猫の散歩という記事を以前に書いたが、そこで紹介されているしょくという猫よりも、そのしょくを拾ったときに散歩していた猫たちよりも付き合いが古かったのがこの猫であり、この猫と散歩するのを始めてからこの同じ場所で歴代の猫たちと林に入っていったものだ。
昨日、拙作の“セロ弾きのゴーシュ”の演奏会が町田市であり、終演後、語り手の楠氏と、この写真の場所を懐かしむために訪れてみたら、噂には聞いていたが、完全にこの緑はなくなり住宅街になっていて知らないバイパスが通っていた。
ショックだった。
もうこの猫だけでなく、アパートも林もないのだ。
かろうじて神社だけはあったけど、完全に僕の想い出の中だけにこの景色は存在するのだ。
猫の散歩の記事の中、二匹で散歩している写真があるが、その道のちょっと手前が今回の写真の場所だ。
記憶の中には君はずっと生きているよ。
昨日、拙作の“セロ弾きのゴーシュ”の演奏会が町田市であり、終演後、語り手の楠氏と、この写真の場所を懐かしむために訪れてみたら、噂には聞いていたが、完全にこの緑はなくなり住宅街になっていて知らないバイパスが通っていた。
ショックだった。
もうこの猫だけでなく、アパートも林もないのだ。
かろうじて神社だけはあったけど、完全に僕の想い出の中だけにこの景色は存在するのだ。
猫の散歩の記事の中、二匹で散歩している写真があるが、その道のちょっと手前が今回の写真の場所だ。
記憶の中には君はずっと生きているよ。
このブログ初登場の猫だ。
自分が猫と関わりだした最初のやつがこの子。
名前は「ばか」ちゃん。
ちゃんをつけないとかわいそうだが、こういう名前なのだ。
学生時代に住んでいたアパートにある朝捨てられていた。
産まれてからたぶん二ヶ月くらいの大きさだっただろうか。
前脚のどっちかが折れていた。
ぐらぐらだった。
でも甘えてきた。
育てられないので保健所に持って行こうと思ったがあいにく日曜日だったので一日一緒にいた。
それ以来の付き合いだ。
こいつには色々教わった。
胸が痛くなることもあった。
忘れられない。
この写真は一緒に住みだしてから時間が経った頃。
自分が猫と関わりだした最初のやつがこの子。
名前は「ばか」ちゃん。
ちゃんをつけないとかわいそうだが、こういう名前なのだ。
学生時代に住んでいたアパートにある朝捨てられていた。
産まれてからたぶん二ヶ月くらいの大きさだっただろうか。
前脚のどっちかが折れていた。
ぐらぐらだった。
でも甘えてきた。
育てられないので保健所に持って行こうと思ったがあいにく日曜日だったので一日一緒にいた。
それ以来の付き合いだ。
こいつには色々教わった。
胸が痛くなることもあった。
忘れられない。
この写真は一緒に住みだしてから時間が経った頃。