空に問う。

空に問うても果てがない

宝くじ

2015-04-01 11:41:21 | 日記
大田市の方で「ロト7が当たったぁ」と訊いていた。ちょうど大田の物部神社の帰りにイオンモールの宝くじ売り場で買った。その日は2015年1月16日。16にって因縁数字だったから、もしや「あたりかも??」と財布の中に入れていた。どうせハズレてる宝くじ・・・。お守りみたいに持ってるつもりだったけど、調べた。

もちろんハズレ。でもこれで良かった。

去年のこの日は、厄除けグッズがある神社から山のように届いた。思いもしなかった。まあ、ある意味神社側(宮司さん)の意地だったのかな?どうやら、おいらにはその強力なご神徳も届かなかったようだから。

絵に描いた餅のような転落っぷり。完膚なきまで打ちのめされた。今思っても、よく気が触れなかったと思う。

でも、ますます悪くなる。顔を出すたび状況が悪くなる。申し訳なくなる。たぶん、その道では日本では追随を許さないほどの神社。

参るか、永久に行かないか・・・。試し試し。行きつ戻りつ。気分も機嫌も悪くなる。気が塞ぐ。

いろいろ迷って、願い札もお守りもお返しした。

でもなかなか諦めがつかずに、立春まで、騙し騙し参った。最後はお札を返しに行ったので2月22日。それきりは行ってない。

神を騙せないように、自分の気持ちも騙すことは出来なかったんだ。個人的にお祀りして貰ったお札はもうない。

何人か紹介して開運した人もいる。まあ相性も大事だろうしね。おいらと没交渉だっただけの話だ。手術することを知ってた知人が「手術が上手く行ったのは〇〇神社の御守りのお蔭ですね!」とLINEに入ってきたときは正直固まった。これっぽっちもそんなこと思わなかった。神の奇跡なんかそこにはなかった。でもその神社を紹介したのは自分だから上手く話を誤魔化した。

おいらという人間を信頼してくれたからわざわざ訪ねていってくれたんだし、ご縁を繋ぐ役目はおいらにもあったのだし、「もう何のご利益もないんでね、信じてませーーーーーーーん」なんて言えるはずもない。ただ行かなければ行かないで、祟られるような気持ではあった。でももうその時点でダメなんだよね。もうそこには信仰の欠片もないんだから・・・・・。

まあ、8億なんて夢のまた夢(笑)。それでも財布に入れていたのは、「ああ、やっぱり〇〇神さんはおいらを見捨てなかったんだぁ」って信じたかったからかな?確認しなければそれは、あたりでもハズレでもないんだし。裏切られることもない。シュレンガーの猫みたいなものだ。そう、それでも、何度でも、何度でも信じてきたんだ。でも、もう終わりにしないとはじめられない。そんな気持ちもしてたんだ。

生まれて初めて、自分の方から大切な存在にサヨナラするようなもの。いつもはフラれてばっかりだから、生まれてはじめて神さんをフリます。まだあの場所に立って、空を見上げてタバコを吸っていた、いつかの、昔の、自分とリンクできる。でも、何一つ変わっちゃしないし、同じまんま。呪いだって、自ら進んで手術を選んだことで、『切れた』気がする。その愛して止まなかった神さんの力では呪いは断てなかった。除霊して貰ったMさんや、それでも見捨てずに話を訊いてくれた友達や家族が救ってくれたんだ。効果や意味がないことにお金をつぎ込んでいただけ。特殊祈願って言ったって、護られているのか祟られているのか、正直何も分かりませんでした。結果として、私を呪ったサイコパス神主は社会的に保持され、私は放逐され、おまけに病気になった。天の采配は下され、外道だろうと神を祀るものを護り続けた。信じるしか出来なかったおいらは救われなかった。会社を追放されても、病気になっても、「救われる」はずだった。でも、その神もその神社も、おいらを救うことはなかった。

その神は一度もおいらに振り向いてはくれなかった。片思いみたいで辛かった。山のようにお守りが届いても、塩やお米が届いても、気持ちが悪くなるだけだった。気分が塞ぐだけだった。

そう、お詣りするたんびに、悪くなった・・・・・・・・。お詣りするたんびに、家族が仲たがいした。お詣りするたんびに、誰かが病気になった。神棚の米は腐り、塩は水になり、注連縄は燃えた。確かに多くを間違えていたけど、それでも救ってくれてもいいんじゃないかと思った。

おいら飽き性だから、20年も夢中になったものはなかったからかなぁ。もうあんな強い想いで神さんと向き合うことはないんだろう。今は、神とはそういうもんなんだと思ってる。心を少し優しく撫でるような風なんだって。でも粗相をしたり、意味もなく祟ったり呪ったりする気まぐれな力なんだって・・・・・。そういう訳の分からんもんだから、現代社会ではもう神力なんて誰も信じなくなったのかもしれない。自然の驚異を神と重ねた日本人。何も起こらずに平穏無事であること、天の恵みで豊作になること、それだけを願ってきた。でも神さんはどこかで変わってしまって、人間の願いや欲望を叶える存在に成り下がった。何も起こらない平穏無事を祈る人はいなくなった。

だから今後はもっと神主の居ない、地元の民に忘れられる神も増えていくんだろう。そして、どんなに邪悪でも正しくなくても、自分のために祈りを捧げるサイコパス神主のような不埒な人間のために手を貸すのだろう。そして普通に生きてる人に祟り続けていくんだろう。

でも、願い事を叶えてくれなかった片思いの神さんには申し訳ないけど、もうあんな強い気持ちであなたに惹かれたりはしません。地元の神さんたちは今暖かくおいらを迎えてくれています。だから、もう忘れます。あと少し持っていたお守りもお返ししますね。本当はその神社に伝わる秘宝に惹かれていただけで、神さんなんて二の次だったのに、いつのにかなくてはならない存在になっていました。

でも、おいらが忘れても、きっとたくさんの人はあなたを必要としているし、大切にされていると思います。

だから、その宝くじが、やっぱり一円でも当たっていなくて、本当に心から良かった。

もう頼らずともすむ。お礼を言わずに済む。参る必要もないんだ。

宝くじハズレて、ホッとする。

もう、その神に期待しなくてもいいんだ。全部ムダだったことを、おいらはおいらでちゃんと理解しなくちゃいけない。関わるべきじゃなかったこと。費やした時間の無駄さ・・・。でもね、それでも感謝で終わること。そういうのを選ぶための、後悔。

本当にその辺に転がってる石みたいに、風に飛ばされる葉みたいに、蛾にしかなれない毛虫のように、無視されてた。無視と言うより、存在にも気が付いて貰えなかったんだろう。そしておいらは報われない自分の想いに潰されて、祟られた・・・・・。けっこう毎年素敵な金額を寄付していたから、それを地元の神さんに回します。それがこの町に生まれたおいらのちょっとした役目なんでしょうから。

でも宮司さんには本当にお世話になった。だから、それだけの力を持つとされる神威の、期待に添えなかった自分が嫌で堪らなかった。本当はサイコパス神主に呪われた事実よりも、神気を借りながらも、サイコパス神主ごときの呪詛や悪だくみを一網打尽にも出来ない自分の微力さが辛くて仕方なかったのです。

だから初年度の最初の日である今日は、その神とのサヨナラです。あれだけ必死で覚えた、その神社に伝わる祝詞も気持ちが悪くて唱えることが出来なくなりました。

もう46なんで、いい加減、片思いしてる神さんとはお別れしないとね。

でも、ありがとうございました。

ついでに・・・・父には祟らないでくださいね。

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