作好きも今までの映画版好きも突き放してしまうのだ。
ファンタジーとしての楽しさはもう捨てられてしまった。
だが、これは必然であったといえる。
映画版「ハリー・ポッター」から映画「ハリー・ポッター」へと
移行するための過程がこの作品なのだ。
新たなハリー・ポッターを映画らしく築き上げようという挑戦が始まっているのだ。
そして、この革命が次の「謎のプリンス」で実を結ぶ。
もうすでに子どものための映画ではない。
〈75点〉