空に問う。

空に問うても果てがない

けけけけ

2018-02-08 17:13:00 | 日記
佐賀県の自衛隊事故死。あれもこれも安倍政権への警鐘と呪詛の副作用だと思うんだな。

神とは人間が想像もつかないところで願いを叶えたりする。そこにはイカサマ的な感情はない。

例えば戦勝祈願をしたりする。だが負け戦ならしない方がいい。そうすると負け戦にならないように願い事自体を変えてしまう。戦勝祈願などしないで済む状況に強引に戻そうとする。

人間の方はやる気満々だが、神はその間違いを正そうとする。

おいらの場合も死なずに済む方法は会社を辞めるしかなかったわけだし、自損と自虐と呪いみたいなもので滅茶苦茶にしてしまったが、それしか身を護る術がなかったようにも思うし、なんか自分だけが酷い目にあった気がしないでもないが、あの頃の苦しみからは解放されているわけだな。

望まぬ形であれ、神とは願い事の一部でも叶えば感謝を強要する。不届き物は許さないわけだ。

パワースポット巡りをしていて調子を崩した人は知らずに受けていた恩恵に対して何も感謝していないのではないのかなぁ?神は優しいなどというのは幻想だし、あんなモノに力を借りてはいけないのだと今ならば分かるのだが、渦中にいた頃は何も感じなかった。

まあおいらを呪った神主にバチが当たらなかったわけではない。

神道の儀式とは作法と祝詞による神との「取次」に尽きるのだけど、呪詛に不可欠な祝詞が口上出来ないように見事に歯抜けになったようで今は入れ歯だという。しかし、それでは対等ではないのではないかと思っていた。現にこの神主に呪われたことも知らずに事故で家族を亡くしたり、命を亡くすものもいたからだ。

おいらの場合、悪運だけは強いから不慮の事故や病気にならずに済んだけど、一歩間違えば自分で命を絶っていたと思う。死ななきゃいいだろうという乱暴な企みさえ、神の守護なのかもしれないが。

歯じゃ満足できなかった。それほどに憎んでいた・・・。

いわゆる明治維新前の神仏分離の実験場だから、神自体があらぶっていてどうしようもないんだけど、それが昨今の日本全土で分別なく行われる神道の呪詛祈願に呼応してラチが開かないのだ。

だから安倍政治と密接にリンクしてるから未だに強固で影響を受けるのだと思う。

神に対してアンチスキルが身についてしまってる。

一日も早く安倍政治を葬り去りたいのだけれど・・・難しいし、むず痒い。

困ったときは神には頼らずに自分を信じた方がいい。

それが出来なかったことを今でもいちばんに悔やんでる。




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